日ソ戦争-帝国日本最後の戦い

2024年07月07日 16時25分31秒 | 社会・文化・政治・経済

麻田 雅文 (著)

日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。

短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後にソ連軍が侵攻してくるなど、戦後を見据えた戦争でもあった。

これまでソ連による中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国によるソ連への参戦要請から、満洲など各所での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。

戦後の爪痕は大きかった。

日本にとって敗戦を決定づける最後の一押しであり、シベリア抑留、北方領土問題などの起点をなす戦争だった。

そして、朝鮮半島の分断、満州での国共内戦の幕開けともなった。

 


出版社より

日ソ
 

商品の説明

著者について

麻田雅文
1980(昭和55)年東京都生まれ.2003年学習院大学文学部史学科卒業.10年北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得後退学.博士(学術).日本学術振興会特別研究員,ジョージ・ワシントン大学客員研究員などを経て,15年より岩手大学人文社会科学部准教授.
専攻は近現代日中露関係史.著書に『中東鉄道経営史――ロシアと「満洲」1896-1935』(名古屋大学出版会,2012年/第8回樫山純三賞受賞)、『満 蒙――日露中の「最前線」』(講談社選書メチエ,2014年)、『シベリア出兵――近代日本の忘れられた七年戦争』(中公新書、2016年).『日露近代史――戦争と平和の百年』(講談社現代新書、2018年).『蒋介石の書簡外交――日中戦争、もう一つの戦場』上下(人文書院,2021年)。.編著に『ソ連と東アジアの国際政治 1919-1941 (みすず書房、2017年)

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2024/4/22)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2024/4/22

 

 
ウクライナの今後がどうなるのか予測のために読んだ。新書ながら良くまとめられて書いてある。この手の本は多数出版されており、読むのが大変なのだが、この本は短時間で読める。安全な日本で、歴史として読んでいられる事は幸運と思っていいだろう。
 
 
 
1941年(昭和16年)4月、日ソ中立条約が調印された。
その後、同年12月8日、真珠湾攻撃によって、日本は米英と太平洋戦争をはじめた。
しかし、あまりにも無謀な戦争であった。日本軍の攻勢は緒戦の間のみ、そのご太平洋の諸島を飛び石伝いに米軍に攻略され、日本は終戦の径を探り始めた。
そこで頼りにしていたのが、日ソ中立条約の相手ソ連である。ソ連が、どんなに悪辣な国かに無知な日本政府はソ連に和平の仲介を依頼する。
しかし、その数年前からアメリカのローズベルト大統領はソ連のスターリンに対日開戦を度々要請している。ソ連は生返事で、なかなかアメリカの要請に応えなかった。それは、当時ドイツと戦っていたソ連はドイツ・日本との2正面作戦を避けたかったからである。
しかし、昭和20年5月にドイツはソ連に無条件降伏する。これで、戦線を対日一本にする条件は整った。
8月6日、アメリカは広島に原爆を投下。日本はソ連に対して、米英に対する和平の仲介依頼を加速する。
しかし、それに対するソ連の答えは8月9日の対日宣戦布告と満州における陸上部隊の一斉攻撃であった。
この日、アメリカは長崎に2発目の原爆を投下する。
あとは、満州はソ連によって暴虐限りを尽くされる。
日本は8月14日、ポツダム宣言の受諾を各国に通知。無条件降伏である。
アメリは8月15日をもって、対日攻撃を停止。日本では天皇により「終戦の詔勅」が放送される。
しかし、ソ連は対日攻撃をやめない。満州全土に対する攻撃、当時日本領土だった朝鮮に対する攻撃、更に南樺太、千島列島に対する攻撃を続ける。日本の悲劇は、当時日本は対米戦争を主体に考えており、北のソ連に対する守りは手薄になっていた。満州をはじめて、南樺太、千島列島はソ連軍の蹂躙に任され、9月2日日本政府と軍隊がソ連に対する降伏文書に調印した。
我々は一般常識として、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連ばかりに非があるように思いがけだが、アメリカは、ソ連に対してしつこく参戦を要請し、勝利の節は南樺太と千島列島をソ連領にすることを合意していた。
これらの領土を完全に武力制圧するまではソ連は対日攻撃をやめなかったのである。
ただ、この「千島列島」は「国後・択捉」までの南千島と、それ以外の北千島とに日本は分けて考えており、南千島は歴史的にロシア領になったことは一度もない。これが日本政府の北方領土返還要求の根拠である。
ただ、ソ連は北海道の北半分も占領する意思をもっていたが、さすがにアメリカもこれを拒否した。
いずれにしても、二国間条約などまったく尊重しないソ連を最後の瞬間まで仲介役として頼りにしていた日本政府の希望的観測には、いまになってみれば只々呆れるばかりである。
更に、ソ連は手に入れた土地の収奪や婦女子に対する暴行は、一種の「報奨金」として黙認しており、対ソ連和平交渉をした軍人・外交官を含む60万人がシベリア送りになったことはソ連の仮借なさを如実に表している。
今日、ウクライナに対する侵攻も、ソ連という国の性格をしていれば驚くべきことではないのかもしれない。
 
 
太平洋戦争は昭和20年8月15日の玉音放送で終わったのではなく、8月9日に参戦したソ連はその後も攻撃を続けて、歯舞群島がソ連軍に占領されたのは9月7日だった。
 本書は太平洋戦争について、ソ連の満州侵攻開始以降を日米戦争とは切り離した「日ソ戦争」という別個の戦争として捉えるとの概念を固めた上で、その推移を詳細に追った研究書だ。
 最初スターリンはポツダム会議には出席したが、ポツダム宣言が出た時にはポツダムにはおらず、宣言にも署名してない。更に9月2日のミズーリ―号艦上の降伏文書調印式にもソ連は参加していない。またサンフランシスコ講和条約にも調印しておらず、未だに日露間には平和条約は締結されていない。要するに「日ソ戦争」はまだ終わっていないのだ。
 本書は、太平洋戦争に置いてソ連が如何に特殊な立場に立っていたか、またその特殊性を利用して、ソ連が如何に悪辣な行動をとったかを見事に描き出している。
 このソ連の「戦争の文化」は、今日のプーチンのロシアにも営々として引き継がれているという。

 一方、既に敗色濃厚であるにもかかわらず、7月に出たポツダム宣言を直ちに受諾せずに逡巡し、あまつさえ、既に参戦する腹でいるソ連に講和の仲立ちを依頼するという愚かな行動をとり、その結果、二発の原爆投下とソ連の参戦を許してしまった大日本帝国の指導者たちが、如何に愚かであったことか、全く言葉も無い。
 
 
1945年8月8日にソ連の宣戦布告により始まり、9月初めに、日本の降伏とソ連軍による満州、朝鮮北部、南樺太、千島諸島の占領で終わった日ソ戦争の通史(?)新書である。
著者は2016年に『シベリア出兵』(中公新書)を刊行した人。懐かしい。
一、目次と概要
◯第1章 開戦までの国家戦略ー日米ソの角錐、第2章 満州の蹂躙、関東軍の壊滅、第3章南樺太と千島列島への侵攻、第4章日本の復讐を恐れたスターリン。
◯第1章は開戦まで、計42頁。第2章はソ連軍の満州侵攻で、計121頁あり、本書の中心。最後に朝鮮侵攻が少し。第3章は南樺太戦が中心で、後半は占守島戦と千島列島占領、計71頁。第4章は戦後とシベリア抑留で、計13頁で終わってしまう。
二、私的感想
◯計290頁。よくまとまっていて、読みやすい歴史新書本と思う。
◯引用の一つ一つに、史料番号ではなく、きちんと史料名、書籍名が書かれているのが読者に親切であり、史料、記録者への敬意を感じさせる。一方、証言者のプライバシーの観点から、論題名を削り、書籍名だけ載せている引用史料もある。
◯温厚な(不適切ご容赦)本である、と思う。日ソ戦争は日本にとってはあまりにも悲惨な戦争であったので、日本人の情念・思考の方向が特定の方向に向きやすいと思うが、厚くない本の中で、一応、様々な立場、要素、背景等が簡潔に記述されている。
☆たとえば、スターリンはなぜ北海道への上陸作戦を諦めたのか、という重要論点については、3つの説、①それまでの日本軍の奮戦が、北海道の占領を防いだ。②ソ連による朝鮮北部と全千島列島の占領をアメリカが認めたので、妥協した。③アメリカとの関係悪化を恐れた。を紹介し、アメリカとの関係が受け入れられやすいが、明確に立証できる史料は存在しないとする。(226頁)
☆戦史の本なので、ソ連の勝因と日本の敗因も分析されている。敗因となると、一般読者としては、勝てるはずのない戦争だった、と思ってしまうが、本書でも、最大の敗因は、対米戦で日本の軍事力と経済は破綻していたこと、とされている。その後も敗因分析が続いていくが、これらは敗因というよりも、ア、戦争の開始を止められなかった原因、イ膨大な戦争犠牲者が出るのを止められなかった原因の解析と思われる。アの原因としては、大本営や関東軍は米国との本土決戦の準備を最優先し、ソ連の侵攻は予想していなかった。また、気づいていても、ソ連に和平仲介希望を託して、見て見ぬふりをしていた。イの原因としては、日本陸軍は将兵に戦車への肉迫攻撃や陣地の死守など玉砕を前提とした攻撃を命じ、ソ連もこれにより被害を受けながら、日本軍の降伏を容易に受け付けなかった、とされている。そして、最後に「圧倒的に不利な状況でも敢闘した日本軍の将兵は特筆に値する」と書いている。(257頁)

☆日ソ戦争の特徴は、ソ連の民間人の死傷者はゼロなのに、日本人の民間人は停戦後の死者まで含めると、約24万5千人がこの戦争で亡くなり、そのうち開拓団員らの死者は7万2千人にのぼることである。(238頁)。原因はソ連軍の蛮行、関東軍を信じたことによる避難の遅れ、集団自決になるが、関東軍が開拓民を棄てたのか否かの論点については、開戦前の関東軍には開拓民を避難される手段も残されていたが、その手段をとらなかった。しかし、関東軍にだけ責任を押し付けても全容は解明できない。満州移民を遂行した政府責任、満州の放棄を暗に指示した大本営の責任もある。何よりも、非戦闘員である開拓民や家族に無差別攻撃を行ったソ連軍の責任とする。(133頁)。
最後に満州国時代日本人が現地民に行った加害は、ソ連軍の開拓民への蛮行を相対化して不問に付す理由にはならないとする。
☆性暴力を含むソ連兵の蛮行については、8頁ほど使って解析されている。普遍的要因として、軍上層部が兵のストレス解消のはけ口として黙認、状況的要因として、日本人男性は徴兵され、警察等は武装解除され、蛮行を止める者がいなかった、構造的要因として、ソ連の男尊女卑や人権軽視の社会構造が戦時での性暴力につながったである。
☆一方、ソ連兵の弁明になりそうな記述もある。一般ロシア人は戦争に疲れていて、終戦復員を望み、いまさら日本と戦争などしたくはなかった。スターリンは日露戦争の復讐というプロパガンダで国民を煽った(240頁)
☆停戦後の民間日本人の死者の多いのも悲惨である。ソ連軍が、軍人や行政幹部を抑留してしまう一方、占領下の民間日本人の保護には無関心で放置し、暴力、飢え、寒さに苦しみ、伝染病等で死んでいった。日本が船を出して難民を帰還させることも認めなかった。(150頁、165頁)
☆民間人の自決、集団自決の多かったことも重要と思われるが、本書では自決については、検討されていない(と思う)。130頁に「追い詰められると集団自決を選ぶ「同調圧力」」とあるだけと思う。
◯各地での戦闘の実態については、詳しすぎず、簡単すぎず、戦史が得意でない読者にも理解できるように書かれていると思う。
三、蛇足
◯日ソ戦争と関連する本で、去年文庫化された『満蒙開拓団』(加藤聖文著 岩波現代文庫)、『樺太一九四五年夏』(金子俊男著 ちくま学芸文庫)の2冊が、買ってからずっと積ん読状態になっていたが、本書を読んで深く反省して読み始め、どちらも読了することができた。
 
 
 
 
日ソ戦争についてコンパクトにまとめた新書だが、典拠史料を示す注(ほとんどがソ連側史料)も付いており力の入った一冊で、巻末には資料としてヤルタ秘密協定草案(1945年2月10日付)とヤルタ秘密協定(1945年2月11日調印)も収録されている。

全体は四つの章に分かれ、第1章「開戦までの国家戦略」、第2章「満洲の蹂躙、関東軍の壊滅」、第3章「南樺太と千島列島への侵攻」、第4章「日本の復讐を恐れたスターリン」となっている。

日ソ戦争の期間は、8月8日夜の対日宣戦布告から歯舞群島の占領が完了するまでの約1ヵ月に過ぎないが(ソ連軍による北緯38度線以北の朝鮮半島占領までとすればもう少し長い)、この短時日の間に実に様々なことが起こっている。満洲方面での戦争については、残された居留民の悲惨な運命と合わせて比較的よく知られていると思うが、南樺太と千島での戦いについては必ずしも詳しく知られていないのではないだろうか。ソ連側の軍事行動が日本のポツダム宣言受諾後も続き、占領政策をも見据えたアメリカとの綱引きの中で進行したことも大きな特徴といえる(結果として、スターリンは北海道北半の占領を諦めた)。
ソ連軍による住民への無差別攻撃や略奪・性暴力などの蛮行、また戦後に行われたシベリア抑留といった問題に加え、言うまでもなく北方領土の占領は現在まで続く領土問題の起点となった。

一方、日本の関東軍は本来対ソ戦こそがその存在意義だったはずであるが、すでに南方や本土への戦力抽出で弱体化しており、戦争がはじまると作戦行動を優先して住民の保護は後回しとなった。居留民の避難にあたり(たとえ結果的にとはいえ)軍人の家族が優先されたことは、徹底抗戦の建前から一般住民に避難準備をさせなかった裏返しとも言えるが関東軍の「悪名」に駄目を押した。とはいえ日本側の問題は関東軍あるいは日本軍のみにあらず、根本はソ連の中立維持(対ソ静謐)を前提とした国家戦略そのものにあった。

本書はこうした多くの要素をバランスよく網羅し、短期間だが歴史的影響の大きい戦争の全体像を描き出すことに成功している。日ソ戦争について書かれたものはこれまで多くあり、また今後も多くの研究が行われることを期待したいが、現時点でこの戦争の全体像をつかむには最適の一冊だと思う。

ちなみに著者はほかにも『シベリア出兵』や『蒋介石の書簡外交』などの著作があり、いずれもお勧めできる。
 
 

 


「大日本帝国」崩壊: 東アジアの1945年

2024年07月07日 16時07分31秒 | 社会・文化・政治・経済

加藤 聖文 (著)

駒澤大学 文学部 歴史学科 日本史学専攻 教授

第二次世界大戦終結後の日本人引揚問題を国際関係史の視点から解明し、あわせて引揚後の彼らが日本社会においてどのような立場に置かれたのかを考察する。
また、近年は日本人の引揚問題を第二次大戦後に起きたユーラシア大陸の民族移動ならびに戦後の脱植民地化といった世界史的な視点から捉え直すことに取り組んでいる。
この他、現代社会におけるアーカイブズ(歴史記録)の管理と公開のあり方について、国際的動向を踏まえた実践的研究を行っている。

人や組織の持つ本質は、その最後の姿によく表れる。

著者は、大日本帝国の本質を、帝国を支えてきた植民地として台湾・朝鮮、また傀儡国家としての満州国への支配の終焉から描いた。

 

 
玉音放送によって終結した筈の第二次世界大戦は大日本帝国の臣民として満州国などに居住していた日本人や朝鮮人は、帝国の精算に直面させられたという事実。敗戦にあたり検討しなければならなかった帝国臣民について、あまりにも当時の政治家が無頓着であったこと、これは是非映画化してほしい。
現在の政治家への戒めとして。
 
 
大日本帝国の主な領域における終戦前後の動きを解説し、日本では昭和20年8月15日を期して戦前・戦後を分けているが、東アジアでは国共内戦や朝鮮戦争までをひとつの流れとして把握すべきだと結論している。
新書一冊に内地・台湾・朝鮮・南洋などあらゆる情報を盛り込んだので物足りない感もあるが、手っ取り早く概要がわかるという利点はある。
特段目新しい知見はなく知っている人には記憶を再確認する程度であるが、記述は概ね妥当で偏向は感じられなかった。
それにしても本書を読んで感じるのは、大日本帝国は偉大だったということだ。終戦までは懸命に各地域の経営に力を尽くし、ひとたび降伏が決まってからは、武装解除・権限委譲に注力する。台湾でも朝鮮でも暴動・略奪はなかった。混乱が始まるのは日本が引き揚げてからである。
 
 
日本の南方攻略作戦の作戦範囲は東西5400マイル南北4200マイルで一国が計画した作戦としては、史上空前の規模で
アレキサンダー大王やジンギスカーンの征図もこれにはおよばないものであった。
もちろん太平洋戦争は人類史上に残る悲劇ではあるが、同時に、戦争のはじめに多くの日本の若者達がロマンを掻き立てられたのも
理解できないことではない。

戦後、GHQ占領下に日本は、太平洋戦争は、全て悪で、失敗で、愚かな悲劇で、
2度と同じ過ちは繰り返さないと言う言葉の中に、敗戦を封印してしまったように感じられる。

東南アジアの人々と付き合うときに、その多くの国々が、一度は日本の勢力範囲に入っていたという歴史を封印してしまうと、
アジアと日本のつながりの深さ、同時に、それがもたらした悲劇的な側面や人と人との間の文化交流等、
様々なものが見えなくなってしまうのではないだろうか。

日本本土では終戦の日となった8月15日だが、満州、朝鮮、台湾、南洋諸島、そして樺太そこで、どのようにして日本の支配が終わり、
新しい枠組みが始まったのかというを本書を通じて、まとめて説明してもらった時に、親日的な国と言われる台湾と、
日本を敵視することで成り立ってきた朝鮮の2つの国の戦後の歩みが理解できたような気がする。

開戦から70年以上たち、戦争の歴史は、痛みを伴う記憶から、検証されるべき歴史へと変化してきていると思う。
日本軍の戦争を持ちだして来て、謝罪や賠償を執拗に迫るある国の世代も、それに対応する日本人の世代も
戦争を話でしか知らない世代に移っている。
そして、ある国の孫の世代が、日本人の祖父の行為を立てに、孫の世代に嫌がらせをしたり、賠償を請求したりと、
太平洋戦争の歴史は、今や、国際社会での主導権争いの政治カードに成っているのも事実である。
さらに、これらの時に誇張された歴史が日本人という民族に対してのhate crimeを正当化する
手段に成り下がろうとしていることも見過ごすことはできない。

日本人の多くの世代が、太平洋戦争の歴史をしっかりと理解し、必要なときは毅然として事実をもとにして反論することは、
これ以上のhate crimeを助長させず、また、歴史カードを一方的に、外交の場で、利用させないためにも重要なことではないだろうか。

この本を読んで、まさに目からうろこが落ちた思いがし、戦後史を、
アジアと言う視点から捉え直す新しい視点を私に提供してくれてとても面白かった。

アジアで仕事やビジネスを始めるヒトにとっても必読の書ではないだろうか。
 

日本が太平洋戦争に敗れたときに、当時の日本の占領地では、何が起こったかを述べている。
満州や朝鮮、台湾については、有る程度知られてはいるだろう。
しかし、樺太や南洋諸島についてのことは、あまり知られておらず、興味深い。
引き揚げは基本的に、軍人が優先で、民間人は、あまり考慮されていなかった。
アメリカは、朝鮮人が自治できるとは考えていなかった。
台湾では、日本の降伏後、国民党が来るまでは、あまり大きな変化はなかった。
そうした意外な事実が次々に明らかにされ、歴史を知ることの大切さを考えさせられる。
 
 
冷静に鳥瞰されて書かれていて、日本だけを賛美するものとは違います。重たいが解りやすく書かれていて、読み終える事が出来ました。ありがたい事です。現在(2017年=平成29年)の、日本は、数多くの、日本人の活躍・死によって、作られてきている事を、納得出来ました。国際法を都合よく変えてご都合主義的に対応する欧米露の方法は、日本も常に反芻・学習し、未来へ伝えねばならないと感じました。わたくし個人の無力さも感じるものでも ありました。今の日本を作って頂きました大戦時代の ご先祖さま皆さま皆さまが、安らかに眠られる事を祈ります。内容ある本(Kindle)に出会えました事を感謝申し上げます。
 
 

現在の日本を取り巻く国際情勢の大枠が決まったと言ってもいい終戦後の1ヶ月(台湾は数年)で、絶対無比なる「大日本帝国」の権力が植民地でどのように崩壊し、次の政治体制に委譲されたかを読む。資料を駆使して読む「大日本帝国」はまさに溶けるように消え、南北朝鮮も、中華民国の台湾支配も、ソ連の千島列島占領も、まさにこの数ヶ月に決まった。米ソ中が溶ける帝国にナイフを差し込むように、やすやすと植民地を分割していったのである。

冒頭にポツダム宣言受諾の過程が出るが、まるで目の前でドラマを見ているかのような説明で、類書に比して流れが良くつかみやすい。特に降伏の「聖断」の経緯について、天皇のパーソナリティに依存するのではなく、明治憲法の統帥権独立条項によるセクショナリズムに基づくもの、と分析するというのが新鮮に感じた。

本書を読んでいると、どの土地においても帝国消滅=民族解放ではなかったことが分かる。南洋群島、南朝鮮は米軍の軍政に、満州、北朝鮮はソ連支配に、台湾は国民党に取って代わられただけだった。南北朝鮮の分割は米国務省が30分で決めたことだという。地獄の独ソ戦から転戦してきたソ連軍と交戦中だった満州・樺太(特に満州)は不幸にも、ソ連軍の素行の悪さで大混乱に陥ったが、そのほかでは、敵に権力を譲渡するまでのほんの1ヶ月程度、権力の空白があったにもかかわらず不思議に平穏だった。

ヨーロッパでは崩壊した、大戦後のイレギュラーな秩序は極東で今なお厳然として残り、年々その秩序は強固になっている。現在の極東情勢の成り立ちに日本は無力な主役として関わらざるを得なかったんだと、改めて痛感した。
 

敗戦(終戦)前後を描いた本と言うのは、それだけで図書館が出来るのでは?と思えるくらい多々
出ております。戦後生まれ&戦争を知らない世代として、その中から(ほんの僅かですが)関連書籍を
読んできました。

 しかし、既存の本は日本(特に帝都の動き及び状況が主)本土と沖縄「のみ」描いた本ばかりでは?と
思ったのです。大日本帝国、と言いながら。

 確かに、敗戦(終戦)時と開戦時では領地が異なるから、という理由はあるでしょう。しかし、少なく
ともあの戦争には八紘一宇とか五族協和という−それが今ではただのお題目であることも知っていますが−
理念があったのです。

 しかし、本書は日本本土外の帝国領内に住む人々が、日本人を除いて「同じ」帝国臣民でありながら
日本本土とは(沖縄も本土外扱いと考えて差支えない。本書では類書があるので主題では無い)全く
異なる扱いを受けていたことを−冷静に事実を積み上げて−読者の前に提示しているのです。

 一例を挙げれば、引揚は軍人&軍属が主でした(一般人は後回しでも帰国できれば御の字だった)。
また、先に挙げたお題もの元に帝国臣民だった台湾人、朝鮮人、満州国人(殆どが漢民族だったと喝破
している)、そして南洋諸島や樺太の先住民は、帝国から戦勝国へ実権移譲を行うに当たって、何も
成されなかったのです(後年、一部が出身国へ引揚しただけ。日本人と違って恩給等は無)。

 本書では、上記例の様な結果となった帝国の崩壊を、トルーマンの就任から09/8/15過ぎまでを縦軸に
横軸に東京、京城(=ソウル)、台北、重慶・新京、南洋群島・樺太、東南アジアの6か所を挙げて
それぞれの地での8/15、つまり帝国の最後がどんなものだったのか?を鮮明に描いています。

 蒋介石の憤懣(対日本戦最大の犠牲者である中華民国は、戦勝国側なのにヤルタにもポツダムにも
呼ばれなかった等)、スターリンの焦り(ポツダム宣言では対日戦を行えない)と欲(極東での領土
拡大等)、トルーマンのアメリカ優位主観、日本陸軍の戦争に対する根拠のない見通し(最後の最後
までソ連を当てにしていたこと等)&無為無策・・・

 大日本帝国なるものは何だったのか?その一方で戦勝国は何をしたのか?を知るには最良の一冊と
考えます。特にあの時代を知らない者にとっては特に。

 


なぜ働いていると本が読めなくなるのか 読書と労働

2024年07月07日 09時32分34秒 | 社会・文化・政治・経済

三宅 香帆 (著)

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【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

【著者略歴】
三宅香帆(みやけかほ)
文芸評論家。
1994年生まれ。
高知県出身。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。

著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数。
 
読書で得られるものは、かつては立身出世に必須の<教養>であった。
だが、インターネットが普及した現代では「仕事に不要な<ノイズ>混じりの情報になってしまった」。
しかし、読書の価値がなくなったわけではない。
「他者の内面や異国の歴史など、自分から遠く離れた文脈に触れることは、どこかで自分とつながり、人生を広げてくれる」
 
仕事と読書の両立に向けて「個人に余計な情報を受け入れる余裕が必要になる。疲弊するまで全身全霊で働く社会から<半身>くらいで働ける社会へ変わるべき」と提案する。
 

差別する宗教 : インクルージョンの視座からの告発

2024年07月07日 08時48分19秒 | 社会・文化・政治・経済

鈴木文治 (著)

本書が取り上げるのは、宗教、具体的には仏教とキリスト教における障害者や同和地区の人々への差別や排除の実態である。

仏教において、障害は「因果応報」の理法で解釈されてきた。例えば仏教説話では、経典を誹謗した者は障害者の姿で生きることとなる、前世の報いを受け今世で障害者として生まれたと説かれる。

神はすべての人を等しく愛しているとするキリスト教においては、「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」が金科玉条として掲げられる。言葉を話せない障害者、聾唖者や知的障害者には教会の門戸すら開かれてこなかった。

本書は、経典や教義にも踏み込み、宗教が障害者差別、更に部落差別を助長してきたことを明白にする。更に、宗教者が第二次世界大戦中の日本でとった態度を明るみにし、その戦争責任にまで踏み込む。

障害者教育を専門とする教師とキリスト教の牧師という立場から、当事者を見つめ続けてきた著者。怒りに満ちた告発と、著者自ら取り組むインクルージョンの理念と実践という展望の書。

著者について

1948年長野県飯田市生まれ。中央大学法学部法律学科及び立教大学文学部キリスト教学科卒業。川崎市立中学校教諭、神奈川県教育委員会、神奈川県立盲学校長・県立養護学校長、田園調布学園大学教授、日本キリスト教団桜本教会牧師等を歴任。
 
インクルージョンは解除の反対。
インクルージョンとは、直訳で「包括」「包含」「包摂」などを意味する言葉です。
 
著者は、牧師であるが、キリスト教を批判している。
その根本的問題は、わが国では軍部におもねり戦争に協力した。
同時に仏教宗派もも同様だった。さらに宗教も障害者を差別してきたが、その過去を反省していていない。
 
キリスト教は障害者の洗礼も拒否してきた。
仏教も同罪であり、因果論から、障害は前世か家族に原因があるとした。
このことが障害者を苦しめたのである。
 
戦争に反対した宗教は?
 

戦争に反対した人々

 
 

目次

特別高等警察と治安維持法
戦争に反対した宗教者たち
軍部を批判した内務官僚
軍隊内で反戦活動をした兵士たち
戦争を批判した社会主義者
右翼の暴徒に殺された衆議院議員
軍隊に反戦ビラを撒布した人たち
短詩系文学で戦争に反対した人々
戦争に反対した詩人たち
警察署で殺された人々
刑務所内で獄死した人々
戦争に反対した漫画家たち
戦争に反対した女性たち
藤原義一の略歴

侵略戦争をしていた時代の日本で、戦争に抵抗した人々、四十人余りを紹介した一冊。治安維持法という法律で、それらの人々は捕らえられ、時には警察署内で殺されました。その人達の苦難の物語を追いました。

 
 
「当時の人たちは、何故あの無謀な戦争に反対しなかったのか」という疑問を持ち、しばしばそうした質問をすることがある。
 たしかに大部分の人は、何の疑いもなく侵略戦争を「聖戦」と信じて戦争に協力していったことはたしかである。
 戦争に非協力的であれば、「非国民」のレッテルを貼られて非難された。また軍隊に反抗すれば、「反軍的行為」として検挙し処罰された。
 一人でも見逃すまいと常に、特高警察や憲兵の目が光っていた。
 しかし、そういう厳しい状況下にあって、少数ではあったが、戦争とファシズムに反対する人びとや組織があった。
 彼らは侵略戦争の本質を暴露し、真実を伝えようとした。
 
だが、新聞・ラジオも戦争を支持し協力した。
 
 

 


未来を託す人材を育成する

2024年07月07日 07時00分08秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼人間というものは何故、大自然のように、もっと雄大に、大らかに生きられないものか―。

▼友情とか、幸福とか、自分の進路などについてさまざまに悩むのが高校生時代である。

そのための何らかの指標を、与え文学の役割が期待される。

▼未来に生き、未来を創り、未来を仕上げていくのは、青年そして少年少女たちである。

その青春の人々に、大人たちは諸手を挙げて、全てを託し、期待する以外にない。

▼未来を託す人材を育成する、それこそが大きな課題である。

▼いじめを苦にして自らの命を絶つ痛ましい事件が、今日も絶えない。

さらに、深刻なのが、他殺さえあるのだ。

いじめ、自殺、他殺など、私たちの子育て・教育をめぐる状況はおどろくほどすさまじくなってきている。しかしそれらは「人災」であるからこそ、防ぐこともできるのだ。自分の子どもが危ないと思ったときどうするかを考える。