御殿場事件の発端 少女の嘘

2019年04月12日 02時39分25秒 | 社会・文化・政治・経済

2001年9月16日の御殿場市にて御殿場事件は起こりました。

娘であるさゆりさんへ帰りが遅くなった理由を母親が尋ねたところ、JR御殿場駅近くの公園で中学生の頃の同級生ら複数の男に強姦されそうになったという言葉が返ってきました。

事態を重く見た母親は、すぐさま警察へ連絡しました。被害届が正式に提出され、御殿場事件は刑事事件となりました。

御殿場市で起きた御殿場事件の加害者とされる少年達はアリバイとしてバイト先のタイムカードや目撃者の存在を挙げましたが、検事側はそれらはねつ造されたものであると発言。

御殿場事件を有罪へと運んでいきました。
実は、御殿場市で起きた御殿場事件の発端である少女さゆりの証言はまったくの嘘でした。

実際に帰りが遅くなったのは、出会い系で出会った男と遊んでいたからなのでした。

加害者らの自白によって御殿場事件の調査は進んでいきました。

しかし、御殿場事件の重要な証拠であるこの自白も警察や検事からの圧力によって無理やり言わされたもののようです。

御殿場事件の被害者である少女の発言は犯行日時すらころころと変えるなどと、客観的に見て信頼性に欠けるものでした。

しかし、裁判は加害者らを有罪にする前提で進んでいるかのように御殿場事件の裁判はスムーズに進んでいきました。
御殿場市で御殿場事件が起きた当時は親告罪であった強姦及び強姦未遂事件。

御殿場事件はその性質上、裁判の結果は証言を重視して決められていました。

御殿場事件の裁判は一貫して、少女の証言をもとに加害者らが実際に犯罪を犯した前提で進んでいきました。

公正な判断が必要とされる裁判が裁判官の主観によって進められたこと、検事側の圧力によって事実が捻じ曲げられたこと、被害者ら少年たちが反抗できる手段が全くなかったことなどが御殿場事件で注目されるポイントでしょう。

正義とは何か、御殿場市での御殿場事件は日本の司法制度の問題が大きく表れた事件となりました。
御殿場事件の発生当時は未成年だったため、関係者の名前は伏せられていましたが、今では成人となったので実名が明かされています。御殿場事件の被害者だった少女の名前も明らかとなりました。
それでは、冤罪事件で有名な御殿場事件の被害者となった少女とはどういう人物なのでしょうか。

最初に御殿場事件が起こったとされる日に、母親から追及された理由は帰りが遅くなったからでした。

母親へは強姦未遂が起きたから遅くなったと答えましたが、実際は出会い系で出会った男と遊んでいたからでした。

御殿場事件が起きたとされた日、遊んでいた男に少女はこう発言していたようです。

「遅くなった理由は誰かのせいにする」。このことから考えられることは、御殿場事件の被害者である少女は男遊びで家に帰るのが遅くなるのが常習化していたのではないかということです。

また、自分が行ったことを隠すために平気で人を陥れることができる人物であるとも読み取ることができます。事実として、自分が不利になると事件の詳細について語る証言を変えるなどの行動をとりました。
さゆりさんの目的は何?
御殿場事件における事実をひたすら隠し、いくつもの嘘をついた少女の目的は一体何だったのでしょうか。それは嘘を隠し通すことだったと考えられます。

一つの嘘をつけば、その嘘を隠すためにさらなる嘘をつかなければならなくなることは、日常生活でもよくみられる光景です。

御殿場事件は、そんな少女を利用し、検察側はメンツを守るために少女の弱い部分を利用した用にも見えます。
御殿場事件において容疑者とされたのは10人でした。

事件を起こしたとされるこの10人に対し、静岡家裁沼津支店は高校2年生の4人に対しては検察官送致、高校1年の4人に対しては少年院送致、残りの高校生1人に対しては試験観察処分、中学3年生の1人に対しては保護観察処分を命じました。

容疑者は、まずはじめに井上さゆりさんからの証言で1人が事情聴取を受け、卒業アルバムなどの写真から仲がいい人をピックアップさせ、容疑者を集めたようです。

容疑者の1人はさゆりさんと同級生で、同じアルバムに写真が載っていたようです。
少年たちは御殿場事件が起きた当初犯行を否定していましたが、警察の取調官から自白すれば罪が軽くなると言われ、御殿場事件での犯行を認めてしまいました。

高校2年生の4人に実刑判決が下されると、保護観察処分とされていた中学生1人も保護観察を取り消し、事件はその後、実刑判決となりました。

高校2年生の4人は、その後自白を取り消したため検察官から起訴されました。

御殿場事件の裁判は10年に渡り続けられ、他の容疑者たちよりも遅れてしまい事件後刑務所を出所したのは2010年の8月となりました。

それぞれ河合裕二さん、勝俣貴志さん、堀内聡太さん、勝亦信二さんには御殿場事件が起きた時間にアリバイがありました。
実名が報道されたうちの1人である堀内聡太さんは、御殿場事件発生当時は両親の仕事のお手伝いをしていたようです。堀内聡太さんを目撃したお客さんの存在も多数あったようです。

しかし、検察には御殿場事件関係者と口裏を合わせている可能性があると却下されてしまいました。
河合裕二さんは、御殿場事件発生時にアルバイトにいそしんでいたようでした。

タイムカードという証拠もありましたが、検察はこれをねつ造したものであるとし、御殿場事件における証拠にはならないと却下されてしまいました。
検察側は、友人やバイト先の関係者は御殿場事件の加害者らを擁護するために事実をねつ造していると発言していました。

そこで御殿場事件の加害者らとは全く関係のない第三者の目撃者などが証言台にたつこととなりましたが、検察側は圧力をかけてこれを阻止し、御殿場事件の判決が無罪となることを防ぎました。
容疑者たちが自白し、御殿場事件の判決は有罪となると思われましたが、不自然なことが一点ありました。御殿場事件発生後、さゆりさんは容疑者たちから逃げ、コンビニから母親へ連絡をしたという発言をしました。

しかし、その時間に御殿場事件の被害者であるさゆりさんがコンビニへ行ったという事実はなかったのです。

コンビニ店員によると、さゆりさんをコンビニで見たという事実はなかったようです。

また、決定的だったのは、御殿場事件発生当時のさゆりさんの着信履歴でした。

もし、本当にコンビニから母親へ事件が起きたあと連絡したとしたならば着信履歴が残るはずなのですが、実際に事件のその後形跡は見つかることはありませんでした。
さゆりさんの嘘がばれると、さゆりさんは証言を改めました。御殿場事件が起きた日は9月9日だったと日付を変えたのです。

御殿場事件を担当した裁判官はこの証言の変更を受け入れ、さゆりさんの嘘は深くは言及されずに論点はその後、御殿場事件の中で強姦未遂が行われたか否かという方向になっていきました。
御殿場事件裁判でのさゆりさんの発言には一貫性がなく、話が二転三転とするようになりました。

しかし、裁判官はそれを追求せずにまるで故意に御殿場事件の判決を有罪へと導くような論調で裁判を進めていくのでした。
御殿場事件の犯行が行われた日付を変えたことにより、新たな矛盾が発生しました。

当日は、台風の影響で御殿場市一帯では大雨が降っていました。

強姦未遂事件は公園で行われたとの証言がありましたが、大雨のなかそのような行為が行われることは不自然です。

また、さゆりさんは御殿場事件当日に雨は降っていなかったと証言しましたが、御殿場市の事件現場から550メートル離れた雨量計では確かに降水量を記録していました。

にもかかわらず、事件の証言を次々と変えるさゆりさんに対し検事や裁判官側は特に言及することなく井上さゆりさんの証言のみを証拠として御殿場事件の裁判を続けていきました。
御殿場事件裁判は異質であると、当時報道などで情報を得た世間の人々は感じたようです。

確実性に欠けた証言の上でのみ成り立つこの強姦未遂事件は、果たして本当に行われたものなのでしょうか。

一般の人でさえ、御殿場事件の異質さに気づく一方で、御殿場事件を担当した裁判官は一貫してまるでさゆりさんを擁護するかのような裁判を続けました。

事件や裁判は、人の人生を大きく変えてしまうこともあります。

裁判官には公正で確実な判断が求められます。しかしながら、この裁判を担当した裁判官にはそれを感じることができないという意見が多かったです。

この御殿場事件裁判で、多くの人が司法について不信感を抱くこととなりました。
御殿場事件後に裁判官へのインタビューなどが行われたようですが、御殿場事件を担当した裁判官は自分に責任はないとの考えをしめしました。

御殿場事件は冤罪が確定しているわけではないですが、その可能性が十分に考えられる裁判であることは事実です。

御殿場事件を担当する裁判官としてこのような態度をとるのはあまり適切ではないという意見が多くみられました。
高橋祥子裁判官は2005年10月27日に御殿場事件の加害者らへ懲役2年の実刑判決をくだしました。事件の被害者である井上さゆりの証言については、部分的に嘘が見られたものの、その理由は了解できるものであるとして、信用に足るものであると支持しました。

御殿場事件当時雨が降っていたことに関しては、第一審の裁判の中で大きく取り上げられることはなかったようです。
御殿場事件の第一審を被告人側は即日告訴し、東京高裁にて第二審が開かれました。

第二審では、第一審ではあまり触れられなかった事件中の雨について大きく取り上げられることとなりました。

さゆりさんは、天候ははっきりと覚えておらず、事件が起きた前後では雨が顔にかかったような気がしたとの供述をしています。
御殿場事件当時、御殿場市の降水量は夜の間最高で3ミリメートルの降水量を記録しており、30分を超える雨のやみ間があったとは考えにくいと弁護側は発言しましたが、事件現場から700メートルほどのところへ設置された雨量計では0.00ミリメートルが記録されていると被告人側の主張を退けました。

結果、その後2007年8月22日の判決では第一審での判決が破棄され、御殿場事件裁判は軽減された懲役1年6か月という結果になりました。

雨の件は、事件現場から近い2か所の計測機で0.00ミリメートルが記録されているということから、さゆりさんの証言に誤りはないとしました。
御殿場事件裁判の第二審を終え、被告人らは1年6か月もの間懲役刑となりました。

その後彼らはさゆりさんに対し2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしましたが、棄却されてしまいました。
一方で、事件が冤罪だった場合はさゆりさんの動機や、検察や裁判官側の対応などが疑問に残ります。

多くの証拠を握りつぶし罪のない人へ懲役刑が下されたとしたら大きな問題となります。

容疑者らが負った罪は、今後の人生にも大きくかかわることです。正しい裁判が行われなかったことにより、多くの不幸を生み出してしまったこととなります。

また、さゆりさんは弟についてどう思っていたのかも気になる点です。

さゆりさんの弟は事件によって精神的に追い込まれてしまい自殺をしてしまいました。

もしも冤罪だとしたら、さゆりさんのついた嘘によって弟は自殺してしまったということになります。

さゆりさんの弟について考えると、この事件の闇の深さを感じることでしょう。


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