創作 彩音(あやね)との別離 18 )

2024年07月10日 22時57分41秒 | 創作欄

男の狡さである、昭は彩音に対しても、自宅を含め勤務先などの自分の連絡先を明らかにしていなかった。

だが、アンナとの関係は、昭の思惑どうりではなかったのである。

アンナとの出会いは、東京・亀戸駅近くのスナックだった。

その店は、昭が勤務する企業の先輩の森田優斗の兄が経営していた。

昭はアンナとは、できれば1回きりの男女の成り行き、つまり浮気ですませればと、男の身勝手さで打算していた。

だが、アンナは昭の思惑を逃がさなかった。

アンナから、昭の勤務先に電話がかかってきたのだ。

「島田さん、アンナだよ。明日、競馬へ行こう。森田さんも一緒だよ。いいね」昭は勤務先の隣の席に座る先輩の森田に視線を向けながら、唖然とした。

アンナと出会って、1週間が巡ってきたのである。

「森田さん、あの彼女からの誘いです・・・」

「ああ、あの子にせがまれてね、島田君、明日は中山競馬に付き合ってよ。いいだろう?」森田は意味ありげな笑顔となる。

昭は、改めれ落とし穴を意識するのだ。

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認知症行型不明者

2024年07月10日 13時49分49秒 | 社会・文化・政治・経済

なぜ妻はいなくなったのか 〜認知症行方不明者1万8000人〜

初回放送日:2024年4月14日 NHK

認知症やその疑いで、行方不明になった人が10年で倍増、過去最多の1万8000人に。朝起きると認知症の妻がいなくなっていた夫。いったいなぜ?捜し続ける中で、妻のある「意思」に思いが至る。

一方、最新技術を使ったまちづくりなど、認知症の人が安心して暮らせる社会を目指す取り組みも始まっている。

誰もが認知症の当事者になりうる時代。行方不明になる本人や家族の苦しみとどう向き合うのか。切実な日々を見つめる。

■まとめ記事

(2024年4月14日の放送内容を基にしています)

山あいの用水路で、ひとりの女性が亡くなっているのが見つかりました。 女性には、認知症の症状が出始めていました。夜、家族が知らぬ間に家を出て、行方不明に。 見つかったのは、その2日後の朝のことでした。

遺族「元気が良かったし、病気もしない人だったので。何もしてあげられなかった後悔が一番強い」

認知症やその疑いがあり、行方不明になって命を落とした人は、2022年、451人にのぼりました。

今、家を出たあと、帰ることができなくなる認知症の人が増えています。 警察に行方不明届が出された件数は10年で倍増。過去最多の、のべ1万8000人にのぼっています。認知症の人は推計600万人以上。誰もが当事者になりえる時代です。 行方不明になる本人や、その家族が抱える苦しみと、どう向き合っていくのか。 身近なところで起きている、切実な日々をみつめます。

<朝起きたら妻がいなかった>

ある日、突然家族が行方不明になったら、あなたはどうしますか。 2023年8月、私たちは認知症の妻を捜す、1人の男性の取材を始めました。 鳥取県・米子市の荒川勉さん。 捜していたのは、認知症の妻・泰子さん、59歳。8月8日に家を出たまま帰らず、行方不明になりました。

“妻は一体どこへ行ったのか”。 勉さんは、SNSや地元のテレビを通じて、情報提供を呼びかけました。 行方不明になって1週間が経ったころ、情報が寄せられようになりました。 自宅から1キロほど離れた場所の防犯カメラの映像。行方不明になった日の午前6時、泰子さんとみられる女性が、隣の島根県の方向に歩いていくのが映っていました。

さらに、同じ日に自宅から11キロ地点の民家に立ち入っていたという情報も。3日後には、30キロ離れた松江市で、服装が似た人が目撃されていました。いずれも幹線道路・国道9号線沿いでした。

 

2024年7月4日では1万9039人、遺体で見つかった人は502人。

 

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映画 天命の城

2024年07月10日 13時29分12秒 | 社会・文化・政治・経済

酒を飲み過ぎて、7月9日午前1時に目覚めから眠れなくり、仕方なくCSテレビのザ・シネマでこの映画を観た。

12万人の清の軍勢に朝鮮朝廷1万3000人が立ち向かった、丙子の役と呼ばれる戦いを映画化した歴史ドラマ。和平か徹底抗戦か異なる意見を持つ2人の家臣と、決断を迫られる王とのぶつかりあいがスリリングに描かれる。坂本龍一が初めて韓国映画の音楽を手がけ、現代的なシンフォニーに韓国の伝統音楽を取り入れた重厚なサウンドで物語を盛り上げる。

清の軍勢が侵攻する中、手勢のわずかな朝鮮の王は篭城する。

臣下たちの意見は、生存優先の和睦か、大義のための徹底抗戦かに別れ対立。

飢えと寒さで民が疲弊していく中、王は決断を迫られる。

ストーリー

清が朝鮮に侵入し、12万の大軍の攻撃から逃れようと南漢山城に隠れた王と朝廷は敵兵に囲まれ、城の中に孤立してしまう。絶体絶命の状況の中、ミョンギルは和睦交渉を進めるべき、サンホンは徹底抗戦すべきと2人の大臣の意見は分かれ、王は葛藤を深めていく。そんな中、清は和睦の条件として王の息子を人質に差し出すよう要求してくる。

 

キャスト

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イ・ビョンホン

チェ・ミョンギル

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キム・ユンソク

キム・サンホン

<picture><source srcset="https://moviewalker.jp/api/resizeimage/person/78/37/7837faf86fb88c947da057e089bc8b8b.jpg?w=100&f=webp" type="image/webp" data-srcset="https://moviewalker.jp/api/resizeimage/person/78/37/7837faf86fb88c947da057e089bc8b8b.jpg?w=100&f=webp" />パク・ヘイル</picture>

パク・ヘイル

仁祖

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コ・ス

ナルセ

スタッフ

監督、脚本

ファン・ドンヒョク

原作

キム・フン

撮影

キム・ジヨン

音楽

坂本龍一

 

仁祖のふがいなさが描かれている.有名な南漢山城への退避から三跪九叩頭の礼も描かれている.南漢山城は世界遺産であり江南から地下鉄で遠くない

解説

イ・ビョンホンとキム・ユンソクが主演を務め、坂本龍一が初めて韓国映画で音楽を担当した歴史大作。

1936年に起こった「丙子の役」を題材に、韓国でベストセラーとなったキム・フンの同名小説を、「怪しい彼女」「トガニ 幼き瞳の告発」のファン・ドンヒョク監督が映画化。朝鮮に侵入した清の攻撃を避け、王と朝廷は南漢山城へと逃げ込んだ。

冬の厳しい寒さと飢えが押し寄せ、外へ出ることも攻撃することもできない絶体絶命の状況下で繰り広げられた47日間の物語が描かれる。

清に和睦交渉し、百姓の命を守るべきという信念を持つ吏曹大臣チェ・ミョンギル役をイ・ビョンホン、清と戦い、大義を守るべきと主張する礼曹大臣キム・サンホン役をキム・ユンソクが演じるほか、国王・仁祖役をパク・ヘイル、山城の鍛冶屋役をコ・スがそれぞれ演じる。

2017年製作/139分/PG12/韓国
原題:The Fortress
配給:ツイン
劇場公開日:2018年6月22日

 

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小説 太宰治

2024年07月10日 12時09分11秒 | 社会・文化・政治・経済

“天才”太宰と駆けぬけた著者の青春回想録

作家・檀一雄は太宰治の自死を分析して、「彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の壮図の成就である」と冒頭から述懐している。

「太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである」とまで踏み込んでいる。
昭和八(1933)年に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。

天才・太宰を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録。作家同士ならではの視線で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一編である。

 

東京大学 安藤 宏 名誉教授

「優しさと含羞(はにかみ)」

太宰治の河盛好蔵あての書簡(昭和21年4月30日付)の中で、太宰は「優しさ」について興味深い発言をしている。

「優」という字には人に優れる、という意味で、「優良可」の意味で使ったりもする。

けれども大切なのは人偏に「憂う」と、書いて「優しい」と読む点だ。

人の身を憂うこと、つまり人の淋しさや悲しさに敏感であることが「優しさ」の条件であり、それが人間として「優れて」いることの証でもあるのである。

このように考えと、この言葉は日常には簡単に使えそうもない気がしてくる。

本当にその人の立場を考え、「優しく」ありたいと思うなら、時には気まずさを恐れず進言しなければならないことだってあるだろう。

単に温厚に接するとか、そんなうわべの問題ではないのである。

同じ太宰治の河盛好蔵あての書簡の中で太宰は、「優しい」人の表情にはいつも「はにかみ」が表れている、という意味のことも書いている。

そのうえで「含羞」[がんしゅう]という字に「はにかみ」とルビを振ることを提唱するのである。

自己主張には本来「含羞」「はにかみ」が伴うはずだ、という太宰の考え方には、何か、とても大切な真理が含まれているように思う。

 


言葉が綺麗でどんどん読み進められました。小説だけではわからない、友人だけに見せる太宰の姿を見せてくれます。
傑作だと思います。
 
 
太宰愛たっぷりの壇一雄の文章は滑らかで読みやすく、あの時代が手に取るようにわかる。お金はないし、多くの人が短命だったのだろうけど、活気のある、おもしろく、できないことなどはない時代だったのだろうと思う。この文豪たちと同時代を生きていてみたかったなと思ったりもする。
 
少し表紙に傷はありましたが、中は問題ありませんでした。まだ読み終わっていませんが、これからゆっくり読んでいきたいと思います
 
とても勉強になりました。太宰さんと檀さんの思い出に触れることが出来、たいへん幸せな時間を過ごすことが出来ました。
 
 

おもしろかったです。
読み応えもあります。
深み、エピソード、満載でした。
 
 
 
 
友遠方より来るまた楽しからずや、と呼べる真の友をどれだけの人が持っているだろうか?
この書はその意味で貴重な真の友情の記録となっている。
太宰のもう一人の親友であった山岸外史の「人間太宰治」がいかにも評論家らしい概括の書であるのに比して、壇一雄の「小説太宰治」は、本書の中でも筆者のその詩人的気質が十分にうかがえるものとなっており、人間太宰の声色や息づかいが聞こえてきそうな、生き生きとした描写が魅力だ。
「そうだ、檀君。男は、女じゃねえや。ワァひでえ。意味をなさん。」最初の妻初代さんと別れたころの、太宰の酒間の饒舌の一こま。
初めての出会いのとき、壇は太宰に、「君は─天才ですよ。たくさん書いてほしいな」と話しかけ、太宰はただ「書く」とだけ答えたそうだ。
壇の太宰への直接的な思いは、この書ではこれだけしか描かれていない。だがそれだけ筆者の友人太宰への思いは強烈に伝わってくる。
 

檀一雄が盟友太宰治について書いた本。いい文章だ。面白い。
檀が太宰にひどい待ちぼうけを食わされ(経緯は省略)、檀が「ずっと待ってたんだぞ」と太宰に詰め寄ったとき、太宰が発した言葉がいい。
「待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」
たしかにキミはボクをずっと待っていた。ボクはそれを知っていながら、待たせることしかできなかったのだ。そのボクの気持ちがキミにはわからないのか。
これほど太宰らしい表現はないように思う。決して太宰は、待たせていることをひとときも忘れず、気に病んでいたというわけではないのだ。でも、問い詰められると、ついこんな言葉が出てくる。こういうズルイ太宰にファンはころっとやられてしまう。いやー、太宰って、やっぱりいいな。
タイプは違えど、檀も「火宅の人」である。「どうしようもない自分」を知っている。そんな檀の書いた次の文章がいい。
「(太宰は)例のそのチャーミングな微笑を口許に浮かべながら、自分が招来した運命の背に、ちょうど曲馬団の玉乗りのふうに乗っていた。乗りながら、足許を掻きさらいそうな、頼りない自分自身を静かにねぎらい合っていた。あれが青春というものだ」
 
 
 
壇は、太宰は彼の芸術が完成したので自殺したと指摘している。
これは太宰の天敵である川端康成の自殺と同じ動機ではなかろうか?皮肉な巡り合わせである。

 

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水木しげる 人生をいじくり回してはいけない (人生のエッセイ)

2024年07月10日 11時20分54秒 | 社会・文化・政治・経済

水木 しげる (著)

ゲゲゲの水木サンが見たこの世の天国と地獄とは!?
水木しげるが、その半生をユーモアたっぷりに綴ったエッセイの数々

 

水木しげるの感性はどこからきたのか?

「水木さんの妖怪や自然に関するアンテナはすごく感度が良くて一般人とは違うと思うんです。<のんのんば」と出会って感性が見いだされ、磨かれ、そのまま研さんを積んで、磨かれてていったのではないでしょうか」水木しげる記念館の庄司行男館長の見解。

<のんのんば>とは実家のお手伝いさんの影山ふみさんである。

地元にまつわる伝説や妖怪の話から、幼い水木さんは「見えない世界を感じる力」を育んだようだ。

「見えない世界」とは「目の前に現出していることだけが事実ではないと考えています。見えないから存在しない、だからそんなものは教える必要はない、という考え方が明治以降、日本の教育の根幹をなしてきました。江戸時代までの迷信や非科学的な古い発想を捨て、文明開化の科学的教育をと考えられたのでしょう」水木さんは指摘する。

だが水木さんによれば、電気や気圧など「感じる」ことはできても「目の見えないもの」を形にする学問が科学。

見れないものが不要なわけではない。

自分も妖怪と言う見えない「命」に形を与える。

見えない世界を感じようにしていると、「死後も自分は存在する」というような考え方になり、「なんとなくおだやかな感じに」になれる。

 

 
水木先生の幸福についての考え方がわかりやすく書かれています。
のんびりとしたラバウルの原住民の方々とのふれあいの中で、幸福とは何かということを、水木先生のご経験と合わせて記されています。
幸福とは何か考えさせられる、でも難しくない、読んだ後にほっとした幸せな気分にさせてくれる良い本です。
 
 
 
よみやすい。
水木さんの言いたいことは、次のようなことだけなのだろう、と思う。
「人生はいろいろなことがある。一喜一憂しない」→ そのうえで、はじめて「やりたいことだけすればいい」という言葉が説得力を持つ。
「幸せとは、神様から与えられたものを、ありがたく頂戴すること」→努力しててにいれるものではないのかもしれない。

戦争を生き抜いてきた水木さんには、どうにもならないことがある、努力すればなんとかなるというような甘い思想はない。また許されない時代だったのだろう。

最後に、私が最も感銘を受けた226P以下を抜粋しておきたい。
『身をすててこそ浮かぶ瀬もある突撃力
ただ、水木サンにいわせると、ふつうの人はねえ、いわゆる突撃力がない。ぐにゃーとしていきてきたんですよ。
戦争で、うわーっと驀進していった、そういう気質はない。それがある人はいいんです。ある人は成功しとるでしょうね。
身を捨てても浮かぶ瀬もあれってね、突撃しないとダメなんだ。生か死かですよ、やっぱり。
時代のせいなんかじゃなくて、突撃力。だから仕事は馬力をかけてやれとはいわないけれど、いわれなくてもできるはずです。
それをやらないっていうのはねえ、性格かもわからんな、ひょっとしたら。
でも、あの、水木先生から観ると、幸せな状態の生活で、かならず幸せになろうっていうのは、妙なかんじなんですよねえ。たいして努力しないで幸せになろうっていうのが多い。
努力して幸せになろうっていう普通の考えをする人はすくないね。本音は一生懸命かもしらんけど、水木先生から観るともう怠け者。ほとんどの人が。

だからのんびり暮らしなさい
やっぱり努力しないと。水木サンはかなりしたですよ。飯も食わずに寝ないで努力しているようなかんじで、努力したからね。
だから水木さんから見ると、ふつうの人は、努力しないで成功したいって騒いでいるようなもんですよ。がんばればかならず神がちゃんと助けてくれるようになってればすごくいいけれどね。
しかし努力してもやっぱり成功するのは一割ぐらい。だから、あとは怠け者になりなさいあきらめてのんびりくらしなさい。その方が幸福かもしれない。』
 
 
本書は、水木氏の過去のエッセイ・インタビューから、主に人生をテーマにしたものを集めたものです(古くは’73年、最新で’07年)。だから、彼の著作本を読んだことがある、ラバウル訪問の特集番組を見た、といった方には新鮮味はないかもしれません。また、書き下ろしなしでこの価格は、正直言って高い。

第2章は深い味わいのある話が多く充実しています。「「家」の履歴書」、「娘よ あれがラバウルの灯だ」、「蝶になった少女」などなど。また、幸福や人生を語る第4章では、かなり真っ向から読者を突き放します。
「・・幸せな状態の生活で、かならず幸せになろうっていうのは、妙な感じなんですよねぇ。たいして、努力しないで幸せになろうっていうのが多い。・・」さらに、時代のせいにはするな、とも。うまくいかないとすぐに不満をもち何かのせいにしたがる、読みながらそんな自分を何度か思い出さされました。

人生をいじくりまわすなというタイトルの真意を、読み終って理解できたように思います。
 
 
感動でした。ネット時代万歳です。あまぞん社に感謝申し上げます。

 

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