あの日も、昭は会社の先輩の森田優斗とアンナの3人で中山競馬場へ行く。
そして、母に頼み頼み込んで得た100万円の手切れ金を持参したまま、競馬場へ向かう。
妊娠した彩音とは、別れることはできない。
そうであるなら、アンナに金を渡して別れるほかないと決意していた。
だが、皮肉にも競馬に負け続けた昭は、アンナに渡すべき100万円にも手を付けてしまう。
競馬の落とし穴だったのだ、100万円の金が残り20万円にも減額していた。
そして、最終レースに彩音の誕生日の86に、祈りを込めて20万円を投じる。
昭は、追い込まれた気持ちとなり、レースが見られなかったのだ。
当然、「昭、どこえいくの?」アンナが不信がる。
昭は逃れるようにして、競馬場内の食堂へ向かう。
そして、やけな気持ちで日本酒を飲んでいた。
そのレース結果に昭は驚愕する。
20万円が、何と760万円余の払い戻し金となっていたのだ。
その後に、昭が二人を連れてタクシーに乗って向かったのが、船橋の純和風の“割烹旅館であった。
「島田君、君は賭博の天才かもしれないな」昭は競馬を教えてくれた興奮する先輩の森に50万万円、そしてアンナにはその場では10万円を渡す。
手切れ金は、森と別れた後から渡すつもりであった。
参考
「玉川」と聞いて太宰ファンが思い浮かべるのは、彼が入水して最期を迎えた“玉川上水”ではないでしょうか。
船橋市には、奇しくも同じ「玉川」の名を持つ旅館がありました。
創業大正10年、歴史ある 玉川”は、今も宴会や宿泊などで多くの来客がある、船橋を代表する旅館であり、平成20年には国の登録有形文化財となりました。
そんな玉川の「桔梗の間」という部屋に、太宰は20日間ほど泊まって小説を書いていたといわれています。滞在費用を払うことができず、その形(かた)として本や万年筆を旅館に置いていったと伝えられていますが、昭和51年、旅館の母屋が火災に遭い、なくなってしまったといいます。玉川旅館は、令和2年4月末日に閉館し、たくさんの方に惜しまれながら約100年の歴史に幕を閉じました。
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