実は島田昭は、1年余り大阪の十三駅近くのアパートに在住していていた。
それは、23歳から24歳の時期であった。
入社して1年目に広告営業のために大阪行きを社長か命じられたのだ。
十三駅近くには風俗店があり、アパートの2階の出窓からもネオンサイン等で目立った。
そして、街の雑多な喧噪も聞こえてきた。
アパート隣人の女はキャバレー勤めであり、客を連れ帰ることもあっのだ。
その人は外で出会うと愛想よく挨拶した。
「こんには」の大阪弁のイントネーションは、昭にとっては新鮮に聞こえた。
いわゆる気さくな人柄で、昼間は、化粧は濃くなく好人物に映じた。
特に十三駅西南側の栄町エリアにはパチンコ店、キャバレー、ピンクサロン、ラブホテルなどが密集していた。
このため歓楽街として知られるが、一般客向けの飲食店も多い]繁華街でもある。
大阪は、西日本および近畿地方の首位都市であり、経済・文化・交通の中心都市。
東京に次ぐ日本第2の都市として機能している。
また、近隣の京都市や神戸市と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。
市域は24の行政区からなり、市庁所在地は北区中之島(淀屋橋)。
市域に多数の河川や堀を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから「水都」の異名を持つ。
東京に次ぐ日本第2の都市として機能している。
大阪のほとんどの地域は第二次世界大戦の空襲によって焼失してしまった。
そして、戦後間もない昭和20年の秋に広まった闇市としてスタートしたのが、 鶴橋商店街の始まりでである。
鶴橋の名称は鶴が多く飛来したといわれる平野川旧河道に架かっていた橋名に由来するそうだ。
アンナが育った街である鶴橋は、近鉄とJR(旧国鉄)が交わる鶴橋は戦前から交通・物流の要衝である。
戦時中の空襲でそれらの鉄道が壊滅的な被害を受けなかったことが鶴橋に闇市として機能した要因です。
昭和21年頃にはいくつかの商店街が結成され、現在の商店街の原型が出来始めました。
様々な商品を扱うお店が並んでいたことから「鶴橋に行けばなんでも揃う」と言われてきた。
現在は、JR・近鉄・阪神・地下鉄が交差する鶴橋駅周辺には、高級ブランドから韓国民族衣装まであらゆる衣料品や個性あふれる鶴橋ファッション、装飾品が揃い、キムチなど韓国食品も豊富な「鶴橋商店街振興組合」通称つるしん。
大阪の2大コリアンタウン「大阪コリアタウン」と、「鶴橋コリアタウン」。
雑貨やグルメを楽しみたい人は「大阪コリアタウン」へ、より韓国の色濃い雰囲気を楽しみたい人は「鶴橋コリアタウン」へ向かうのがおすすめとされている。
鶴橋へは、大阪旅行の拠点となる「梅田」駅からも「なんば」駅からも電車で行ける。
「鶴橋」駅を降りるとすぐ、ネオンの看板「鶴橋商店街」の文字見える。
韓国総菜のお店や焼肉屋などが立ち並ぶこのエリアが、「鶴橋コリアタウン」と呼ばれている。
昭は、十三から何度か鶴橋へ行っていた。
飲食店のほか、チマチョゴリなどの日用品も販売しており、韓国の市場のような本格的雰囲気で食事や買い物を楽しめる。
食べ歩きグルメとして人気なのがチヂミ。
「ニラチーズチヂミ」は、国産のニラ・玉ねぎ・にんじんとチーズを使用し、外はパリッと中はモチッとした仕上がりが特徴。
キムチやチーズなど味の種類も豊富なので、自宅用に何枚かテイクアウトする人も多いのだそう。
あの街でアンナは生まれ育ったのかと思うと昭にとっては、ことに感慨深いものがあった。
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