アメリカが沖縄を攻めた理由は何ですか?

2024年06月22日 12時47分10秒 | 社会・文化・政治・経済
米軍は、読谷に狙いを定めた。 米軍が読谷に上陸した大きな理由は2つ。 
(1)日本本土を攻撃する前線基地となりうる読谷飛行場(北飛行場)があったこと
(2)攻撃を支えるために必要な物資の荷下ろしができる浜があったこと―だった。
一方で、日本軍にとっての沖縄は、本土決戦の準備のための「時間かせぎ」の場とされた。
 
沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年、南西諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた戦いでした。 沖縄戦は1945年3月26日の慶良間諸島米軍上陸から始まり、主要な戦闘は沖縄本島で行われました。
 
日本軍の責任者は少しでも長くアメリカ軍を沖縄に足止めさせて、「本土決戦」を遅らせるという時間稼ぎの「戦略持久戦」を続けることにしたのです
そのことが日本兵の戦死者を増やし、住民の犠牲を大きくしたのです。
戦争中、首里城の地下には日本軍司令部の陣地が密かに掘られていました。
 
 中高生にあたる男子学生は兵隊として、女子学生は補助看護婦として参加させられました。
 
沖縄戦で亡くなった人の原因は?
 
 
鉄の暴風と形容された沖縄戦は、敵の砲弾にあたって死んだ人、猛烈な機銃掃射のなか、日本軍によって壕から追い出されて亡くなった人、いわゆる集団自決を強要された人たち、毒薬を注射されて死んでいった子どもたち、日本軍によってスパイ視され殺された人、自らの手で家族を死に追いやった人、異郷の地で命を落とした人、そしてマラリアや飢え ...
 
日本軍沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。 その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。
 
沖縄戦の日本軍戦死者は、陸軍6万7,900人、海軍1万2,281人、その他を含め 計約8万9,400人で、一般住民の死者は10万人〜 15万人(表1「平和の礎」刻銘 者数では、沖縄県と県外の住民と軍人の人数を合わせれば約23万人-浅井)とい われる。
 
ひめゆりの塔で自決した人は何人ですか?
 
人々は山中を逃げ惑い、53人が「集団自決」で亡くなったとされる。
清子さんもその一人だった。 中村さんとウタさんはその後、米兵と通訳に促され、首に巻いた縄をほどいて壕を出た。
殺されると覚悟したが、あめ玉とたばこを渡されただけだった。
 
〈日本軍の命令、誘導、強制、指示、そして示唆。そのような関与がなければ集団自決は絶対に起こっていません。歴史を歪曲(わいきょく)する改ざんを許してはなりません〉生存者の声
米軍は、捕虜を殺すと伝えられるなど、投降することを阻む<同調圧力>もあった。
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