社説 神戸市で教員いじめ 信じがたい劣化を憂える

2019年10月15日 11時07分51秒 | 社会・文化・政治・経済

 毎日新聞2019年10月13日 東京朝刊

学校や教員への信頼を揺るがす、信じがたい不祥事である。

 神戸市の公立小学校で複数の教員が集団で若い教員に悪質ないじめを繰り返していた。子供のいじめ問題が深刻な中、根絶の先頭に立つべき教員による犯罪的な行為だ。

 30代の男性教員3人と40代の女性教員によって、20代の男性教員が標的にされた。羽交い締めにされ激辛カレーを無理やり食べさせられ、汁を目にこすりつけられた。同僚女性に性的なメッセージを送信させられる精神的な辱めも受けていた。

 被害教員は自分が担当する児童に対し女性教員が「反抗して学級をつぶしたれ」とけしかけたと証言する。子供まで「いじめ」に巻き込もうとしていたなら言語道断だ。

 なぜこんなことが起き、しかも対応が遅れてしまったのか。経緯を徹底調査し、いじめに加担した教員を厳正に処分すべきなのは当然だ。

被害教員は9月から出勤できなくなった。家族が市教委にパワハラの被害を訴え、初めて実態の一部が明らかになった。

 いじめは前校長時代の少なくとも昨年からあり、今年2月と7月に指導が行われたが、市教委には報告されなかった。神戸では校長同士で協議し、個別の教員の人事異動を決めることができる方式が取られている。こうした人事体系が閉鎖的な環境を助長した可能性もある。

 市教委の対応にも疑問がある。いじめに加担していたとされる男性教員は過去に児童を押し骨折させる事故を起こしていたが、口頭で注意しただけだった。

 市長は市教委が学校の実態を把握できていない点も「統治能力の欠如」と批判した。市教委に任せず市が調査を主導するのはやむを得まい。

 外部の目が届きにくい職員室で若手教員が孤立する恐れはどこの学校でもある。公立学校で精神疾患による病気休職は5000人前後に上る。教職員間のトラブルによるものもあるのではないか。

 学校現場は近年、教員の過重負担が指摘されている。そうした中で教員の倫理と質が劣化し、底割れしそうになっているのではないか。他の学校でも教員によるいじめやパワハラがはびこっていないか、国や自治体は実態把握を急ぐべきだ。

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輪子の競輪日記 「追っかけの松さん」

2019年10月15日 09時55分06秒 | 未来予測研究会の掲示板

2019年10月14日 10レース

アタマ争い S級

輪子は、何気なく特別観覧席の2列目の席から、右の後方席を振りかえる。
そこには2月以来、姿を見せなくなった「追っかけの松さん」が座り、輪子に視線を送っていた。
人は習性から同じ席を好むもので、輪子は前列から2列目のテレビの前の席と決めている。
「追っかけの松さん」は、後方から3列目に座っていることが多い。
「お元気ですか」と輪子は挨拶に行く。
父の友人だった松崎定吉さんは、父の母校取手二高の同期生で、建設会社を働いていたが会社倒産してから納豆の販売店に勤務。
取手競輪場の選手宿舎に納豆を納めていた。
「追っかけの松さん」と競輪仲間から呼ばれているのは、負けた車券の出目を追いかけるから。
「輪子、車券買ってきてくれ」と頼まれた。
4-1、1-4を軸にした3連単車券だった。
「ええ!4番なの?」輪子は驚く。
1番は三谷 竜生選手なので納得できる。
でも4番!小松崎 大地選手なの?
輪子は9-3 9-2 9-1の2車単車券を買う予定だった。
後で、松崎さんは、1-4、4-1を軸にした理由を明らかにした。
それによると、9レース1-4、4-1で勝負していた。
8-1 3-4のラインの番手・番手の組み合わせ。
本命の5-7-9ラインは完全に無視。
<穴が買いを貫く松崎さんは、過去の大きな成果が忘れられないそうなのね>
「輪子、自分を信じな」と言っていた。
「輪子のおやじさんも、頑な男だったよ」
「そうかもね」と輪子も納得する。

10レースの結果は?!
2車単4-1 9,070円(32番人気)
3連単 4-1-7 3万8,330円(134番人気)

-------------------------------------------------

主力の脚力差は紙一重で激戦必至。総合力は郡司が一枚上で諸橋の援護があることも好材料だ。勢いのある松浦も魅力大。

勝ち上がり条件:1~3位は決勝へ 4~7位特別優秀

予想担当記者:赤競 堀江 鉄二
並び:6-4 1-7 9-3 8-2 5(単騎)






選手名
府県/年齢/期別


ギヤ
倍数
直近4ヶ月の成績
競走得点SB1
2
3


2連
対率
3連
対率
  10 1 1 三谷 竜生
奈 良/32/101
SS 3.92 112.81 0 2 0 4 1 0 4 1 1 11 23.5 29.4 35.2
×   4 2 2 松浦 悠士
広 島/28/98
S1 3.92 116.76 1 9 1 10 4 1 10 6 2 7 40.0 64.0 72.0
9 3 3 諸橋 愛
新 潟/42/79
S1 3.92 118.22 4 0 0 0 11 1 9 3 2 4 50.0 66.6 77.7
    9 4 4 小松崎 大地
福 島/37/99
S1 3.92 110.25 0 6 3 8 1 0 6 6 6 10 21.4 42.8 64.2
    13 5 坂口 晃輔
三 重/31/95
S1 3.92 111.09 2 0 0 0 5 1 1 5 4 13 4.3 26.0 43.4
    16 5 6 佐藤 博紀
岩 手/34/96
S1 3.92 101.10 3 10 3 5 0 0 4 4 2 11 19.0 38.0 47.6
  10 7 村上 博幸
京 都/40/86
SS 3.92 114.58 2 0 0 0 1 1 1 1 3 8 7.6 15.3 38.4
  10 6 8 原田 研太朗
徳 島/29/98
S1 3.93 109.92 1 6 0 11 1 0 11 1 0 16 39.2 42.8 42.8
  6 9 郡司 浩平
神奈川/29/99
S1 3.92 118.68 0 3 0 5 3 0 6 2 4 4 37.5 50.0 75.0
【誘導員】金子 真也 S2

※各項目トップの数値は赤字で表示されます。

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「イエスの方舟」

2019年10月15日 08時37分16秒 | 社会・文化・政治・経済

千石剛賢とまさ子


2007年11月17日 朝日コム

 口開けのビールの小瓶を飲み干したころ、もみしだかれた足の裏から生ぬるい気だるさが這(は)いあがり、仕事で高ぶっていた神経はなおさら弛緩(しかん)させられた。カウンター席に腰かけたとたん、靴を脱いだ足元に埋めこまれたマッサージ器を作動させてくれたのだ。

夜がふけたころ、「シオンの娘」の女たちは合唱する。客をもてなすのも、千石の教えの伝道になる=福岡市・中洲で

「方舟」が93年に自力で建てた会堂で、「おっちゃん」の復活を説く千石まさ子さん=福岡県古賀市で
写真
中洲の人形小路。ひしめく雑居ビルの谷間にある

 二十数人が座れる馬蹄(ばてい)形のカウンターは常連客でほぼ満席である。内側に姿勢よく座って酔客の話し相手になっている十数人の女たちは、けっして視線をそらさず、微笑を絶やさず、うわの空の受け答えをしない。

 かつて宗教学者の島田裕巳さんが、その光景から、寮生活で礼儀作法をウエートレスに厳しくしつけたことで知られた、いまはなき東京の名喫茶「談話室滝沢」を連想していたことが納得できる。深紅のじゅうたんが敷きつめられて、時代がかったその空間には、人を慰撫(いぶ)する奇妙なバイブレーションが満ちあふれているようだった。

 クラブ「シオンの娘」が福岡市の中洲で開店してから、四半世紀が過ぎた。密集した雑居ビルの送風口から吐き出される臭気が、欲望のため息のようによどんだ歓楽街の片隅に埋没してしまいそうな店構えだが、そこが「イエスの方舟(はこぶね)」の店だと知る常連客をいまだにひきつけてやまないようだ。

 千石剛賢(せんごく・たけよし)に率いられたキリスト教信仰集団の「イエスの方舟」は70年代後半まで、東京で26人の会員がつましく共同生活しながら聖書研究に没頭していた。ところが、悲嘆にくれた母親の手記が「方舟」を不穏なスキャンダルの渦中に投げこんだのだった。

 79年の暮れ、「千石イエスよ、わが娘を返せ」と題して「婦人公論」に掲載されたその手記は、こつぜんと失踪(しっそう)した娘が「方舟」に監禁されており、その非道を糾弾された「方舟」は、かどわかした娘たちを道連れにして全国を逃亡している、と訴えかけていた。

 これが発端となり、消息をかき消していた「方舟」を、淫(みだ)らなハーレムや邪教集団などと非難するマスメディアのバッシング禍が襲った。災厄から逃れるように、「方舟」は福岡にたどり着くまでの2年余り、転々と流浪していたが、結局、「サンデー毎日」のスクープでついに真相が語られ、集団妄想と化した誤解が解けたのだった。

 つまり、悩める娘たちは千石の難色を押し切って、親の了解なく「方舟」に居つき、俗世にはありえないはずの安息を手放そうとしなかったのだ。

 福岡に住み着いた会員が働き、日々の糧を得る術(すべ)とした「シオンの娘」は健在だが、「おっちゃん」と慕われた千石は01年に78歳で他界した。カリスマの引力を失った「方舟」は、ふたたび漂流しかけていないのか。しかし、三女の恵さんはこう語るのだ。

 「肉体は滅びても、おっちゃんは生き続けています。私たちを置き去りにせず、より一層、一体になっている」

 復活譚(たん)にしばし聴き入ってみた。

差別なきユートピアだった

 いまわの際の床にあって、千石剛賢は口伝えに三つの遺言を会員たちに託していたという。

 「仲良くすること」「健康に気をつけること」「聖書の研究を続けること」

 俗人には拍子抜けしそうなメッセージだが、「イエスの方舟」の会員たちにとっては深遠な箴言(しんげん)だったのだそうだ。とりわけ、「仲良くせよ」という戒めには格別の重みがあるらしい。

 「方舟」がまだ、「極東キリスト集会」と称していた63年に、東京で最初に生活も共にする会員となった大沢捷子さんは、高校生のころから通った集会で「他人のない生活」という未知の体験に胸を打たれたのだという。その甘美な打撃は、ことあるごとに「仲良くしなさい。それがいちばん大事なことだ」と千石に諭されて研ぎ澄まされていったというのだが、「他人がない」とは、どういう意味なのか。

♪  ♪  ♪
 大阪から上京した3家族が寄り集まった会員たちは当時、東京・国分寺で3LDKの旧米軍ハウスを借りて暮らしていた。聖書の聖句を読み解く集会や日曜学校を開きながら、多摩一帯の家々を一軒ずつ訪ねて注文を取る刃物研ぎで細々と生活資金を稼いでいた。

 千石はそれぞれの家族の子どもたちが血縁で差別されないよう、実の子に「お父さん」と呼ばせなかった。だから「おっちゃん」なのである。部外者には「責任者」と紹介された。

 大沢さんにとっても「千石さん」ではなく「私のおっちゃん」だった。

 「誰がおっちゃんの実の子で誰が奥さんなのかも分かりませんでした。いうなれば、区別はあるが差別のない世界。私が悩んでいれば、おっちゃんは実の子を放ったらかして、夜を徹してでも、とことん話を聴いてくれた」

 東京脱出の前年、高卒後に就職した銀行を辞めて、「方舟」の共同生活に加わった長戸正子さんは、家庭や仕事上の人間関係に耐えがたいあつれきが生じて逃避したわけではないという。

 「家でも勤め先でも、見かけは平穏を取りつくろっていながら、えもいわれぬ疎外感に苛(さいな)まれたりしましたが、『方舟』にはそんな不安がみじんもなかった。赤の他人の娘である私が分け隔てなく、おっちゃんの実の子のように大切に思われ、心配してもらえた。まさにここがユートピアなのか、と強烈に目を見開かせてくれました」

 生前の発言や著書を読むと、千石の教えの根底には「汝(なんじ)の隣人を汝自身の如(ごと)く愛すべし」という聖句がある。それを厳格に敷衍(ふえん)して、親子、兄弟姉妹の絆(きずな)などというものは幻想である、真実、一体化する人間関係に眼(め)をつけよ、と唱えていた。それが誤解の火種になって、ひそかに家族崩壊の予兆におののきつつあった、一億総中流化した日本人の集団被害妄想を途方もなく膨張させてしまったようだ。

♪  ♪  ♪
 「サンデー毎日」は、会員の親たちの糾弾を逃れて78年から2年余りも逃避行を続けていた「方舟」と極秘に接触してかくまい、千石の弁明や、誘拐・監禁されたといわれていた会員の反論をスクープにした。当時、サンデー毎日記者で「方舟」を担当していたノンフィクション作家の山本茂さん(70)は、千石の印象を忍耐強い医師のようだったと言う。

 「彼のリーダーシップは凸型ではなく凹型。自我の悩みを矢継ぎ早に問いかける会員たちと粘り強く対話を続けながら、『それは、お前の感受性がええちゅうことや』と悩みそのものを肯定して、ほめた。よい意味で、天性の『人たらし』の磁場を発していた」

 宗教団体ではない「方舟」は合議制で運営され、金銭などは共有財産で、「シオンの娘」のほか、男性会員が工務店を経営して生計を支えている。三女の恵さんによると、漂流時代の26人の会員はほとんど脱落していない。福岡に住み着いた後で加わった会員も3人いるが、騒動のころは子どもだった世代だという。夫婦も6組いる。

♪  ♪  ♪
 「主幹」の肩書で、いま「方舟」の代表者となっているのは、千石の妻だったまさ子さん(84)だ。共同生活の世話役に黙々と徹していたが、千石亡き後、集会を主宰し、「シオンの娘」で客をもてなしている。不思議なことに、会員や常連客は彼女に「おっちゃん」と呼びかけるのである。

 「なぜ、『寿命』と書くのか、ご存じですか。めでたい命へ転換するからです。たとえ死んでも、おっちゃんの命の実質は、とこしえにここにある。それを、私たちは復活の事実といいます。だから、心配いらないのです」

 「シオンの娘」の名物の歌と踊りのショーが始まると、「おっちゃん」はやおらステージに立ち、演歌の大音量のメロディーに負けじと、和太鼓を高らかに打ち鳴らすのだった。

文・保科龍朗、写真・岩崎央
〈ふたり〉
 兵庫県加西市の豪農の家に生まれた千石剛賢(写真は93年撮影)は51年に刃物工場の経営に失敗、レストランの支配人の職にありついた神戸でキリスト教会に通い始めた。翌年、最初の妻と離婚し、まさ子さんと再婚すると、大阪で聖書研究会に夫婦で参加するようになった。3家族を中心とした研究会の会員10人が60年に上京、東京都国分寺市に廃材で小屋を建てて「極東キリスト集会」と名乗ったのが「イエスの方舟」の母体である。
 まさ子さんとは後に形式的に離婚し、古参会員の娘らを次々と養女にしたが、会員との関係を対等にする方便だったという。千石の没後は、まさ子さんが代表者の主幹に、三女の恵さんと養子の雄太さんが副主幹になり、「方舟」をまとめている。

文・保科龍朗

〈ふたり〉

 兵庫県加西市の豪農の家に生まれた千石剛賢は51年に刃物工場の経営に失敗、レストランの支配人の職にありついた神戸でキリスト教会に通い始めた。

翌年、最初の妻と離婚し、まさ子さんと再婚すると、大阪で聖書研究会に夫婦で参加するようになった。

3家族を中心とした研究会の会員10人が60年に上京、東京都国分寺市に廃材で小屋を建てて「極東キリスト集会」と名乗ったのが「イエスの方舟」の母体である。

 まさ子さんとは後に形式的に離婚し、古参会員の娘らを次々と養女にしたが、会員との関係を対等にする方便だったという。

千石の没後は、まさ子さんが代表者の主幹に、三女の恵さんと養子の雄太さんが副主幹になり、「方舟」をまとめている。

 

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イエスの方舟 ビートたけし主演

2019年10月15日 08時04分45秒 | 社会・文化・政治・経済

CSテレビの映画・チャンネルNECOで「イエスの方舟」を観た(2019年10月15日午前6時~)

“娘を返せと親が訴え…”と大々的に報じられた、“イエスの方舟事件”を題材にしたビートたけし主演の社会派ドラマ。主人公のモデル・千石剛賢氏(マスコミには“千石イエス”と呼ばれた)の生い立ちにまで遡り「方舟」創設の動機を探る。

自分のことをを心から信じ、頼ってくる女性たちを突き放さなかった千石氏。

彼の行動は世間の目から見れば非常識であり、秩序を乱す行為と映る。

親族とのトラブルが暴力事件にまで拡大し、マスコミの報道がさらに輪をかける…。本作はこのような事件と、その主人公が懸命に生きる姿を描いている。昭和60年度文化庁芸術祭芸術作品賞受賞作品。

  • 制作年 : 1985年
  • 全話数 : 1話
  • 制作 : TBS
  • プロデューサー : 八木康夫
  • ディレクター・監督 : 山泉脩
  • 脚本 : 池端俊作
  • 出演

    ビートたけし、山咲千里、竹井みどり、原知佐子、小林聡美、長内美那子、蜷川有紀、田中美佐子、赤座美代子、風間舞子、辻沢杏子、斎藤晴彦、岡本麗、風祭ゆき、岸田今日子、佐藤慶 ほか


【ストーリー】
昭和51年初夏、東京都下のある街で20歳の早乙女ユキ(田中美佐子)が失踪した。

彼女は京極武吉(ビートたけし)が主宰する「京極聖書研究会」に身を寄せる。

そこには「家へ帰りたくない」と訴える10人以上の女性信者が、武吉に救いを求めてきた。

その誰もが武吉を“オッチャン”と慕い、武吉も何かの縁と彼女たちを受け入れた。

翌年春、今までにも増して信者たちの親族が騒ぎ出す。それは布教に励む武吉の娘・多津子(竹井みどり)、多恵(山咲千里)を襲うほどエスカレートした。さらに、葉子(小林聡美)の父・一色(佐藤慶)が乗り込んできた。

社会的地位をひけらかし、娘を返せと迫る一色に、武吉は「ご本人の意思が無ければ…」と静かに言葉を繰り返した。
その年の暮れ、手も足も出せないと傍観する警察に業を煮やした親族側はついに強硬手段に出る。

その頃からマスコミの間では、親たちの手記が雑誌に載り、テレビのワイドショーでも取り上げられるほどの話題になっていった…。

出演

ビートたけし、山咲千里、竹井みどり、原知佐子、小林聡美、長内美那子、蜷川有紀、田中美佐子、赤座美代子、風間舞子、辻沢杏子、斎藤晴彦、岡本麗、風祭ゆき、岸田今日子、佐藤慶 ほか

 

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河東碧梧桐―表現の永続革命

2019年10月15日 07時29分15秒 | 社会・文化・政治・経済

石川 九楊 (著)

作品論を遥かに超え、日本文学の表象形式と内容の相関性を根底から問い直す内容になっている。
日本語は漢字語とひらがな語とカタカナ語という三文字語の混合体、多重言語である。
日本文学は三文字語の混合体である日本語とともに生き永らえてきた。
そのせめぎ合いはとくに和歌や俳句などに顕著に現れる。
長いあいだ、俳句は印刷されたものではなく、筆で書いて同人たちのあいだでやろ取りされていた。
句との緊張関係は、俳句が群れを抜き、書にも長けた俳人の作品にもっとも先鋭的に現れる。
近代書史に河東碧梧桐がその条件にぴったりの人物である。
近代に入って、俳句はもはや自己完結の村社会に引きこもることができなくなった。
俳句を窮地から救い出すためには、大胆な俳句革新を試みるしかない。
河東碧梧桐は正岡子規とともにこの運動を先導したが、子規の死後もたえず新たな表現の道を探し求めつづけていた。
創作と書写が同期するという指摘は、文芸批評として画期的なものである。
西洋の、文芸批評から決して生まれない発想。

内容紹介

正岡子規の直弟子ながら、高浜虚子の系統に抹殺された伝説の俳人・河東碧梧桐――その生涯を通じ短詩形と書字の深淵に迫る著者集大成

内容(「BOOK」データベースより)

伝説の俳人/書家の画期的な評伝。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

石川/九楊
1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。京都精華大学教授、文字文明研究所所長を経て、同大客員教授。1990年発刊の『書の終焉 近代書史論』(同朋舎出版)でサントリー学芸賞を受賞。1992年『筆蝕の構造 書くことの現象学』(筑摩房)を上梓、「筆蝕」による書の読み解きの理論を確立。2002年『日本書史』(名古屋大学出版会)で毎日出版文化賞、2009年『近代書史』(名古屋大学出版会)で大佛次郎賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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朝鮮人強制連行

2019年10月15日 07時12分51秒 | 社会・文化・政治・経済

外村 大 (著)

内容紹介

アジア・太平洋戦争時、1939年(昭和14)9月から1945年8月にかけて行われた戦時労務動員について、その計画の策定過程、無謀な動員の実態、動員の中で日常化した暴力、そして動員体制の崩壊までを基本史料をもとに描きだす。「朝鮮人強制連行」といわれるものが、どのようなものであったかを明らかにする一冊。

内容(「BOOK」データベースより)

アジア・太平洋戦争時、一九三九年(昭和一四)九月から一九四五年八月にかけて行われた戦時労務動員について、その計画の策定過程、無謀な動員の実態、動員の中で日常化した暴力、そして動員体制の崩壊までを基本史料をもとに描きだす。「朝鮮人強制連行」といわれるものの実態が、どのようなものであったかを明らかにする一冊。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

外村/大
1966年北海道に生まれる。1995年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程中退。早稲田大学社会科学研究所助手、高麗大学校民族文化研究院客員研究員などを経て、2007年東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

自分たちの先輩がやってきたこと。それらを殆ど知らない人、また無関心な人、いろいろある。しかし、知ることが大切だ。自分がかかる目に遭ったらどうか? それを考えてみることから次の行動が始まる。

1.内容
1939年から1945年までに、大日本帝国下で、朝鮮半島の民衆が、いかに強制的に働かせられ、その原因がどこにあるかを、史料を用いて探求した本。

そしてその探求が、外国人労働者の受け入れが政治課題になっている現在の参考になる話でもある(初版は2012年、レビューは2019年)。

2.評価
レビュアーは、いわゆる朝鮮人強制連行には、大日本帝国や臣民の差別意識が深く関わっているものと思っていたが(それがないわけではない。

p207参照)、そんな単純な話ではなく、「日本帝国における民族差別や人権抑圧」(p12)を「日本帝国の政策担当者も望んでいたわけではないこと」(同)だったり、動員計画がずさんなことも一因で朝鮮人に過酷な生活を強いたこと、官斡旋と国民徴用令による徴用が違うこと(前者ゆえにしかるべき補償が受けられなかったこと。

p192参照)、朝鮮人労働者全員が官憲に日本内地に連れられたわけではないこと(だからといって強制がないとは言えない。レビュアーの要約)などがわかり、有益な本だと思った。従って星5つ。本書は新書なので廉価だから、いわゆる朝鮮人強制連行について知りたい時に初めに読むのがいいかもしれない。

 

「朝鮮人強制連行」という用語は不適切であるとする見方をよく耳にするようになった。ひとつは「経済格差や朝鮮での生活の困難さから日本内地事業所への就労希望者は当時相当いた」という認識。もうひとつは、「戦時下の日本政府の計画に基づく動員は朝鮮人に限定されているわけではな」く日本人の方がむしろ多く動員されたという認識にもとづく(3)。

著者はこうした見方を否定はしないが、実態を詳細に検討した結果、著者独自の見方にもとづいてこの用語を使うことは妥当と考えて本のタイトルにもしたようだ。同じように読者は、この本を一読してこの用語が妥当かどうかを自分で判断することができる。

著者はまた「民族差別や人権抑圧の過酷さ〔……〕の批判はあってしかるべきだが〔……〕日本帝国にとっての理想は、被動員者が喜んで動員先に赴き意欲的に生産活動に尽くすという状態だった」ということにも注目すべきだとしている(12)。

これについては、日本政府、朝鮮総督府、受け入れ先の事業所、朝鮮人それぞれの思惑の違いから関連法ができていく過程や、実際にその法がどのように適用されていくのかという実態も詳しく描かれている。

朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、渡航を希望する朝鮮人は多かった。朝鮮人は縁故を頼って条件の良い内地の職場に入ろうとする。日本政府は労働力が絶対的に不足している炭鉱などに労働者を配置したいが、長く居座られると日本社会が不安定になるので必要な期間だけに限定して雇いたい。業者は、仕事に慣れてきた人を長く雇い続けたい。総督府は日本内地ではなく朝鮮内で労働者の不足している場所で働かせたい。

こうした思惑の違いをうまく調整して、労働者に気持ちよく働いてもらえる環境を整えるような余裕が現実には国にも企業にもまったくなかった。結果として劣悪な労働環境に、弱い立場の人が無理やり送り込まれることになった。

著者は、こうした実態を検討しながら、現代の外国人労働者問題との共通性にも注目する。戦前のひどさを強調してそれを特別視することが逆に、現在の問題を実態よりも軽く見ることにつながる危険性もある。

逆に、相違点よりも共通点に注目することで、戦前と現在の外国人労働者の問題のどちらについてもより深く理解することができるようになる。その問題独自の特徴を見失ってはいけないが、共通性に注目して一般化・普遍化させることで見えてくることもある。相違点と共通点を往復しながら考えることで理解を深めていくという方法は色々な場面で有効だろう。
 
筆者は序章で「朝鮮人強制連行という用語を使うことには近年若干の議論がある」と自ら書いている。             
 韓国政府がつくった究明委員会などよっても「朝鮮人強制連行の全体像を明らかにするような報告」は出されていないとも。     なのに、この書物(2012年)のタイトルは、学者による研究を世に問うものとして、これでよいのか。かたや「植民地朝鮮と日本」(岩波新書、2013年)で趙景達氏は「一般に『強制連行』といわれる労働動員は…」(207㌻)と客観的に記述している。
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単に国民徴用令や当時の通知類を見ていてはわからない事象が説明されている
著者は、読む限り、あくまで研究者として冷静に事実を記述しているようで信頼できる
いずれの立場の方にも参考になると思われる
 
学者先生が書くと、結局こうなるのかなという印象。研究者は決して小説家ではないので。

最後の最後、結論の章にたどり着くまでに時系列で列挙された史料に基づく数字の羅列(それ自体、体系的な調査や集約はされていなかったのが実情のよう)が、読みづらいものにしてますね。その上で所謂「強制連行」があった事実を述べていますが、それもあくまで感情論として非常に多くの被害者の「人」に寄り添うのではなく、歴史的事実として客観的に述べるに留まって。

しかも、日本人が加害者として反省すべきという視点を超えて、その先の「こういう事実があった事を史実として精査し後世に残すべき」という論調で終わっているので、何か拍子抜け。そこで、冒頭の感想に帰結。

以下のような研究会も民間で組織されているようですが、この件はやはり、日本軍の研究とも比較にならない程、まず資料・史料が限られていて、被害者や直接加害者の証言記録も少ないようで、勉強しようにも一筋縄で行かないと感じました。
「強制動員真相究明ネットワーク」http://www.ksyc.jp/sinsou-net/

ただ、繰り返しますが事実として、(希望して渡日した人も多かったとはいえ、)強制的な朝鮮人の動員(事実上の拉致)が何十万人単位であり、朝鮮に残された女性や老人達の困窮があり、日本の戦争遂行に協力させられた被害者である、朝鮮人労働者に対する感謝がないどころか差別や偏見が当時の日本人にあった事が裏付けられています。
そして、戦後その事実が、召集や連行した直接の当事者が同じ朝鮮人官吏だった事もあってか、その人たちが復讐される一方で命令者だった日本人はシラを切り、多くの事実が語られないまま今に至っていると認識しました。連行された朝鮮人労働者の多くが、農村出身で文盲だった事、またその後の朝鮮戦争も、記録や証言が残らない原因になったと推察しました。

重要な点はレビュアーの朝さんがすべて言い切ってくれているのでそちらを。
タイトルの「朝鮮人強制連行」は大きな誤解を生むタイトルである。
朝鮮人強制連行に疑問を抱くいわゆる右派の人にも本書は読まれて欲しい(序章と終章だけでも)ので、もうちょっと別のタイトルがあり得なかったのだろうかと思う。

朝鮮人強制連行だけでなく、帝国政府による戦中の数々の愚行は、そのとき国家が置かれた状況や国内の構造が解きほぐされて初めて、我々が知る意味を持つ。糾弾で得られるカタルシスは未来へ何かを残すことはできない。

総力戦の時代は終わったとはいえ、少子化がすすむ日本は今後多かれ少なかれ移民を迎えることになるだろう。今のところ、その理由が『ホスト社会のマジョリティが忌避する職場で就労させるため』である点は、戦中も現代も同じである。
イデオロギーを問わず今後の日本が向かい合わなくてはならない少子化問題について、これからもっと広く議論されなくてはならない。そこでは外国人の処遇について、綺麗事だけでは済まされない事態が生じることになるだろう。日本政府、ひいては日本国民が何らかの決断、選択を迫られているという点では戦前戦中と同じである。
そうした観点からも、本書は広く読まれるべきであると思った。

 


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道義を棄て去った-人々が「韓国人追放」を叫ぶ?

2019年10月15日 07時03分58秒 | 社会・文化・政治・経済

 日本人は「在日朝鮮人問題」をどう考えてきたか?

外村 大 (2007年東京大学大学院総合文化研究科准教授

修士(文学)(早稲田大学)

日本人も朝鮮人も天皇の下で同じ帝国臣民として平等であり、両者の分離はありえないとする「一視同仁」「内鮮一体」が、国家の公式見解とされていたなかではこうした認識は露骨に語られることはなかった。
もっともそれも通常の時期には公然と語れなかったというだけである。
朝鮮人が日本内地に大量に流入し(より正確に言えば強制的に動員配置され)、朝鮮人の相対的な「地位上昇」が目立ち始めた第二次世界大戦末期には露骨に朝鮮人への反感、排斥が語られるようになっていた。
これは、在日朝鮮人が敵と内通している、闇経済で儲けているといったことが民衆の噂として拡大していっただけでなく、指導的地位にある日本人による公的会議での発言でも同様のことが述べられた。
例えば1944年2月1日の帝国議会で、今井嘉幸議員は、日本人男子が出征して重要な産業の労働力を朝鮮人に頼らざるを得ないことへの不安、彼らが金を持ち地位上昇している、闇経済に関与している、といったことを発言している。
しかし、ここで、そのようなことを語る日本人がこれを差別と考えていなかったことにも注意しておかなくてはならない。
今井議員は客観的には差別にほかならない上記の発言に続けて、“しかし私はこういう朝鮮人を排斥しようとは思わない、何とかこれを日本が包容して同化しなくちゃならぬ、そこが日本人の偉いところである”“日本の国家というものは各民族が集まって天孫民族が中心になるものである”“一視同仁の聖旨に基づいて差別待遇は致して居りません”との見解を披歴していた。
こうした考えは日本人が近隣のアジアの他の民族に比べて優秀であり彼らを指導する存在であるということを前提として成り立つもので
あった。
戦後秩序形成期と法的社会的排除
日本敗戦、新たな国家秩序の形成と関連して在日朝鮮人の処遇、日本国家や社会への参加のあり方が問題となった。
この問題は、1955年の左派系朝鮮人が自らを朝鮮民主主義人民共和国の公民として日本の政治への不干渉を表明することで最終的に決着する。
この間、在日朝鮮人の側は、日本国籍はもはや持たない、あるいは持たなくなるとしても、継続して日本で生活する上で様々な権利が認められるべきであると考え、そのための主張や行動も展開した。
その場合の権利とは、追放されずに日本にとどまり各種の行政サービス等を平等に受けら
れることだけではなく、政治参加や民族教育を行う権利も含んでいた。
付け加えれば、日本社会における植民地主義の反省に基づく日朝両民族の友好の確立も望んでいた。
しかし大半の日本人は、在日朝鮮人の諸要求を許容しなかったしそもそも理解しなかった。在日朝鮮人は戦後の早い段階から権利を剥奪され、日本人の構成する共同体の外に追い出されていった。
具体的には、まだ日本国籍を有するとされていたにもかかわらず、1945年12月には選挙権・
被選挙権が停止され、1947年5月2日には外国人登録令によって登録管理の対象となり、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日には日本国籍を失ったことが
通達されている。
と同時に朝鮮人が自主的に運営していた民族学校は1949年9月に閉鎖されている。

まとめと展望
以上のように見れば、最近、社会的な注目を集めている在日朝鮮人に対する排外主義的な扇動は、かつて経験していなかった問題ではないし、それを行う日本人の認識パターンに新しさがあるわけではないことがわかる。
在日朝鮮人を排斥する動きは、戦前にも戦後初期にもあった。
それは大半の日本人が在日朝鮮人を自分たちの属する共同体の一員として認めるわけでもなく、自分たちと対等な主体であるとは考えなかったし、逆に日本人中心の秩序を脅かす存在である(少なくとも潜在的にはその可能性がある)と見ていたためである。
1960年代後半以降における、一定の在日朝鮮人の権利伸長、日本社会への参加の拡大の時期においても、残念ながらこのような認識は日本社会において根絶しなかったのである。
もちろん日本社会の中で日本人と朝鮮人との友好的な関係を築くための努力がなされなかったわけではなくそれがあったからこそ差別撤廃の活動はある程度の成果を
あげたし、多文化共生が語られるようになったと言うことが可能である。
だが、この間の差別撤廃等の動きは、国際関係の相対的安定と経済成長に伴う総中流化という“恵まれた条件”にあった日本人が、在日朝鮮人を「準日本人」として見なして日本人並みの社会保障や社会参加のチャンス等を付与したという性格を持つ。したがって、そうした“恵まれた条件”が消滅し、日本人が経済的余裕を失い、かつ在日朝鮮人と「本国」や朝鮮民族としてのナショナリズムとが関連づけて考えられるような状況が生まれると、
日本人の間では在日朝鮮人は危険で自分たちを脅かす存在として意識されることになるのである。
そうした状況を改善していくためには何が必要であろうか。
余りにも当たり前のことに過ぎないが、植民地主義の反省の確立、在日朝鮮人が何を望むかを日本人が理解し、必要があれば日本社会の側も変えて行くこと、そして日韓・日朝間の関係の安定、国家間の関係と個人との関係は別であることを認識することが求められよう。

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レイシスト(差別主義者)

2019年10月15日 06時37分27秒 | 沼田利根の言いたい放題

レイシスト集団

「対レイシストをしばき隊(レイシストをしばきたい。
日韓関係が悪化するなか、路上で、ネットで、ヘイトスピーチの勢いは止まらない。
古代から朝鮮半島にルーツの一部を持つ日本人。
近親憎悪とも言えなくもないのでは?
沼田利根

対レイシスト集団:略称しばき隊)を起源とする日本の市民活動団体。
名前の由来は「レイシスト(差別主義者)」+「しばきたい」と「隊」からの造語であり、在日特権を許さない市民の会などの右派系市民団体を「レイシスト」と断じレイシストをしばく活動を「カウンター」と称して、在特会等への右派系団体に対するカウンター活動等を行っている。主宰者は野間易通。
2010年頃から在日特権を許さない市民の会(在特会)などへ対抗する「カウンターデモ」に参加していた野間易通が主催者となって発足した。
在日特権を許さない市民の会等が行うデモや街頭宣伝に対して、沿道から中指を突き立てたり、プラカードを掲げたり、拡声器で「(レイシストに対して)帰れ!」
「帰れや!クズ!ボケ!カス!」「ゴキブリレイシストども!」「日本人として恥ずかしいわ!アホ!」などのシュプレヒコールを行う、カウンターデモを行っている。

ヘイトスピーチに「愛国者じゃない、日本の恥」 カウンター右翼青年が叫ぶ理由
日の丸を掲げ「不良外国人は一人残らず叩き出せー!」と叫ぶデモ隊。
そして、並行して歩きながらデモ隊を「人間のクズ!」と罵倒し、「差別主義者は恥を知れ」というプラカードや中指を突き立てる集団。

デモを主催したのは「外国人犯罪撲滅協議会」という団体。
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)に代表される、外国人排斥など差別発言を街頭で叫ぶ「ヘイトスピーチ」が社会問題になっている集団の一つだ。インターネットを通じてデモや演説の動画を拡散し「ネット右翼」を集めていると言われる。
カウンターデモ:あるデモ運動に対して非難・抗議を行うためのデモ運動をいう。

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「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学

2019年10月15日 05時58分18秒 | 社会・文化・政治・経済

マルクス・ガブリエル  (著), 姫田 多佳子 (翻訳)

 

内容紹介

今、世界で最も注目を浴びる哲学者マルクス・ガブリエル。

大ヒット作『なぜ世界は存在しないのか』の続編にして、一般向け哲学書「三部作」の第2巻をなす注目の書が日本語で登場です。
前作と同様に目を惹きつけられる書名が伝えているように、本書が取り上げるのは昨今ますます進歩を遂げる脳研究などの神経科学です。それは人間の思考や意識、そして精神は空間や時間の中に存在する物と同一視できると考え、その場所を特定しようと努めています。

その結果は何かといえば、思考も意識も精神も、すべて脳という物に還元される、ということにほかなりません。

でも、そんな考えは「イデオロギー」であり、「誤った空想の産物」にすぎない、というのがガブリエルの主張です。
「神経中心主義」と呼ばれるこのイデオロギーは、次のように主張します。

「「私」、「意識」、「自己」、「意志」、「自由」、あるいは「精神」などの概念を理解したいのなら、哲学や宗教、あるいは良識などに尋ねても無駄だ、脳を神経科学の手法で―─進化生物学の手法と組み合わせれば最高だが―─調べなければならないのだ」と。本書の目的は、この考えを否定し、「「私」は脳ではない」と宣言することにあります。

その拠り所となるのは、人間は思い違いをしたり非合理的なことをしたりするという事実であり、しかもそれがどんな事態なのかを探究する力をもっているという事実です。

これこそが「精神の自由」という概念が指し示すことであり、「神経中心主義」から完全に抜け落ちているものだとガブリエルは言います。
したがって、人工知能が人間の脳を超える「シンギュラリティ」に到達すると説くAI研究も、科学技術を使って人間の能力を進化させることで人間がもつ限界を超えた知的生命を実現しようとする「トランスヒューマニズム」も、「神経中心主義」を奉じている点では変わりなく、どれだけ前進しても決して「精神の自由」には到達できない、と本書は力強く主張するのです。
矢継ぎ早に新しい技術が登場してはメディアを席捲し、全体像が見えないまま、人間だけがもつ能力など存在しないのではないか、人間は何ら特権的な存在ではないのではないか……といった疑念を突きつけられる機会が増している今、哲学にのみ可能な思考こそが「精神の自由」を擁護できるのかもしれません。

前作と同様、日常的な場面や、テレビ番組、映画作品など、分かりやすい具体例を豊富に織り交ぜながら展開される本書は、哲学者が私たちに贈ってくれた「希望」にほかならないでしょう。

[本書の内容]
序 論
I 精神哲学では何をテーマにするのか?
II 意 識
III 自己意識
IV 実のところ「私」とは誰あるいは何なのか?
V 自 由

著者について

1980年生まれ。哲学者。現在、ボン大学教授。後期シェリング研究をはじめ、古代哲学における懐疑主義からヴィトゲンシュタイン、ハイデガーに至る西洋哲学全般について多くの著作を執筆。「新しい実在論」を提唱して世界的に注目されている。主な著書として、一般書「三部作」として構想された、『なぜ世界は存在しないのか』(原著2013年、講談社選書メチエ)、本書(原著2017年)、Der Sinn des Denkens (Ullstein, 2018) など。

津田塾大学国際関係学科卒業。5年間のドイツ滞在時にドイツ語を習得。以来二十数年間、学術論文等の翻訳に従事。訳書に、バスティアン・オーバーマイヤー/フレデリック・オーバーマイヤー『パナマ文書』(KADOKAWA)。

 

 
前著『なぜ世界は存在しないのか』のカスタマーレビューが、あれほど多様なのには驚かされます。
ガブリエルは基本的にヒューマニストで、オプティミストで、多弁です。
主流派の哲学にも噛みつきますので、ニヒリストと誤解されるかもしれません。
また、たとえ話をしたりして饒舌なところが、言葉遊びに取られるのかもしれません。しかし、私だけが真実を知っているという傲慢なところがなく謙虚です。
訳文が良いのかもしれませんが、読めばわかる文章で書かれています。これらが彼の人気を支えているのでしょう。

 前著『なぜ世界は存在しないのか』では「世界は存在しない」という指摘がセンセーショナルに取り上げられましたが、私は「自然主義」への批判(IV章 自然科学の世界像)がより重要なものと受け取りました。
「自然主義」とは、科学的な法則のみがすべてを支配するという思想です。本書はこの批判の続編といっていいのではないでしょうか。続編といっても、彼の「新しい実在論」についての予備知識などは必要がないと宣言してくれています(p.32)。

 冒頭の「日本語版の出版に寄せて」は、当然本書の後に書かれたものですから、本書の要約になっていてもおかしくありません。そこでは本書のテーマは、「人間を一つの総体として、すなわち自らの自己決定における自由な、精神をもつ生物として認識することです(p.11)」となっています。これは民主主義の土台でもあるのです(p.12)。
 戦う相手は本書でも「自然主義(p.15)」であり、なかでも「神経中心主義(p.11)」になります。そして、デジタル・プロレタリアートになってしまった私たちを救い出せるのが、本書で述べる精神哲学なのです。

 「神経中心主義」との戦いを概観してみましょう。私たちの精神は脳の物理的な状態と同一ではない、ないしは脳に還元することはできないというのであれば、精神がいかに行為の原因となりうるかを説明しなければなりません。これはとても難しい課題です。

1.神経中心主義批判
 ガブリエルは、まず神経中心主義を攻撃します。
・fMRI
神経中心主義は、意識、思考、「私」、精神、自由意志などを使いますが、何も分からないで使っています(p.33)。例えば、fMRIなどの素晴らしい技術は生きている脳を可視化できますが、これが思考を可視化するとはいえません(p.27)。思考は可視化できないのです。「要するに、私が言っているのは、非物質的現実が存在する、ということです。(p.22)」と、ここで「新しい実在論」の登場です。
 これは物質や科学技術を否定しているのではありません。「脳や中枢神経系がなければ、精神もないでしょう。それらは私たちが意識をもった生を生きるために必要な条件ですが、意識をもった生そのものではありません。(p.30)」と、彼の立ち位置が宣言されます。
・解放幻想
 そして、神経中心主義が受け入れられるのは、「解放幻想」があるからだと分析します。「自分が自由であること、そして他者もまた自由であることを直視するのは、とてもしんどい。できることなら誰かに決定を委ねたい」と願っているからだとするのです。
・モデル
 トーマス・メッツィンガーの「世界のモデル」に噛みつきます。「哲学と脳研究は、....我々が知覚しているのは世界そのものではなく、世界のモデル、すなわち生体の要求に合わせて調整され、高度に処理された、ちっぽけな断片である(p.36)」というメッツィンガーの言葉に、「現実世界から一つのモデルを描き出していることが分かるということは、単刀直入に言えば、〔既に〕現実〔世界〕について何かを知っているということです。
(p.37)」と切り返します。つまり、はじめに現実世界を知らないで、今知覚している世界がモデルだとどうして分かるのかと反論します。この辺はカンタン・メイヤスーの相関主義批判に通じるものがあります。

2.精神哲学の歴史
 自己イメージの中に人間の精神は存在します。ですから、自己イメージが変われば精神も変わるので、精神の歴史、精神史があるのです(p.54)。
このヘーゲルの基本理念(ドイツ観念論)にそって精神(ガイスト)が考察されます。ガブリエルは構造主義もポスト構造主義も誤りとしますので(p.79)、実存主義までが守備範囲になります。
 彼が「ネオ実存主義」と呼ぶ哲学は、「人間は自分自身のイメージを作り上げさえすれば、とりあえずは何者かになれるのだから、そのかぎりにおいては自由である」と主張します(p.38)。
非物質的現実が存在する新しい実在論では、「人間の精神は自己イメージを作り出し、それによって精神にとっての現実を多数生み出します(p.53)」が、神経生物学ではこの現象を説明できません。
別のところでは、「人間は社会という舞台の上で自分自身を演じる役者なのだから自由である(p.69)」とも述べています。
 精神哲学の伝統は、精神を意識体験という主観的現象とは考えません。しかし、マインド(意識)がテーマとなったことで、精神哲学の伝統の大部分が排除されてしまったのです(p.65)。

3.精神の自由
 「私の目的は、精神の自由という概念を守るために戦うことです。(p.32)」とあるように、最終章は自由の考察にあてられています。
その前に、我々は自由でないと唱える神経中心主義自体が、自由を是認しているというのです。
「我々の脳が無意識的に決定を下すから我々は自由でない、という趣旨の主張をやみくもにしながら、同時に我々は脳と同一であると言っても、まったく辻褄が合いません。
なぜなら、もしそうだとしたら、私たちはまた自由であることになるからです。(p.52)」とあるように、脳=私で、脳=自由なら、私=自由であるはずです。
これは少々詭弁に聞こえますが、面白い論法です。
 本書の最後は、「人間精神の自己イメージを描くべく努めるのは、哲学の仕事なのです。(p.350)」としめます。神経中心主義の自己イメージ(現代のイデオロギー)を否定し、倫理と権利の秩序を洞察に照らして改善するのです(p.345)。

 以上は、ほんの一部の引用ですが、紹介はこれで十分でしょう。後は哲学の復権を目指す彼の勇ましい議論を楽しめば良いと思います。ガブリエルの三部作の三冊目『思考の意味』の翻訳出版も待たれるところです。

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社説 あすから新聞週間 他者への共感を育みたい

2019年10月15日 00時48分18秒 | 野球
毎日新聞2019年10月14日 東京朝刊
 
新聞週間があすから始まる。
 
今年7月、京都アニメーション(京アニ)放火殺人事件が発生した。36人の命が奪われ、本紙を含む報道各社が犠牲者の実名を報じた。

 多くの遺族が実名の報道を拒んでいた。各社の報道に対し、批判の声が上がった。

 事件報道において、犠牲者の実名を報じる意義とは何だろうか。

 東京都目黒区のアパートで昨年3月、当時5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが虐待を受け死亡した。両親が保護責任者遺棄致死罪などに問われ、裁判所で審理が続いている。

 結愛ちゃんは「もうおねがい ゆるしてください」と悲痛な手紙を残していた。それがあどけない写真とともに実名で報じられた。事件が大きな注目を集めたのは、こうした報道が影響しているだろう。

 事件を受け、政府は児童相談所の職員を増員するなどの緊急対策を決定した。虐待防止の強化に向け関係する法律が改正された。

 報道機関が事件や事故の犠牲者を実名で報道するのは、読者が具体的な人物像を思い浮かべて事件と向き合い、結果として社会が抱える問題を考えるきっかけになることを期待するからだ。「Aさん」という匿名では、実在の人物であるイメージがどうしても湧きにくくなる。

 京アニの放火殺人事件でも、犠牲者の実名とともに、写真やかかわった作品、アニメにかける思いが報じられた。それは読者の悲しみや憤りの共有につながった。

 事件の経緯で指摘しなければならないのは、被害者全員の実名発表が発生から40日後になったことだ。犠牲者の実名は通常、身元確認ができ次第公表される。京都府警は「事件の重大性」などを理由に早期発表を避けた。ただ、基準はあいまいだ。

 今回の事件では、多くの現場記者が遺族の意向と、伝える役割との間で悩み、迷った。国民の納得がなければ、実名報道の原則も揺らぐ。

 遺族の拒否感を生むものとして、メディアスクラム(集団的過熱取材)の問題が指摘される。今回は代表社が取材を行うルールを作った。遺族の負担を考慮し、検討を重ねる必要があるだろう。

 今後も社会と対話し、他者に共感を広げる報道を模索し続けたい。

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堀江貴文氏 12年間勤務で月給14万円「日本終わった」と嘆く会社員に「お前が終わってんだよ」

2019年10月15日 00時43分35秒 | 社会・文化・政治・経済
2019.10.07 デイリー
 
「ホリエモン」こと実業家の堀江貴文氏が7日、ツイッターを更新。都内の企業に12年間勤務して手取りの月給が14万円だという会社員が「日本終わってますよね?」とネット掲示板に投稿して共感の声が起きているという記事を引用。「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」と、「笑」を表す「w」を3つも入れて突き放すコメントをつぶやいた。

 日本における経済的な格差社会が広がっている中、「日本終わってますよね?」という投稿に共感する声として「日本に『死ね』と言われているみたいで切ない」「日本って貧乏になってきてるんだな」「日本はもはや発展途上国」といった声が続いた。

 だが、堀江氏の投稿に対して、約6000件以上の「いいね」があり、リプライ欄には「自業自得」「なんでも人のせい、卑怯者」「自分の無能さを全て他人のせいにして」「なんも努力もしないで昇進できると思ってたのか」などと、“12年間勤務で月給14万円”の人物を非難したり、「有能な者にお金を出す。企業として当然のこと」「その人雇用してる会社がえらい」と企業側を擁護するコメントが多くを占めた。

 中には、「堀江さんはいつも弱者に厳しくて余裕がないですね」と堀江氏の姿勢に違和感を示す声も一部にはあった。

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阪神・西、インスタで“懺悔の言葉”連発

2019年10月15日 00時22分50秒 | 野球

 阪神の西勇輝投手(28)が13日に自身のインスタグラムへ投稿した“懺悔の言葉”に虎党から励ましの言葉が相次いでいる。

6回、勝ち越し点を奪われてうなだれる西勇輝(左)に声をかける梅野

 オリックスから阪神へFA移籍した西は2年連続6度目の2桁勝利(10勝8敗)で移籍1年目のレギュラーシーズンを締めくくったが、チームが3位で進出したセ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)では開幕投手を務めたDeNAとのファーストステージ第1戦(5日、横浜)で初回、打者5人に3ランを含む5安打を浴びて1死も取れずに降板。5人目の打者の打球を左足親指に受けるアクシデントを乗り越え、中7日で先発した巨人とのファイナルステージ第4戦(13日、東京D)では1―1で迎えた6回2死三塁で丸の意表を突くセーフティーバントで勝ち越し点を許して6回2失点好投ながら敗戦投手となった。

 チームのCS敗退が決まった巨人戦後、西はインスタグラムに長文を投稿。丸のバント処理の後、グラウンドに座り込んだままぼう然とした表情でいる自身の写真を貼り付けて投稿した文章には「CSでは自分が足を引っ張り中継ぎのみんなに迷惑かけて」「ファイナルシリーズ行けたのに自分の最後のミスで負けてしまって申し訳ない」「みんなの活躍凄かった。ほんとに力になりたかった」「ほんとに最後の最後にこんな形で終わってしまってすみません」などと懺悔の言葉が並んでいる。

 この西の言葉に「いいね!」は3万9000超え(14日午後7時現在)。「そんなに自分を責めないで」「チームを何とかしようって気持ちがヒシヒシと伝わってきました」「とてもかっこよかったです」「西君のムードメーカー的な所が大好き」「タイガースに来てくれて、ありがとう」などと励ます声が殺到している。

 



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