映画 『危険な情事』

2019年10月28日 21時21分52秒 | 社会・文化・政治・経済

『危険な情事』Fatal Attraction)は、1987年のアメリカ合衆国のスリラー映画。
エイドリアン・ライン監督、マイケル・ダグラス、グレン・クローズ主演。第60回アカデミー賞で6部門においてノミネートされる。クローズの鬼気迫る演技が話題になる[3]。
『危険な情事(ニュー・バージョン)』として再公開されたバージョンはオリジナルとはラストシーンが異なっている。
ニューヨークで弁護士を勤めるダンは、妻のベスと娘のエレンと平和な日々を過ごしていた。
だが、妻子が所用で実家に帰っていた際、ふと参加したパーティーで雑誌編集者のアレックスと知り合い、肉体関係を結んでしまう。
ダンにとっては一夜の遊びであったが、アレックスはそれを運命の出会いと思い込み、ダンにつきまとい始める。

監督 エイドリアン・ライン
脚本 ジェームズ・ディアデン
ニコラス・マイヤー(クレジットなし)
製作 スタンリー・R・ジャッフェ
シェリー・ランシング
出演者 マイケル・ダグラス
グレン・クローズ
ダン・ギャラガー - マイケル・ダグラス
アレックス・フォレスト - グレン・クローズ
ベス・ギャラガー - アン・アーチャー
エレン・ギャラガー - エレン・ハミルトン・ラッツェン
ジミー - スチュアート・パンキン
ヒルディ - エレン・フォーリー
アーサー - フレッド・グウィン
ジョーン・ロジャーソン
ハワード・ロジャーソン
マーサ - ロイス・スミス
ボブ・ドリマー - マイク・ナスバウム
オローク - J・J・ジョンストン
ベビーシッター - ジェーン・クラコウスキー

解説

ストーカーなど、一見普通に見える人間の暴走こそ、実は最恐に怖いホラーだ、という“サイコ・ホラー”ジャンル大ブームの火付け役となった作品。監督は、男女の愛欲を描き続けるエイドリアン・ライン。

ストーリー

顧問をしている出版社のパーティーで、女性編集者アレックスと知り合った弁護士ダンは、家族が出かけて独りになったある週末、彼女と性関係を持ってしまう。

ダンは、肉体だけの遊びのつもりで、相手もそう割り切っているものと信じていたが、それは彼の思い込み。

アレックスは“本気”だった…。もう会えないと話すダンに逆上したアレックスは、狂言自殺やストーカー行為など、常軌を逸した行動で彼に付きまとい始める。

  • Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ
  • 男女の関係を描いた映画は数あれど、
    このような「不倫」関係のサスペンスで、
    20年以上もたつのに未だに話題になる映画は他にはないのではないでしょうか。
    (いろんな意味で)

    特典にあるように、当時フェミニストからは猛反発だったようですが、
    これは男女の普遍的な愛情と嫉妬、秘め事を楽しむ男といった、
    いつの時代にもある事柄を描いている。

    そしてその焦点の当て方が素晴らしい。

    マイケル・ダグラスはヘッドフォンを当てながら、
    グレン・クローズはルームライトをオン・オフにしながら・・・

    言葉では語られない感情を見事に演じています。

    そしてあまりも有名なラスト。
    身から出たさび、とはいえ、ここまでくると本当に怖い。

    グレン・クローズといえば「101」しか思い浮かばない人がみたら、
    相当ショックな映画でしょうね。

    これは一級のサスペンスでもあり、恋愛映画です。
    素晴らしい。

  • Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ
  • ジワジワと正気から狂気へ変貌していくグレン・クローズの狂いぶりは凄い!
    最後は、名作「ヒッチャー」か「ターミネーター」かのごとくの執拗ぶりで
    怖い怖い!そこらのホラーよりよっぽど怖いです。古い映画だが、スリラーや
    ホラーファンには見てほしい作品です。
    これは監督エイドリアン・ラインの代表作でもある。この他ホラーではないが
    「フラッシュダンス」や、やはり何とも言えない怖さの「ジェイコブズラダー」
    等もこの監督ならではの素晴らしい作品だ。
  • Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ
  • Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ
  • 女性は、あるパーティで出会った妻子ある弁護士に一目惚れし、一夜の関係を持つ。このセックスシーンも強烈だ。男性は一夜だえの関係と思っていても、女性は彼にたちまち恋する。この異常までに激しい女性を見事に演じ切るグレン・クローズの名演技が見ものだ。少し時間をおいて、見直しても楽しめる作品であることは間違いない。

八千草薫さん、すい臓がんで死去 

2019年10月28日 21時08分14秒 | 社会・文化・政治・経済

 亡くなる直前まで意識はっきり、会話も 88歳 「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」日本を代表する名女優

10/28(月) スポーツ報知

ドラマ「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」など舞台、テレビ、映画に日本を代表する名女優として活躍した八千草薫さん(本名・谷口瞳)が24日、午前7時45分、すい臓がんのため、都内の病院で亡くなっていたことが28日、分かった。88歳だった。


【写真】1956年5月の八千草薫さん

 八千草さんは2017年春に乳がんが発見されてがん闘病が始まり、病を伏せて仕事を続けたが、すい臓から肝臓に転移した今年2月、がんであることを公表。療養に専念し、仕事復帰を目指していたが、力尽きた。

 遺志に沿ってこの日、少数の親しい関係者が集まる中、荼毘(だび)に付された。本人の希望により、お別れの会も開かれないという。関係者によると、亡くなる約2時間前まで、意識はしっかりしていたという。24日、午前6時ごろに看護士が朝の検診で病室へ。「変わったことは特にないわ」などと穏やかな会話が交わされ後、しばらくして、容体が急変。7時45分に帰らぬ人となった。

 八千草さんは19年2月に肝臓がんを公表。晩年はがんとの闘いだった。最初に見つかったのは乳がんで17年春に手術。18年1月には膵臓(すいぞう)がんで全摘手術を受けた。病を伏せ、気づかれることなく仕事を続けたが、抗がん剤治療と定期検診中、19年に肝臓転移が見つかった。テレビ朝日系「やすらぎの刻~道」のヒロイン役を降板し、治療に専念していた。健康管理には人一倍、注意し、70年余りの女優人生で病気で長期休んだのは、このときが最初だった。

 可憐な外見からは想像できない強靱な精神力の持ち主。がんの宣告を受けても、動揺はほとんど見せず冷静で病状も細かく理解。「いま私にできることを尽くし、より1日を丁寧に過ごしたい」と生きる姿勢に変わりはなかった。人生の密度は逆に濃密なものとなっていたという。

 がんを公表した際、88歳の高齢ながら「体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります。どうかお許し下さいませ」と復帰に強い意欲をにじませていた。

 19年5月末には、千葉で行われた自ら理事を務める生態系協会の催しに出席。炎天下の中で「自然は見るものだけではありません。生き物が増えることを考えると、自然の中に入って楽しんで欲しい」とはっきりした口調であいさつ。足取りも力強かった。

 八千草さんの芸能人生は荒れ果てた戦後、華やかな宝塚歌劇の舞台で始まった。清純でかれんな娘役として注目。劇団に籍を置きながら、54年三船敏郎主演「宮本武蔵」(稲垣浩監督)でお通を演じ、映画女優としても注目されるようになった。56年「乱菊物語」で谷口千吉監督と出会い結婚を決め、惜しまれながら退団。歌劇団卒業後も、八千草さんの魅力は舞台にドラマに引っ張りだこに。

 子どもはいなかったが、長年にわたり「理想のお母さん」として親しまれた。さまざまな役で人の心を揺さぶり、癒やし続けた。日本の芸能界に欠かすことのできない名女優の一人だった。

 



 

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美しい日本語 荷風 I 季節をいとおしむ言葉

2019年10月28日 15時30分37秒 | 社会・文化・政治・経済

永井 荷風 (著), 持田 叙子 (著, 編集), 髙柳 克弘 (著, 編集)

 

「一番下品なことを一番優雅な文章で、一番野卑なことを一番都会的な文章で書く」と荷風を評した三島由紀夫。
荷風文学の魅力はなによりもまず品のいい文章、美しい言葉にある。
「蝶影」「高淡」「佳人」などの「うるわしい」二字漢字。
町をさす「巷」、「果物屋」をかす「水菓子屋」
私たちは実際につかわなくとも、胸のなかの言葉の引き出しにぜひ、しまっておきたい明治大正のすてきな言葉である。

内容紹介

季節の和の文化に酔いしれる
永井荷風の生誕140年、没後60年を記念して、
荷風の鮮やかな詩・散文、俳句にういういしく恋するためのアンソロジー。

▼永井荷風「生誕140年・没後60年」記念出版。
▼荷風の美しい日本語を堪能できるアンソロジーを全3巻で刊行。

永井荷風の生誕140年、没後60年を記念して、荷風研究の第一人者で作家・持田叙子、気鋭の俳人・髙柳克弘が、荷風の美しい日本語を詩・散文、俳句から選りすぐり、堪能できる全三巻のアンソロジー。

内容(「BOOK」データベースより)

季節の和の文化に酔いしれる。永井荷風の生誕一四〇年、没後六〇年を記念して、荷風の鮮やかな詩・散文、俳句にういういしく恋するためのアンソロジー。

著者について

【著者】
永井 荷風(ながい かふう)(1879.12.3-1959.4.30)
東京生れ。高商付属外国語学校清語科中退。広津柳浪・福地源一郎に弟子入りし、ゾラに心酔して『地獄の花』などを著す。1903年より08年まで外遊。帰国して『あめりか物語』『ふらんす物語』(発禁)を発表し、文名を高める。1910年、慶應義塾文学科教授となり「三田文学」を創刊。その一方、花柳界に通いつめ、『腕くらべ』『つゆのあとさき』『濹東綺譚』などを著す。1952年、文化勲章受章。1917年から没年までの日記『断腸亭日乗』がある。

【編著者】
持田 叙子(もちだ のぶこ)
1959年、東京生れ。近代文学研究者。慶應義塾大学大学院修士課程修了、國學院大學大学院博士課程単位取得退学。1995年より2000年まで『折口信夫全集』(中央公論社)の編集に携わる。著書に、『朝寝の荷風』(人文書院、2005年)、『荷風へ、ようこそ』(慶應義塾大学出版会、2009年、第31回サントリー学芸賞)、『永井荷風の生活革命』(岩波書店、2009年)、『折口信夫 秘恋の道』(慶應義塾大学出版会、2018年)などがある。

髙柳 克弘(たかやなぎ かつひろ)
1980年、静岡県浜松市生れ。俳人。早稲田大学大学院教育学研究科で松尾芭蕉を研究し、修士修了。2002年俳句結社「鷹」に入会し、藤田湘子に師事。05年より「鷹」編集長。04年「息吹」で第19回俳句研究賞を最年少で受賞、08年「凛然たる青春」で第22回俳人協会評論新人賞受賞、10年句集『未踏』で第1回田中裕明賞受賞。17年度Eテレ「NHK俳句」選者。主な著書に、句集『寒林』(ふらんす堂、2016年)、『名句徹底鑑賞ドリル』(NHK出版、2017年)、『どれがほんと? ――万太郎俳句の虚と実』(慶應義塾大学出版会、2018年)などがある。

 

 




警察官、職質で顔写真撮影 視覚障がい男性が拒むも

2019年10月28日 15時19分47秒 | 野球

識者、裁判所の令状が必要 那覇署は「適正」と食い違い

 那覇署地域課の警察官2人が、那覇市安里の歩道を歩いていた視覚障がい者の70代男性への職務質問中、携帯端末で顔写真を撮影したことが27日までに分かった。職務質問での顔写真撮影は法的根拠がない。男性は国指定の難病・網膜色素変性症を患っていて視力が弱いが、警察官が障害者手帳の提示申し出を受けることなく撮影を要求したため、やむなく応じたという。識者からは「人権の侵害だ」「捜査ではなく、情報収集など別の目的があったのではないか」などと違法性を指摘する声が上がっている。


 那覇署は本紙取材に「適正に行ったものと考えている」とコメントした。

 男性によると15日午後5時ごろ、帰宅途中の同市安里の路上で、警察官2人から「酔っぱらいが近くで倒れている。事件があったようだ。(容疑者と)あなたの服装が似ているから写真を撮らせてほしい」などと背後から声を掛けられた。

 男性は「私は事件に関係ない。障害者手帳を見せる」と申し出たが、警察官は「手帳はいいから写真を撮らせてほしい」と執拗(しつよう)に要求してきた。男性は撮影を拒み続けたが、「ここで撮らなくてもまた別の警官からも声を掛けられますよ」と言われ、夕暮れが迫り視界が全く見えなくなることを恐れてやむなく応じたという。

 警察官の1人がポケットから携帯端末を取り出し、男性の顔を1メートルほどの距離で撮影した。その後「名前を教えてほしい」とさらなる要求をしたため、男性は拒否してその場を離れた。約15~20分ほどの出来事だったという。

 刑事訴訟法では、身柄を拘束されていない場合の顔写真撮影は裁判所の令状を必要とする。警察問題が専門の清水勉弁護士は「逮捕されていないので(顔写真撮影に)法的根拠はない。人権などあらゆる権利の侵害で違法だ」と批判した。

 刑事訴訟法が専門の沖縄国際大の中野正剛教授は「警察官が職務質問中に、写真撮影を要求するというのは聞いたことがない。東京五輪を前に警察が組織的に情報収集活動をしている可能性も拭えない」と語った。

 一方、県警幹部は「通常の捜査の一環と考えている。不審人物や容疑者に似た人がいたら、声を掛けるのが警察の仕事だ」とした。

 男性はこの日、市役所で紫外線から目を守る遮光眼鏡の交付手続きをした帰りだった。「警察官に最初から容疑者扱いされていた。本当に腹立たしい。謝罪してほしい」と訴え、撮影された写真の削除を求めた。
 (照屋大哲)

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ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想

2019年10月28日 12時36分42秒 | 社会・文化・政治・経済
 

宮田 光雄  (著)

内容紹介

キリスト教神学者でありながら、反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画に加わり、ドイツ敗戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(1906―45)。生命を賭して時代への抵抗を貫き、若くして殉教への道を選んだのは、なぜか。新たな知見も交えながら、その生涯と思想の意味を現代に問う。

内容(「BOOK」データベースより)

キリスト教神学者でありながら、反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画に加わり、ドイツ敗戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(一九〇六‐四五)。生命を賭して時代への抵抗を貫き、若くして殉教への道を選んだのは、なぜか。新たな知見も交えながら、その生涯と思想の意味を現代に問う。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

宮田/光雄
1928年、高知県に生まれる。1951年、東京大学法学部卒業。東北大学名誉教授。ヨーロッパ思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

ディートリヒ・ボンヘッファーは、反ナチの抵抗運動に参加して、ベルリン陥落を目前にした大戦末期に絞首刑された、ドイツのプロテスタント神学者である。キリスト教神学者の中では、最も有名な一人であろうが、もちろん日本の非クリスチャンは、彼の名を知らなくて当然である。

彼の真摯かつ鮮烈な生涯が、キリスト教界で注目を浴びたのは、戦後において、戦中のキリスト教会の振舞いが、反省される中でのことであった。
だが、その後「戦争の記憶」が風化するにしたがい、ふたたびキリスト教会の自己権威化(保守反動)がすすみ始めると、彼がヒトラー暗殺計画の存在をも承知した活動家であったことをして「結局は、信仰の道を貫けず、世俗の方法に走った」という、訳知り顔の評価が幅を利かすようになってきてもいるようだ。

「汝、殺すなかれ」という有名な「モーセの十戒」の一つは、旧約聖書の「出エジプト記」にある言葉で、キリスト教徒は無論、そうでない者にとっても、基本的な倫理として支持される戒めであろう。
しかし、自身や国益のためではなく、ナチ政権によって迫害され殺されていたユダヤ人をはじめとした人たち(弱者)のために、そして、あるべき祖国のために、ボンフェッファーたち心あるドイツ人は抵抗運動を組織し、それに命を賭したのだ。
それを、キリスト教会のためになら、人殺しの罪を数知れず犯してきた、自称「正統派のキリスト教徒たち」とその末裔が、被害者の存在には目もくれず、自分たちの手を汚さないことだけに専心して「我は賢し」「我は正し」とするのは、本当にキリスト(救済者)の信者の態度だと言えるのだろうか。
しかし、これは今昔東西を問わない、キリスト教界(この世の教会)の難問なのである。

いまやボンヘッファーは、非キリスト教徒にこそ尊敬される偉人であって、多くの保守的キリスト教徒には、かえって「目障りな存在」とすら思われているのかもしれない。
しかし、それは当然のことだろう。ボンヘッファーは、圧倒的な暴力性を体現した、かのナチ政権に、命を賭して抵抗した人であり、それに比べれば、私たちが今ここで抵抗しなければならない悪しき政治権力など、多寡が知れていよう。にもかかわらず、私たちにはボンヘッファーが体現した、勇気の欠片も持たないからである。

キリスト教徒であれ、非キリスト教徒であれ、比較的恵まれた平穏な生活を送っておれば、「多少の悪」や「多少の犠牲」は見て見ぬふりをしてでも、自分一個の生活を守りたいし、それを脅かすようなことはしたくない。そう考えるのは、自然な人情である。
しかし、ボンヘッファーの発する、まばゆいばかりの信仰の輝きは、そうした薄暗い「欺瞞的な態度」を許さない。とくにキリスト教徒には、キリスト教徒であるが故に、そうした「悪しきこの世性」に止まることを許さない。
ボンヘッファーは、「この世」の先にある「究極的なもの」としての神の領域を信じるキリスト教徒として、キリスト教徒には、使命の地(座)としての「この世」において「究極以前のもの」における使命を果たす責任がある、と考える。そのため、「この世」に埋没し、「究極的なもの」を知るが故に「究極以前のもの」たる「この世」への責任から免責されていると考えたいキリスト教徒たちによって煙たがられるというのは、理の当然なのだ。

しかし、もとより人間は、この世において「罪」ある存在(原罪を負うた存在)であり、その使命を果たすにおいても、時に「罪」を引き受けなければならない。また、その覚悟が無ければ、この世における責任は負えない、とボンヘッファーは考える。

『責任を負う行動は、自分の行動が究極的に正当であるかどうかについての知識を断念する。神が人間となり、また神が人間となりたもうたということを見つめつつ、すべての人格的・客観的な状況を責任的に判断しながらなされる行為は、それを実行する瞬間に、ただ神にすべてを委ねる。自分自身の行動の善悪を最終的には自分で知らないということ、したがって、ただ恵みのみにより頼むこと、それが責任ある歴史的行動の本質である。イデオロギー的に行動する者は、その理念において自分自身が正当化されるものと考えている。しかし、責任を負って行動する者は、その行動を神の御手に委ね、神の恵みと裁きとによって生きる』(文庫版・P247)

「究極的なもの」とつながりながらも、「究極以前のもの」たる私が、「究極以前のもの」たる「この世」について行動するとき、そこでは、「罪」とは完全には避けられないものである(なぜなら、人間には、すべてや未来は見通せない)ということを、私は自覚し、それを「究極的なもの」の権威において否定するのでも正当化するのでもなく、「究極以前のもの」たる私という存在の自覚として謙虚に受けとめて、すべての最終判断(裁定)を「究極的なもの」たる神に委ねるしかない。
私たちは、自身が負える最大の責任を引き受け、自身が負えない責任を負えると自負する傲慢を、謙虚に拒否すべきなのである。そして、そのような姿勢こそが「究極的なもの」と真につながる態度であり、それが『神に生きる』ということなのだ。

『罪の責任をとることから逃れようとする者は、人間存在の究極の現実から離れ、しかしまた、罪なきイエス・キリストが人間の罪を負いたもうという救いの秘義からも離れ、この出来事の上に示されている神の義認にたいして、まったく関わりえないことになるのである。彼は、自分が個人的に罪責をもたないことを、多くの人びとにたいする責任より優先させようとするのであり、そのことによって自分の身に積み重ねた、いっそう救いがたい罪責について気づかなくなるのである』(文庫版・P262)

『罪の責任をとることから逃れようとする』ことは、結局のところ、人間であることを否認することであり、人となった神であるイエス・キリストの行ないの意義を否認することにもなる。人間は人間として、果たすべき責任を果たさなければならない。それをしないというのは、自らの罪を否認することで、逆に救いを拒絶する態度でしかないのである。

『われわれは一一《たとえ神がいなくとも》(etsi deus non daretur)一一この世の中で生きなければならない。このことを認識することなしに誠実であることはできない。そして、まさにこのことを、われわれは一一神の御前で認識する! 神ご自身が、われわれを強いて、この認識にいたらせたもう。このように、われわれが成人することは、神の御前における自分たちの状態の真実な認識へとわれわれを導くのだ。神は、われわれが神なき生活と折り合うことのできる者として生きなければならないということを、われわれに知らせたもう。われわれと共にいたもう神とは、われわれをお見捨てになる神なのだ(マルコ15・34〔わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか〕)。神という作業仮説なしに、この世で生きるようにさせたもう神こそ、われわれがたえずその御前に立っているところの神なのだ。神の御前で、神と共に、われわれは神なしに生きる』(文庫版・P289)

そう。この世は、神に与えられた、私たちのための世界なのである。だから、神は私たちのために、私たちへの信頼において、あえて手出しはしない。そして、私たちも神への信頼において、神の力に頼ることはしない。
私たちは、まるで神が存在しないかのように、しかし、それゆえに、この世界の全責任を引き受けて、自分の脚で立たなければならない。私たちは、神の愛を知るが故に、神から自立して「成人」しなければならない。助力を期待するような物欲しげな素振りをチラとも見せず、その腕と脚でこの世界を支える姿を神に見せる、そんな者でなければならない。

『神は、ご自身を、この世から十字架へと追いやられるままに委せたもう。神は、この世においては無力で弱い。そしてまさにそのようにして、ただそのようにしてのみ、神は、われわれのもとに降り、またわれわれを助けたもう。キリストの助けは、彼の全能によってではなく、彼の弱さに、つまり、彼の苦難による。……ここに、あらゆる宗教にたいする決定的な相違がある。……聖書は、人間を神の無力と苦難とに向かわせる。苦しむ神だけが、助けをあたえたもうことができる』(文庫版・P294)

神(イエス・キリスト)が示された強さとは、その弱さにおいて、何者にも敗北しない強さである。とするならば、私たちは弱くとも、その弱さにおいて敗れることのない強さを、神に倣うべきであろう。私たちは、無力な神に倣って、力に生きるのではなく、弱き者に寄り添い、その苦しみを分かち合う弱さにおいて、強くあらねばならない。
宗教とは、力強き神、万能の神として、人間を子供のままに止めおく溺愛・過保護の神という、実は無力かつ有害な偶像を語るものだ。その意味において、キリストの生に学ぶ私たちは「宗教」を拒絶する人間である。

ボンヘッファーの言葉を、このように解釈することは、「無神論者」である私の思想に、なんら矛盾するものではない。これが意味するのは、ボンヘッファーが無神論者であるということなのか、あるいは私の方が、じつは信仰者だということなのか。

しかし、そうではないだろう。
ボンヘッファーの生き方を、あるいは私の考え方を否定して、「神の力」により頼もうとする人たちと、私たちの相違は、結局のところ、この世界への「信頼」の問題なのではないだろうか。

だから、ボンヘッファーとは逆に問おう。
《かりに神がいたとすれば》、神はどちらを嘉されるだろうか?
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ディートリヒ・ボンヘッファーは、反ナチの抵抗運動に参加して、ベルリン陥落を目前にした大戦末期に絞首刑された、ドイツのプロテスタント神学者である。キリスト教神学者の中では、最も有名な一人であろうが、もちろん日本の非クリスチャンは、彼の名を知らなくて当然である。

彼の真摯かつ鮮烈な生涯が、キリスト教界で注目を浴びたのは、戦後において、戦中のキリスト教会の振舞いが、反省される中でのことであった。
だが、その後「戦争の記憶」が風化するにしたがい、ふたたびキリスト教会の自己権威化(保守反動)がすすみ始めると、彼がヒトラー暗殺計画の存在をも承知した活動家であったことをして「結局は、信仰の道を貫けず、世俗の方法に走った」という、訳知り顔の評価が幅を利かすようになってきてもいるようだ。

「汝、殺すなかれ」という有名な「モーセの十戒」の一つは、旧約聖書の「出エジプト記」にある言葉で、キリスト教徒は無論、そうでない者にとっても、基本的な倫理として支持される戒めであろう。
しかし、自身や国益のためではなく、ナチ政権によって迫害され殺されていたユダヤ人をはじめとした人たち(弱者)のために、そして、あるべき祖国のために、ボンフェッファーたち心あるドイツ人は抵抗運動を組織し、それに命を賭したのだ。
それを、キリスト教会のためになら、人殺しの罪を数知れず犯してきた、自称「正統派のキリスト教徒たち」とその末裔が、被害者の存在には目もくれず、自分たちの手を汚さないことだけに専心して「我は賢し」「我は正し」とするのは、本当にキリスト(救済者)の信者の態度だと言えるのだろうか。
しかし、これは今昔東西を問わない、キリスト教界(この世の教会)の難問なのである。

いまやボンヘッファーは、非キリスト教徒にこそ尊敬される偉人であって、多くの保守的キリスト教徒には、かえって「目障りな存在」とすら思われているのかもしれない。
しかし、それは当然のことだろう。ボンヘッファーは、圧倒的な暴力性を体現した、かのナチ政権に、命を賭して抵抗した人であり、それに比べれば、私たちが今ここで抵抗しなければならない悪しき政治権力など、多寡が知れていよう。にもかかわらず、私たちにはボンヘッファーが体現した、勇気の欠片も持たないからである。

キリスト教徒であれ、非キリスト教徒であれ、比較的恵まれた平穏な生活を送っておれば、「多少の悪」や「多少の犠牲」は見て見ぬふりをしてでも、自分一個の生活を守りたいし、それを脅かすようなことはしたくない。そう考えるのは、自然な人情である。
しかし、ボンヘッファーの発する、まばゆいばかりの信仰の輝きは、そうした薄暗い「欺瞞的な態度」を許さない。とくにキリスト教徒には、キリスト教徒であるが故に、そうした「悪しきこの世性」に止まることを許さない。
ボンヘッファーは、「この世」の先にある「究極的なもの」としての神の領域を信じるキリスト教徒として、キリスト教徒には、使命の地(座)としての「この世」において「究極以前のもの」における使命を果たす責任がある、と考える。そのため、「この世」に埋没し、「究極的なもの」を知るが故に「究極以前のもの」たる「この世」への責任から免責されていると考えたいキリスト教徒たちによって煙たがられるというのは、理の当然なのだ。

しかし、もとより人間は、この世において「罪」ある存在(原罪を負うた存在)であり、その使命を果たすにおいても、時に「罪」を引き受けなければならない。また、その覚悟が無ければ、この世における責任は負えない、とボンヘッファーは考える。

『責任を負う行動は、自分の行動が究極的に正当であるかどうかについての知識を断念する。神が人間となり、また神が人間となりたもうたということを見つめつつ、すべての人格的・客観的な状況を責任的に判断しながらなされる行為は、それを実行する瞬間に、ただ神にすべてを委ねる。自分自身の行動の善悪を最終的には自分で知らないということ、したがって、ただ恵みのみにより頼むこと、それが責任ある歴史的行動の本質である。イデオロギー的に行動する者は、その理念において自分自身が正当化されるものと考えている。しかし、責任を負って行動する者は、その行動を神の御手に委ね、神の恵みと裁きとによって生きる』(文庫版・P247)

「究極的なもの」とつながりながらも、「究極以前のもの」たる私が、「究極以前のもの」たる「この世」について行動するとき、そこでは、「罪」とは完全には避けられないものである(なぜなら、人間には、すべてや未来は見通せない)ということを、私は自覚し、それを「究極的なもの」の権威において否定するのでも正当化するのでもなく、「究極以前のもの」たる私という存在の自覚として謙虚に受けとめて、すべての最終判断(裁定)を「究極的なもの」たる神に委ねるしかない。
私たちは、自身が負える最大の責任を引き受け、自身が負えない責任を負えると自負する傲慢を、謙虚に拒否すべきなのである。そして、そのような姿勢こそが「究極的なもの」と真につながる態度であり、それが『神に生きる』ということなのだ。

『罪の責任をとることから逃れようとする者は、人間存在の究極の現実から離れ、しかしまた、罪なきイエス・キリストが人間の罪を負いたもうという救いの秘義からも離れ、この出来事の上に示されている神の義認にたいして、まったく関わりえないことになるのである。彼は、自分が個人的に罪責をもたないことを、多くの人びとにたいする責任より優先させようとするのであり、そのことによって自分の身に積み重ねた、いっそう救いがたい罪責について気づかなくなるのである』(文庫版・P262)

『罪の責任をとることから逃れようとする』ことは、結局のところ、人間であることを否認することであり、人となった神であるイエス・キリストの行ないの意義を否認することにもなる。人間は人間として、果たすべき責任を果たさなければならない。それをしないというのは、自らの罪を否認することで、逆に救いを拒絶する態度でしかないのである。

『われわれは一一《たとえ神がいなくとも》(etsi deus non daretur)一一この世の中で生きなければならない。このことを認識することなしに誠実であることはできない。そして、まさにこのことを、われわれは一一神の御前で認識する! 神ご自身が、われわれを強いて、この認識にいたらせたもう。このように、われわれが成人することは、神の御前における自分たちの状態の真実な認識へとわれわれを導くのだ。神は、われわれが神なき生活と折り合うことのできる者として生きなければならないということを、われわれに知らせたもう。われわれと共にいたもう神とは、われわれをお見捨てになる神なのだ(マルコ15・34〔わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか〕)。神という作業仮説なしに、この世で生きるようにさせたもう神こそ、われわれがたえずその御前に立っているところの神なのだ。神の御前で、神と共に、われわれは神なしに生きる』(文庫版・P289)

そう。この世は、神に与えられた、私たちのための世界なのである。だから、神は私たちのために、私たちへの信頼において、あえて手出しはしない。そして、私たちも神への信頼において、神の力に頼ることはしない。
私たちは、まるで神が存在しないかのように、しかし、それゆえに、この世界の全責任を引き受けて、自分の脚で立たなければならない。私たちは、神の愛を知るが故に、神から自立して「成人」しなければならない。助力を期待するような物欲しげな素振りをチラとも見せず、その腕と脚でこの世界を支える姿を神に見せる、そんな者でなければならない。

『神は、ご自身を、この世から十字架へと追いやられるままに委せたもう。神は、この世においては無力で弱い。そしてまさにそのようにして、ただそのようにしてのみ、神は、われわれのもとに降り、またわれわれを助けたもう。キリストの助けは、彼の全能によってではなく、彼の弱さに、つまり、彼の苦難による。……ここに、あらゆる宗教にたいする決定的な相違がある。……聖書は、人間を神の無力と苦難とに向かわせる。苦しむ神だけが、助けをあたえたもうことができる』(文庫版・P294)

神(イエス・キリスト)が示された強さとは、その弱さにおいて、何者にも敗北しない強さである。とするならば、私たちは弱くとも、その弱さにおいて敗れることのない強さを、神に倣うべきであろう。私たちは、無力な神に倣って、力に生きるのではなく、弱き者に寄り添い、その苦しみを分かち合う弱さにおいて、強くあらねばならない。
宗教とは、力強き神、万能の神として、人間を子供のままに止めおく溺愛・過保護の神という、実は無力かつ有害な偶像を語るものだ。その意味において、キリストの生に学ぶ私たちは「宗教」を拒絶する人間である。

ボンヘッファーの言葉を、このように解釈することは、「無神論者」である私の思想に、なんら矛盾するものではない。これが意味するのは、ボンヘッファーが無神論者であるということなのか、あるいは私の方が、じつは信仰者だということなのか。

しかし、そうではないだろう。
ボンヘッファーの生き方を、あるいは私の考え方を否定して、「神の力」により頼もうとする人たちと、私たちの相違は、結局のところ、この世界への「信頼」の問題なのではないだろうか。

だから、ボンヘッファーとは逆に問おう。
《かりに神がいたとすれば》、神はどちらを嘉されるだろうか?
 
 

 

 

 

「国境なき医師団」になろう

2019年10月28日 12時26分37秒 | 社会・文化・政治・経済

いとう せいこう (著)

内容紹介

誰かのために、世界のために、何かしたい。
――でも、どうやって?

「国境なき医師団」で働くのは医師や看護師だけではない! 
ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダンをめぐる現地ルポと
日本人スタッフへのインタビューで迫る、
「人道主義」の最前線。

* * *

MSFってどんな組織? どんな人が働いているの?
どこに派遣されるの? 危なくないの?
給料はもらえるの? …私でもなれるの?

知っているようで知らないMSFのリアルを、
稀代のクリエーターが徹底取材で明らかに!

* * *

[目次]
はじめに
第一章 「国境なき医師団」ってどんな組織?
第二章 MSF日本インタビュー1
アドミニストレーター
ロジスティシャン
人事部リクルートメントオフィサー
第三章 現地ルポ1
ハイチ
ギリシャ
フィリピン
第四章 MSF日本インタビュー2
国境なき医師団日本会長
活動責任者
ファンドレイジング部ディレクター+シニア・オフィサー
第五章 現地ルポ2
ウガンダ
南スーダン
おわりに

内容(「BOOK」データベースより)

「国境なき医師団」で働くのは医師や看護師だけではない!現地ルポと日本人スタッフへのインタビューで迫る、「人道主義」の最前線。

著者について

いとう せいこう
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして活字・映像・音楽・舞台など多方面で活躍。『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞を受賞。『想像ラジオ』が三島賞・芥川賞候補となり、第35回野間文芸新人賞を受賞。他の著書に『ノーライフキング』『鼻に挟み撃ち』『我々の恋愛』『どんぶらこ』『小説禁止令に賛同する』『今夜、笑いの数を数えましょう』など多数。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

いとう/せいこう
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家・クリエーターとして活字・映像・音楽・舞台など多方面で活躍。『ボタニカル・ライフ』で第一五回講談社エッセイ賞を受賞。『想像ラジオ』が三島賞・芥川賞候補となり、第三五回野間文芸新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


『はじめに』によると、筆者は何年か「国境なき医師団」に寄付を続けた後、2016年から世界五ヶ国の「国境なき医師団」を取材しているのだそうだ。筆者によると、「国境なき医師団」のほぼ半数が非医療スタッフで占められており、テントなりコンテナなりを建てたり、衛生的な水や電気を確保したりしているのだそうだ。言われてみれば、たしかにこうした人たちがいなければ医師や看護師の活動もできないと気付かされるのだが、当時の筆者同様、私も全く知らなかった。筆者は、これらは「国境なき医師団」の仕事のほんの一部であり、本書では、何度言われてもびっくりするような、まるで知らない「国境なき医師団」を皆さんにお伝えしたいとしている。ちなみに、「国境なき医師団」を取材するようになったいきさつについて筆者は、自分だけでなく、多くの人が「国境なき医師団」の活動の内容を知らないことを知って、「自分が取材をしてなるべく多くの方に伝える」ことを思い立ったと語っている。 

さて、そんな本書は、第一章で「国境なき医師団」という組織についての基本的知識を説明した後は、「国境なき医師団」の日本人団員7人へのインタビューと、筆者が取材した五ヶ国、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダンの現地ルポで構成されている。

このうちインタビューについて、特に、医師で現「国境なき医師団」日本会長の、初任地においてそれまでは運び込まれた赤ちゃん全員が死亡していたものが、この医師が着任してからは250人のうち150人が生き残ったものの、「100人を看取ったと思うと僕は今でも頭が狂いそうになります」という話や、「僕はいつも「助けることができた」という達成感を持ち帰るよりも「助けられなかった」という絶望感に打ちひしがれて帰ってきます」「手が届かなかった人たちのことを考え続けてしまうんです。自分はもっとできたはずだと悔しくなる」という話、さらには、日本人で初めて活動責任者となった人のやはり初任地での、「僕が衝撃を受けたのは仲間たちの姿です。…自分の国にいたらもっと快適な生活がおくれるはずなのに、治安も住環境も給料も条件の悪いところにわざわざ来て…緊急人道援助が必要な人たちのために働いている。…仲間を誇りに思いました。会社では得たことのない感覚です。ビジネスは競争やノルマの世界だったんですね。MSFの仕事をずっと続けようと思った瞬間でした」という話には、心を打たれるものがあった。 
また、残りの5人の話も、日本事務局で日本人の海外派遣スタッフの採用担当や寄付遺贈担当、あるいは実際に現地において非医療スタッフとして活動している人たちばかりなので、日本人として何らかの形で「国境なき医師団」の活動に参加したいと思っている方には参考になると思う。 

五ヶ国の現地ルポでは、それぞれの国ごとに、さまざまな理由で緊急人道援助を必要としている人たちが大勢いること、そして、自分もそうした人たちを救う力になりたいというただ一念で、国籍、職歴、年齢もばらばらの人たちが、私利私欲を捨てて、あらゆる面で過酷な現地に飛び込んできて、それぞれに必要な緊急人道援助や、ときには継続的な援助に懸命に力を尽くしていることを紹介しつつ、そんな団員たちも、決して高邁な聖人君子ではなく、一緒に飲めば愚痴や文句も言い、悪態もつく、普通の人間であるとの団員の話も紹介している。たしかに、生身の人間である以上、当然、そうした人間らしい一面があるのも事実だろうが、こうした活動は絶対に生半可な気持ちでできるものではなく、私は、彼ら彼女らには本当に頭が下がる思いしかない。 

「二〇一六年から世界各国の『国境なき医師団』を取材して(p.3)」いる著者によるルポとインタビュー。
 MSF=国境なき医師団関係の本は何冊か読んだが、それらがしばしば個人の、特定の地域でのミッションに関するものであるのに対して、本書はMSFの活動を俯瞰しており、著者は「いわばMSFの一員になるためのハウツー本(p.267)」と本書を表現する。それゆえ、著者は「より自分の感情に近い書きかたで(p.267)」書いたMSFに関する他著と違い、意識的にエモーショナルな描写や表現を排したのだろう。読んでいて涙するような部分は多くない(私の想像力の問題なのかもしれないが)。
 いくつかの覚え書。
1 MSFの「主な活動内容には、『緊急医療援助』とともに『証言活動』(p.19)」がある。
2 MSFは「傷に絆創膏を貼る(p.136)」と喩えられる緊急医療援助だけでなく、「性暴力が多発している地域に入り、生殖や女性の健康に関する啓発活動(p.8)」をするなどの長期にわたる活動もしている。
3 MSFの「海外派遣スタッフのうち、医療スタッフが五三%、非医療スタッフが四七%。なんとノンメディカルの職種が約半数を占め(p.34)」る。
4 二〇一八年度、MSF全体の活動資金のなんと九五%が民間からの寄付(p.42)」。
5 日本でMSFの求人に応募する人は「近年は特に定年退職後の方、育児をひと段落された女性などが増えている(p.65)」。


私自身もこの本の出版に少し携わっているたので多少、客観的ではないかもしれい。そのことを差し引いても、海外5か国の医療活動の現場取材とその活動に従事する医療スタッフ(医師、看護師など)らへのインタビューのほか、普段あまり報じられることがない非医療系スタッフ(資金調達、財務、人事、ロジスティックなど)の活動内容も加えられ、とてもリアルな国際援助の実態がレポートされていると思う。基本的にいとうせいこう氏の主観を通じて書かれているのだが、読者に向けてつとめて客観的(ありのまま)に伝えたいという構成と文章になっていて説得力があった。南スーダンの難民キャプや女性への性虐待など非常にハードな状況をレポートしているので、書かれている内容はかなりシビアで重いのだが、それこそがまさに「人道主義の最前線」なのだろう。このジャンルに興味のある方には是非、お勧めしたい。




黄金のアウトプット術: インプットした情報を「お金」に変える

2019年10月28日 12時11分46秒 | 社会・文化・政治・経済
 
成毛 眞  (著)

商品の説明

「勉強と教養」はもういらない! 大衆を脱出したけりゃ情報を吐き出せ。

日本の大人にはアウトプットが不足している。これからの時代、知識と教養を溜め込むインプットばかりでは損するだけだ。情報を吐き出すことで、センスが磨かれ、アイデアが生まれ、人脈が広がり、評価が上がり、結果がついてくる。そして、さらなる情報が自分のもとに集まってくる――。
知的生産の達人によるアウトプット活用法!

「情報を自ら発信して、また新たな情報を得る。あなたがやらなければいけないのは、その繰り返しだ。インプットの時代はもう終わっている。これからの時代は得た知識や情報を、カタチにできる者だけが生き残っていく。お勉強はもう十分だ。さあ、思う存分、吐き出そう」(「はじめに」より)

第1章 アウトプット時代の到来 ~インプットは、もう終わりだね!~
第2章 書くアウトプットがいちばんラク ~書ければ、必ずお金になる!~
第3章 やるほど上手くなる! 話すアウトプット術 ~説得、プレゼン、雑談のコツ~
第4章 印象を操作する「見た目」のアウトプット術 ~戦略的ビジュアルの系のすすめ~
第5章 インプットするなら「知識」ではなく「技法」 ~日常に潜む優良インプットソース~
第6章 アウトプットを極上にする対話術 ~コミュ力は今からでも上げられる~

成毛 眞 (なるけ・まこと)
1955年北海道生まれ。中央大学商学部卒業。自動車部品メーカー、アスキーなどを経て日本マイクロソフト株式会社入社、1991年同社代表取締役社長。2000年に退社後、投資コンサルティング会社・インスパイア設立。早稲田大学客員教授ほか 書評サイト『HONZ』代表を務める。著書に『面白い本』(岩波新書)、『AI時代の人生戦略』(SB新書)、『理系脳で考える』(朝日新書)、『発達障害は最強の武器である』(SB新書)など多数。

 

「とにかくアウトプットせよ」という単純明快な主旨の本。そのためのいくつかのコツが書かれている。特に書くことについて以下にまとめた。

・アウトプットはオープンな場ですべき。そこでフィードバックがもらえる
・書くアウトプットが一番ラク。苦手な人はメモでもいい。なんども寝かせては推敲することによってより良いものに仕上げていく
・小論文のように、テーマと文字数に制限をかけるのが良い
・一文の長さは短ければ短いほど良い。読みやすく
・書評をブロックわけすると以下。各ブロック100字程度。1.本の印象、2.読者の想定、3.4.中身の紹介、5.6.具体的な中身の紹介、7.著者の具体的な紹介、8.この本を取り上げた理由のだめ押し

他に、「話す」「見た目」「対話」についても書かれている。

私も含めて、アウトプット術のインプットだけで終わるのではなく、しっかりとアウトプットを続けていくことが肝要である。


文章でのアウトプットが苦手な為、もう少し自分の考えを具体的に表現出来ないかなと思っていた所、タイトルに惹かれ、この本を購入。日本の大人はアウトプットが不足してるとの事で、「今の30代後半より上の世代は、インプットにだけは長けた人が多い。」と記載があり、まさにその世代なので納得…。
文章力を向上させる為の具体的なテクニックの記載があり、すぐにでも出来そうなので、早速このやり方で訓練してみよう!と思わせてくれるような本です。
また文書でのアウトプットだけではなく、他の「アウトプット」についての記述も為になり、「アウトプット」とは処世術を極める事に繋がっていくのだと気付かされました。自己表現が苦手と感じている方も読むと良いかもしれません。

 

現代人はあんまり自分の意見を言わない。会社・学校とかだとなおさら。
意見言ったら「じゃあ言い出しっぺがやれ」とか会社や学校のバカタレが言い出すから無理も無いわけです。

だから自分の代わりに誰かが似たような意見を言っているを探して
「いいね」ボタンを押す、でも こういうしょうもない事はもうやめようと。
誰かの意見に頼らず自分の意見を言え。アウトプットをすれ。という本。

「いいね」とか「ナイス」とか「参考になった」とかは意見の発信でも何でも無くて
ただの反応に過ぎないと一刀両断している。そんな奴らはイワシの群れで、いつかAIに つみれ汁にされて終わりだと。

文中では現代人はよく文章とか動画とか見るけど、てめーで発信はしてない、そこが問題だと言うわけです
だから もうインプット偏重はやめろ、みんな文章の読みすぎ動画の見すぎ。それだけインプットしたら加工して吐き出さないとブヨブヨになると畳み掛けてきます。

発信していくと自分の価値はあがっていくし、友達もできるし、面白いぞとそういう流れです。
キンコン西野を批判してるヒマがあるならブログでも書けとそういう事です。

まぁそうなんだけど、この社会構造でその責任を読者に求めてる所がかなりマッチョだなと
もうちっと 意見が言いにくい中でどうアウトプットしていくのかという形で
現実に寄り添った対処法が盛り込まれていればもっと良かったけどキャラ的にきつそう。

序盤から口調が説教みたいな感じで おおむね濃い味なので読後は胸焼けしてお腹いっぱい感になる。2~3点


正直、タイトルを見たときはどうかと思った。
「そんなこと、20年以上前から言われているだろう?」と、単純に疑問を持ったからだ。
そう思って、この本を読んでみた。

その結果……
「これはなかなかの名著だった! 先入観を持って申し訳なかった」と反省した始末。

私もかつては、ひたすらインプットをしていたのだった。
人より成果を出すには、人よりインプットを増やす必要があると思っていたし、「これだけインプットしてきたのだから、アウトプットなんて簡単」と思っていた。
しかし、あるとき、企画書1枚すらっと書けない自分に気づいて大反省したことがあった。

この本のタイトルにはじめは疑問や先入観を持ったのも、そうした自分の「弱点」を突かれたからだった。

本書では、アウトプットとして、料理やスポーツ、趣味などの出口も挙げているが、中心はネットでのアウトプットである。
私は、ネットでのアウトプットを、あえて避けていた節があったので、この本を読んで行動を変えることにした。

Amazonでの行動についていえば、Amazonレビューのプロフィールを、開設まもないブログとFBに連結することにした。
なんてことないかもしれないが、この本を読んだことで、私もそんな小さな一歩からアウトプットを広げてみようと思ったのは事実。

そんな感じで、何か自分でも新しい行動を起こしたくなる、人を動かす本だと思う。


インターネットが登場してからその情報量は膨大になり、その真偽を見極めるのも大変な超情報化時代になった今、
アウトプットの大切さとその価値を改めて考えさせられました。
たしかにアウトプットをすることで、誰かに伝えようとする時、情報は整理され自分の血となり肉となりそこまでが真のインプットなのではないだろか?と思った。
内ではなく外に拡散していくことで、自分の周りにも確かに人生が激変した人もいるし、自分では気が付かなかった新たな一面が引き出され、タイトルの通りインプットした情報をお金に変えることに成功した人も多い。
今の時代には非常にマッチしたテーマと内容だと感じると共に、自分もこの本に背中を押された一人です。
何でも良いから、アウトプットしてみれば多かれ少なかれ、そこには必ず読者が存在するのだから。


私は成毛さんをFBでフォローしていて、テクノロジー情報をはじめ、幅広い分野の情報源となっている。
気持ちよいほど好き嫌いもはっきりしていて、「ああ、なるほど」といつも感心することしきり。
FBでいろいろ発信している理由というか、根幹の考え方が分かり、なかなかためになった。
リアルで会うと次から次に話題の尽きない、引出しが多く頭の回転が速い人物なのだろうと想像できる。

※116頁の「ネイティブな存在」は「ネガティブな存在」の誤字かなと思いました。
 校閲や編集の話なども細かくあったので、ちょっと驚きました。


非常に歯切れ良いです。
この著者の持ち味だと思いますが、すらすら読めます。
どんどんアウトプットすることの大事さが、ビンビン伝わってきます。

歯切れよさ、快速さの裏返しでしょうが、「勉強と教養はもういらない」とか「インプットはもう終わりだね」「書ければ、必ずお金になる」は言い過ぎかと思います。
勉強、教養、インプットは必要です。
樺沢紫菀氏の「アウトプット大全」も併せて読みましたが、あちらはインプット:アウトプット=3:7がよいということでした。それくらいが妥当な線かと私は思います。
また、書けてお金になるのは著者くらいかと思います。

自慢話も面白いのですが、鬱陶しく感じるところもままあります。





 

 
 
 

学びを結果に変えるアウトプット大

2019年10月28日 11時57分19秒 | 社会・文化・政治・経済

樺沢紫苑  (著)

内容紹介

発行部数40万部突破! Amazonビジネス実用カテゴリー1位! 
説明・アイデア・雑談・交渉など……
すべての能力が最大化する。

日本一情報を発信する精神科医が贈る、
脳科学に裏付けられた、伝え方、書き方、動き方


「メルマガ、毎日発行13年」「Facebook、毎日更新8年」
「YouTube、毎日更新5年」「毎日3時間以上の執筆11年」
「年2~3冊の出版、10年連続」「新作セミナー、毎月2回以上9年連続」
……日本一アウトプットしている医師である、ベストセラー作家・樺沢紫苑が
圧倒的に結果が変わる「アウトプット術」を大公開。


<CHAPTER1 アウトプットの基本法則【RULES】>
■アウトプットとは? アウトプットの定義
■アウトプットの基本法則 
■アウトプットの6つのメリット 他

<CHAPTER2 科学に裏付けられた、伝わる話し方【TALK】>
伝える/挨拶する/雑談する/質問する
依頼する/断る/プレゼンする
議論する/相談する/ほめる/叱る
説明する/自己紹介する 他

<CHAPTER3 能力を最大限に引き出す書き方【WRITE】>
上手な文章を書く/速く文章を書く/文章を構成する
速く入力する/気付きをメモする/ひらめく
ノートをとる/構想をまとめる/プレゼンスライドをつくる
引用する/要約する/目標を書く/メールを送る 他

<CHAPTER4 圧倒的に結果を出す人の行動力【DO】>
続ける/教える/集中する/チャレンジする
始める/やってみる/楽しむ/決断する/率いる
笑う/泣く/「怒り」をコントロールする
眠る/運動する/危機管理する/時間管理する 他

<CHAPTER5 アウトプット力を高める7つのトレーニング法【TRAINING】>
その1■日記を書く
その2■健康について記録する
その3■読書感想を書く 他

出版社からのコメント

「自分の意見をうまく伝えたい」
「交渉や営業が得意になりたい」
「いいアイデアが浮かぶようになりたい」
「仕事や勉強の成果をもっと出したい」
こんなふうに思っている方は多いのではないでしょうか。

実は、たくさん本を読んだり、セミナーを受講したりして「インプット」しても、
「アウトプット」の方法を間違えていると、自己成長することはできません。
なぜならば、それが脳の仕組みだからです。

本書では、「日本一アウトプットをしている精神科医」である著者が、
数万時間を越える「アウトプット経験」をもとに確立した、圧倒的に結果が出る「アウトプット術」。
そのすべてをお伝えしていきます。

著者について

樺沢紫苑(かばさわしおん)

精神科医、作家
1965 年、札幌生まれ。1991 年、札幌医科大学医学部卒。2004 年からシカゴの イリノイ大学に 3 年間留学。帰国後、樺沢心理学研究所を設立。 
SNS、メールマガジン、YouTubeなどで累計40万人以上に、精神医学や心理学、脳科学の知識・情報をわかりやすく伝え、「日本一、情報発信する医師」として活動している。
月に20冊以上の読書を30年以上継続している読書家。そのユニークな読書術を紹介した『読んだら忘れない読書術』(サンマーク出版)は、15万部のベストセラーに。
その他、『いい緊張は能力を 2 倍にする』(文響社)、『脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術』(大和書房)など、28 冊の著書がある。

出版社より

インプット アウトプット 比率

最新の脳科学でわかった!

説明・アイデア・雑談・交渉など。

すべての能力が最大化する、脳科学に裏付けられた

伝え方・書き方・動き方。

 

あなたの成長を加速させる80の方法を図解で紹介。

雑談 濃度 職場 家族 雑談時間

記憶 定着 記憶の定着 方法 自己成長 教える 勉強 勉強法

手書き 効果 手書きの効果 記憶の定着 記憶 アイデア アイデア出し アイディア アイディア出し

雑談は、“長く話す”よりも“ちょくちょく話す”

心理学法則「ザイオンス効果」によると、雑談は“内容”よりも“回数”が重要です。

「気の利いた話をしなくちゃ」と悩むよりも、何でもいいのでこまめに声をかけましょう。

自己成長に最も効果のあるアウトプットは“教える”

「読む」「講義を受ける」など、記憶の定着率を方法別に調べたところ、最も効果の高いのが「他人に教える」でした。

人に教えることを前提に勉強するだけで、学びの効率は大幅にアップします。

タイピングよりも手書きの方が、成績も上がるしアイデアも出る。

プリンストン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校の共同研究で、タイピングよりも手書きでメモをした方が、成績、記憶の定着、アイデア出しにおいて優れた結果が出ることが明らかになりました。効率よく学ぶには手書きをうまく使いましょう。

 
 

 

 

 
 

法医学の目 虐待見逃さない 傷の原因を見極め/人手不足が課題

2019年10月28日 11時46分06秒 | 野球

2019/10/4 西日本新聞 

川口 史帆

 拡大法医学者と児童相談所連携の仕組み

児童虐待が深刻化する中、遺体解剖のイメージが強い法医学者が関わり子どもの命を救おうとする取り組みが始まっている。傷やあざから原因を特定する専門性を生かし、虐待が疑われる子どもの早期保護や支援につなげる。6月に成立した改正児童福祉法では、2022年4月から全ての児童相談所に医師の配置を義務付けるなど、医療との連携は欠かせなくなっている。児相関係者は「虐待の見逃しを防ぐため、科学的視点で助言をくれる心強い存在」と期待を寄せる。
 

      *

 「園児の顔にあざがある」。長崎県内の保育施設から、長崎市の県長崎こども・女性・障害者支援センター(児相)に通告があった。幼児は「パンチしたの」と話すばかりで要領を得ない。児相は虐待を疑い、幼児を一時保護した。父親は「寝ぼけて家具にぶつけたのだろう」と説明したが、児相は不審に思い長崎大法医学教室に連絡した。

 幼児のあざを確認した法医学者の意見は「歩いている時に打ってできるものではない。押されたり蹴られたりした反動で何かにぶつかるなどしてできた可能性がある」。大人の力が加わっている疑いが強まった。児相は身体的虐待があったと判断して支援を継続。定期的に面会する中で、父親は暴力を認めたという。

 近所の住民から「泣き声が激しい」と通告を受けた別のケースでは、児相職員が保育施設で幼児の体を確認すると、あざのような皮膚の変色が複数あった。写真を撮り、同教室にメール送信。法医学者が写真を見た上で、施設に駆け付け目視すると、あざではなく悪化した湿疹と分かった。

      **

 今年6月に札幌市で2歳女児が衰弱死、8月には鹿児島県出水市で4歳女児が溺死した事件があった。児相などの行政機関が傷やあざを把握しながら一時保護につながらず、幼い命が失われるケースは後を絶たない。幼児は自ら説明できず、学齢期でも親から口止めされたりかばったりして虐待の痕跡を隠そうとしがちだ。大人が正しく見極める必要があるが、児相職員も含め経験が十分ではない。

 見逃しを防ごうと、長崎県では約10年前から長崎大法医学教室と2カ所の児相が連携し始めた。病院や保育施設などから通告を受けた児童相談所が判断に迷ったら、法医学者に傷の写真を見てもらったり、目視で確認してもらったりする。昨年は22人、今年は8月末までに17人の子どもが対象になった。

 「軽傷で『自分でぶつけた』などと保護者に流ちょうに説明されると、職員は納得してしまいがちだ。法医学者の科学的な見解があると、確信を持って支援や保護を始められる」と柿田多佳子・同センター所長(60)は意義を強調する。同教室の池松和哉教授(48)は「子どもは傷の治りが早く、悠長に様子を見ていては虐待の兆候を見落とし、支援のタイミングを逃してしまう。親子を支えるきっかけになれば」と話す。

 福岡市こども総合相談センター(児相)も、九州大と福岡大の法医学者に診察を委嘱する形で同様の取り組みを行い、昨年は26人の子どもについて意見を聞いた。福岡県久留米児相(久留米市)や同県大牟田児相(大牟田市)なども年に数件、法医学者の力を借りることがあるという。

 千葉大病院(千葉市)は昨年7月、児相や警察が虐待の疑いで保護した子どもを法医学専門の医師が診察する「臨床法医外来」を、全国で初めて開設した。

     ***

 今年3月に閣議決定された新たな虐待防止策には、児相と法医学者などとの連携強化も盛り込まれた。ただこうした取り組みを全国に広げるには課題がある。

 日本法医学会によると、司法解剖などの実務に携わる法医学者は約200人。警察が、18年に事件事故や自殺で死亡し「異状死」として取り扱った遺体約17万体のうち、死因究明のために解剖されたのは約2万体で約12%(警察庁調べ)。“本業”も十分カバーできていない中で、「虐待予防に人手を割く余裕はない」との声が現場から上がることもあるという。

 児相に協力している同学会前理事長の池田典昭九州大教授(63)によると、親が「風呂場で熱いお湯がかかった」と説明しても、服の上から熱湯をかけなければできないやけどの特徴が見られたりする。傷痕から受傷の経緯を分析するのは、小児科医や外科医では難しい。池田教授は「まず人手不足を解消する必要があるが、命を救うために法医学ができることはたくさんある」と話している。 (川口史帆)


ウッズが日本で偉業達成 史上最多タイの82勝 松山英樹は2位

2019年10月28日 11時25分25秒 | 社会・文化・政治・経済

 PGAツアーのZOZOチャンピオンシップは28日、千葉県のアコーディア・ゴルフ習志野CC(7041ヤード・パー70)で順延となった最終ラウンドが行われ、タイガー・ウッズ(米)がツアー通算82勝目を挙げ、サム・スニード(米)が持つ史上最多勝記録に並んだ。

【動画】最終ホールでバーディパットを沈めたウッズ ZOZO チャンピオンシップ最終日

 前日は3バーディ、1ボギーと2つ伸ばし、後半11番を終えたところで日没サスペンデッドが決定した。ウッズは再開後の12番でボギーを叩くも14番、18番でバーディを奪い、トータル5バーディ、2ボギーの「67」を記録し、通算19アンダーで勝利した。


 後半13番から再開した松山英樹は16番でバーディを奪うもトータル5バーディ、2ボギーの「67」。通算16アンダー単独2位と、2017年のWGCブリヂストン招待以来のツアー通算6勝目とはならなかった。

 ローリー・マキロイ(北アイルランド)、イム・ソンジェ(韓)が通算13アンダー3位タイに入った。

 松山以外の日本勢は、小平智が通算2アンダー37位タイ、大槻智春が通算イーブンパー46位タイ、石川遼、星野陸也が通算1オーバー51位タイ。

 香妻陣一朗は通算2オーバー57位タイ、今平周吾は通算3オーバー59位タイ、浅地洋佑は通算4オーバー63位タイ、堀川未来夢は通算9オーバー72位タイで大会を終えた。

 ジャスティン・トーマス(米)は通算7アンダー17位タイ、ジェイソン・デイ(豪)は通算6アンダー22位タイ、アダム・スコット(豪)は通算3アンダー33位タイとなった。

 



 



バグダディ容疑者、米軍に追い詰められトンネルで子どもと一緒に自爆か トランプ大統領発表

2019年10月28日 06時15分10秒 | 社会・文化・政治・経済

10/27(日) AbemaTIMES

アメリカのトランプ大統領は27日、ホワイトハウスで演説し、アメリカ軍がシリア北西部で過激派組織「イスラム国」の最高指導者であるバグダディ容疑者を標的にした軍事作戦を実施したと発表した。



 

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