tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

国家間の距離感

2010-06-08 12:49:40 | 日記

いや・・・。だからさ。

だいたい。中国や北朝鮮とは仲良くしなければならないと言っておいて、どうしてアメリカとは反目するべきと言った主張に至る訳?

交渉が重要だと言うなら、それは全てにおいて交渉が重要なんですよ。仲良くすることが重要だと言うのなら、それは全てにおいて仲良くすることが重要なんでしょう。

「アメリカの言い分だけ聞く必要はない。」なんて言えないですよね。中国や北朝鮮の言い分を聞かなければならないと言うなら、アメリカの言い分だって聞かなきかなければならないんじゃないですか。

程度の問題。良好な距離感と言うものがあるはずです。そこを追及するべきであって、二元論化すること自体がおかしいんです。それでは単に対立を煽っているに過ぎない。

交渉の席に引っ張り出すと言う表現もありますよね。相手が交渉に乗ってこないなんて言うのは、こちら側の能力の問題でしょ。




思想的と言うか、まぁ、観念でしょうね。一歩も引けないから、交渉すらできないって話なんでしょうけど、一歩も引けない人が、ほら、どこぞで戦争をやってますよ。そんなものに組することが、本当に本意なんですか?




抑止力云々。間違って消しちまった。再投稿。加筆もしています。

2010-06-08 01:44:01 | 日記

いっけねぇ・・・。消しちまった・・・。再投稿です。加筆もしています。


アメリカが絡む【軍事的抑止力】肯定派・否定派、議論による極地戦をやっているようですけど、そもそも、「自分が正しい。」と押し付けの主張をしているだけで、議論による統合的な結論なんて求めてはいないんでしょうね。

肯定派と言うのは大方、アメリカ、NATO、その他、軍事同盟、また、関連の主張をするシンクタンクなどの見解を援用しているものなのでしょう。否定派は、そう言った国際的に軍事的抑止力を肯定する側を納得させられるだけの見解であるかも問われるんでしょうね。

抑止力の議論なんて言うものは、否定派が肯定派に向けて放ち、肯定派が否定派に向けて放っているに過ぎなくて、国民に向けている訳ではないようにも見えます。

結局は、単なる論争でしょう。相手を屈服させたい、それが行動の原動力のように感じる。論争である以上、重要なのは、見る側がどう判断するかですね。





軍事的抑止力なんて相手があって成り立つものなのだから、例え、専門家であっても、その見解は推測の粋を出ないでしょう。元々、そう言うものなんじゃないですか。

・・・まぁ、そもそも、軍事に関するものなんて秘密にされている部分が多いですよね。否定派と肯定派のみならず、例え、肯定派同士でも論者によって見解が違ってくるのは当たり前だと思うんですけど・・・。

「アメリカは実際の作戦の詳細を公表していないから抑止力にはならない。」なんて、安易な結論に至る人は流石にいないと思いますが、例えば、「実際の作戦行動なんて、公表すれば対処されることになるかもしれない。」なんて言う解釈は誰でも容易にできることですよね。

それに有事なんて流動的で、実際に発生した後に対処する作戦が練られるなんてこともあると思います。また、政治的配慮もあるでしょう。

日本いついて言えば、ハニトラ云々、情報朗詠が指摘されることだってあるし、9条と言う特殊な事情があるのだから、其々の部署内であれ論争に発展する可能性だってあるはずです。

情報朗詠は言うに及ばず、論争になれば、動きも出るだろうし、その動きが大きければ、マスコミが嗅ぎ付けることにもなるでしょう。

つまり日本への軍事的情報の開示は、その命題が明るみになる可能性を往々に孕んでいて、命題が明らかになれば、相手方にも作戦の動向が示されたも同じなると言うロジックの組み立ても成り立つと思います。

日本への軍事的情報開示は「危険を犯す。」と判断する可能性もあると思える。そもそも、日本防衛に特化したものでないなら、日本は必ずしも共同防衛に参加する訳ではないでしょう。

更に9条の制約もある。周辺事態法も範囲が曖昧ですからね。「その他、危険を犯してまで、日本側に詳細を明らかにする必要はないと判断した。」としても、それほど不思議ではないと思います。



〔全てが明かになってはい〕〔明かにできないものもあるだろう。〕この辺は素人目から見ても辿りつく答えでしょう。だからこそ裁判所の判断を前提に情報開示に関する法律なんて必要になって来たりするんじゃないですか。

【軍事的抑止力】なんて言うものは、抑止の対象が、相手の軍事力、戦力投射能力、同盟・協定、また行動の表明を見て詳細に分析して推測し、ある結論に至る。「ここを攻めれば、相手は、こう動くだろう。その選択肢がある以上、目的の達成は困難。」、そんな駆け引きが往々にあって成り立つものだと思います。

また、分析の末、「ある程度、能力があることは確認できるが、どう出るか解らない。」であっても、相手は安易に動けないと言うこともあるでしょう。

そもそもにして、〈ハリボテ〉だと言う可能性だってあるんです。単に〔敵性の言い分を『鵜呑み』にして〕思い止まっているなら、ハリボテをたくさん揃えれば良いんですよ。でも、実際は、それでなんとかなるものではないですよね。当然として情報収集しているでしょうから。

相手は、単に〔敵性の言い分を『鵜呑み』にして〕〈思い止まっている〉のではなくて、《敵性の戦力や動向を詳細に分析して、ある結論に至り》〈思い止まってる〉んでしょう。

将棋の対極で【先に自分の手を明かす】人なんて、まずいないはずです。それでも相手は、何手か先を読んで指してはいけない場所を判断するのでしょう。当然、【分析】ができることが前提になる。

例え、相手が沈黙していても検証はできるはずです。戦略上の問題もあるのに「具体的な作戦行動を表明しないから抑止力にならない。」なんて結論は流石に安易だと思いますよ・・・・・・。



だいたいにして、「日本の自衛隊を、日本政府を、アメリカが軍事的なパートナーとして信用すると思うのか。」と問われれば、俺からして、「まぁ、信用に足らない部分は往々にしてあるように思うね。」と答えるしかないですね。

あの北朝鮮のミサイル発射の時もそうでしたが、アメリカ側から自衛隊、日本政府への情報開示の不完全さが取り正されることも多い。つまり、そもそもにしてアメリカは、全ての情報を日本と共有して妥当だと判断しない場合も多いのだと思います。

秘密の厳守が必要なら、今の日本には明かせないものがあるはずです。結局、日本はその程度なんじゃないですか。だからこそ情報の共有を更に進めるために日本の中で双務化が主張されたりするんだと思いますよ。

以上のことから、情報が開示されていないことを理由に「アメリカの陰謀だ。」「抑止力にならない。」と言う結論に至るのは、あまり妥当だとは思えません。

ただ、それを裏付けるに足る、アメリカ側の公文書なり、内部文書なりが開示されるのなら当然として見解は変わります。

それでも、沖縄米海兵隊が主体となった戦略についてのみの話であって、アメリカとの良好な関係を前提にした抑止力を主張する肯定派。「内容はどうあれ、アメリカとの関係を悪化させるのは避けるべき。」って話なら、大きな影響にならないと思いますけどね。

更に言うなら、肯定派って、そもそも「沖縄米海兵隊は直接的に日本防衛を果たしている訳ではない。」としている人が多いんじゃないですか。




まぁ、抑止力云々の話に戻れば、相手が敵性を分析できない、また分析しない場合もあるでしょうね。そう言った相手には軍事的抑止力なんて意味がないものでしょう。

例えば、テロ攻撃。そんなものに対処できるのは、そもそも軍事的〔抑止力〕ではなく、直接的な軍事による殲滅とか、国内における警察力とか、交渉その他を前提にした政治的な効果なんじゃないですか・・・。

因みに、現在の日本政府は、テロ根絶法案云々と、どちらかと言うと交渉その他の政治的な効果を主張していますよね。

俺個人の意見を言えば、対テロに関して、軍事的オプションに重きをおくよりも、法と理性に基づいた方策、武装解除・動員解除・社会復帰、更に農業・産業支援などを介して対象の生活の安定を即し、また、麻薬産業などの悪果からの転換を勧め

そう言った作用により当時国民自ら統御感を獲得させ自ら安定に向けた足並みを揃えて行くよう作用するべきだと思っているのですけどね。そうすることでテロリストに組する人々を減らしていく・・・。これだって【抑止効果】であって、【抑止力】と判断されても不思議ではない。


予防外交を【抑止力】と表現する人もいるんです。元々【抑止力】なんてものは、〔固定的な概念〕として《定義》されるものではなくて、其々の『抱く抑止象』が如何に妥当か否かで判断されるものなんじゃないですか。

例えば、ワインバーガー元国防長官が言ったとされる「沖縄の海兵隊は、日本の防衛にはあてられていない。それは米第七艦隊の即応海兵隊をなし、第七艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される。」、なんて主張。

俺からすれば「あぁ、そうだろうね。で?」と思う。何故なら〔アメリカの抑止力〕に対して肯定的な人が抱く〔必要性を構成〕するだろう要素は、そんなこととば別次元のものだと思っているからです。

そう言ったものも諸々含め「なるほど、そう言った見解もあるだろうね。」とは思うが、抑止力肯定派の主張を完全否定できるだけの根拠には未だ出会ってません。そもそも、性質上、三段論法的なロジックの組み立てで完全否定できるものではないと思ってます。






嘘はつけません。俺は、例えば「日米の良好な関係が抑止力なんだ。」って主張を否定できないなら否定できないことを前提に考えます。

まぁ、それでも俺は沖縄米海兵隊に関して、アメリカの抑止力必要派ではないですけどね。それほど拘るべきものとも、「抑止力があるから、辺野古に移設して当然だ。」とも思っている訳でもなくてさ。

《覚悟》の問題としたのも、それ。「日米の良好な関係が抑止力だ。」って見解を否定はしないと言うことを前提にして、基本的に沖縄の米海兵隊は日本防衛に特化したものではなく、間接的であって、主に台湾有事用であり

更に、基地の存在そのものは、台湾、朝鮮半島、東アジア、中東などなどなど、関係地域に対しての政治的見地も含めたアメリカの影響力の安定が主だろうと思っています。それを完全否定するだけの根拠に出会っていません。

アメリカによる軍隊の駐留・進出において、軍事的、また経済的な影響力の維持・確保と言うベクトルは、アジアの軍事大国としてその存在感を一層増して行っている中国の影響もあるでしょうね。アメリカを中心とした西側諸国の影響力を維持するためには、中国による東アジアでのリーダーシップの確立を阻止しなければならない。

今までは、アメリカによる軍事・経済・安全保証上のプレゼンスは〔日本に利する。〕と判断されて来たんじゃないですか。鳩山元総理の主張の変化とは、そう行ったところも関係しているのでしょうね。

つまり、日本とアメリカとの〔持ちつ持たれつ〕の関係が成り立っている。であるなら、日米関係の良好な維持は「アメリカにとっても必要なこと。」と言う見解に達することもできるはずです。

日本が位置的に必要なら、アメリカは日本との徹底的な対立を避けなければならない。よって日本が強行姿勢を見せれば、最終的にアメリカが折れざるを得ない問題だろうと楽観的に思考しています。

日本との関係を必要としてるのはアメリカも同じなのでしょう。基地の海外移設に絡み一時は日本との関係が悪化したとしても、何れは良好さをアピールせざるを得ないだろうと言うロジックですね。

更に、抑止の対象に対するアピールとして、穴を埋めるのに自衛隊を主張すれば良いとしています。

例えば日本領内に進入して来た中国の艦船に対しての対処で、叩き、更に中国本土を占領し沈黙させるなど流石のアメリカでもやらないでしょうし、やれないでしょう。アメリカが用いるのも押し返す力であるはずです。

従って押し返す力を持つ自衛隊の増強は妥当な選択だと思います。更に、その後の自衛隊の縮小、拡大、現状維持は日本国民独自の判断が可能になるでしょう。

但し、個人の思い、内心の表明ですから、押し付ける気はありませんよ。


次に、台湾有事に関して言うなら、空爆とミサイルによる限定攻撃や海上封鎖などは沖縄の米海兵隊の規模・装備、オスプレイでの《即応》の範疇から逸脱しているんじゃないですか。

まぁ、強襲揚陸艦で行くとか、第7艦隊、海兵航空部隊、海軍航空部隊が最初から出るべき事態でしょう。沖縄米海兵隊、単独規模でオスプレイでの《即応》では対処できない場合もあるはずなんです。

あくまでも限定的に周辺事態に対する《即応》についてのみ問うなら、「そのパッケージが必要だと言えるのか。」と言う疑問があります。



素人考えですので当然否定されると思いますが、西太平洋、インド洋などなど他地域への展開・影響力なら、位置的問題として別の場所でも補うことはできるはずなので、それは除き。

是々非々に沖縄周辺でオスプレイでの《即応》に特化しなければならないなら、例えば、訓練は他所、実働は、オスプレイを搭載でき、更に継続的な整備と宿泊が可能なDDHや軽空母を必要量新造してホワイト・ビーチを主体とし、嘉手納、佐世保と連携しつつ、艦船による小規模部隊の展開を模索する方向性だってあったんじゃないかと思うんですよ。

また、アジアにおけるアメリカのプレゼンスと言う観点から言えば、日本としてもアメリカとの決定的な対立は避けた方が利するとも言えるでしょう。従って、交渉と言う手段において対処するべきとも言えるのかもしれません。

アメリカが、どうしても基地が必要だと引かないなら互譲案として、過去に考察された〔MOB〕〔サブセミ式、またポンツーン式・メガフロート〕〔重力着底型プラットフォーム〕などを生活圏からできるだけ離れた海上に建設すると言う手もあるんだと思います。

そうですね。例えば、MOBなら、日本政府による今後の交渉や周辺情勢、国際情勢の変化で、他所への移動も可能。そう言った海上基地への移設と言う方策を採れば沖縄の基地負担は大きく軽減されるでしょう。

更に言えば、海上基地の有効性が証明されて行けば、日本における他の米軍基地も、順次海上に移して行くと言う方向性だって見出せるはずです。中長期的展望から言っても、日本にとって利になると思います。



まぁ、全面的な国外移設、単に「出て行け。」でも、もし、アメリカが、それを飲むなら、何か別の戦略があると言うことでしょう。なんの戦略もなく日本を言い分を飲むような国ではないはずです。

どうしても出て行かなければならない状況に追い込まれるなら、無理にでも措置を捻り出すでしょうね。何か代替的な措置があるから日本の言い分を飲む。

その後は、それこそ《覚悟》の問題で、肯定派が主張するような、何らかの問題が起き、軍事的のみならず経済的にも日本に損害が出ることになっても、それは日本の自己責任で対処するべき問題になったと言う程度の話です。

「抑止力が必要だ。」云々の話は、要するに国益が失われるか否かの問題。「全て自己責任でやって行くよ。」と言う《覚悟》が持てるなら、アメリカがどうこうなんて別に気にする程のものないのかもしれません。

総じて、沖縄海兵隊の問題は《覚悟》で乗り切れる程度の抑止効果だと思っていると言うことになります。






まぁ、何故に「抑止力・抑止力。」と執拗に言っているかの根底を言えば「日本が今後どうするかと考えアメリカに頼らないと言う選択をした場合において9条改定を否定するなら、抑止力云々は絶対にぶつかる問題であって、アメリカの政治的抑止力・軍事的抑止力の存在を認めるからこそ、周辺国に対して自らの国益を極力守りつつ不可侵を旨とした条約・協定を締結しようとする強い動機になるんだ。」って思っている訳です。

国益が守られ、そして安定するなら、それに越したことはないでしょう。国家は国益重視です。交渉である以上、互譲は許容するべきだが、一方的な譲歩は論外。国民が個人の権利を委譲しているのだから、そうでなければならないよね。

「自らの国益を極力守りつつ、交渉する。」なんて相当に難しいんじゃないですか。極めて強力な動機がなければ困難な交渉は乗り切れないと思います。

アメリカの抑止力否定派って引いては「日米の良好な関係が必要だ。」って主張をも否定すると言うことでしょう。アメリカは抑止力にならない。アジアの安定に寄与しないなんて考えたら、アメリカを追い出して今のままで良いって思うだけなんじゃないですか。

抑止力が存在していないと言うことなのに不可侵を旨とした条約や協定を是々非々に締結する動機になると言うのはおかしいよね。上辺だけで言っているだけにしか見えない。そう言う主張は一線を感じます。








まぁ、沖縄海兵隊の抑止力については、もう、この辺で良いかなぁ。俺の考えは「抑止力云々は否定しないが、沖縄の負担軽減を優先するべき。」で変わらないし、もう全て書いたし、何も出ません。

肯定派は既存の考えを引用しているんでしょう。俺としてはアメリカ、その他、また、それらを支えるシンクタンク云々、その辺を納得させられるだけの論拠は見出せないしね。

そう言えば、色々とサイト・ブログを見てきたけど、肯定派も否定派も主張を纏めたりはしているが、目新しいものはないですよね。以前、2年くらい前かな、某掲示板で議論していたころと対して変わらないみたいです。結局、焼き直しなんですかね。新しい要素もないようだしさ。


まぁ、其々、立場で色々あるだろうが、左派の主張は左翼的だし、右派の主張は右翼的。同じ事柄について分析しているのでしょう。最初から真実を追究する姿勢があるのなら、共通点が出てきて当たり前ですよね。なのに見解に全く相容れないような大きな差が生じるっておかしくないですか。

つまり、互いに、または一方が真実を追究している訳ではなくて、自分が抱く結論が正しいことを証明するためだけに論を積み上げているのでしょう。こうなってくると、右翼だの左翼だの自称している人さえいますが、政治思想が強い人の主張って、そもそも信ずるに足るのか、それさえも疑問になってきますね。

人は正しい方を選択するのではなくて、選択したい方を選択するんだと思います。その実は、第三者から見て、どっちが絶対的に正しいなんてことは言えなくて、結局、何を信じるか否かの問題だろうなぁ。

当然、俺も、その内にある訳なのだけど、そもそも俺の言っていることなんて大した意味もないです。



最後に、根本的な話をすれば、俺は夢想家で観念論者ですから、そんな抑止力があるとかないとか、そんなことに拘るよりも重要なことがあるとも思っているんです。

軍事とか政治とか興味のない一般の国民が抱くのは権威主義的と言うか、ある主張を受け入れるか否かと言った程度の問題なんじゃないですか。世論調査などを見ていると、そんな気がします。

その実は「実際に検証した答えではないんだ。本当はあるとも、ないとも、明確には言えないんだ。」と言った程度の極めて曖昧な思いに支配されているものだと感じますね。

例えば一部マスコミは【軍事的抑止力】をあると言うが、一方、同じマスコミでも懐疑的な見解を示すものもある。更に言えば絶対と言えるだけの結論が出ている訳ではないでしょう。

世論調査の結果とか、そう言ったものは、個人が抱くリアリズムだなんだ言うものではなく、もっともっと素朴な、思い遣りとか、心配りとか、そう言った人間的な良心が思いが中心になっていると思います。

一事が万事と言うのは往々にしてあるもので、自己正当化のために、例え言葉であっても、相手を屈服させたいとか、他を暴力的に攻撃することを妥当だと思うような人が、それなりの力を持てば何れ世の中に混乱をもたらすでしょう。

国民が抱く、素朴な良心に優しさを持って語りかける、そんな論者に俺は好感を持ちますね。

実現可能か否かは別として、責任を他に求め、我慢をさせない欲望をかなえる主張は人の希望を刺激するから案外簡単なのだが、その実、人は欲望を抑え我慢をしなければ世界は変わりはしないでしょう。

我慢が前提の事柄なら、人の心に訴えるしかない。結局、世界を変えて行くのは、理路整然としたロジックではなく、良心に基づいた人の素朴な思いだと思うんですよ。




俺には、ないものですから、憧れるし、惹かれるんです。