tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

参議院選挙の争点

2010-06-29 14:04:39 | 日記

参議院選挙の争点ね・・・。

個別には問わない、まぁ、総論的に言うけどね。何れにしても、おっきい政党さんは、微修正的な表現はあるものの、極力抵抗が少なく実現出来ることをやろうって言うのが路線のようだね。

「実現可能な!!」云々、当たり前のように言われるけど、結局、それって自ら、また他者であれ過去の行動・言動から起きた現象の中の何らかの前進的な変化があった部分だけを切り抜き、あたかも独自案であるかのように言っているに過ぎないんじゃないの。

つまり、その切り抜いた部分は、ある意味の成果と言える部分が認められるから、全く新たな独自の発想よりも動向を予測しやすい。だから現在に当て嵌める作業をしてもリスクが少ないって話でしょ。

自らではなく他者であれ過去に実際に起きたことなら実現し易いのは当たり前の話。結果が出ずに「迷走している。」なんて批判は確かに防げるんだろうけど、でもさ。それ以前の約は元々国民の利益になると思うから主張したんでしょ。だったら方向性や理念は一貫するべきだよね。

例えば、「現実的な修正から短期から中期に、中期から長期に期限を延ばしました。」また「一貫した理念の元、現実的な観点から、当初の案から修正し、別の形での同等の効果を模索しました。」なんて言うのなら話は解るけどさ。

「主張を180度変えて!!」なんて批判が出る状態。そう言うのどうなの。理念重視か、単なる達成重視かの違いがあるだけで、どっちにしても何らかに迎合しているだけだと思うね。

「主張を大幅に変え、現実路線を選択した。」なんて指摘が出るのは、言うなれば「当初の思いを現実に当て嵌めようとする作業を止めました。」ってことだよ。当初の方向性や理念すらも覆して実現しやすいものを単に選択したってことでしょ。

国民の思いを散々利用して党を太らせたくせに、その恩恵にどっぷりつかる議員が、今更、大衆迎合を非難する姿勢って何よ。言葉には出さないけど、つまり「国民は愚かなのだから。」ってことが言いたい訳でしょ。

あれさ。ポピュリズムはネガティブな意味合いだけじゃないよね。ポジティブな意味合いもある。そもそも民主主義の下支えになっている面もあるんじゃん。それすらも否定するのは国民の思いを否定しているに等しいよ。

おっきい政党さんの主張は何れにしても大した違いがなくなりました。どんぐりの背比べ的でさ。現実路線とか言う主張は共通し始めているよね。これ。国民は何を選択の材料にすれば良いんだと言うことでしょ。やっぱり顔とか知名度な訳かい。

彼等の言う現実路線って、結局のところ、《思いを現実に当て嵌める作業を止めても実現できるもの》だってことだよね。つまり事例が存在するもの、人類の経験則からの導きじゃない。ならば過去から今までの道筋を、また辿るだけの話なんじゃないのかなぁ。もし、そう言うことなら、多くの国民が求めるような変化は期待できないってことだろうね。





現実路線なんて方向性が免罪符だと思っているのでは日本の未来は暗いね。人が作用し現れ起きた事象には、その因果がある。ある時点で成果があったとしても、その先に失敗があることだって往々にしてある訳さ。

単に、過去の前進的な変化があった時点を切る抜き、それを現在に当て嵌めるだけでは世の中は良くはならない。成果を強調するよりも過去の負から学び、その負を解消するよう正面から挑むことの方が何倍も重要でしょ。

負から学び、新たな方向性を打ち出すってことは、今までの柵を絶ち切る作業が必要になってくる。柵、要は、多くから見て失敗と言えるような状態であっても、それから恩恵を受けている人はいるんだよね。それに権力が伴なえば、伴なうほど抵抗は厳しくなるってことさ。

権力者だからこそ影響力を持てる。その影響力が行き付く所、多くの国民に負をもたらしているのなら、そこに大きな変化をもたらそうとするほどイバラの道な訳でね。中々成果が出ないなんて当たり前。

んで、政府ならイパラの道を歩くために民意の後押しが必要になるんだけど、それはいつ吹っ飛んでもおかしくない状態。選らんだ俺達の側にも忍耐が求められるのに、国民は気が短い。

民主主義は金と時間がかかるんだと言われているよね。政治的側面だよ。本来、ものによっては何十年と長い時間をかけての交渉なり、対処なりが必要なものばかりのはずなんだけどさ。それでも期待が大きければ大きいほど国民は早期の成果を求めるよね。

んで、中々結果が出なければ国民は納得できなくなり、支持率急降下。それが批判者の後押しになり、批判者は、それを根拠に混乱を作り出す。そして混乱は更に成果を遅らせる。こりゃ、負のスパイラル。だから過去の一時的成功体験に則った現実路線なんて方向性になるんでしょ。

誰が見ても目くそ鼻くそを笑う状態だよね。相手党を批判しても、国民の目から見れば「お前にそんなこと言う権利があるのか。」ってなるのが落ちです。国民の思いが実現されない、要は政治不信を抱えたままでは、大きなことは出来ません。国民が最後まで信じることが出来ないのだから。

つまり、おっきい政党に限って言えば、現状、どの政党が過半数をとっても大きな変化はない、更に、それは俺達国民の責任でもある。個人的意見だけどね。




ちっちゃい政党さんはどうだろうね。注目点は社民、共産ってところかなぁ。その他は自民、民主より、主張がちょっと強いか、ちょっと弱いか、その程度でしょ。蝙蝠が燕を笑うって感じなんじゃない。

そうそう、ほら、先日の朝生で社民党の辻元議員が言ってたけど、共産党も一回、連立として政権参加して見れば良いんだと思うんだよ。見える景色が違うはずだよね。

朝生での辻元議員の主張は中々良かった。他の連中を黙らせる説得力が伴なっていたように思う。厚みを増した感じです。あれなら簡単に否定されない粋まで来てるんじゃない。

政権参加の経験は党としての厚みを生み出すと思うなぁ。そして、より良い政党になるんじゃない。でも共産党はやらないだろうなぁ。覚悟が必要だものね。責任が伴なわない野党の方が楽で良いよね。


俺は、そもそも、行動の動機となる理念が重要だと思っていて、それを国民が見て先々を思い描くものだと思っているんだよね。そして、その理念が、より原型を留めたまま現実に当て嵌まるか否かはやり方しだいだと思っている。実際問題、事前的に絶対的な正しさなんて見出せないよね。

更に、政治的な判断や、その概括的な意味・内容は、個人が、また国家が、国内情勢や国際情勢に適応して行動するための道具であるべきだと思っていてね。その正誤は現実に当て嵌めた場合の成果によってのみ決まると思っている訳さ。

どんなに正当性が主張されるものでも現実に当て嵌めたら成果どころか不利益しかもたらさないことだってあるじゃないですか。情勢は刻一刻と変化しているしね。例えば、過去の成果なんて、その変化について行けないことだって往々にしてあるでしょ。

政治的判断なんて、その程度のものだと俺は思っているから一貫した政治思想のようなものは持ってはいないし、固定とした支持政党も持たない。主観的に、より妥当だと思う側を選択するのみなんだけどね。

因みに、判断基準は合理だけではなく、そう言ったものとはまた別の個人の持つ良心のような部分も重要だと思っているんだけどさ。互助を実現する人の良心ほど社会を良好に運営するものはないですから。

まぁ、それとは別にだけど、現実に当て嵌めた場合の成果によって正誤が確認できると言う前提を持つなら、実際に試してみて、駄目なら修正すると言う作業を繰り返すことでのみ良好さを確保できると言うことになるでしょ。

もし、それが当のものだとするなら、事前に正しさを固定的に見る観念を持ってしまうことで、正誤を見極める作業が実に狭まったものになるんじゃない。つまり良好さを得る機会を失うことにもなると言えるんじゃないですか。

まぁ、余談だけど、理念すら覆すような安易とも言える現実路線への移行なんて言うのも下手すると修正すら怠っているなんてことになるのかもね。

個人的意見として言えば理念を実現するための案の修正は幾らでもやって良いと思うが、理念そのものを覆すことはあってはならないと思うよ。理念すら覆すなんて言うのは背信行為以外のなにものでもないよね。政権担当能力以前の人としての倫理的な問題です。

成果とはつまり、全てにより近い多くの国民が良好な営み得ることでしょう。単なる変化とは違いますよ。一部に良好さをもたらすだけでは駄目。何らかの変化をもたらしたとしても、それが多くの国民に良好な営みをもたらさないのならば成果とは言わない。

単に机上・頭の中のみで考えたことや、単に過去の成果を現在に当て嵌めても成果が出るとは限らないですよね。どこぞの本の中に成果が得られると書いてあったとしても、どこぞの国で成果を上げたと言う事実があったとしても、それを日本に当て嵌めて同じ成果が出るとは限らないでしょ。

必要なのは失敗しても理念を曲げず、萎縮せず、そこから学び修正を施し、また挑戦することだと思います。それを繰り返すことで、政党なり、個人の議員なりが放つ理念を選択した有権者だけではなく、その他、多くの国民に良好な営みをもたらすことになるはずです。そうなると信ずるがゆえの理念であるはずなのだから。

まぁ、理念を持つことは重要ではあるが、その理念に基づく案を現在に当て嵌めて、その正誤を推し量ってみる機会も重要だと思うなぁ。そうすることで日本の政治はより成熟したものになるんじゃないですか。

最低限、アイデンティティを保たなければならないのだろうけど、全てのちっちゃい政党は責任と言う覚悟を持ち、政権参加を模索してみても良いのかもしれませんね。駄目なら離脱すれば良いだけの話なのだから。




最後に、おっきい政党、ちゃっちゃい政党、まぁ、色々と思いはあるだろうけど、批判だけでは何も始まらない。身を切ってでも、世論調査で示されるような国民の思いを実現してくださいな。それが政治不信を払拭し、日本を良き方向に導く唯一の方法なのだから。