tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

離党の思惑

2010-07-28 23:04:39 | 日記



なんか、そうね。そんな感じしてたんだよね。辻元議員の離党。あれね。「民主党の選挙協力欲しさからの離党。」なんて論調も確かにあるけどさ。まぁ、それも否定できないけど、でもね。ほら、ちょっと前に書いた朝生のやつでもそうだけど、なんかね。やっぱり環境が人を変えるってこともあるんだろうとは思うよ。

なんだろう。思いの実現、まぁ、それは一種の成功体験でしょうね。だとすると、もう一度味わいたい気持ちにさせるなんてこともあるんじゃない。民主党の前原大臣と共に問題に取り組み、また何らかの成果を出した経験。それって野党では味わえないものだよね。


確かに野党の役目の一つと言うか、大方がそれでしょうけど批判も重要な要素と言えばそうなんでしょうね。でも、それってつまり、考えることを相手に丸投げしているに等しい訳でしょ。

今までの政治云々見てると批判って、つまり「お前等は間違っているが、間違いを正す方法は自分で考えろ。」ってことなんじゃない。

批判は鍛冶における槌なのであって、相手が柔らかく柔軟な状態、つまり考える余地がある状態であれば叩くことで形を変えることもできるだろうが

冷えて固まってしまった状態、つまり考える余地がないとした状態では叩いた位で形は変わらない、逆に歪なもにになる可能性だってあるじゃない。

今度は火を入れて柔らかくする必要があるのだけど、その火ってなにか、それって考える余地を作り出す提案なんじゃないですか。

国民の間からも野党に対して「なんでも反対。」なんて揶揄されたりするけど、結局、国民も野党の姿勢について、ある程度の間違いを感じているんだと思う。

批判も必要な仕事とは認めるよ。当然そうでしょう、批判って、つまり問題点を国民の目に晒すことなんだから、でも、それだけでは必ずしも問題を解決したとは言わないよね。

野党には、それよりも重要な仕事があると思っているんだよ。まず、解決策を提示することさ。そして、互譲を前提にし、より自らの意見を実現する形で話し合うことさね。単に突っぱねるのは解決を遅らせるだけですよ。

でも・・・理念を完全に曲げてまで擦り寄るのは返って良くないだろなぁ。その時は突っぱねるのは仕方ないかもね・・・。あらゆることをやったなら多くが評価してくれるものさ。

そもそも党是と国民の利益は違う、多数も少数も国民なのだから、それを鑑み結果を出さないといけない。野党なら「今回の法案で政府からこれだけのことを引き出しましたよ。そして、それは○○と言う効果があります。」とアピールするべきでしょう。

統合を前提にした議論ができない連中。要は強行採決も長引かせも審議拒否も民主主義においてはろくなもんじゃない。






野党にも色んな種類があると思うけどさ。少なくとも政府として主体的になにかを成すことはできない訳だよね。キャスティングボードを握るなんて、政府の決定に影響できる位の党勢であれば、まぁ遣り甲斐はあるだろうけど

色んな事情で「批判だけが大方の仕事です。」になっちゃうのでは政治家としての遣り甲斐を見出せない人も出てくるのかもしれないね。

政治家には2種類いると思うんだ。一つは政治家になることが目的の奴。もう一つは政治家になり何かを成すことが目的に奴。

まぁ、政治家なんてものの評価を決めるのは何をやるかですよ。護憲なら護憲で良いし、普天間の海外移設を推すならそれでも良いんじゃないですか。その中で何を成して行くか、政治家の中の単なる一人で終わるか、何か爪痕を残すか、それは本人しだいでしょうね。

確かに政治と金の問題も過去にはあったのだけど、それを経験として発展的な何かができるか。単なる「総理~。総理~。総理~。」から一皮剥けることができるか。まぁ、その様を見て選択するのは有権者です。じっくり観察しましょうかね。