ネットを歩いていてこんなブログに出会いました。
なかなか言いにくいことですが、とても大切なご意見だと思います。
敢えて提起くださっている渡辺哲雄さんに感謝です。
私は『手話通訳が付いているぞ』とPRする時代の手話通訳者ならともかく、どのように、わかりやすく 聞こえない人たちに情報を伝えるかを大切にする手話通訳者(もちろん、通訳はこの逆、手話→音声日本語の場合もあるのですが、ここは講演会場面なので一応置いておきます)なら、渡辺さんのご意見にもっと謙虚に耳を傾けるべきではないかと思います。
今日は選挙の投票日、40年近く前、衆議院議員選挙立会演説会の手話通訳に出かけたころを思い出しました。
通訳を交代してトイレに立っていると隣で用を足しているお二人が「候補者の横でなんやらうろうろ迷惑ですな」と話しておられます。
選挙管理委員会にお願いして「ろう者が候補者の意見をしっかりと聞けるように手話通訳をつけています」と説明してもらったことがあります。
「いつでも、どこでも 手話通訳を」はとても大切なことですが、「必要な時に」も考えることが手話通訳者には求められるのではないでしょうか?
理解者を増やしていくことも求められます。
経験を積んで 日ごろの成果を…と言う割には通訳の後の検証があまりなされていないように感じることもよくあります。
自分の手話通訳がきちんと伝わったかどうかの検証がとても大切でしょう。
平成15年01月22日 |
完 |