昨日は 1982年から上関原発反対の運動を続けている山口県の祝島へ行ってきました。
当時1200・1300人ほどいた島の住民はいま400人弱だそうです。
小・中学校も休校になっていて、小学生は1日3便の定期船で本土の学校へ通っているとのこと。
(祝島へ着きました)
(島の学校から原発予定地を 島から3キロ)
(漁協)
(島の駐在所。耳のマークが貼ってありました)
(原発を作ろうとしている場所)
沖縄・辺野古、長崎・石木、山口・祝島 力と金に任せた攻撃に、こちらは文化として反対に取り組む・・・とのお話も出てきました。
当日いただいたパンフレットのなのかで 飯田哲也さんは
「国」と行っても、何も恐れる必要はない。実態は、自らは決して責任を取らず、匿名に逃げ込む小役人の集まりに過ぎず、それを「閣議決定」などで権威づけただけだ。現時点での唯一の「新規立地」である上関原発は、原子力推進の「橋頭堡」として、「国」(実は小役人)のメンツがかかっている構図だ。
と書いておられます。
『祝の島(ほうりのしま)』予告編
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