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住まいは人権! 一般社団法人協働舎
暮らしを高めるのは福祉制度の充実。
福祉制度の充実には私たち一人ひとりの声

キリストに忠実なれ

2016-09-11 | まいにち

昨日、福岡県地域生活定着支援センターのシンポジウムに参加をしてもう一つの感動はチャペルに置いてあったこのパンフレット。

学院創立100年を記念して「自らの戦争責任・戦後責任」を明らかにされたものです。

一部いただき、帰りの新幹線で読みました。

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昨日は博多へ 「下関駅放火事件から10年」

2016-09-11 | まいにち

朝広島駅を出る頃から赤いシャツは何人もいたのですが、私は博多へ・・・

西南学院チャペルで開かれた  シンポジウムに参加するためです。

記念講演は村木厚子さん「共生社会を創る」と題して話されました。

2011年の6月から11月下旬まで半年近くを大阪拘置所で過ごしました。拘置所は裁判がまだ終わっていない人、死刑囚などと一緒に一部受刑中の人もいるところです。三食洗濯配達付きですが、配膳や洗濯物の配達は可愛い女の子たちがやってくれます。この子たちは何をやって受刑中なんだろうと刑務官に尋ねると「クスリが一番多いかなあ、そして売春」と教えてくれました。暑い夏を過ごし、10月ごろになってくると石の建物ですから随分と冷えるようになってきます。これは冬になるまでに出たいなあと思っていましたが、刑務官によると「お正月は忙しんです。正月を刑務所で過ごしたい人が多いから」「無銭飲食をするのが一番確実ですよ」私は冬は絶対居たくない、でもその冬にそこへ入りたい人がいることにショックを受けました。

秋だなあと思う頃になるとサンマが出ました。秋分の日だったかなあ、祝日にはお菓子も出ました。そんな季節を感じられるところです。

20年ほど前南光愛隣会を訪れた時に、理事長の田島さんに言われました。「ここで暮らしているような(障害を持った)人たちの中には、一番優しいのはヤクザのお兄さんと思ってる人がたくさんいるんですよ」

生活困窮者は 複数の困難が重なり合っている、社会との縁が切れていると言われています。これはホームレスの人たちにも共通するものです。ある調査では⑴生活が安定していた人たちに3つ以上の不幸が重なり合った。⑵仕事と住まいが同時に無くなった。⑶子供の頃から非常に苦しい生活をしてきた人たち・・・。矯正施設に行く人たちは決して悪い人たち、強い人たちではなく力尽きてホームレスになったり、生きづらさを抱えた人たちの最後の行き場所が矯正施設なのです。

刑務官はとても親切です。でもここで付く力は何か

①生活のスキルは身につきません、最初に行ったように三食洗濯配達付きなのですから。②ほとんど歩くことがありませんから体力は確実に落ちます。③人と話すことがありません、対人スキルは落ちます。④社会にいる時のような誘惑はありません。 出てみると知らない人が近づいて絵くるだけで怖かったです。中では何も考えず、諦めて暮らすのが一番です。矯正施設の中だけでは外で暮らす準備はできません。矯正施設の中のスタッフのアドバイスとともに出てから見守ってくれる人たち、リハビリが必要なのです。矯正施設には罪を償う役割りとともに、それまでと違った道をたどれる訓練をする、生き直す準備をする機能を作っていくことが大切です。

 

定着支援センターの小畑孝仁さんは

センターの事業の説明とともに、なぜNPO法人抱僕がこの事業を受託するのかといったことを話されました。そしてできるだけ全てのケースについて合同支援会議を開くようにしているとも。

 

下関駅放火事件の経緯を述べられらたのは抱僕理事長の奥田知志さん

2006年1月7日の未明に74歳のAさんが放火した理由は「刑務所に戻りたかった」から。12月30日に刑務所を出所したのちに8つの公的危難が本人と接触しているが根本的な対処がなかった。

父親から燃えた薪木を体につけるといった折檻を受けたAさんだが、今までの人生で一番良かったのは「父親と暮らしていた頃」とも述べている。18年の求刑で判決は10年未決勾留期間を600日算定してくれたので実質8年の判決。彼は今、釈放されて福岡で暮らしている。先日七夕に「自分の幸せ、みんなの幸せ」と書いた。

「あんたもわしも おんなじいのち」ホームレス人たちへの排除は私たちみんなが住みにくい社会を作っている。 支援する側と支援される側ではなくて社会そのものが前へ進む取り組みをしていきたい。

北九州の弁護士河原一雅さんや保護観察所長の佐藤比呂明さんも話されました。

とても充実した3時間20分でした。

以前広島の保護観察所長でお世話になった佐藤所長に挨拶をし、会いに来てくれた孫たちと博多駅で食事

家に帰ってみると巨人ー広島戦はまだ続いておりました。

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