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住まいは人権! 一般社団法人協働舎
暮らしを高めるのは福祉制度の充実。
福祉制度の充実には私たち一人ひとりの声

寮美千子さんのお話を聞きに是非お越しください。

2015-02-24 | 暮らし・社会

  首相が国会の場で野次を飛ばして、しかもそれが根も葉もないことやった…そしてきちんと謝ろうともしない。そんな人を首相にしている私たち日本人の品格が問われますねえ。

  悲しい事件が続きます。

 

 

  3月14日(土曜)午後1時から 寮美千子さんの講演会が広島で有りますが、監獄人権センターのHPに寮さんのインタビュー記事が載っていました。

 


第1回寮美千子さん「寮美千子」の画像検索結果

第1回のゲストは、奈良少年刑務所で詩作による社会性涵養プログラムの講師をされているほか、死刑制度をはじめ様々な社会問題にも果敢に発言されている作家の寮美千子さん。お仕事でも人生においてもパートナーである松永洋介さんも交えて3人で3時間にわたって熱く楽しく語り合いました。罪をおかした人たちの立ち直りのために必要なこと、大切なことは、実は、私たちの日常生活においても必要で大切なことだと気づかせて頂きました。

【寮美千子さんのプロフィール】
外務省、広告制作会社勤務、フリーランスのコピーライターを経て、1986年、毎日童話新人賞を受賞、童話作家としてデビュー。2005年、DVを扱った小説『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞。奈良市に在住。2007年より奈良少年刑務所社会性涵養プログラム講師。2010年、授業の成果を編纂した『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集』(長崎出版、2010年;新潮文庫、2011年)を発表。


差別意識は学習するもの

田鎖 寮さんのプロフィールを拝見しましたが、ユニークですよね。先日刊行された『死刑廃止年報2012年版』(インパクト出版会、2012年)掲載のインタビュー記事も拝見しました。奈良少年刑務所の矯正展に行かれるまで、刑務所には関心がなかったのに、すっと抵抗なく現場に入って行かれたことがすばらしい。私のような頭の硬い人間からすると柔軟というか……。やはり想像力でしょうか、物語を書かれる方ですし。

差別意識というのは学習して得るものだと思うんですよ。学習しなければ差別できない。私には、それを学習する機会がなかったんです。

50歳で、関西に来て、「あそこは被差別地域なんだよ」とか、近所の人から「在日だよ」「生活保護もらっているんだよ」というような話を聞いて、知らないことは罪だなと思いました。社会の上澄みみたいなところで、文学をやらせてもらって、皆の余剰なお金で私は暮らせているわけですし、そういう社会の周縁的なところで生きている人たちのこと見なくちゃいけないなと思いました。

田鎖 たしかに差別意識も人権意識も、自分の子どもを見ていると日々学習するものだなとわかりますね。

だから私みたいに守られて、見なくてもいい環境にいて、ある日ふと知ってしまうと、「なんで?」って思ってしまうんでしょうね。

田鎖 でも、そこで「なんで?」って思えるところが違うんだと思いますよ。「私は知らない」って変わらない人も大勢いると思いますよ。

実は前から気になっていたんでしょうね。私は、小学校から高校まで周りは「いいところの子」ばかりだった。でも、高校になると、ちょっと違う文化の子がいて、すごく驚いた。まず言葉が違う。荒っぽい言葉を使う。通っていた高校は、付属校から上がる子ばっかりだったから、付属出身同士で固まるの。私はそのときに、何も知らないままでここにいていいんだろうかと思ったんです。だからあえて、他の出身校からきた友達と仲良くしようと努めた。

田鎖 私は、逆に、ずっと地元の公立校に通っていて、高校で付属校に入って内部進学の人たちと出会って、びっくりしましたね。

集団を形成している子どもたちは、自分たちはそれが当たり前で暮らして来たから気がつかない。そこに私は文化的なギャップがあった。このときから私の人生は変わったのかもしれません。


目の前で変わっていく少年たちに驚き

田鎖 奈良少年刑務所での「社会性涵養プログラム」を始められて、もう長いですよね。

松永 6年目になりますね。

1期半年間で、1月に1回ずつでやっています。

松永 最初の1期だけは、8回、8ヶ月間でやりました。

でも、それだとたくさんの人数が受けられないからというので、6回になりました。1年で最低20人は受けられるようにしたいということで。ちょっと物足りない気はするんですけどね。

田鎖 それでも、月に1回行くのは大変じゃないですか?

大変どころか、行くのが楽しみですよ。

田鎖 松永さんと一緒に行かれるんですか?

ずっと一緒に行っています。2人1組でやると、私とは違う物の見方や話があるからおもしろいですよ。少年たちにとっては、男女の先生がひとりずついるのはいいことです。

田鎖 私もそう思います。刑務所の中は男性ばかりに偏っていますからね。欧州などの刑務所にいくと女性の刑務官がけっこういます。外の社会の男女のバランスにできるだけ近づけようとしているんです。

最初は、怖いからボディガード代わりだったんですけどね(笑)。でも、対話するのにも視点が違うので、いろんな方面からいろんなことを少年たちに返せていいです。

田鎖 受刑者の人たちの生い立ちを見ると、生きづらさというか何らかのハンディを抱えている人はすごく多いと思います。しかも成人になってから、そういうハンディをサポートしていくのは、とても難しくなると思います。結局、皆が匙を投げるような難しさを抱えた人たちが刑務所に入ってくる。

まさに刑務所はそういう「エリート落ちこぼれ」が来るところですね。

田鎖 その点、寮さんのやっている社会性涵養プログラムは、従来の刑務所でありがちなプログラムと違って、すごくいいなと思ったんです。従来であれば「やりがいのある」人、打てば響く受刑者だけを集めてきて、扱いに困る人たちは切り捨てるというやり方だったと思うんです。今回のプログラムについて読んで、そうではないというのが素晴らしいと思いました。

工場で、タイミングが合わなかったり、人より作業が遅かったり、よく間違ったりと、とにかく困った子というのがいて、会話もちゃんとできない。そういう子がいると、工場が全体としてうまくいかなくなってしまう。陰ではいじめが起きることもある。そういう子が皆とうまくいけるように、少しでも変えてあげると、工場全体がほっとする。皆が心地よくなるんです。

田鎖 そこは大切なところだと思いますし、日本の刑務所に一番欠けているところでもあります。困った人は、昼夜間単独室処遇にして、他の人と触れさせない、騒いだらすぐに保護室に入れて……というような処遇をしてしまいがちですから。社会性涵養プログラムの効果はどんなふうにあらわれてきていますか?

例えば、工場にも出てこない「刑務所内引きこもり」だったのが、私たちのプログラムにだけは出てくるようになった男の子がいます。

田鎖 どうやって出てくるようになったんですか?

彼を連れてくることは私たちの仕事じゃないから、最初は、教官がずっと辛抱強く説得します。交換日記のようなものもやったりとか、いろんなかたちで働きかけをして、「とにかく1回出てこようよ、そんなに怖いところじゃないから」と言ったりとか。それで一度出てくると、ここならいられそう、ということで続けてプログラムに出てくるようになる。すると工場にもぼちぼちと出て行けるようになるんです。まずは教官たちがすごいんですよね。

田鎖 ご著書を読んでいて、プログラムをやるなかで、最初は問いかけてもだんまりという少年たちに対して「待つようにした」という部分があるんですが、これがすごいなと思って。私は待てない母親なんで……。

私も待つことは苦手で、最初は焦りました。しゃべれない子がかわいそうで。何か助け舟出してあげた方が、彼がほっとするんじゃないかと思っちゃったんです。でも、教官から「待ってみてください」と言われた。それだと余計追いつめるんじゃないかと思ったんだけど、試しにやってみた。そしたら本当に効果があるの! 化学実験みたいに効果が出たんです。びっくりしました。

松永 何も言葉を発しなかった子でも「パスします」「今はダメです」とかは最後には言えるようになる。教官たちが言うには、少年たちは、現実の社会に出たら、助け舟はやってこない。だから今助け舟を出すと彼らの自立を妨げてしまう、と。

田鎖 自分の子どもに重ねて考えてみると、彼らなりに一生懸命考えているんですよね。私が助け舟出すと「やめて! 今考えているんだ」って返されることがあります。

待っているということを続けていくうちに、次回、自分が話す番がくると、今度は沈黙の時間が短くなります。半分くらいに短くなる。しゃべれない子の沈黙の時間がだんだん短くなっていくんです。

松永 でも、それって社会には待ってくれる人が誰もいなかったことの裏返しなんですよね。

最初は、私たちも教官も、待ち続けることで他の子の時間を奪っていて悪いなと思っていました。だけど、わかったのは、みんな待ってくれているということを彼らもそこで学習するわけです。そうすると、自分がしゃべれなくてもみんな待ってくれるだろうと思うから安心する。そうするとしゃべれなかった子どもたちの言葉が出てきやすくなるんです。

松永 そういう状況を見ていると、社会人向けとか、全部の小中学校とかで、いま私たちが刑務所でやっているようなプログラムをやってみたらいいと思います。人の話を聞くっていう経験は、いまなかなかないでしょう。聞いてもらうっていう経験もあまりない。

私、いろんなところで講演活動しているのですが、驚いたことに、ある進学校の学生さんたちに話をしたときに、泣く子が一人もいなかった。きょとんとしているの。この子たち感受性を削って来てしまったのかな、と。

田鎖 少年刑務所の少年たちのほうが、感受性が高いと言えるかもしれないですね。

刑務所の少年たちは痛い思いをしてきている。だから、いったん心を解きほぐして開くと、痛い思いをした人に優しくなれる。思いがけないような優しい言葉をかけてあげることができるんです。そういう姿を見ていると、彼らは本当に悪い人じゃないなと。

田鎖 そう思います。どこかしら不器用なところがないと、刑務所には入らないですよ。


社会性涵養プログラムは刑務官も変える

ある日、「寮さん、本読みました。感動しました。サインしてください」ってわざわざ控え室に来てくれた刑務官がいました。その人は、私より年上で、長いあいだ刑務官をやってきて、受刑者には厳しくやっていれば彼らにとってもいいと思ってきた。でもこの本を読んで、「それだけで良かったのかな、もっと違う方法がある」と思うようになったと言うんです。

それから、守衛さんにもこんなことを言われました。その守衛さんは、地元採用でずっと守衛さんだけやってきた人。だから刑務所の中のことを知らないんですって。その方が「先生、この本を読んで、うちの刑務所でどんなことしているかわかりました。うちの刑務所いいことしているんだな」って言われました。

こんなおもしろい話もあるんですよ。本を出す前に校正刷りを読んでもらった教官が、それを家に持って帰って、食卓の上に置いて寝てしまった。妻がそれを読み始めたら朝の4時半頃まで読み通してしまって、朝、その教官を起こして「読みましたよ。あなた立派な仕事をしているんですね」って。

田鎖 何か物語がつくれそうなお話ですね!

松永 その妻は、30年ぶりに夫の仕事を知ったんだそうですよ。

田鎖 刑務所では守秘義務は厳重ですからね。

刑務所の内実が世間に知られていないから、「刑務所では受刑者を人間扱いしていない」みたいに誤解されているという話も聞きました。

松永 刑務所に勤めているだけで差別されるという話もありますからね。

教官の先生たちが、自分たちも良くなったと言ってくれています。厳しいなかで仕事をされてきているので、社会性涵養プログラムをやっていることで、刑務所のなかで働いている人、少年たちを指導している人たちにも役に立っているようでうれしいです。

私たちもこのプログラムを通じて成長しました。いまも成長し続けていると思う。いっしょにプログラムを行ってきた刑務所の先生方と少年たちに感謝です。

死刑にはずっと前から反対です

田鎖 死刑について、著名な方で「私は反対です」と公表される方は、ほとんどいません。評価が気になるような仕事だと、特に難しいと思います。寮さんは、死刑に反対するようになったのは、刑務所にかかわってからですか。

いえ、私はそのずっと前から反対でした。人が人を殺すのはいかなる理由でもおかしいとずっと思っています。だから、死刑も戦争も反対。正しい戦争はない。死刑も同じです。正しい死刑があるという考え方もあるようですが、人を殺すことはすべて正しくない。難しいけれど、このことを共通理解にすれば、死刑も戦争もなくなる。人間は本来的にそうするべきだと思います。そんなことは理想論だと言われますが、言い続けることが大切です。言い続けることで、いままで常識じゃなかったことが常識になっていくと思うんです。「男女平等」だってそうです。

田鎖 死刑に反対だと発言すると、クレームとか来ませんか?

ありますよ。殺された人の家族についてはどう思っているのか、とか。

田鎖 私もよく言われます。

なぜ、死刑廃止と言ってバッシングを受けるかというと、犯罪被害者や家族へのケアが十分じゃないからだと思います。それが一番大きな理由。全く関係ないところで人生を奪われた人に対して「気の毒だね」と言いながらテレビ局が群がって報道する。そういうことしかしていない。それは癒しにも救いにもならないし、痛みが増すだけです。

その人たちにとって適切なケア、例えば、カウンセリングを受けたり、自助グループつくることに国がお金を払ってくれるとか、徹底的なケアをするべきだと思うんです。被害者家族がテレビ局からマイクを向けられて「極刑を望みます」と言うのは仕方ないと思います。人間として、そこまでひどいことがあれば、カッとなって言ってしまうものです。でも、それは非常に特殊な状態です。それが心からの言葉であるかのごとく、どんどん報道するでしょう。それこそ人権無視だと思います。遺族感情は死刑の要因のひとつになりますから、後で、自分のせいで人が死刑になったと思うときが来たら耐えられないし、そのことでまた新たな被害、悲劇が生まれる。

例えば、広島で起きた事件で、娘を殺されたお父さんが、「極刑を望みます」と言っていたけれども、途中からそれを言うのが苦しくなった。しかし、言葉を翻せなかった。たくさん報道されていたからです。「お前もう娘のことを忘れたのか、かわいくなくなったのか」と言われてしまうから言いたくても言えなかった。だから、被告人が死刑にならなくて本当によかったと思ったと。そういう記事を読みました。私は同じようなケースはたくさんあると思います。

「死刑で癒されるか? 償いになるか?」ということなんですよ。遺族は「ひとつの区切りが付きました」とは言うけれども、納得したという人はいないと思います。被害者が、本当に加害者が心から償っているということを知れば、何か自分の心のなかで収まりをつけることのできる他の方法はあると思うんです。そのためには、加害者が、償う気持ちが持てるようにするにはどうしたらいいか、ということです。懲らしめて閉じ込めたら償う気持ちが持てるでしょうか?

田鎖 加害者は、自分がこんなひどい目にあったと思うだけですよね。

「早く死刑にしてくれよ」という希望を叶えることが償いになるのかと。なるわけないでしょう。おかしいですよ。必要なのは、なぜそんな罪をおかすことになったのか。きちんと解明して、認知・心のゆがみを解きほぐして、人間らしい心を取り戻すような教育、触れあうチャンスが必要です。独房に閉じ込めても人間性は取り戻せないですよ。

田鎖 本当にそうなんですよ。死刑確定者は、死刑を待つだけの人だから、教誨も本人が希望しなければないし、人によっては面会もまったくないし、他の被収容者以上に外部との交流が認められていない。だから、がちがちに凝り固まってしまって大変な人もいます。

恐怖のなかで、心からの償いの言葉が出てくるわけないですよね。人に大切にされて、何か暖かいものを感じた時に初めて、「命って大切なものだった、そういう命を自分は奪ってしまった。なんて取り返しのつかないことをしたんだろう」と思う。そう思えるチャンスを奪っておいて、反省もないから死刑というのは、ひどいと思います。

裁判のあいだ、少年たちは、教育は受けられない。人とちゃんと接することができない。だから裁判確定前の少年たちに、この社会性涵養プログラムを受けさせてあげたいと思います。そして、彼らの心が開いた状態で、自分の罪と向き合ったときに、果たして彼らは何を言うのか。それを聴いてから判断してくださいと言いたいです。ひとりで放っておいてまともになるわけないじゃないですか。誰か面倒見てあげなくちゃ。それで反省していないから死刑というのはおかしい。

田鎖 時間をかけて弁護人や支援者との交流のなかで変わっていく人って確かにいます。それが、いまは裁判員裁判でスピードが速くなってきているから、余計に変化する姿を見せることが難しくなっていますね。それに、被害者のサポートを充実させなきゃいけないのに、死刑があることによって、それがないがしろにされている。

松永 死刑にするんだから、あなたは納得しなさいという話になっていますね。

田鎖 でも加害者が死刑になる事件というのは本当に少ないんです。ほとんどの殺人の加害者は、有期の懲役になります。死刑にならない遺族のほうが圧倒的に多い。だから、まやかしですよ。以前よりは改善されてきましたけれど、犯罪被害者給付金制度によって、被害者家族が受け取れるお金もまだ少ないし、受け取れる人の範囲も限定されている。例えば、家族内の事件だと受け取れません。そういうからくりがたくさんあるのに蓋をされて知らされないでいる。私たちは、そのことを広めて行かないといけない責任があると思います。


詩の力、言葉の力

事件の背景を考えると、そこにいくまで誰も救えなかった前提がある。それは、ある意味、社会全体の責任だと思う。私たちが、その人をそういうところに追い詰めてしまった。そういうこぼれてしまう人をつくったという私たち社会の一員としての責任をみんな持たないといけないと思うんですよ。そう言うと、「何でも社会の責任にしやがって」とバッシングされるわけですが……。

田鎖 自分の責任になるのは誰もが怖いんですよね。

だからこそ、破綻したときにこれをどうやって修復するかということは、私たちが最大限努力するべきことだと思うんです。そういう意味で、社会性涵養プログラムはがんばっていると思う。こんなに効果があがるとは夢にも思わなかった。私は最初、童話や詩、絵本というような柔なもので、人を殺すところまでこんがらがった人の人生をなんとかできるなんてないと思っていたんです。それはおごりだと思っていました。だからビックリしています。目の前で少年たちがどんどん変わっていくんですから。

例えば、目の前でチック症が突然止まってしまった子もいます。その子は「夏の毎朝の風は気持ちい(ママ)」という1行だけの詩を書いた。たったそれだけの詩を書いて読んだら、周りの子が共感してくれた。「そうだよな、暑いな」って。奈良少年刑務所は、エアコンないし、煉瓦の放射熱が熱いし……オーブンのなかに住んでいるようなものだから、朝は気持ちいいよなと。その共感の声を聞いたら、ぴたっと止まった。「こんな短い詩でどうかな……と心配だと言っていたけれど、みんなに聴いてもらってうれしかった」と言って。私は声が出なくなるくらいにビックリしてしまった。

その子が1カ月経って、次のプログラムに参加したときに、再発していました。症状は少し軽くなっていたけれど。その日は、その子の詩を発表する日じゃなかったので、あの子の詩を読んであげればチックが止まるのにな、痛ましいな、と思っていたんです。でも、他の子が詩を朗読して、感想を述べる番になったら、またチックがぴたっと止まったんです。感動でした。

つまり、1回受け止めてもらった体験があれば、次は誰か他の人の詩に感想を言うだけでも、自己表現であり、みんなが一緒に聴いてくれたというだけで、癒されてしまう。これは大変なことだなと思いました。

他方で、それだけの傾聴、受け止めをしてもらえなかったということですよね。彼は体験してこなかったんだなと。

田鎖 社会性涵養プログラムで詩作を取り入れるというのは、もともとそういうアイデアだったんですか?

社会性涵養プログラムは、もともとは何か具体的なプログラムというよりも、殺伐とした少年たちの心に潤いを与えたいと、漠然と考えられていました。始めは「少年たちに、ひとり1冊絵本をつくらせてやってほしい」と言われましたが、絵本づくりってそんなに簡単なことではありません。それでいろいろ試行錯誤していました。

でも、私は、詩がいいかなとは思っていました。もともと東京で、人々が集まって自作の詩を朗読するポエトリー・リーディングのイベントを月1回やっていたんです。それで、普段のおしゃべりでできないような話を詩の形で共有する時間を持つことで、癒しになったり、大切な時間になるんだと知りました。従来の文学系の詩の合評会というのは、技術論を議論するところ、文学としていかに洗練させるか、の文学青年の集まりだったんです。ところが、そのイベントには文学論は一切持ち込まない、とにかくその人の表現を聴こう、受け止めよう、そして、お互いにゆるく語り合おうというタイプの会を開いていました。その経験があったから、刑務所でも応用できないかなと思っていたんです。それで、詩をやりましょうということになりました。

田鎖 私も、ずっと法律書みたいな硬い物を読むことに偏っていて、文学からは遠かったんですが、年齢を重ねて、詩とか小説とか大切だ、必要だと思うようになりました。

多くのポエトリー・リーディングは、聞く一方なんですけどね。でも、そこに双方向性を取り入れたというのはあまりないと思います。みんなやったらいい。例えば、介護で疲れている人たちが集まって愚痴ではなくて、自分の思いを詩とか俳句とか短歌で発表してみたらいいと思います。そして、それをみんなで受け止めて言葉を交わし合うような場です。おそらく愚痴を言うよりもずっと救われると思います。

田鎖 やってみたくなりますね。

とにかく集まった人同士が受け止めあって集うという場所さえあれば、言葉は何でもいい。いまの時代、言葉の価値が低くなっていると思うんです。意味が伴って来なくなっている。携帯電話で大量に言葉をやりとりしているけれど、その言葉にどれだけ思いがのっかっているか、お互いの理解にどれだけつながっているだろうか、と考えると、その思いや理解はますます希薄になっていると思います。

言葉の価値が軽くなっているなかで、「詩」は特別なものです。詩を書けっていわれたら誰でも緊張するでしょう? それだけ詩の言葉に重みや価値を見出しているから緊張するわけです。その緊張のハードルを乗り越えて、「えいっ!」て書いてみんなの前で公表して、言葉をもらったときには、本当に深いところで受け止めてもらった実感を持つことができると思います。果たして、そういう時間を私たちは日常のなかで、持っているだろうか。なかなか持てていないですよね。

刑務所でプログラムをやっていて気づいたのは、話すこと、人との関わり合いのなかで、人は癒されたり、成長するんだということです。森か何かにこもって、たったひとりで哲学書とか読んで反省するということではだめじゃないかって。

田鎖 とはいえ、こういうプログラムは、誰もができることじゃないと思うんですけど。

そう言われるんですけど、私は誰もができると思います。たしかに私のキャラクターは寄与している。でも、1回でも体験したら次回は自分でできるはずです。だから広げていきたいと思っています。

田鎖 もっとこの社会のいろんなところでできたらいいですね。私も是非体験してみたいです。 (了)


2012年11月21日(水)横浜にて
編集・桑山亜也(CPR事務局)

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今日は一日暖かそうや

2015-02-24 | まいにち

  痛ましい中学一年生の殺害事件といい、この人の辞任といい なんかもっと明るい話題が欲しいなあ…と思います。

  ホイでもこの西川さんという人、周りがうるさいから辞めるいう感じで なんにも責任は感じ取らんように思います。大臣をやめたらあとは知らん顔…言うんがまた続くんやろか こんなこと繰り返したらあかんわなあ。横にちらっと出とる自衛隊の文官統制見直し、こっちも大変なことですわ。軍部の暴走がますます激しうなりますで。

  毎日、感謝することを探しとんやけど、腹が立つことばっかりや…。

  今朝の感謝=今日は暖こうなりそうやで 感謝

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