何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

572日目 CHI ーROーRI

2005年10月25日 16時27分45秒 | Weblog
10月18日

 今夜で嬉野一週間ライブの最終日になる。場所は、やはり近くの店「Chi-Ro-Ri」。

 昼間、調子の悪い身体を整えるために温泉街を2時間ほど散歩した。観光温泉街の平日の昼下がり、さすがに人通りは無かった。静まり返った温泉街を一人ふらふら。時折出会うのは学校帰りの小学生達。一人の女の子に通りすがりざま「こんにちわ!」と声を掛けられた。思わず振り返って僕も「こんにちわ」と答えた。彼女は振り向きもせずスタスタと歩いて行ってしまったが、なんだか心に涼風が吹き抜けていった感じで嬉しかった。
 たったこの一件の事だけでこの温泉街が好きになってしまった。挨拶って大事ですね。

 軽い疲労感を持って岸川マッサージに戻った。受付の女性と今日で最後という挨拶をして3階に上がって、今日も夕寝。

 ライブは8時だから、7時半ごろギターとおひねり箱を持って「Chi-Ro-Ri」に出掛けた。お客は誰もいなかった。ライブは8時予定だったが、一人しかお客は来ていなくて、もう一人来るという。じゃーその人が来るまで待ちましょうと中嶋さんに電話したら、8時半過ぎにつけそうと言う。結局、中嶋さんがやってきた8時45分ごろからライブ開始。今夜も短めに1時間で終了。その後、お客さんと中嶋さんと飲んで11時過ぎに岸川マッサージに帰り。ちょっと眠れないので、岸川さんに電話して、自宅にお邪魔する事にした。コンビニで酒を買って自宅に出向くと、12時前だというのに、岸川さん夫婦だけではなくお母さんも待っていてくれた。一週間お世話になったお礼を言って、小一時間ほどしゃべって岸川マッサージ3階に戻った。少しだけ、体調が戻ってきている気がする。

571日目 酔わせないで

2005年10月25日 16時19分02秒 | Weblog
10月17日

 体調が良くないのはいつもの事だが、どうにもならない。今日は温泉に入るのをやめることにした。微熱が治まらないのだ。

 体調も悪く、コンピューターの調子も悪く、精神的にも何処と無く低空気味。昨夜は、ついつい日記に攻撃的なことを書いてしまって、コメントにお叱りの言葉が…、納得してすぐに訂正削除したが、なんでこうなってしまうのか。我が精神の弱さに情けなくなってしまう。

 夕食をとりに出掛けて、約束の8時まで部屋で休憩、当然のように夕寝をした、が、身体はだるい。8時に近くのスナック「酔わせないで」に出掛けた。お客さんは誰もいなかった。セッティングしてくれた中嶋さんは仕事で遅くなるという。榎本さん夫婦が来てくれて、いつでも始めてくれていいよという話になった。9時過ぎに始める事にして、少しお酒を頂いた。ポツリポツリとお客さんがやってきた。ライブを聞きに来たわけじゃない、飲みに来たのだ。今日のライブは覚悟が出来ている。榎本さん夫婦が聞いてくれたらいいと思っている。そのうち、近所の旅館から、旅行客が。時間が来たので、唄い始めた。聞いてくれているのは榎本さん夫婦だけ。後はみんなてんでにしゃべっている。あまり長くやっても仕方が無いと思い。45分ぐらいで演奏をやめた。よくしゃべる、旅行客は途中で帰っていった。

 残ったお客さんがおひねりをしてくれて、リクエストされたのでビートルズナンバーを一曲歌って今日はおしまい。中嶋さんは途中で顔を出して、ほかの会合に出掛けていたが、やがて仲間達と戻ってきて一緒に飲んだ。その中の一人がエリッククラプトンが好きといったので、思わず、クラプトンの曲を唄ってしまった僕だった。この一曲で、もやもやしたものが解消された。12過ぎに岸川マッサージに戻った。

570日目 嬉野公会堂

2005年10月16日 23時17分13秒 | Weblog
10月16日

 朝9時半起床。やっと体調が戻りつつある。10時開演の岸川さん主催の、盲導犬フェスタにたどり着くために、嬉野公会堂に到着。駐車場が混み合っていて、手間取っている間に開演時間になった。車からギターと譜面台を取り出して会場に駆けつけた。ラッキー、開会式が始まっていたが、間に合った。
 僕の出番は午後の1時半だからあせる事は無かったのだが、盲導犬フェスタの一部始終を確認したかったのでやってきた。

 開会式が終わって、まずは、岸川夫婦とアロマ(盲導犬)が、多くの人達の協力を得て一年かけて募金活動をして集めた150万円(盲導犬一頭の代金)を盲導犬協会に寄付する式典。そして、それぞれの協力者の挨拶、そしてその人達にアロマ基金からの賞状授与。などが行われ、10時半から、岸川夫婦の絶大なる応援者である大島さんが講演。2時間にわたる講演は、多くの人に感動をもたらしていたようだ。

 僕が歌い始めたのは2時15分、今日の予定の時間より45分遅れ、もともとのスケジュールからは1時間15分遅れ。僕は必死に時間を守ろうとして与えられた30分の中で言いたいことを語り、硬い雰囲気のイベントだったので、とにかく楽しんでもらおうと「上を向いて歩こう」で始まり、「ほな ぼちぼちいこか」でお客さんと掛け合いを楽しんで、最後に「時は流れ人は生きている」で終わった。
 語りたい事が沢山あって、それでもなるべく語りを少なくして皆さんと楽しんだ。今日の僕の役割は、自己主張じゃなく、その場をリラックスしてもらえるような状況を作る事しかない。なんとか、その役割を果たせたような気がします。
 岸川さんは、今日の僕のライブをおひねりライブに設定していてくれた。でも、今日のおひねりは、総てアロマ基金に募金してもらうという事でライブ成立。実際におひねりは集めなかったのですが、アロマ基金に入れてくれたお金が僕の今日のギャラになります、そしてそのお金がアロマ基金に募金する僕の気持ちです。岸川さんからCD販売をしてと言われましたが、今日に関してそれは無いと思い、CD販売はしませんでした。

 僕の歌った後、中嶋さんたちのビートルズコピーバンド、そして素敵な歌声の女性ボーカルを主にしたバンド演奏。そしてフィナーレは、岸川夫婦の歌うアロマの歌そして盲導犬音頭、そこで僕はステージの隅っこで、太鼓を叩いていました。パーカッション初体験、楽しかった。

 長い長いイベントは5時前に終了。ちょっと長すぎて疲れたかな?。朝10時から午後5時まで総て参加して、とっても楽しい一日を過ごしました。ここ数日疲れきっていた体がリフレッシュしたような気がします。

 岸川マッサージ3階に帰って、今日は体調がいい感じがするので、日本3大美肌湯の嬉野温泉の銭湯に出掛け、ゆっくり湯に浸かって身体をほぐした。肌はすべすべツルツルだ。

 さーて、今夜もゆっくり寝よう。

569日目 遊湯広場

2005年10月16日 01時22分06秒 | Weblog
10月15日

 今夜のライブは、嬉野温泉街にある遊湯広場。中嶋さんの設定で、春に続き2度目だ。その前に、公会堂で明日行われる、第2回盲導犬フェスティバルの音あわせがあるので3時に公会堂に出かける事にしている。今日も良く寝た。10時間。この3日間で4日分ほど眠っている、それでもまだ身体が硬い。喉の調子ももうひとつ良くない感じがする。体温計で測ってみたら36度4部あった、微熱気味だ。昨日までは怖くて測らなかったのだが、37度近くあったのだろう。腰の痛みは幾分快方に向かいだしたようだ。

 近くのファミレスで食事を済ませ、公会堂に出掛けた。鍋島さんというドラムの人が、明日、中嶋さん達のバンドでドラムをたたくという事で、MDに合わせて3曲ほどたたいていた、めっちゃ上手かった。彼は、真っ黒な盲導犬を従えた全盲の人だ。近くに住んでいれば一緒に演奏してもらいたいようなドラムをたたいていた。僕のリハーサルは簡単にランナーを途中まで歌って、後はミキサーの中嶋さんに任せる事にした。岸川さん夫婦の音合わせも終わり、5時半に中嶋さんの先導で、遊湯広場に。

 久しぶりに車から音響機材を出してセッティング。今夜は、前座で、嬉野在住の盲目の歌手、松山さんが唄ってくれる。松山千春さん並の歌声で、道行く人をしばし立ち止まらせていた。甘い歌声が3曲終わって、僕の出番だ。中嶋さん達ビートルズ大好き人が数人集まってくれて街角公園ライブを堪能してくれた。お客さんは数えるほどしかいなかったが、外で歌うと気持ちがいいのだ、1時間ほどのライブを終えて、コンビニで弁当とお酒を買って、岸川マッサージ3階の定宿に戻った。

 弁当を食べ終えてしばらくしたら、人の気配がする。隣の部屋、ライブハウス・アロマ館にドラムの鍋島さんがやってきていて、岸川さんたちがカラオケで歌うときに生ドラムをたたいてもらうという事で、練習をするそうだ。僕もやる事が無いので、座って聞かせてもらっていた。岸川さんも奥さんの洋子さんも歌手だ。とってもいい声をしている。生ドラムが入って岸川さん、心地よさそうに歌っていた。岸川さんの作った盲導犬音頭を聞いているうちに、そこにあった太鼓をたたきたくなって、ちょっと遊びで参加したら、いい感じとみんなにおだてられ、明日のフィナーレで一緒にたたく事になった。明日は、パーカッション奏者(あくまで遊び)としての初舞台だ。夜11時を過ぎ、皆さんは帰っていった。

 此処のところ、身体の調子もだが、又又パソコンの調子が悪くなってきた。CDの焼付けが上手く出来ないのだ。前回、住所録やメールリストを無くした時も同じような症状になっていた。此処のところ稼ぎは少なく、ギターの修理代やギターの購入費など多額のお金を使っている。もうこれ以上、高額なものは買えない、CDを焼けなくなると少ない稼ぎが、又少なくなってしまう。あー…大ピンチ。といっても、大ピンチは今日に始まった事ではないか。まー、何とかなるだろう。

568日目 DEAR JOHN

2005年10月15日 02時13分05秒 | Weblog
10月14日

 昨日、滋賀県守山市の藤木猛氏からメールが入っていた。何を間違ったか…という出だしだった。藤木君は市議会議員をしているのだが、何を間違ったか市議会議長に任命されてしまったらしい。
 いや、何にも間違っちゃいない、反発を食らいながらも人権と平和の問題を青年団の頃から真剣に取り組んできた人だ、市議会の運営を健やかに進める役に着くのは当然だ。40代前半の若さだが、彼のやってきた事からすれば議長は当然の位置だ。
 でも、少しの不安もある。バリバリ意見を言う議員だったはずの藤木君を、意見を言わせない場所に置いたのだとしたら、老齢議員たちの思う壺にはまるかもしれない。
 でも、とにかく嬉しい報告だった。

 朝何度も目が覚めたが、身体が…特に腰が痛むので、そのまま寝続けた。11時に一度起きたが、どうにも身体がだるく、又12時過ぎに横になった。2時半ごろ受付の女性がやってきて目が覚めた。
 岸川さんのTV撮影があるので手伝って欲しいという。2階のマッサージ室に出掛けると、アロマと岸川さんがマッサージ台の所に居た。僕は、治療してもらう人になるらしい。上半身裸になって、針を打ってもらった。撮影されているのかいないのかはうつ伏せになった僕にはわからない。ほんの短い時間で撮影は終了。僕は3階に戻った。まだ腰がかなり痛い。夜のライブは武雄市、此処を6時に出ればいいというので、それまで横になっているしかない。

 5時過ぎに、食事もしたいので岸川マッサージを出た。左骨盤の上辺りの腰が鉛のように固まって鈍痛がし続けている。車に乗って走り始めたが、腰の痛みは消えない。今夜のライブ会場武雄市のディアージョンに向かう途中、コンビニによってジュースを買って、そのついでに藤木君にメールを入れた。そんな頃、中嶋さんから連絡があって、武雄温泉駅の先の道端でハザードランプをつけて待っていてくれとの事だった。6時半に到着、すぐに中嶋さんもやってきてくれて、先導されてディアージョンへ。

 ビートルズの流れるカレーハウスだ。時折ビートルズコピーバンドの演奏もやっているらしい。店は狭くは無かったが、自然な響きの木造だったので、完全生でやる事にした。

 マスターは、ま、適当にやってよというかんじの結構気だるい雰囲気の人。表面が気だるい人に限って、心は熱かったりするのだ。

 中嶋さんが集めた人達が8人ほど(おひねりが8千円だったから)やってきてくれて7時15分からライブ開始。1時間半、岸川さんの所では人生の先輩が多かったので静かな曲を中心に唄ったが、今日はガンガンのロックンロール…ちょっとやりすぎて腰から肩まで固まってしまった。

 気だるい表情の心の熱いマスターが、カレーライスをご馳走してくれた。その熱い思いは、カレールーに託して、僕の口に広がっていった。

 岸川マッサージ3階に帰ってきたが、身体はますます固まってきている。はっきりいって全身が痛い。今夜もとことん眠るだけだ。

567日目 岸川マッサージ駐車場

2005年10月13日 23時27分31秒 | Weblog
10月13日

 昨夜12時過ぎに眠って。…眠るは眠るは、よくもこんなに眠れるものだ、目が覚めたのは午後2時半。14時間も眠っていた。まだ眠い感じがしたが、さすがにそれ以上眠る体力は無かった。

 眠りすぎたのか、此処まで眠っても疲れが取れないのか、どちらにしろ身体は重い。起きても、畳の上でごろごろ。5時になってやっとご飯を食べる為に動き出した。2階のマッサージルームに下りると、受付の女性が、岸川さんの家に向かって欲しいと言った。離れた駐車場に向かい車から必要なものをとって、岸川さんの家に向かって歩き出したら、岸川さんがやってきた。声をかけて近づくと、今日のライブの会場設定の相談をしたかったということで、そのまま又お店に向かった。今日は、お客さんをどんな風にして呼んだらいいだろうと昨日もらしていたのを聞いている。いろいろ考えた末、1階の駐車場でやる事にしたようだ。二人で駐車場のスペースに立ち、7時始まりというより流動的にやりましょうという事で、今夜は道行く人の参加も期待して駐車場に決定。

 岸川さんとはそこで別れ、近くのファミレスで朝・昼・夜飯を食べて岸川マッサージの3階に戻った。おなかが一杯になったせいか、またまた眠くなってきた。腕枕で畳の上にねっころがった途端に意識は夢の中。ハッとして目が覚めたのは7時。1時間以上も眠ってしまった。

 7時半になって、2階から僕を呼ぶ声がした。ギターと譜面台を持って駐車場に降りると、岸川さん夫婦が待っていてくれた。小さな照明をセットしていてくれたが光が弱い。僕の車にある照明器具を持ってくることにした。駐車場の蛍光灯を消してもらい、僕の照明機材で2箇所から光を当てて、それなりの雰囲気を出す事が出来た。お客さんは簡単には集まらなかったが、1時間半ひたすらに唄った。通りがから意の人達はなかなか立ち止まってはくれなかったが、マッサージに来たお客さんや、近所の人がポツリポツリと寄っては消え寄っては消えしながら、最後まで岸川夫婦だけになることは無かった。とりあえず、岸川さんの努力のおかげで今日もライブ成立。

 奥さんに教わった、近くの銭湯(350円)に出掛けて、美肌湯で今日もお肌ツルツル。

 つかれきった身体を癒すため、今夜もぐっすり眠るぞー。

 と日記を書き終わった頃に、岸川さんの奥さん洋子さんが漢方薬を持ってやってきた。僕が眠りすぎるぐらい疲れているのを心配して僕の身体を癒すために高価な漢方薬を飲ませてくれた。
 そのせいだろうか、やたら元気になって、まだ未完成の、仮タイトル「再生」の歌詞を作り始めた。

 日付が変わった午前二時、出来上がった。詩のタイトルは「壊れかけたギター」。

 では、その詩を発表します。


    壊れかけたギター


 壊れかけた古いギターを取り出して
 合わない音に声を合わせて唄いだす
 心のどこかで奇跡を信じちゃいるけれど
 チューニングは狂ったまま
   ステージに背を向けまばらに座ったお客を相手に
   それでも今日をただひたすらに
   ギターのネックは折れそうなままでつながっている
   夢のかけらにすがるように

 ギャラより高い交通費なんて歌があったね
 古い昔のフォークソングの時代にさ
 今も昔も何んにも変わっちゃいないのさ
 旅する心に隙間風
   もうやめよう終わりにしようよこれが最後だって
   稼ぎも無くて唄い続ける事は
   ステージに背を向けまばらに座ったお客を相手に
   それでも今日をただひたすらに


 取っ手の取れたギターケースを車に積み込んで
 次の街に夢をつないで又走り出す
 燃料タンクは底をついてあえぎだし
 雨にぬかるむ道を行く
   明日の仕事はとりあえずあるがその先は無く
   それでも今をただひたすらに
   その気になればやり直せるのさ何度でも
   奇跡は起こすもの

 倒した車のバックシートにこびりついた汗と
 焼けたエンジンオイルのにおいが混ざってる
 今夜の宿はオンボロ車さこの俺の
 安酒あおって眠るだけ
   フロントライトを消した先の闇の向こうには
   必ず俺の道が続いている
   老いて行くのは肉体(からだ)じゃないのさ 諦めからさ
   やり直せるのさ又何度でも 

 壊れかけた古いギターを取り出して
 合わない音に声を合わせて唄いだす
 心のどこかで奇跡を信じちゃいるけれど
 チューニングは狂ったまま
   その気になればやり直せるのさ何度でも
   奇跡は起こすもの
   老いてゆくのは肉体(からだ)じゃないのさ 諦めからさ
   やり直せるのさ又何度でも 
   やり直せるのさ又何度でも
   やり直せるのさ 

566日目 岸川音楽事務所アロマ館

2005年10月13日 00時09分22秒 | Weblog
10月12日

今夜もお客さんが帰った後に写真の事を思い出して、アロマに登場してもらいました。

 今日は又、めちゃんこいい天気。9時半に目覚めた。汗は大量にはかいていないが、ねっとり脂汗。昨日までの日記をブログに書き込んでいたのでシートを倒して眠ったのは4時を過ぎていた。5時間は眠ったのだが、連日の寝不足。さすがに頭はなかなか起きてくれない。ボーっとしながら、トイレに立った。そのついでに朝ごはんをと思ったが食欲はまるで無かった。

 浮遊病者状態で、次のパーキングに寄ってはトイレ、次のパーキングでやっと食事、武雄インターを降りるまでボーっ…。脂汗でギラついた身体をきれいにしたい。武雄も温泉街だが、どうせ入浴するなら、お世話になる嬉野温泉街だと思い、前回やってきたときにも入浴した、嬉野館というホテルへ。ちょっと値段が高い分だけ人が来ないのか、僕一人の貸しきり状態だった。ゆっくり浸かって身体をリラックスさせていると、ガタイの大きな全身が黒く見える人が二人入ってきた。身体が黒いのではなく、全身刺青。一瞬ドキッとしたが、僕を意識しているわけではない。悠然と風呂に浸かる二人、心の中はちょっと動揺しているのだが、平然とした顔をして、あえて彼らの真正面(でも、距離は離れている)に座って浸かった。僕より後から入ってきた彼らだが、僕より先に出て行った。そこからは又貸しきり状態。ストレスも無くなり、ゆったりと温泉で身体をほぐした。

 風呂を出て、2時半、夕方頃着く予定にしていた岸川さんに電話した。家に居るからいつでもどうぞという事だった。髭剃り器の電池が突然なくなったので、電気屋さんを探して電池を購入して3時過ぎに岸川さんの家に到着。16日に行われる盲導犬フェスタの準備で、司会者の人やボランティアのお母さん達や子供達が来ていた。みんなが話しているのは解るのだが、寝不足続きの長距離走行、そして温泉で身体をリラックスさせすぎたようで、話半分も聞けない状態で、必死に笑顔を作っていた。何かの拍子に岸川夫婦とお母さん達が別室に行って話し始めたので、失礼は承知で、4時ごろ床にごろんと転がった。

 畑から帰ってきたというお母さんが、何も上にかけないで自分の腕枕で寝ている僕を見つけて、枕とタオルケットを僕にくれた。疲れきっている僕は、お礼を言ってタオルケットをかけてそのまま横になった。岸川さんの奥さんの声が遠くのほうで聞こえた。目を覚ますとすぐそばに居た。5時半、1時間半は眠った。頭はボーっとしているが、少し元気になった。岸川夫婦とお母さんと僕の4人で近くのファミレスで食事をして、今日の会場になる、岸川さんのマッサージ店の3階にある、ライブ空間・アロマ館に出掛ける。マッサージの店は水曜日の今日が休み。今夜のお客さんは、この店の、マッサージ師達が集まってくれる。開演は7時、みなさんきちっと集まってくれて、岸川さんの挨拶から始まってライブが始まった。皆さん人生の先輩達。身体が疲れていたこともあって、静かな曲を中心に進めたライブだった。お客さんは10人強とアロマ。人生の先輩達に甘えるように自分の世界を唄ったライブだった。

 そして、このアロマ館が、今夜から一週間の宿泊場所になる。岸川さんの絶大なるご好意に甘えて、一週間お邪魔する。今回の佐賀一週間は、岸川さんとの出会いを作ってくれた、嬉野在住の中嶋さんの存在が大きいのだ。一週間の間に3日間を岸川さんがそして残りの4日間を中嶋さんが作ってくれる。ライブ終了後、近くで用事を済ませてきたという中嶋さんもやってきてこれからの打ち合わせをして、11時前に解散。僕は、社員寮の駐車場に荷物を撮りに出掛けアロマ館に戻った。此処は、嬉野の歓楽街先ほどまで酔っぱらい客の声が聞こえていたが、静まった。12時前。

565日目 澁谷家日付変更線ライブ

2005年10月12日 00時40分44秒 | Weblog
10月11日

 12時を過ぎて、日付変更線の始まりだ。ご近所に迷惑が掛からないように窓を全部閉め、僕はなるべく声を殺して唄った。30分ほどの短いライブだった。が疲れきっている。寝不足のまま、600km近くを走って、休むことなく1時間半のライブをこなして飲み始めたものだから、酔いもすっかり回っていた。

 ライブ終了後も、語り続けた。梨恵ちゃんは眠ってしまい、青年も1時半ごろ帰っていった。53歳のおやじ二人が語って語って気がついたときは4時半を回っていた。

 11時半過ぎに目覚めた。ぐっすり眠った。朝ごはんを頂いて、昨日歌を聞けなかったたえちゃんに2曲歌をプレゼントして1時過ぎに澁谷さん宅を出発。明日のライブは佐賀県嬉野町の岸川さんのスタジオだ。行ける所までのんびり走った。
 眠かった。でも眠らないままなんとなく走り続けたら、佐賀県まで来てしまった。深夜12時に佐賀市近くのパーキングエリアについて、今夜はここで過ごす事にした。

564日目 SPICE NOTE

2005年10月10日 22時46分26秒 | Weblog
10月10日

 目覚めたのが10時。目覚ましを掛けたつもりが完了を押していなくて鳴らなかった。8時に起きて9時に出発するつもりだったのに大失敗だ。大慌てで旅支度をして車に積み込んで出発できたのは10時半。いけないスピードで走りまくるしかない。行く先は、広島県福山市の澁谷さんの家だ。6時までには着かなければならない。布団にはいったのは朝の7時前だったから3時間しか眠っていない。だが、途中で仮眠する余裕も無い。
 とにもかくにも勝坂を出発した。いつもは三ケ日インターから高速道路に乗るのだが、少しでも時間を短縮するために浜松西インターに向かう。11時半過ぎに高速に乗る。此処からはいけないスピードで走り続けるしかない。心配させてはならないと、澁谷さんに電話するのは大阪府吹田市に着くまで待った。睡眠不足のはずだが緊張感のせいかラッキーな事に、眠くはならなかった。吹田市あたりに差し掛かったのは3時前だった。これなら何とか6時には着けそうだ、でも休息は出来ない。腰が痛くなってきたが、かまわず走り続け5時半に山陽自動車道の福山東インターを降りた。芦田という地域に澁谷さんの家はある。道を間違った、イメージで澁谷さんの家を目指して走ったが解らない。でも、きっとこの近くだろうと思える辺りに車を止めて電話した。家から1kmと離れていないところに止まっていた僕を見つけてくれた澁谷さんに先導されて家に到着。6時半を過ぎていたが、ライブは8時から、ヒヤヒヤしたが無事到着だ。

 梨恵ちゃんの運転で、澁谷さんと3人で今夜のライブ会場のSPICE・NOTEへ。お酒も飲めるしゃれたカレー屋さん(僕の勝手なイメージです)といった感じの店だ。カレーライスを食べに来ていたお客さんたちが帰るまで待って、8時15分ごろからライブは始まった。お店に来ていたお客さん達と、梨恵ちゃんの昔の職場仲間達がお客さんだ、途中でカレーを食べに来た若者達の話し声が気にはなったが食べ終わって帰っていったので一安心。若者達ばかりだったので、テンポのいい曲を中心に1時間半を唄い終えた。
 店に来ていた若者達が手拍子を始めてくれ、又違う席の女性二人は真剣に聞き入ってくれていた。
 反応はどうかと心配していたのだが、若者達みんなで僕を盛り上げてくれて、楽しい時間があっという間に過ぎていった。最後に、梨恵ちゃんの意見で、10月3日に33歳の誕生日を迎えたというマスターに、僕のギターでみんなで「ハッピバースデイ」を唄って終了。

 しばらくして、帰りも梨恵ちゃんの運転で澁谷さんの家へ戻った。そして、日付変更線ライブまでの時間を、澁谷さんの作ってくれた肴をいただきながら語り飲んだ。

 そんな頃、SPICE・NOTEを紹介してくれた青年がやってきてくれた。そして12時が過ぎた。

563日目 両鈴木家結婚披露宴

2005年10月09日 22時24分03秒 | Weblog
10月 9日

 昨夜の間に、明日からの長旅の私宅を整えようと思っていたのだが何もしないまま時間を過ごしてしまった。旅支度が整ったら今日の結婚披露宴ライブが終わり次第広島に向かうつもりだったのだが、無理だ。もう一度勝坂に戻って、仮眠をして広島に向かうしかない。

 今日の依頼者は、鈴木義雄さん。義雄さんの息子さんの結婚式、そして披露宴でのライブだ。2時から式が始まるというので、10時過ぎに出発。教会と披露宴会場がひとつになった式場には2時少し前に到着できた。協会での式に参加し、そのまま披露宴会場へ。

 仲人の居ない結婚式。無駄の無い進行の素敵な結婚披露宴だった。義雄さんから3曲歌ってくれと頼まれていた。「生まれたばかりのハーモニー」そして義雄さんからのリクエストの「ランナー」後一曲が浮かばなかったが、隣の席に座っていた押切さんがビートルズナンバーの「ロングアンドワインリングロード」がいいんじゃないかとアドバイスしてくれたおかげで歌う3曲が決まった。ランナーは結構長い歌だったので15分の持ち時間を越えるほどの熱唱になった。式が終わった後、何人かの人達にほめられた。俺はプロだと言いたかったが言葉を呑んで頭を下げ続けた。でも、ほめられるのは嬉しい事だ。

 披露宴終了後、勝坂に戻った。その帰り道、お茶園の栗崎君の家によって、春野町のお茶を買った。これから行くところの人達へのお土産だ。栗崎園は農林大臣賞もとっているし、今年九州の福岡県八女市で行われた品評会でも二位をとった美味しいお茶を作る御茶屋さんなのだ。ちょっといいものを10袋買って勝坂に戻った。旅支度を終え、それから、CDの「ベストVol.1」のジャケットを90枚印刷。そんな事をしているうちに広島まで走らなくてはならないと言うのに、朝になってしまった。