10月26日
昨日は、子供たちの声が聞こえていても起きれなかった。でも今日は7時半には布団を蹴っ飛ばして起きだした。少しだけ体調が良くなってきたかなと、希望的観測?。
朝食に誘われて、浜地家族と柳田さんと6人で食卓を飾った。食事を終えて、すぐに、昨日のライブを終えた後片付けた機材を車に積み込んだ。長居をしては失礼だと思い、9時前に、浜地家を出発した。
今日のライブは、薩摩半島の砂風呂で有名な指宿市の旅館「白波荘」。紹介してくれたのは、隼人町の今村さんだ。
鹿児島中央駅にあるショッピングプラザでギターの弦とカッポダストを購入。カッポダストは沢山の種類があって、今まで使っていたものがアコースティックギター用のものではなかったことを発見。当然アコースティック用のカッポダストを選んだ。今夜演奏するのが楽しみだ。
4時に白波荘に到着。ご主人の肥後さんが迎えてくれた。この旅館はバスの運転手さんや乗務員の人達の宿泊場所になっている。そのバスの乗務員さん達が夕食の時を食べる大広間で演奏して欲しいという。食事が始まってすぐという意見だったが、食べ物を食べているときには集中できないから、食べ終わった頃に演奏を始めようと言う事になった。7時半がいいだろうという事だったが、奥さんが迎えに来てくれたのは、7時を少し過ぎた頃だった。慌てて、ギターと譜面台を持ってすぐ隣の大広間へ。
ライブがあることを知らされていなかったバス乗務員の人達は、当然のように驚いていた。でも、後で知ったのだが、霧島観光とさつま交通の人達は、今村さんから連絡があってライブのことは知っていたようだった。
何も知らない人達の前での突然のライブだと思っていた僕自身はドキドキしていたのだが、一曲目から手拍子が出てびっくり。お客さんたちに乗せられて、約30分の短いライブだったがものすごく気持ちのいい時間になった。その後、ご主人の肥後さんとバス乗務員の人達3人と近くの飲み屋に歩いて出掛けて11時頃まで飲んで宿に戻った。
どうなる事かと、ものすごく心配して胃が痛くなってしまっていた気の弱い高橋だったが、心配していただけにそうならなかった事にほっとしていい気分の夜になった。
あっ、忘れていた。今までのカッポダストは、はめるたびにチューニングしなくてはならなかったのだが、やっぱりアコースティック用は、当たり前の事だがアコースティックギターにぴったりするように出来ていた。今までの苦労が何だったのかと、どじな自分に笑ってしまった高橋でした。
昨日は、子供たちの声が聞こえていても起きれなかった。でも今日は7時半には布団を蹴っ飛ばして起きだした。少しだけ体調が良くなってきたかなと、希望的観測?。
朝食に誘われて、浜地家族と柳田さんと6人で食卓を飾った。食事を終えて、すぐに、昨日のライブを終えた後片付けた機材を車に積み込んだ。長居をしては失礼だと思い、9時前に、浜地家を出発した。
今日のライブは、薩摩半島の砂風呂で有名な指宿市の旅館「白波荘」。紹介してくれたのは、隼人町の今村さんだ。
鹿児島中央駅にあるショッピングプラザでギターの弦とカッポダストを購入。カッポダストは沢山の種類があって、今まで使っていたものがアコースティックギター用のものではなかったことを発見。当然アコースティック用のカッポダストを選んだ。今夜演奏するのが楽しみだ。
4時に白波荘に到着。ご主人の肥後さんが迎えてくれた。この旅館はバスの運転手さんや乗務員の人達の宿泊場所になっている。そのバスの乗務員さん達が夕食の時を食べる大広間で演奏して欲しいという。食事が始まってすぐという意見だったが、食べ物を食べているときには集中できないから、食べ終わった頃に演奏を始めようと言う事になった。7時半がいいだろうという事だったが、奥さんが迎えに来てくれたのは、7時を少し過ぎた頃だった。慌てて、ギターと譜面台を持ってすぐ隣の大広間へ。
ライブがあることを知らされていなかったバス乗務員の人達は、当然のように驚いていた。でも、後で知ったのだが、霧島観光とさつま交通の人達は、今村さんから連絡があってライブのことは知っていたようだった。
何も知らない人達の前での突然のライブだと思っていた僕自身はドキドキしていたのだが、一曲目から手拍子が出てびっくり。お客さんたちに乗せられて、約30分の短いライブだったがものすごく気持ちのいい時間になった。その後、ご主人の肥後さんとバス乗務員の人達3人と近くの飲み屋に歩いて出掛けて11時頃まで飲んで宿に戻った。
どうなる事かと、ものすごく心配して胃が痛くなってしまっていた気の弱い高橋だったが、心配していただけにそうならなかった事にほっとしていい気分の夜になった。
あっ、忘れていた。今までのカッポダストは、はめるたびにチューニングしなくてはならなかったのだが、やっぱりアコースティック用は、当たり前の事だがアコースティックギターにぴったりするように出来ていた。今までの苦労が何だったのかと、どじな自分に笑ってしまった高橋でした。