何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

580日目 白波荘

2005年10月26日 23時57分26秒 | Weblog
10月26日

 昨日は、子供たちの声が聞こえていても起きれなかった。でも今日は7時半には布団を蹴っ飛ばして起きだした。少しだけ体調が良くなってきたかなと、希望的観測?。

 朝食に誘われて、浜地家族と柳田さんと6人で食卓を飾った。食事を終えて、すぐに、昨日のライブを終えた後片付けた機材を車に積み込んだ。長居をしては失礼だと思い、9時前に、浜地家を出発した。

 今日のライブは、薩摩半島の砂風呂で有名な指宿市の旅館「白波荘」。紹介してくれたのは、隼人町の今村さんだ。

 鹿児島中央駅にあるショッピングプラザでギターの弦とカッポダストを購入。カッポダストは沢山の種類があって、今まで使っていたものがアコースティックギター用のものではなかったことを発見。当然アコースティック用のカッポダストを選んだ。今夜演奏するのが楽しみだ。

 4時に白波荘に到着。ご主人の肥後さんが迎えてくれた。この旅館はバスの運転手さんや乗務員の人達の宿泊場所になっている。そのバスの乗務員さん達が夕食の時を食べる大広間で演奏して欲しいという。食事が始まってすぐという意見だったが、食べ物を食べているときには集中できないから、食べ終わった頃に演奏を始めようと言う事になった。7時半がいいだろうという事だったが、奥さんが迎えに来てくれたのは、7時を少し過ぎた頃だった。慌てて、ギターと譜面台を持ってすぐ隣の大広間へ。
 ライブがあることを知らされていなかったバス乗務員の人達は、当然のように驚いていた。でも、後で知ったのだが、霧島観光とさつま交通の人達は、今村さんから連絡があってライブのことは知っていたようだった。
 何も知らない人達の前での突然のライブだと思っていた僕自身はドキドキしていたのだが、一曲目から手拍子が出てびっくり。お客さんたちに乗せられて、約30分の短いライブだったがものすごく気持ちのいい時間になった。その後、ご主人の肥後さんとバス乗務員の人達3人と近くの飲み屋に歩いて出掛けて11時頃まで飲んで宿に戻った。

 どうなる事かと、ものすごく心配して胃が痛くなってしまっていた気の弱い高橋だったが、心配していただけにそうならなかった事にほっとしていい気分の夜になった。

 あっ、忘れていた。今までのカッポダストは、はめるたびにチューニングしなくてはならなかったのだが、やっぱりアコースティック用は、当たり前の事だがアコースティックギターにぴったりするように出来ていた。今までの苦労が何だったのかと、どじな自分に笑ってしまった高橋でした。

579日目 浜地宅庭製作祝いホームコンサート

2005年10月26日 18時28分19秒 | Weblog
10月25日

 朝10時前まで眠っていた。でも、まだ体中が重い。朝食を頂いて、日記の続きを書いて、11時過ぎに、温泉に向かった。1時間半ほどゆっくりと湯に浸かり、身体をほぐしたが、だるいのは消えない。

 浜地さんが夕方6時ごろ帰ってくると言っていたので、温泉を出てから、加治木の町に出て時間をつぶした。そして6時に浜地家に帰ると、ちょうど浜地さん夫婦も帰ってきたところだった。

 昨日のライブの後、浜地さんはいろんな人に声を掛けてくれて、前回、春にライブをさせてもらったとき来てくれた紙職人の野田さんには、この後28日にライブが出来る段取りを組んでくれた。そして、今夜もお客さんとして来てくれるそうだ。前回、何箇所かライブを決めてくれた柳田さんも鹿屋から来てくれるという。それでも、急な事なので、お客さんが集まらなくて申し訳ないとしきりに謝る浜地さん、こちらの方が恐縮してしまうほどだ。

 昨夜参加してくれた丸野君も、自分は途中からしか参加できないけどと言いつつ、自分のところにやってきたお客さんを誘ってつれて来てくれた。家の持ち主や、前回ライブ企画してくれた古城さん、浜地さんたちの仲間の早川さん、野田夫婦そしてなぜか植木職人さん、などなど。

 7時半からライブが始まった。まずは浜地さんの挨拶から。人集めするためには何か理由がないと考えてくれた浜地さんは、広い敷地の一角に、庭大工さんとともに小さな庭園を造ったので、今日はそのお披露目をかねてのライブだと語った。その心遣い、感謝のきわみです。

 そんな、浜地さんの思いに答えるべく、今夜は、音響機材を車から出してセットし、大きな音で聴いてもらうことにした。話は少なく、とにかく沢山聞いてもらおうと1時間半頑張った。疲れはまだ取れていなく、唄うたびに肩が張ってくる。首を回すのも辛いぐらいだったが、気分は爽快だった。1時間半のライブを終え、そのまま宴会。最後まで残ったのは植木職人さんと、柳田さん。もっと付き合って居たかったが、かなり眠くなってきて、12時ごろ、申し訳ないといいながら布団にもぐった。