何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

582日目 和紙ギャラリー

2005年10月31日 11時43分44秒 | Weblog
10月28日

 朝、9時には目が覚めた。体調は完璧ではない、やっぱり腰が痛いのだ。それでも9時半には肥後さんに見送られて白波荘を出発した。今夜のライブは、先日、蒲生町の浜地さん宅のホームコンサートに来てくれた野田さんのアトリエでもある展示場の「和紙ギャラリー」。そんなに遠い距離ではないので、のんびり行く事にした。途中途中で見つけた本屋さんや古本屋さんには必ず入って、聖書を探したが何処にもおいていなかった。鹿児島の本屋さんに入って不思議に思うのが、宗教関係の本がどの店でも少ない、他県でもそうなのかもしれないが、特に少ないような気がする。鹿児島県には心に病をもった人が少ないのかもしれない。という事は、生きる事が上手な人が多いという事なのかな?。僕はいつも悩んでいる、心も身体も病んだまま毎日のライブを続けている。…何のために…、それがわからない、でも、その事を知りたいがために、今日も唄い続ける。

 夕方4時過ぎに、蒲生町の町外れの山間部に「和紙ギャラリー」はあった。元は小学校だったという跡地に、鉄道工事の事務所だったという鉄筋の倉庫のような大きな四角い建物が建っていた。そこが、和紙ギャラリー、そしてアトリエ、そして野田さん一家の住居でもある。玄関を入ると、外見とはまったく違って、展示された和紙を通してやわらかい光が満ち溢れたやさしい空間に包まれる。アーティスト野田さんの感性が作り上げた空間だ。奥さんが迎えてくれ、今日から始まる個展「あかり展」の作品作りをしている野田さんがアトリエから顔を出してくれた。一杯コーヒーを頂いて、僕は音響機材を車から運び出しセッティング。音を出してみた、鉄筋で出来たい家だから響き過ぎないかと心配していたが、展示された和紙の作品たちが僕の出す音を適度に吸収してくれて、やさしい響きが会場全体に行き渡っていく感じだ。
 とっても気持ちが良くて、普段、リハーサルをほとんどやらない僕だが、一人心地よい気分にしたって、何曲も何曲も唄っていた。

 7時前、農業をしてるという人が子供さんと二人でやってきてくれた。外は雨が降り出していた。ぽつりぽつりと人が訪れるが、客足は悪い。明日が土曜という事もあって、今日展示会に訪れる人は少ないのかもしれない。7時半に、少人数の中ライブを始めた。唄い始めてから、次次にお客さんがやってきた。並べられた椅子の数を超え15人以上の人が集まってくれた。でも僕にとって、今日のライブはお客さんの多い少ないは関係なかった。唄っていて、凄く気持ちがいいのだ。お客さんが一人も居なくっても心地よく唄う事が出来ただろう。でも、お客さんが居て初めてのライブだ。素敵なお客さんたちが集まった。気がついたら1時間半を超えて2時間近くのライブになってしまっていた。

 その後は、皆さんで、飲んで語って時間は飛ぶように過ぎていった。12時前にはお客さん達は帰り、野田さん夫婦と僕の3人になった。大いに語りまくる野田さんの話を楽しく聞かせてもらっているうちに午前3時が過ぎていた。そのまま、僕は2階の部屋に泊めてもらった。
 とっても優しい気持ちになって。

581日目 スナックほの香

2005年10月31日 11時40分10秒 | Weblog
10月27日

 せっかく指宿に来たのだから、今日は砂風呂に入ろうと思っていた。以前、鹿児島県青少年連絡会議の事務局をしていた、みどりちゃんと来て、砂風呂に入ったことがある。下から地熱が攻めてきて結構熱かったが、かけられた砂の重みが身体中を指圧してくれているようで気持ちよかった覚えがある。

 目が覚めたのは8時、掃除のおばさんに起こされたが、掃除は断って又布団にもぐりこんだ。どうにも体調が戻らない。疲れ切った身体は、元にはなかなか戻ってくれないようだ。10時前に起きたときには寝汗をかいていた。どうやら、微熱はずーっと続いているようだ。
 という事で、砂風呂はあきらめて、体を横たえてごろごろする事に決めた。テレビをつけると、大リーグのワールドシリーズを放映していた。それを見ながら身体を横たえていると又眠ってしまった。歳をとると眠る力が無くなると言うが、体調が悪いなりにもこれだけ眠れるという事は、まだ大丈夫という事かもしれない。
 目が覚めたら、井口の居るホワイトソックスが1対0で勝っていた。そして、ホワイトソックスの勝利。ワールドチャンピオンになった。沢山の日本選手が大リーグに参戦して、素晴らしい記録を残してもなかなかワールドチャンピオンにはなれないのに、井口は1年目で栄光の中に居る。恵まれた星の下に生きている人は必ず居る。僕は、その星の下には居ないのだろう。でも、あきらめません。

 先日、本屋さんでマザーテレサさんの言葉を集めた文庫本を買った。素晴らしい生き方をした人の一言一言は深く胸に染入って来る。古本屋さんで、普段語ることの少ないというマザーテレサがインタビューに答える形式の単行本を見つけた。信仰心に熱く、聖書の教えを忠実に守って謙虚に生きた人柄があふれていた。謙虚に生き続けた人だが、その素晴らしい行動力は常人のものじゃない。
 信仰心を持たない僕には考えられない世界だが、だがマザーテレサは聖書の教えを忠実に守り祈る事によって神に近づき、成すべき事を見つけ、迷うことなくその道を歩み続けた。
 53歳になった今まだ、僕は、何を成すべきなのか、どんな道を歩いていけばいいのかわからないままだ。少し気持ちが重くなってきてしまった。

 マザーテレサが信じた聖書を読みたくなった。食事を取るためそして聖書を手に入れたくて車で指宿の街中を走り回った。何軒か本屋さんを回ったが聖書は置かれていなかった。また何処かで手に入れることにして、白波荘に戻ろうとしたら肥後さんから電話が掛かった。夕食を作ってくれるという電話だった。しまった、すでに晩御飯用の弁当を購入していたのだ。でもそれは朝食用にして夕食を頂く事にした。

 今夜のライブは、「スナックほの香」、肥後さんの行きつけの店だ。8時半に奥さんの運転で肥後さんと僕、そして肥後さんの友達と共に出発。店は、10人ほど入ると一杯の小さなカラオケスナックだった。ママが声をかけて集まってくれたお客さんで店はいっぱいになった。まー、それなりの状況で1時間程度でライブは終了した。年齢層は高かったがそれなりに楽しんでもらえたようだ。その後、体調は良くなかったのだが、12時ごろまで飲んで、珍しく僕がにがてのカラオケで唄った。ま、たまにはいいだろう。そして、タクシーで白波荘に送ってもらった。