何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

命と向き会おうとして一年

2015年10月28日 17時55分14秒 | Weblog
毎日のように美観部の仕事が続く。
今は正式部員として作業を手伝って入るが、きっかけになったのが一年前。
まだ病気の事は分からないままに、しょっちゅう倒れるのでライブ活動もやめようとしていた。
それでも無意識に病気と闘おうとしていたのだろう。
散歩を始めた。
毎日続けようなんて思ってもいなかった。
でもいつの頃からか、散歩から帰って来ると親父たちが
たむろっているようになった。
毎朝、話しているうちに美観部を手伝うようになり、自治会の役員にも参加するようになった。

おやじ会議がなかったら散歩も続いていないだろうし脊髄小脳変性症が発覚した後ふさぎ込んでしまっていたかも知れない。
おやじ会議は今の僕の心の支えになっている。

病気が発覚して一年。
命としっかり向き会おうとするのだが、エモ言えない恐怖に打ちのめされ忙しさににげこんでしまう。
忙しさに紛れている時は病気の事も忘れていられるのだが、死に対する事も含め、身体が動かなくなる事えの恐怖が無意識の中で増幅し、それが夢になって奈落の底に
僕を何度も突き落とした。
落ちる恐怖に、何かにすがろうとして、壁に手をつき、突き指したり、顔を引っ掻いて血を流したり、そんな事を何度も繰り返した。

落ちる夢は見なくなったが恐怖が消えたわけでは無い、ただ怖がる事に慣れただけだ。
強がっているだけで、未だに死と向き合えていない。

もっと強くならなきゃ。

朝二時間の美観部の作業を終え、午後一で難病認定証の更新の申請に市役所ヘ。

僕に出来ないことはない、今まで通り出来ないだけで、なんだって出来る。
出来ないは、やろうとしない奴の言い訳だ。

僕に出来ないことはない、恐怖に立ち向かい、死と向きあう日はかならずやってくる。
その日まで、しっかり苦しもう。
今僕に出来る事は、精一杯苦しむ事だ。