何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

おおぼらふき

2015年10月12日 20時20分47秒 | Weblog
渡辺久、ゆかり夫婦とジュゲムが僕の音楽人生の最後の分岐点になった。

渡辺久、ゆかり夫婦が企画してくれた、都留市の宝鏡寺ライブの打ち上げてやってきたジュゲムで唄ったのが、僕の人生最後の弾き語りライブになった。
初めて人前で弾き語りを披露したのは、中学3年生の卒業前のクラス会。
15歳からギターを弾いて唄い続け63歳まで、48年間弾き語り続けた。
人前で弾き語った回数は、数えた事はないが、3000回は越えるだろう
弾き語りシンガーの幕は、自分の意志じゃなく救急車で運ばれ緊急入院した事で降りた。
弾き語りシンガーとして、最後に唄った場所か、打ち上げ会場の、ジュゲムだった。

退院して初めてのライブ、記念すべき初の「アカペラライブ」もこのジュゲムだった。

ジュゲムのオーナーの伊藤さんは、20年以上前、東京のライブハウス、江古田のマーキーで僕の前座で唄った事がある人。

渡辺夫婦、伊藤さん、高橋忠史、何らかの縁で繋がっているんでしょうね。

昨日はアルバムを作り上げる為に、渡辺夫婦に東京まで連れて帰ってもらった。
ゆかりさんに、「出来た。とか言って、また始めるんでしょう。」と、言われたので「本当に出来上がったから、また始める事はもう無いですから。」。
昨夜部屋に戻ってパソコンを開いてミキシングソフトを起動したら叉アイデアが浮んだ。
ゆかりさんに宣言したしりから又始めてしまった。

おおぼらふきの高橋忠史は今日も最高の音を目指してしまうのです。

ジュゲムライブ

2015年10月12日 00時04分20秒 | Weblog
高橋忠史、アカペラ初ライブ。
緊張しまくっていたので、写真を撮り忘れた。
ので一週間前の孫の運動会です。

アカペラだけで、らいぶとして成立するのか?。
そんな不安はぶっ飛んだ。僕の歌は、ギター演奏なしでも、充分ライブとして通用する。
その事が証明できた。

僕は魂で唄うロックンローラー。

魂は歌声だけで届いた。

高橋忠史の新しいライブスタイルが誕生した。

「高橋忠史アカペラライブ」

どうだ!。