@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

父親

2020年11月30日 | Life
少しだけ思うことがあって書いてみようって思いました。

まずは自分の父親のことを簡単に(そのうちしっかり書きます)。

父は真面目な人間だと思います。
浮気やギャンブルなんかは絶対にしませんでした。
絶対というのは語弊があり、浮気に関しては子供ごときがわからない部分ではあります。
ギャンブルに関しては有馬記念くらいは・・・とか、ほんの少し時間があったからパチンコをくらいはやってました。でものめり込むことはありませんでした。
友達がたくさんいるタイプではなかったけど、やたらと人から慕われたり、時にはものすごく重大な相談をされたり・・・と言っても親父にはその重大な物事を解決する力もなければ方法論も知らなかったのだけど。

でも、家族からはどんな風に思われてたか?

僕は遊んでもらった記憶がほとんどありません。
でも、兄貴達は野球場に連れて行ってもらった、キャッチボールをした、釣りを教えてもらった・・・

ま、僕の時にはすでに子供を相手にすることに飽きてただろうし、それよりも何もかもめんどくさくなってたんじゃないかなーって思います。

親父は酒飲みでした。

親父の欠点は多々あれど、どれもこれも普通に一緒に家族として生活する分には問題のないものでした。
でも、この酒飲みってのだけはだめでした。

いわゆる、アルコール依存症で酒に伴って体を壊すことが何度もあり、最終的には脳萎縮、低ナトリウム血症を患い車椅子や歩行器がないと歩けなくなり、極度の物忘れ症状からそのまま認知症になってしまいました。

そして、僕の介護生活が始まるわけです。


男にとって父親は・・・


なんてことをよく言いますが、そんなことはありません。女性にとっても同じ思いはあるだろうし、男ではあってもなんとも思わない人もいます。

いうならば人それぞれです。間違いありません。


でも、僕にとって父親はどうでもいい存在でありながら、少なからず影響を受けてるしなんと言っても自分の人生で大事な時期を捧げてしまっているので、自分の人生を語るにあたって欠かせない存在になっています。



小学校の時の友人の話です。

友人はスポーツ万能、勉強もできる、イケメン、おうちはお金持ち・・・となんでも揃ってる人でした。
僕は最初は近づくのが怖いかなーなんて思っていたのですが、その友人も含めた大勢で遊ぶことがありました。ピカピカのサッカーボールをその友人は持ってきていたのですが、河原の方でなんかがあったらしく、みんな行ってしまいました。

僕はちょっと鈍い方だったので河原に行って転んだりするのはやばいなーと思い、その場に留まると伝えました。そしたら友人がちょっと持っててくれと、そのサッカーボールを僕に預けました。
まー、「少し」鈍い僕だったので、サッカーボールを落としてしまいます。水溜りにw

ドロドロになったサッカーボールを拾い上げて、

「どうしよう、怒られる・・・」

と、ビビったわけです。
友人達は5分程度で戻ってきたのですが、僕にとってその5分は永遠に感じてしまいました。やばい、殺されると。

「あの・・・ボール落としちゃった。ごめんなさい。」

友人の顔を見れるわけもなく俯いたままで言ったと思います。

「かまね」

友人はニコッと笑ってそう答えました。

「かまね」とは、構わないよーって意味っすね。そんなのどうってことないよ、構わないよと。

そう、その友人はさらに性格も良く優しかったのです。つまりはもうなんでもありなんです。


その友人のお父さんがある日突然亡くなりました。
仕事中の事故だったそうです。でも、風の噂では自殺とも謎の死とも言われていました。状況やもっと大人になってから聞いた風の噂を総合すると、多分、自殺だったのでしょう。

当時、友人とは違うクラスでした。
トイレでたまたま会った時に、大変だったねーとかそういうことは言えなくて、よー!とだけ挨拶したのを覚えています。友人も手を軽くあげるだけで返してくれました。

友人のお母さんっていうのはとても印象的な人だったのですが、お父さんがどんな人かは知りません。ただ、亡くなる1年前の学校の授業でなんでもいいから詩を書きなさいっていうのがあって、そこで友人がお父さんのことを詩にしていたことがやたらと印象に残っています。


「お父さん
 僕のお父さんはかっこいい
 僕のお父さんは優しい
 僕のお父さんはなんでもできる
 僕のお父さんは御仁王様みたいだ」


もう少し上手だったようなw
印象的だったのは最後の仁王様みたいだってフレーズ。
当時、みんな読んでた漫画の中に出てきたセリフから引用していたはず。その漫画では強さの象徴として仁王様を出していたのだ。
漫画の主人公が「御仁王様」と御をつけているのが少し癖があってよく覚えている。

友人は自分の父親を強さの象徴と評したわけなんだけど、お父さんの死はそれとは裏腹なものだった。

友人のお父さんの話はタブーだと誰かが言ったわけでもなかったけど、友人の前で話すのはだめな事となって、そしてそのまま友人とは疎遠になってしまった。


友人にとってのお父さんはどんな人だったのだろう?
友人の人生にとってお父さんはどんな影響を与えたのだろう?


たまにその友人のことを思い出すとこの2つの疑問が浮かんでしまう。
もっと大人になってから、それこそお酒を飲みながら、真面目に話をしてみたかったなー。



あなたにとっての家族ってどんなものですか?
あなたにとっての両親は?母親は?父親は?


こんなことを聞かれた時に僕は素直に全てを話すことができません。
母親のことはともかくとして、父親のことを話すのはとても複雑なことです。

嫌いではないんです。
憎んでもいないです。

でも・・・


僕ももう少しで人生の折り返しの年齢に差し掛かります。
ここまで生きていると、色んな家庭環境で育った人たちに出会います。
とても苦しんでいたり、とても幸せだったり、普通だったり、様々です。

父親を早く亡くしてしまっても、悪い部分を知らずに済んだからよかったという人もいました。それでも長生きして欲しかったという人とも出会いました。


友人にとってのお父さんはどんな人で、今、父親になった友人はどんな風に子供達に接しているんだろう。


僕はこう思います。
家庭環境は全てではない、両親の影響が全てではないと。
でも、何かしら心に引っ掛かるものがあった時、それを引きずってしまった時にはどうすればいいのだろうかと。

なんとなくですが、自分が父親になり自分の子供に対して自分が父親にやって欲しかったこと、思って欲しかったことを実践することが1つの乗り越える方法なのかなと。

でも、僕の場合はそれは無理そうです。
なんせ、結婚できませんでしたからw子供いませんからw


心理学的にはどうなんだろう。
代償とか投影とか色々な言葉を使って説明できそうですが、もう、そういう知識もなくなってしまいました。

人間はいかに自然に生きるかがテーマだと最近は思います。

自然とはいわゆる機械文明を否定して自然界に!!!!というのではなく、無理をしないでなるようになる感じだったり、普通に勉強して、遊んで、恋愛して、仕事をして、結婚をして、子供を作って、子育てして・・・こういう生き方をすることで自然とトラウマや父親のこと、その他苦労してきたことを乗り越えられるんじゃないかなと感じるんです。

友人は僕が知る限りはそんな自然な生き方ができているはずです。

だからこそ、そんな友人と父親の話がしたいと思いました。

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