@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

悪人であってもその人の立場で考えることは大事だとおもう。

2022年05月25日 | Life

仕事が手につかず、なんとなーくNHKを見てたらニュース速報が流れました。
アメリカでまたしても銃乱射事件です。子供が犠牲者に含まれる15人くらいの方が亡くなられたようです。

こんなことが続くのだからアメリカはさっさと銃を規制すべき!!

って思います。なんで規制できないのかっていうと、1つは経済の話。ホームセンターにすら銃が売っているアメリカです。銃に関わる産業、経済圏ってのが物凄く大きいものになってるわけですね。1つの産業が亡くなるとどれだけ多くの人が失業するのかってだけでも考えると恐ろしい事態です。
倫理的な話だけでは何ともできないところに来てしまってるんでしょうね。もう1つは自衛的な意味合いも強いんじゃないかって想像します。誰かが銃を持っているのならば、自分も持たないと安全ではない・・・ってやつですよね。これ、もっと大きな視点で見ると核兵器によって牽制しあってる国と同じ構造ですよね。銃を規制して、豊臣秀吉の刀狩のように全て放棄してもらっても、これだけ蔓延していたら自分の身を守るために1つ2つ隠し持つってのが人間だと思います。自分が隠し持つことを決断したり考えた時に、他の人も同じことをしている、考えていると思うわけです。銃社会から抜け出すことはかなり難しいんですよね。

じゃ、どうしてこういう乱射事件が起こるかって話ですね

少し前に日本で話題になった「無敵の人」の理論なのかなーって思います。
自分が何をしても、自分がいなくなっても、自分の大事な人迷惑をかけることがない、自分が死んでも悲しむ人はいない・・・だから何をやってもいい。

恐怖ですよね。

自分が限界に達したときに、一人死んでも悔しいだけ、この社会への怒り、自分を裏切った人達への怒り、自分を相手にしなかった人達への怒り・・・1つ大事にしてやろう、自分の死が単なる死にしないようにしよう、道連れにしてやろう・・・本当に怖い考え方です。自分が孤独あでるってこともその人の寂しさだし感情の1つ。道連れにされる人にだって同じような孤独を抱えてる人がいるかもしれない、それでも頑張ろうとしてる人がいるかもしれない、あなたに対して将来優しくしてくれる人がいるかもしれない。それぞれに人生があって、そのそれぞれに連なる人生があるのに無しにしようとする行為。

 

ちょっと昨日から長年の問題について深く考えて話をすることがあって、僕の心もかなり揺らめいてます。

僕はこの10年くらいで数人の人に嫌な事をしました。その人の大好きなものを奪うような、その人が居たいと思ってるところから離れさせるような。
あと、真実を話してる人達に対して、それは間違ってるふざけんなと言い続けたこともあります。僕は僕でこれが真実だと思っていたのですが、真実ではなかったです。僕が嘘をついてました。

僕はこの2つは一生忘れずに抱えていかなければならないと思ってます。

正義ってなんだろ?

幸せってなんだろう?

生きるってなんだろう?

そういう風にずっと考えてきました。
でもそれって絶対的なものと相対的なものが存在して、相対的なものを見てるときは自分が所属するコミュニティの中でうまくいくと思います。でも絶対的なものを見た時に嫉妬になったり、敵対したりするんだと思います。その絶対的なものが自らの中で自然と出来上がっていったものなら、それにプライドを持つべきって思いますが、他人に作られたものだったり、嘘や虚像から作り上げられたものならさっさと捨て去るべきです。

世の中が難しくなり生きる事が大変になりました。

 

ホワイト化されてる社会の中で真面目に生きてきた人が損をするのかもしれませんしね。
でも、テロのような行為は許してはいけないし、一人一人、それぞれに人生があり、思いがあり、生きる理由があることを忘れたら、それは人間ではなくなるのです。

僕は嫌なことがあっても、例えば、家族、愛してる人、親友の悪い話でも公平に聞いていきたいと思います。
その事で嫌な思いを抱える人が存在してしまうのが嫌なので。ただ、僕が嫌いな人からは話を一切聞かないと思いますが。

人が人として対等に関係をもっていくってことももしかしたら難しいのかもしれません。

片方は人生の成功者で、片方は生きるのもギリギリでとか友人同士でも起こり得ることですよね。
それでも対等に話しあって笑いあうのが人間だと思うし、友人だと思います。少しでも立場の違いを持ちだしたら、それは対等ではないのです。対等ではないということは、信頼関係を築くのは難しいことです。片方が嘘をつかずに相手を信じているのに、片方は嘘をついたり内緒のことが多かったらそれは、友人、恋人、夫婦、家族、兄弟であっても関係を続けるのは難しいですよね。
僕はトラブルにとことん疲れ果てたので、親父が他界してから兄貴達とトラブルが起こらないように従順に反論もしないで過ごしています。親戚のおばさんにも愚痴を聞いてもらいつつ時々顔をだしてトラブらないようにしています。このやり方はよくないです。どんどん孤独になっていきます。

親父は僕のことを好きではありませんでした。
出来の良い兄貴達と比べて何をやってもダメダメで、トラブルばかり起こしてた僕は鬱陶しかったでしょう。そんな親父はある時にお酒で体を壊し、痴呆が進む過程で僕の事だけわからなくなりました。親戚の誰々っておもっていたようです。僕は親父が好きでしたけどね。
いつも親身になってくれた母を失って、親父はそんな感じで、いよいよ本当に孤独になりました。僕の話をしっかりと聞いてくれる人は近くには誰もいなくなりました。僕の状況を心配して毎日電話をかけてくれる人くらいかも。

 

生き方を間違いました。
全て自分が悪いっておもいます。でも、僕は社会に復讐しようとは思いません。僕に嫌な思いをさせた人に復讐するつもりもありません。
でも、嫌な思いをするのももう嫌なので、これから新たに誰かと関わるようなことはしないで現状維持で生きていこうっておもいます。それが唯一、自分の心を守る方法だって思いました。

もう少しだけこういう愚痴につきあってくださいね。
そのうち面白い話が出来たらって思います。削除と再開を繰り返したこのブログが僕の社会との最後で唯一の接点になりそうなので大切にしていきたいと思います。

 


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