Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

宮沢 りえ の「淀殿」

2011年11月07日 | Weblog
私は、子供のときから、日本史がすきで
いわゆる「歴女」であり、特に興味があったのが
女性、それも、悪女といわれた人たちだった。
(なにが、悪女なのか?よくわからないが・・)
 
その中でも、テレビドラマや映画で必ずしっかり見るのが
「淀君」
どんな役者さんが、どんな淀君になるのか?
毎回、興味津々である。
 
淀君は、北の政所にくらべ、気がつよく
大阪、豊臣家を滅ぼした張本人みたいに
いわれるが、彼女は、とても人間くさく、魅力がある人だ。
 
昔から、たくさんの役者さん、たとえば時代劇の大女優、
新進の若手、宝塚出身の女優さん・・。とみてきたが
今回の「江」の宮沢 りえちゃんの淀殿は、一番好きになった。
 
これまでの「淀君」は、ひたすら、プライドが高く
北の政所に、ライバル心まるだしで、大勢をみない。
また、史実には、ヒステリーであり、偏頭痛もちであり
情緒不安定だった。
そして、妹・江の最初の娘を手元に引き取り、養育し
宿下がりした侍女にも心遣いをしたという記録もあるらしい。
優しい情けももった人だった。
 
どれもこれも、そうだったろうと思う。
 
今回の宮沢 淀殿は、美しいのは、もちろんだが
優しく、心根が綺麗で、謙虚であり
また、はかない・・・・。
 
りえちゃんの淀殿の衣装のすばらしさ。
片身が、柄がちがっていたり
大人の女性の紫や黒、金が絢爛豪華で、ろうたけた凄みがあった。
 
そして、息子をひたすら愛する母親、女として息子に頼りたいか細げな
ひたむきさ。
息子に涙をみせる淀殿は、初めてかもしれない。
 
大阪城からでて、山里曲輪が、自刀の地となっている。
 
私は、高校のころ、よく大阪城にいっていたような気がするが
「淀君 自刀の地」の石碑の前にいった記憶があって
テレビをみながら、「石碑はもっと大きかったような気がする!」と
一人、思いを大阪城に寄せていた。
 
太融地に供養塔があるのは、知らなかった。
あのあたり一帯、私には「歓楽街」のイメージしかなかったので、
失礼しました。
 
りえちゃんの「淀殿」で、この人物を演じるハードルを
あげたな~と思う。
来週から、もう、淀殿でてこないとおもうと、とても寂しい・・・・・。
家族がいなかったら、テレビをみながら泣いてしまうところだった。
私ほど、おもいいれがない家族も一同、感動していた。
 
↓ N.H.Kのサイトで、りえちゃんの「淀殿」がみられます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿