Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

お茶会

2010年10月07日 | Weblog



我が家のお茶会。

次女が台所で、お抹茶を点てた。

シャカシャカ・・・・。

今、点てているお椀は、夏用らしい。
息子は、「わびさびがある、それがいい」だって。




私は、↑のお茶碗。
久しぶりに、源氏物語ミュージアム系の
セッティングにした。
帯地で、母につくってもらったマット。
七宝焼きの銘々皿。

こういう風にすることは、最近、めったにない。



麩まんじゅう。
笹の葉に三角にくるまれている。
麩は、優しい上品な柔らかさ。

息子は、「この餡、味がうすい。」という。

「なにをいう!
だから、坂東武者は、いやなのじゃ。
この上品な漉し餡のよさがわからんとは
、困るでおじゃる・・・。」

と、すっかり都モードになった私と娘は
舌鼓をうって、いただく。


お昼も京弁当をかってきて家で食べたので
すっかり、舌が濃い味、いやいやになっていた。

こんなふうなのも、この写真の範囲で、テーブルの上は
とても散らかっている。

私は、お茶を正式に習ったことがない。
それは、引け目になっている。
私もお茶を点ててみたが
うまく点てられなかった・・・・・・・・・・。


京都のものは、華やぐ。

ふと、龍馬の妻のお龍さんのことをおもう。

京都の町で生まれ育ったお龍さんは、今、
息子がよく練習をするグランドの近くで眠っている。
どんなに、京都が恋しかったことだろう。
あの街は、いい街だけれども、京には
あまりにも遠い。

横浜で、少しだけ京気分をあじわった私でさえ
電車にのって自宅がある駅までの遠かったこと。
ああ、帰るのがいやだ、とおもった。
なにもないんだもの。
つまらないんだもの。

都落ちしていく気分だった。


帰りのバスの後ろの席で
初老の男性二人が話していた。
「鎌倉彫りをしていたんですがね、
地味でね、嫌になっちゃって
やめたんですよ」

ああ、男性でさえそうなのか。と思った。

鎌倉は、禅寺の街。
武士の街。
凛として、古都といっても
京都と全然、違う。

次女の「京都いきたい」が始まった。
「京都の紅葉、みたことない」

(この「京都の○○、いったことない」は
いろんなものに、使われる)


私は、ため息をつき「東福寺の紅葉。
高尾の紅葉。綺麗やったわあ~。」と想いは、京都へ。

今年も、いけないだろうなぁ・・・・・。
よーじやの石鹸を洗顔につかっているが
すこぶる好評。
とりよせるか、よーじやで買いだめすることになる。
きょう、なくなったので、とちあえず、どこでもかえるもの
したのだが、よーじやにいくと、ぴょ~ん!と
テンションがあがって、あれこれかってしまう。
うちの息子は、よーじやのあぶら紙を愛用する高校生。
(でも、おねえ系ではありません)

たまには、都のかおりを感じたいと思う。


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