Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

脳死

2009年06月19日 | Weblog
昨年の9月に、知り合いが倒れて脳死の
診断をうけてから、ずっと、脳死について
考えてきた。
考えたり、そういう関連の情報があればみて
参考にしたり、病院に通っている家族の話をきいて
感じることがあり、また考えが変わったり。

情報センターで、NHKのドラマを視聴したこともあった。

国会の衆議院で「脳死を人の死とする」という案が可決された。

これから、どうなるのかな?


病院にいったときのこと。
「脳死」で、生命維持装置をつけているのを
初めてみたとき、思っていたより、恐くなかった。
もっと、恐いのか?とおもったのだ。

シューシューと音がする。
「息をしているかとおもうけど、
これは機械の音」と、ご家族に説明された。

「おっちゃん、おっちゃん、
たくさん、ねているね~。
眠りの森の王様
いつまで、寝ているの?」と私は、動かない手をさすった。

死体のように、冷たくはない。
かといって、温かくもない。不思議な体温だった。


倒れて、回復の見込みがないときいたとき
周囲の人間は、「いっそのこと・・。」と嘆いた。
ご家族を気の毒におもった。
奥さんと娘さんは、毎日通院している。

それは、苦労のように思えて仕方なかった。
たまに電話で
「大変やね」というと
「それでも、あのままいかれているよりいい」といった。
「なにもこたえてくれないけど、一緒にいられるから」
若いときから、仲がいいわけではなく、
夫婦としての時間は、ほとんどなかった。
「病院にお父さんがいるだけでもいいねん」といった。

「そっか・・・。
今、夫婦の時間をすごしているわけやね。
決まった時間に病院にいって
決まった時間に帰ってくる。
疲れるけど、ある意味、規則正しい生活を
しているねんね」というと、
「そうや~。」と笑う声が、受話器から聴こえる。

秋に帰省して、お見舞いにいったとき、
私のお見舞いのお菓子は、娘さんにむけたものだった。
ちょうど、彼女の誕生日が近かった。
「よう、覚えていたね」といわれた。

年末年始のあたりに、送ったお見舞いは
そばについているご家族が退屈な時に聞けるように
携帯のCDプレーヤーとCDを数枚。

そういうことしか、私にはできない。

いつも、お世話になっている奥さんに、そういうことで
少しでも、お礼をしたかったのだが、聞いてくれているかな?

臓器移植で、子供の命が助かるのなら、
それにこしたことはないように思う。
本当になんとかしてあげたいもの。

私の答えは、でないし、誰も正解が出せない問題。

ただ、今、脳死したら、家族に迷惑がかかるので
一応、紙切れに
「脳死した場合は、
生命維持装置をつけなくていいです。」とかいてみた。
「ただし、まだ、若かったら三ヶ月くらい様子をみてください」
(あくまで、往生際が、悪い)(~_~;)

臓器提供を考えると、往生際を綺麗にしないといけないのね。
これからの課題。
考えなくても、うちの家族は、さっさと
生命維持装置もつけないし、臓器提供も同意することだろう。

やっぱり、自然に死ねたら、どんなにいいだろう。