ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

苦手なものは攻略できると思う

2023-04-16 13:40:31 | YOUTUBE

「YOUTUBEとかで、何を見て欲しいとかってありますか?」 という部分に関して。

 

私三之橋の場合は、今から6年前に突発性難聴になりました。

 

同じ病気を経験した人からのアドバイスに、「音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧め」 と言っていたので、即日福岡トヨタにTバリュー認定中古車で30プリウスを買い付けに行った感じで、ガソリン車から乗り換えました。

 

当時現行モデルの新車として売られていた50プリウスを買っても良かった。

 

でも、新車を買うと当時でも納車待ちの時間がかかったりしていた。

 

よく芸能人が突発性難聴になると活動休止の記者会見を開き、ワイドショーに専門医が出てきて、「治る人は全体の2割もいないくらい」 と言ったりしていると思う。

 

私三之橋の自身、社会人になってからも職場内でそういう突発性難聴になったとかで慌てて会社を辞めていく人がいたので見たが、誰1人として治ったなんて人は見た事がない気がしました。

 

新車を買い、結果耳が悪化したりして、「あの時新車を買わずに中古車にしておけばこんな事にならなかったのかなあ」 みたいにタイムアウトエラーになるという、たらればな人生になるのは嫌かなあ~ と考えた。

 

後は、50プリウスはライトの横にウィンカーがあり、そういうデザインの車って夜にウォーキングで歩いた時に逆行を走る車がウィンカーを点けていても見えづらいとかあると気づいていたので、30プリウスはライトの下にあるという違いがあった。

 

耳が悪いので運転しない方が良いという事故に対しての不安もあるので、「そんな時に乗り換えるのはどうかなあ」 というのも一瞬悩んだ。

 

後は中古車でも、1台100万円とか超えるので、「耳の悪化でハイブリッドカーに乗るのはお勧めと言われたので買っちゃった」 と言って、家族であったり、知人等に治らないと恥ずかしい事になるというのも少しは考えたと思う。

 

治る人がそもそも2割もいないと専門医が言っているので、治る方に挑戦し、結果治らないと恥を上塗りするという事も考えると思う。

 

でも、私三之橋の場合は、1番嫌なので何もせずに、ただただ、「あの時もしも中古車を即金でポンと買い替えていたら今の人生ではなかったのかもしれないなあ」 みたいに後悔の念で生きていくことだと思ったので、買ってしまった。

 

2週間程で整備され納車となり、納車引き取りに行き、ガソリン車から乗り換えました。

 

最初に受ける洗礼として、”ハイブリッドカーあるある” みたいなものとして、自宅前にあるデカい屋根付き月極駐車場に保管している30プリウスに乗り込み、パワーボタンを押してハイブリッドシステムを起動し、走行可能なレディという表示が出るとアクセルペダルを軽くポンと踏むとガソリンエンジンが始動し、水温40℃に到達するまではガソリンエンジンがかかったままとなる。

 

それまでのガソリン車と同じように運転し、いつものお店まで買い物とかで走るとそこの屋上お客様駐車場に駐車し、パワーボタンを押すとシステムシャットダウンして、走行データで「今の燃費は15,7km/Lでした」 みたいに表示される。

 

それまでガソリン車だと燃費は満タン方法で、6,5km/Lくらいだったので、「凄いなあ3倍近い」 となるのですが、やはり何か面白くない気がした。

 

突発性難聴になった日に羽田から飛行機に乗り帰ってきて、福岡空港でタクシーに乗り、30プリウスの前期型で個人タクシーをしているというドライバーの話では、「私はお客さんを拾うとかしないといけないので、通年で18~19km/Lの燃費で、タクシーじゃない普通の人だと22~23km/Lはいきますね」 と話していた。

 

何かその燃費が大きく下回っていたりしたので、「これは耳が悪いのでそういう風になっているのかなあ」 みたいに凹んでしまう原因の1つになったりする。

 

私三之橋の場合は、大学を卒業して、新社会人デビューして、会社員1年生になったらすぐに上司の高級車に乗ったりして、そもそも燃費とか興味もない感じだった。

 

そういう人生だったので、「これはひょっとしたらリーン状態で走るという燃費向上運転方法とかは自分にはできないのかもしれない」 と思ったりした。

 

誰でも得意なものがあったり、苦手なものがあったりすると思う。

 

例えば、大学生1年生の18歳で免許を取りずっと軽自動車に乗っていた人がいたとします。

 

社会人になって10年後とかにどこかの会社経営者の娘さんと結婚し、その結果乗る車がデカいレクサスに変わったとします。

 

そういう場合、最初はデカすぎるとかで運転が難しく感じるとかあると思う。

 

それと一緒ですよ。

 

普段ガソリン代とか考えるようなこともなく、どこかの銀行とかの駐車場内でエンジン掛けたままとかだったりしたと思うのですが、ある日燃費向上運転方法がどうとか言われても馴染めないような気がした。

 

そもそも耳の聞こえが悪いので1番事故とかが怖いという感じなので、そんな燃費向上運転方法するだけの与力はもうない気がした。

 

ただ、どこかで気持ちを切り替えないと遠出するのもどうかなあ~ という気持ちになり、それは近所の引きこもりの重度の精神病の人とそう大差のない暮らしとなる。

 

「今回30プリウスの中古を耳の為に買ってしまったので、それは誰かに言われたからそうしているのでなくて、自分で決めたわけなので、乗らない方が問題なので、そろそろ出かけますか~」 と自分に言って、一気に天神地区の渋滞路を走って、佐賀県の伊万里市まで海岸線を走ったりした。

 

ネットで燃費向上運転方法を解説している人のブログ記事とか読んだ時に、逆に凹んだりするような感じだったので、後はもう直観で、「1番確率的にはいえばジェットコースター推進理論かなあ」 みたいな感じで走っていた。

 

制限時速50km/hとかの速度制限の標識のある海岸線沿いの道路で、平日昼間とかに車が少なくて、70km/hくらいという感じでカーブをシャ~~~~~っという感じで滑空するような感じで右に左に曲がっていき、それはスポーツカーの走りとはちょっと違っていて、「こんな感じかなあ」 と何かを自分なりに掴んでいった。

 

福岡市内のオフィス街の天神地区を走り渋滞している夕方に、「今日の遠足は楽しかったなあ」 と思ったりして、自宅前にあるデカい屋根付き月極駐車場に駐車し、トリップメーターの燃費が30km/L とか超えていて、「なんだハイブリッドカーの運転も楽じゃん」 という気がした。

 

初めて買ったハイブリッドカーの運転をして、乗りこなせた感みたいなものを感じられるようになると、「そもそも耳の聞こえも自分が思うよりはもう少し良いのかもしれないなあ」 みたいに考えるように変わっていく。

 

それまでは、深夜にAmazonの動画視聴サービスで心霊動画を観て、素人が撮影した動画なので、字幕もないと何と言っているのかが聞き取れないとかあって、テレビのボリュームが、25とかになっていたりして、「明日は目覚めたら今日より耳が悪くなっていたりするのかなあ」 と思う事があった。

 

自宅前にデカい屋根付き月極駐車場があるので夜間照明が点いている。

 

公園のように見える人がいて、必ず車が止まり、酔っ払いみたいな若い人たちが降りてきて騒ぐとかがあり、ポケットからスマホを出して110番緊急通報してPC派遣要請をして注意してもらおうとしたら、姿勢を変えたら急に聞こえなくなり、「すみません、耳が聞こえなくなったので切ります」 と言ってしまった。

 

1回110番緊急通報に失敗したのですが、翌日も深夜に同じような事があり、110番緊急通報して話しているとまた聞こえなくなり、「すみません、耳が聞こえなくなったので切ります 」 と言ってしまった。

 

「マズイなあ、110番緊急通報して自分で耳が聞こえなくなったと言ってしまい、あまり繰り返すと頭のおかしな精神病と思われるのかもしれない。 それ以前に電話もできない感じになってきている」 と思ってしまった。

 

何かが悪化していくという感じだったので、「あれはたまたまかもしれない」 と思えるようになっていった。

 

「私の耳が聞こえないのはこんな音かな」 と聞こえない音をノートに書いたりした。

 

雨の降る深夜に傘をさして近所の自販機に行くと、雨の音が、傘に落ちる音が聞こえないとかメモっていった。

 

道路を歩いていて、走ってくる車のタイヤのロードノイズが聞こえないとかメモっていた。

 

それまではその問題の事を考えるのは嫌だったのに、何かそういう抵抗が消えたような感じで、「コンビニに行ったら天井の埋め込みされたエアコンのファンの回る音が聞こえない。 大学を卒業して入社した会社ではこんな事が聞こえていたのに」 とか考える事ができるようになっていった感じ。

 

そんな感じで向き合う姿勢が変わった途端にぐんぐん良くなってしまった。

 

そこで調子に乗ったと思うのですが、NAVARまとめサービスが新型コロナウィルスの問題でサービス終了という案内が届き、「じゃあ、今まで苦手意識あった事でやらなかったYOUTUBEでもやるか」 と思い、1週間もかからずにスタートした。

 

突発性難聴になったりするくらいなので、ひょっとしたら脳に障害があって、新しい事に挑戦できないのかもしれない。

 

という意見は多い。

 

「YOUTUBEとかって1年やってそこで収益化できれば良い方で、そこまでいかない人もいるよ」 とか言われたりする。

 

「何か新しい事に挑戦するのであれば、何も1番苦手意識のある動画にしなくても」 とか言われたりする。

 

失敗すればそれは自分が傷つくだけという感じで、気をつかってくれる人もいたりする。

 

こういう事を書いておくとドン引きされる人もいらっしゃるかと思うのですが、突発性難聴になった時でもあまりYOUTUBEを見ていなかったりしたので、よく知らない。

 

動画って見るのに時間かかるので、ビジネスマンは見ないでブログ記事読んだりすると思う。

 

「YOUTUBEってこんな風に撮影していけば良いのかなあ」 みたいに、苦手意識の強い、というかあまりやりたくもないようなカテゴリーになるので、「最初はこういう入り方で、こういうペースでこのタイミングで何を確認する」 とかプランを考えた感じ。

 

スマホでYOUTUBEを見て、ソニー製液晶テレビに、適当なサンプルとして選んだ動画をミラーリング再生し、後は自分の動画を再生、音が合っているのか? を確認した。

 

直観でやっているので、そもそも動画編集ソフトの操作方法も解説本も買っていない。

 

3月の終わりに、YOUTUBEから半年更新がないのであと30日以内にアップロードがされないと収益化の審査を再審査受けてもらいますというメールが届いていた。

 

ちょうど、目が結膜炎になって真っ赤になってしまっていた。

 

車の運転は遠くを見るので良いのですが、近くなものが白く見えるとか見えづらい。

 

そんな感じで体調も良くない感じになるのですがが、「面倒くさいので選挙の前に一気に作業するか」 とノートPCの動画編集ソフトで作業しました。

 

音声のキーをどのくらいにしょうかと少し迷うとかあったのですが、レベルメーターを見て、「こんな感じかなあ」 とやった。

 

YOUTUBEにアップロードしたのですが、ノートPCで動画を観て、そこで一時停止にしたりして、右クリックして統計情報を表示させるとボリュームやノーマライズは100%になっていた。

 

YOUTUBEを始めた頃は直観だけで耳を頼りにやったので、オーバーしていた。

 

それは気付いたのですが、耳の聞こえが悪い人もいると思うので変えずにいた。

 

でも、最近はそこも意識して急いで作業するかという時でも覚えていたりする感じ。

 

YOUTUBEで動画をご視聴されました人から見れば、「全部へたくそな三之橋の動画じゃないか」 となると思う。

 

動画を観る人は、いちいちそういう部分は見ないと思う。

 

あくまでも、YOUTUBEをやっているという人の視点で、苦手意識が強いなあ~、そもそも仕事に何か役立つとも思えないし・・・ みたいな感じだった私三之橋が、最初に、「苦手意識があるので、それはこういうプランでいくか」 という感じでやっている。

 

人は、おじさん・おばさんとかの年齢になるともう新しい事に挑戦するという事は不安なだけな気持ちだったりして、やらずに済まそうとかそうなる人の方が多い気がします。

 

ましてや、苦手意識のあることに挑戦するというのは、そんな余裕もないと考える人の方が多いと思う。

 

あくまでも個人的なお話となりますが、私三之橋の場合は、高校卒業する頃に友達に誘われて、「これからはコンピュータの時代だと思う。 俺と一緒にコンピュータの専門学校に行こうぜ」 と誘われ、その時に苦手意識があって、でも断るのも嫌だし、かといってそのままではいけないと考え、デスクトップPCを買った。

 

学生時代にコンピュータ室みたいなところに専用カードキーを使い、入室時間や退室時間などが記録され、それも苦手な感じでした。

 

大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生となった時には、「コンピュータの専門家」 みたいに会社の中で思われ、働いたりする。

 

IT関連企業とかでも働いたりしたのですが、人は、「得意と好きはかならずしもイコールではない」 というのに気づかない感じがあると思うのです。

 

ことわざのようなものに、「石の上にも三年」 という言葉があるように、自分から良くわからないというものであったり、苦手意識のあるものに取り組む場合ですと、とりあえず3年でその苦手意識をなくせれば良いかなあと考えます。

 

でも、”突発性難聴” というのは、病気というか、障害という感じなので、それはあまり長くその悪い状態を放置しない方が良いと考えますので、時間軸を意識しますので、即日福岡トヨタに中古車を買いに行くとかのスピード感となる。

 

後は、昔彼女が突発性難聴になったのでその付き添い経験があります~ みたいなものはないので、そもそも突発性難聴になったりした原因すらよくわからないのですが、想像で計算して一気にひっくり返すみたいなスピード感となる。

 

自分の理論とかがすべて正しいとは言えないかと思いますので、YOUTUBEの動画に挑戦したりしながら、動画の撮影や編集とかをしている感じで、それはどこかダラダラした感じにも見えるかと思います。

 

ただ、やっている本人からしてみれば、耳が悪化する事もなく、今でも「えっそんな音が聞こえたの?」 と言われる感じです。

 

お伝えしたいのは、不動産投資というかアパマン経営とかで、「あきらめなければ勝ち」 みたいなハンドルネームの人がいらっしゃったかと思うのですが、そんな感じです。

 

私三之橋の場合は、スーパー特待生のような天才かなあ~ という人と一緒に時間を過ごすというチャンスに恵まれた感じがありました。

 

NAVERまとめサービスが終了するという案内メールをもらった時に、「このまま何もしないでおくのが1番幸せだったりするのかなあ」 と少し考えた。

 

耳の聞こえが良くなり、まあ回復できたという感じなのですが、そもそも突発性難聴になったりする人というの、脳の血流障害などが原因だったりすることもあるわけで、またそのうち悪化するのかもしれない。

 

そんな感じだと思うのですが、わざわざ新しい事、それも苦手意識の強い動画とかに挑戦して、何かやらかすのかもしれない。

 

例えば、①車の運転をしている。 ②燃費向上運転方法をしている。 ③動画の撮影をしながらしゃべる。

 

それだと3つの事を同時にやるという事になる。

 

もしも、脳に障害があったりした時に、その運転して撮影している時に脳に負荷がかかりすぎて、頭が真っ白になるような感じが起きて、事故でもやらかすのかもしれない。

 

あるいは、新しいカメラを買い、「新しく買ったカメラが届いたのでテスト撮影もしていないのですが、これで動画撮影してきます」 みたいいやって、物覚えが悪くなっていて操作できない自分に遭遇し、ショックを受けるのかもしれません。

 

自宅前にデカい屋根付き月極駐車場があると、そこに3年に1度新車に買い替えていたりする人がいたりする。

 

ある日、「車の運転中に頭が真っ白になり急に怖くなったのでもう運転やめることにしました」 と挨拶されたりする。

 

月極駐車場というのは、ある日曜日の夕方に、買い物に出かけようとしたおばちゃんみたいな人がいて、「ウィ~~~~~~~ン、ドン~~~~」 みたいな追突音がして、出かけようとしたら車が暴走したと言われ、何台も追突している事故などが起きたりする。

 

いつもそれまでできていたことができなくなっていて、その事故から運転しなくなる事があったりする。

 

自衛隊で救助のヘリの操縦をしていた友達がいた。 ある時それまで天才といわれていた人のヘリが目の前で墜落したのを見たみたいで、「俺も堕ちるのか」 みたいなトラウマになり、操縦桿を握る手に汗が止まらないとかで、民間航空機のパイロットに転身すると言っていた。

 

プロ野球中継を見て、テレビの中でプロ野球選手が10年とかで引退していくとかあるじゃないですか。

 

大学生が卒業し、新社会人デビューして、どこかの企業に正社員1年生になった時でも、戦力外通告で辞めさせられる人は珍しくもない。

 

会社員になった時に23歳とかでAKB48のセンターにいそうなかわいい子がいた。

 

でも、その子が結婚し、数年後に見た時には別人みたいだったりするじゃないですか。

 

”老い” みたいな問題は誰にでもあると思うのですが、突発性難聴になったのがあっという間に回復できたわけで、何もそこで新しい事に挑戦したりして、そこでもしも物覚えが悪い自分に遭遇すれば、それはもう格好悪いとかの話ではなくて、シンプルにショックを受けてしまいそうな気がする。

 

そんな風に、「今の自分のペースを維持して、現状維持のままが良いのではないか」 と考えると、何もYOUTUBEとかやらなくても良さそうな気がした。

 

その一方で、私三之橋の場合は、突発性難聴になった時に同じ病気をした人からのアドバイスに「音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧め」 と言われ、即日福岡トヨタにTバリュー認定中古車で30プリウスを買い付けに行ったりした事で運命を分けた気もする。

 

例えば、家族とかに、「突発性難聴になったので、同じ病気をした事のある人が音の静かなハイブリッドカーに乗るのはお勧めというので買ってきた」 みたいに言えば、家族でも、同じ月極駐車場を利用している近所の人でも、さすがに車を買って治らないと、「あの人バカじゃないかな、車って100万円とか使っているのにね~」 みたいに笑われそうじゃないですか。

 

私三之橋の場合は、高校を卒業する前にそれまで一緒だった友達に、「これからはコンピュータの時代だと思う。俺はお前とは一生付き合っても良いかなあ~ と考えているし、一緒に行かないか」 と誘われた。

 

その時、「えっ~~~、コンピュータかよ」 と凹んでしまった。

 

その前に職業適性検査を受けてそこに、「あなたは精神科の医者になれば大成功間違いなし。 でも機械とかは苦手なのでダメよ」 と書いてあった。

 

”頼まれなくてもよく当たる占い” みたいな詳細な分析結果レポートに、そういう事が書いてあり読んでしまった。

 

そこで自分なりにどうやればコンピュータの攻略ができるかな~ と考えた時に、小ズルい作戦になるのですが、コンピュータの専門学校に行く前にデスクトップPCを一式買って、ゲームでも起動していれば、少しは不慣れさからの苦手意識が消えると考えた。

 

中学生とか高校生はよくお父さんとかのクレジットカードを持たされている。

 

お金に困った中学生とかが原付バイクを盗んだりして、友達と2人乗りして事故を起こして、人が死んでしまい、逮捕される。

 

刑法第41条に責任年齢14歳とかがあり、未成年の起こした賠償に関しては保護者に請求可能して良いとなっている。

 

それで結果お父さんが首を吊り責任を取るとか世の中にはよくある。

 

世の中には頭の悪い子供のせいで、普通のお父さんがよく死んでいたりするとかある。

 

それで、「そうだ子のクレジットカードでとりあえず買って、バイトして返済するという事にするか」 と家電量販店に行ってその場で買ってしまった。

 

それですぐに配達されるので、父に自分の考えた作戦を説明した。

 

その後、大学生となり、講義でコンピュータ関連をまず受講として提出した。

 

でも、入学式で出会った子が新車の国産某高級車に乗っていて、「4年後に役立つのは車の運転だ」 と言われ、そういわれても自分にとってはそれも機械の操作で苦手かなあ~ という事もあり、「人の10倍やっておけば何とかなるだろう」 と年間5万kmペースで走った。

 

友達がコンピュータの方に進むと言っていたのでとりあえず方向性が同じであれば、話がかみ合わ合ようなことにはならないだろうと考えた。

 

でも、とても恰好悪い話になるのですが、1年後に高校生の頃の友達で飲み会があり、そこに行ったらその子はもうコンピュータはやめていたという事を知らされショックを受ける事になる。

 

そんな感じで、大学生時代の4年間はコンピュータと車の運転というどちらも機械の操作系という自分にとって苦手意識の強いものをやっていた。

 

その結果大学を卒業して会社員となって、苦手な事もやるというところから評価も高かったという摩訶不思議な経験をした感じだった。

 

YOUTUBEの場合、自分が得意な世界観を動画で紹介して、どちらかといえばそういうのが得意な人が多いと思うので、私三之橋のようなへたくそ感のある動画があっても良いのではないだろうかと考えた。

 

自分にとって何かちょっとした苦手意識のある事が攻略できない人って少なくないと思うので、誰かの参考になるのではないかと考えました。

 

YOUTUBEの場合、収益化の審査でそれまでアップしていた動画を数百本という感じで削除したといわれている人いて、どちらかと言えばその人にとって格好悪い面は隠し、格好良い話だけにしている感じもあると思うので、へたくそでスタートしたというのはそのまま見ていただければよいのではないかと考えた。

 

私三之橋の場合は、コンピュータの専門学校に行こうぜと誘われ、でも苦手意識が強かったので、ついていけずに自分が辞めるとかあれば友達は嫌だろうなあ~ と思って、当時30万円超えでデスクトップPCを買った。

 

そのあとで大学入学式で、車の運転がきちんとできない人が会社員になり、仕事もできない感じで疎まれると言っていたので、それも嫌かなあ~ と自動車学校に通って免許取得した。

 

そんな感じだったと思う。

 

よくね、プロ野球選手とかが、「自分があんな人になれたら良いなあ、そう思い追い越せるように頑張った」 とか言ったりするじゃないですか。

 

私三之橋の場合は、そんな感じではない。

 

友達にコンピュータの専門学校に行こうぜと言われた時に、友達が随分思い切りのよい決断をしたなあ~ と思った。

 

求人とかを見た時に、「大学卒業程度」 と資格欄に書いてある求人とかって多いので、コンピュータの専門学校に行こうぜという方向性は、スペシャリストを目指すのかと驚いた。

 

大学生という領域では、友達の受け入れ先がないというのを聞いていたので、もっとやさぐれているのかなあ~ と思ったりしていたので、「俺はコンピュータの専門学校に行こうと思う」 と言われた時には、何かおめでとうと言いたい気分だった。

 

それで自分が苦手な話でもすれば、辞めるとか言い出すような気がして言えず、「わかった」 と言ってしまった。

 

その直後に大学生になり、「大学卒業後は一気に脱落者が出るぞ」 みたいに話となってしまい、「えっ~~~、コンピュータじゃなくて車かよ~」 とショックを受けて、それも社会人になって会社員になれないとの自分に遭遇するのは嫌かなあ~ と思った。

 

多分ね、小学生3年生くらいの子供が考えてみても、18歳という年齢で、その人が得意なものをブラッシュアップしたところで伸びしろの上限は見えていると思う。

 

天才と言われていた人でさえ、自分が得意なものにこだわり過ぎる事で短命だったりしたと思う。

 

だったら、もう得意な事は考えずに、苦手な事を伸ばせるようにした方が効率が良くないかなあ~ みたいに考えた。

 

自分が苦手な事を支持線にして、得意な事も下がらないような特殊な組み方にしてある感じです。

 

小学生くらいのちびっ子時代に塾に通い、当時塾長のおじいさんがよく大人になると脳細胞が死んでいくとかの話をしていました。

 

自分が得意な事だけをやり、苦手なものはストレスとかでやる事ができない、そのハードルを乗り越える事ができないと脳細胞の死に方が加速するとかそんな話をしていた。

 

小ズルい作戦かなあ~ とも思ったのですが、おじいさんて凄い人気のある塾を経営していて賢そうな人に見えましたので、やり方は真似ておきました。

 

自分が苦手な事をやるとイライラする人とかっているじゃないですか。

 

車の運転でも苦手な人だと、車に乗り込み運転席に座るだけでもイライラして血圧が上昇するとかある。

 

あるいは都市部の日常的にある渋滞でも耐えきれずみたいな人もいるじゃないですか。

 

でも、耐えられる人だと心拍数の上昇もしなかったりする。

 

軍隊とかと一緒ですよ。

 

アメリア映画で軍隊に入った人が特訓するシュチュエーションで、その人が好きでも得意でもない事をやらされて耐えるシーンとかあるじゃないですか。

 

負荷がかかるのって脳だったりするので、脳が弱い程耐えるとかはできなかったりするらしい。

 

逆に言えば、あまり得意でもない事をやるというのは脳に負荷がかかるので、ボケにくいメリットがある。

 

例えば、大学生となり入学式で新車の高級車に乗っていた子がいて、「俺はさ~、4年後にはどこかの企業に入社していて営業車に乗るつもりなので今のうちからその時に困らないようにしているだけなんだ」 みたいに言っていた。

 

それって私三之橋から見れば、一緒だった友達は、「これからはコンピュータの時代」 と言っていたが、そもそもその子は言っていなかった。

 

バイクの運転とか、車の運転はできたので言わなかっただけなのかもしれない。

 

でも、私三之橋的には、「えっ~、ほんとなの?」 と思ってしまい、とりあえず大学生で誰かと友達にならないといけないのでヒアリング調査していった。

 

それでもう周りの子がみんな免許も持っていて、しかも車も持っていた驚いてしまった。

 

男性の場合一生車の運転が付きまとうとかそんな話で、女性の場合はまるで運転できなくても良いような言い方、新雑なものにも聞こえたりした。

 

当時、「車の運転って難しいよなあ」 と思った。

 

わからない人もいらっしゃるかと思うのですが、そもそもみんな素人の何もわからないところからスタートするじゃないですか。

 

自動車学校とかに通い、標識がわからないとかマズイので最低限の事を教えて「はい、あなたは合格できちゃいましたので、後は免許証を持って車でも買って乗ってください」 みたいに公道に送り出されるようなもの。

 

その免許取った時点ではみんな横並びでスタートするじゃないですか。

 

後はね、現場に出て、自分で自分の車を運転しながら、そこで周りの人の運転を見たりして法則でも勉強していってくださいね~ という意味だと思う。

 

そうするとね、偏桃体が発達している人だと、現場に出て、①自分が周りの車を見て同じ流れに合わせて運転する。 ②周りの車と自分の車を比較して違う点などを修正していく。 という2つの事をサクサクやっていくと思うので、1年で凄い上達すると考えられる。

 

でも、そもそも2つ以上の事を同時にできない人って実在しているので、そういう人だと自動車学校を卒業して免許取った段階がその人の伸びしろのもっとも高いところになり、教官がいなくなると低下すると考えられるのでおじいさんレベルになると思うのです。

 

車の運転は、自分がおかしな運転をしたからといって、後ろの車の運転者が車から降りてきて、いちいち叱ってくれるとかは構造上発生しないと考えられる。

 

自分のお父さんとかお母さんが車を運転して買い物とかに行く時とかに、近所の精神病の人が小っちゃな車を運転していて、それでも運転がへたくそなのを見て、「〇〇さんにも困ったものだなあ」 と言ったりするとかあるじゃないですか。

 

あんな感じで、本人はそれに気づかないままとなる。

 

さすがにそこまで酷い人は少ないと思うのですが、そもそも自分1人で公道に出てそこに存在する法則などを学ぶというのは、「俺はそういうのって苦手なので少しは見落としてしまうかも」 と思ってしまう。

 

大学生4年間で見落としした場合、それは車の運転なのでまだ修正できるチャンスはあると考えられる。

 

でも、車の運転は手続き記憶で、仕事も手続き記憶という同じカテゴリーになるので、どこかの企業に就職した後に、「周りの人の仕事見よう見まねで覚えてね」 と言われた時にどのくらい見落とすのかが予想できない。

 

1年後とかにOL姉さん達が、「あの去年入った三之橋さんって仕事が覚えられず空気読めないみたいよ~」 と笑っていたとしたら、それはドンドン悪化していくと考えられるじゃないですか。

 

例えば、誰か友達の運転する車の助手席に座っていて、その友達が運転しているのを見て、評価したりしたとします。

 

その時に、「あいつはこういうシュチュエーションでこうしているけれど、そこがダメだよなあ」 と思ったとします。

 

でも、助手席に座っていた時にはそう見えた事で、すごく簡単に思えた事でも、いざ自分が運転すれば上手くできないとかある。

 

「見るのとやるのとでは全然違った」 とか言うじゃないですか。

 

自分がやりながらそこで運転を覚えるというのは難しいと思うし、それと同じで会社で仕事をしながら覚えるというのも、たぶん感じるという部分で偏桃体が優れた人が有利だと思うのです。

 

そういう風に考えますので、その難しいものでいかに自分が見落としをしないか? というのにこだわると思う。

 

1年で差が付くと数年でもう追いつくのは無理になると思う。

 

逆に言えば、最初の運転で差が付かないと、仕事でも差が付かないと思う。

 

私三之橋の場合は、何か撮影が上手いとか、普段撮影に関連する仕事であるルポライターのようなものでもないので、どこを見て欲しいというものはないと思う。

 

YOUTUBEに限らず、どこかの企業で働いているような人って、ネットでもブログすら書いていないとかあると思うので、会社の話とかも大学生だとわからないじゃないですか。

 

大学生の女性が就職に有利になると考えた男性の誘いに乗って、変な薬飲ませられてレイプされた事件とか多いじゃないですか。

 

どこか楽して、上手い事をやって、良い就職先に就職しようという気持ちみたいなものが強すぎたりするのかもしれない。

 

根がグ~たらな私三之橋からみればどの仕事も積極的にやりたいみたいに思わなかったりするのですが、給料もらっていると嫌とも言えない。

 

苦手な事であれ、やっている感じかなあ~ と思うので、それが誰かに伝われば良いかなあ~ と思う。

 

新型コロナウィルスの問題で、せっかく軌道に乗ったと思っていたお店が上手くいかなくなったり、つぶれたりした人もいたりする。

 

ある日突発性難聴になった人がいて、偶然「あっ、この三之橋という人はそういう方法で治ったんだ」 みたいに思うのかもしれない。

 

人生は晴れた日もあれば、曇りの日もあり、時にザンザン降りの雨もあるわけで、どこかでひっくり返せばよいだけの話だと思うのです。

 

例えば、18歳の大学1年生の人がいて、自動車学校に通い免許を取得した。

 

でも、苦手意識があったりして、そこで運転しなくなる人はいたりするかなあと思う。

 

意外にも有名国立大とかの大学生だったりして、その後卒業してどこかの企業に入社できた後に、その苦手なものを攻略できなかった事で右肩下がりの人生になるというのもあったりする。

 

でも、18歳のその時に考え方を変えて別の視点で、未来の自分から今の自分にこれはやっておくほうが良いよ~ という見方ができれば、結果も変わっていく。

 

人間の法則ってあるじゃないですか。

 

小学生とか子供は周りの人が叱ってくれるとか。

 

小学生の頃に友達の家の隣の小さな公園で野球をして、場外ホームランを打ってしまい、ボールがフェンスを越えて走ってきたどこかの会社のライトバンに当たる。

 

ボールを取りに行き、「ごめんなさい」 と謝ると、「びっくりした。 運転していてまさかボールが車に飛んでくるとか予想できないし。 車は傷は大したことなかったので良いんだけど、ボール遊びは気を付けないと事故に遭うよ」 と注意される。

 

道路でボール遊びは法律で禁止になっている。 公園で遊んだボールが飛んでいき、道路を走っている車に当たり、急ブレーキ踏んだりしたわけで、「今日はもう野球やめようぜ」 とみんなに言って違う遊びにする。

 

あるいは、小学生の時に釣りに行き、天気が崩れあっという間に真っ暗になり、隣で釣りをしていたおじさんに、「どこから来ているの? それはちょっと遠いのでおじさんが送ってあげるからちょっと待ってて」 と言ってライトバンで送ってくれる。

 

子供時代は、何かとおせっかいなおじさんやおばさんがいたりする。

 

なぜか?

 

未成年には保護者がいる。 逆に言えば、保護されないと生きていけない人という意味だったりする。

 

どこか、バカちんという位置づけで、世の中の道理をまだ知らないような人になるので、自分の子供でも知り合いみたいでなくても気を使ってくれる。

 

それが大人になるとなくなっていく。

 

大学生になり、生まれて初めて実家を離れて1人暮らしをする。 それはお父さんが会社とかに行って仕事をして稼いだお金を仕送りとしてくれているわけで、保護されている人なのに、誰も注意してくれる人がいなくなるという摩訶不思議な世界だったりする。

 

県外とかに1人暮らしをするという大学生だと、土地勘もないし、知り合いもいないスタートになるので、誰かが叱ってくれるという事がなくなったりする。

 

そうすると、それまでお母さんとかがガミガミ言う事で国立大学に入学できた人でも、そのお母さんで成り立っていた人生なので、お母さんがそばにいなくなると急に何をどうして良いのかがわからなくなる人がいたりする。

 

18歳という年齢では、人生がもつれ始めるという人が少なくない。

 

私三之橋の場合でも、大学生になり、大学そばのマンションに住んでいた同じクラスの男友達の部屋に入り浸っていたのですが、夏休みが終わった頃に行くと、食後に小さなビニール袋に入った8種類の薬を飲んでいて、毎日好きなものを食べていたら、対象悪くし、大学病院で治療は無料なので入院し、もう治らないと言われたと話していた。

 

3月下旬とかに引っ越してきてわずか3カ月・4カ月でそうなったと言うのです。

 

「今日からあなたは自由です」 みたいな感じになり、大学生の間は親が仕送りしてくれるので、お金は困らない感じもある。

 

それで人生がおかしくなっていくスタートだったりする。

 

大学の友達の話では、自分の住むマンションに原付バイクに乗っている子がいて、1時間おきにエンジンをかけてはコンビニに行って帰って来るのでうるさいと言ったりする。

 

自由です~ という感じになると、タガが外れてしまう感じになる人が少なくない。

 

でも、ちびっこ時代に塾などでそういう訓練とか受けたりしているような私三之橋の場合ですと、そういうのは想定内となるので、「車の洗車でもしておくか」 みたいに苦手なのですが、それを習慣化していたりする。

 

例えば、大学生なので、「あのアルバイトを頑張ればお小遣いが増えるので頑張ろう」 みたいな人は多いと思う。

 

自分にとって目に見えて得するように見える事は頑張るという感じ。

 

そうではなくて、自分が大学に行き、いつもの男友達の家の行って帰るだけだったりするので、わざわざ綺麗に洗車していても、洗車していなくても特に何も変わらない。

 

「今日は、三之橋が洗車していたのでそれを見て俺もハッピーになったぜ」 とかは言わない。

 

その子を喜ばせたい目的でもなく、自分の為にお金を出してコイン洗車場でサッと洗車したりするだけである。

 

自動車学校に通い20万円とかお金を出して通い免許証を取得する。

 

それは楽しい感じでもないので、「もう免許証を取得したのでそれで終わり」 という人も若干いたりした。

 

シンプルな理由で、仕送りがあるのでアルバイトをしなくても良い。

 

でも、さすがに車を買うとそれを維持する為に、アルバイトもしないといけなくなるじゃないですか。

 

普通車の中古車をローンを組んで買うと、ノートPCを買うのと違い維持する為に車検とか自動車税とか、任意加入の自動車保険とか21歳未満は割り増し料金だったりするし、車検とかもお金がかかる。

 

それだけでなくて走らなくても月極駐車場の代金はかかるし、走れば走った分だけガソリン代がかかる。

 

維持するだけでお金がかかり、買ったわけで運転して実践練習しようとすればさらにお金がかかる。

 

そうするとアルバイトも増やすとかしないといけなくなる。

 

車は道具に過ぎないのでスポーツカーを買ったからといって彼女ができるというわけでもない。

 

車を買うと、さすがに彼女もいないというのはしんどくなるので、彼女を作る努力や友達を作る努力もしないといけなくなるじゃないですか。

 

そうすると、車1台買うだけで、維持するのに洗車までしないといけないわけで、「だったら今は大学生でお金がないという理由にしてしまい、社会人になって会社員になってから買うのが得策」 みたいに先送りする人が出てしまう。

 

4年生になって就職活動をした時に、雇う側の面接官から見た視点では、車を買って乗っていた人とそうでなかった人との差、どのくらい努力しないといけないのか? みたいな差はわかるので、就職でうまくいかない結果となる事もある。

 

ちびっ子時代の小学生1年生の頃とかにお母さんが、ちびっ子に「良い大学に行かないと将来自分が困るのよ」 と言ったりするじゃないですか。

 

あたかも自分が経験したかような経験則で言っているように聞こえるのですが、誰かから聞いたただの伝聞だったりする。

 

その為、子供が大学生になり、どこかの大学にでも入学できると、そのあとの指導はできない。

 

例えるならば、それまでの人生がどこかの団体ツアーで海外旅行のツアーで廻っていて、「はい、このバスに乗って」 とかそういう風なガイドがいたのが、急にいなくなり、「あなたはもう大人ですので勝手に自分でその道を歩いてね」 みたいに変わる感じ。

 

それまで参考書でも買って、マーカーペンで線を引いて暗記していれば、テストでそれなりの点数が取れたりしたのに、その参考書も消える感じ。

 

私三之橋のイメージで言えば、成功できない残念な人のイメージとして、人と上手くしゃべれない人という感じがあったので、入学式からヒアリング調査しまくりみたいにやっていた感じ。

 

幼稚園生の頃とかのちびっ子時代とでは友達の作り方とか会話も変わると思うので、わずか数年でしゃべれなくなるかなあ~ みたいな感じでしょうか。

 

東大を出たような人でも、会社員になると、「上司に気に入られないと出世しない」 と言ったりするじゃないですか。

 

気に入られないというよりは、自分が上司と上手くしゃべれないだけではないかなあ~ と思う。

 

大人というのは、上司に余計な事を言えば、「何で上司の俺が部下のお前にそんな事を言われないといけないんだ」 と1回でイラっとしたりする。

 

そのわずか1回で出世から遠のく人がいる。

 

では、しゃべらなければ良いのか? と言われれば、じつはそうでもなかったりする。

 

上司に、「これは今こういう風にやらないとマズイです」 という助言とかできないと、「あいつ役立たたない」 と思われたりする。

 

大人になった時に、どこかの会社で働いていて、上司が、「今度の金曜日は俺の家に来い」 と言ったりすると、「三之橋さんって〇〇さんとメチャ仲が良いので、リストラなんかに心配しなくて良いので、羨ましい」 と言う人がいて、そういう人って、有名な国立大卒だったりする事が多い。

 

どこかの上場企業とかで働くと、社員の学歴を聞いた時に、「すげぇなあ」 と思う事の方が多かったりする。

 

そういう人って勉強のやりすぎなのか、意外と人間関係の構築は苦手だったりするので、上手くしゃべれないとかあったりすると思うのですが、たぶん18歳の頃にターニングポイントがあるのを見逃した結果だと思うのです。

 

18歳という年齢だと、恥ずかしい失敗はしたくはない、田舎者だと思われたくない、しゃべると訛りが出るし・・・ みたいな想いみたいなものが強くある人だと、失敗しないようにする事に気を集中するので、たぶん将来しゃべる事が苦手になるとかあるのかなあ~ と思うのです。

 

私三之橋のように入学式の日に、「お前そんなことも知らずに生きているのか」 と言われるとか、1年生の終わりの大学主催の「あなたたちは非常に残念な人たちです」 というパーティーに呼ばれるとかはまずないと思うのです。

 

私の場合、1年生で取得した単位数が少ないと2年生には上がれるが3年生になれないとか知らなかった。

 

同じ残念な人パーティーに招待されたいつも入り浸っていた子の部屋で訊いたら、その子も知らなかったと言っていて、一緒にいる子が知らないくらいなので私も知らなかった。

 

その子は、親が病気になったりするし、大学も4年で卒業できないと言われ、心配して大学を退学することにしたので、なんとその残念な人パーティーも行かないと言った。

 

私三之橋的には、ショックで、「えっ、〇〇行かないの?」 と訊いたら、「だって大学辞めるもん」 と言っていた。

 

絶対に出席をチェックすると思うので行かないわけにはいかない。

 

でも、1人で行くのはなあ~、そういう気持ち。

 

でも、きちんと出席し、4年で卒業できました。

 

たまに、ブログに大学生1年生の頃の話を書いていたりするのですが、ふと、「あの1年生の頃の友達は、難病でもう一生治らないと言っていて、突然別れる日が来た感じだったけれど、もしも今頃まだ薬を飲みながら生きていたりするのかなあ。 もしも、そうであれば、いつかその友達に、YOUTUBEでも見てもらえたり良いかな」 と思う事はある。

 

あるいは、高校を卒業する時にコンピュータの専門学校に誘ってくれた友達が、暇で偶然にYOUTUBEでも見た時に、「あいつ、言い出した俺がすぐにコンピュータの道をやめたのに、いまだこんな事をやっている」と思ったりすれば、それで良いのではないかなあ~、と思う。

 

何かを自慢したいとか、そういう感じではないのです。

 

コンピュータの専門学校に誘ってくれたスーパー特待生の友達は、私三之橋の事を天才みたいに思ったりしていた感じがあるので、夢を壊す話で申し訳ないのですが、YOUTUBEの動画の第1弾とかの直観で作った動画を観て、どこか残念な奴感を感じると思うのです。

 

その友達は、大学で受け入れ先が決まったという私三之橋のことを「お前の絶対的な運の強さを感じる」 とか言っていたので、実のところはそうでもないよというのを教えてあげたい感じもある。

 

その子だったら絶対にかっこ悪いことはしない。

 

でも、私三之橋の場合だと大学入学式の日に笑われていたりするし、1年の終わりには残念な人ですよ~ パーティーに招待され、出席している。

 

スタイルを変えたのでそういうやり方という巣のままを見てもらえば良いのかなあ~ と思うのです。

 

 

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