会社員ゲームに限った事ではありませんが、人はなぜか自分が見えないというメタ認知と呼ばれるような事が起きたりするというお話です。
昔、誰かが亡くなったりした葬式や結婚式などで親戚が集まるというのがありました。
みんなで集まった時に、あるおじいさんがよく息子さんとか娘さんに注意されていました。
もう定年して車の運転を見ていると危なっかしいのでやめるように言っていた。
たしかに長崎とかにある病院に車何台かで分かれて走っているとおじいさんの軽ワゴン車はトロトロ走っていて、40km/h制限の標識の片側1千道路を40km/hとか走っていて、その後ろが渋滞しているとかあった。
まあ、運転が下手な人に良く見られる感じがあった。
ある日、おじいさんの運転する車の前に小学生の男の子が自転車で飛び出してぶつかり、死亡してしまったらしい。
それで、息子さんたちが、「俺たちがあれほど言ったのにあなたが聞く耳を持たないからこんな事態に陥ったりするんだ~」 と激高したらしい。
その後、亡くなった子の母親が家にやってきて、「人殺し~」 と玄関廻でわめいたりしたらしい。
それはおじいさんにとっては耐え難いものだったみたいで、昔警察官をして定年になり、まさか自分でそんな事故に遭うとか想像できず、自分の子供たちが危ないので運転をやめろと言ったのも聞かず、毎日趣味のパチンコ屋さんに友達から譲ってもらった感じの軽ワゴン車で通い、事故に遭ってしまった。
事故は子供が飛び出して急ブレーキを踏んでも間に合わなかったという過失がないという事でそこは良かった。
子供が悪いし、小学生だと親が事故とかの危険性を教えていなかったと考えられ、親にも責任がある。
でも、親は自分のせいではないとおじいさんの家にやってきてしまい、さすがに警察官に助けを求めるのは心苦しいとか思ったのかもしれない。
定年になり家を新築で建てて住んで間もない頃に事故が起き、その家に母親が来るのでそのままにして10年くらい誰にも会わず、亡くなられた。
おばあさんが亡くなり、その直後におじいさんが亡くなり、そんな感じで、10年でもう別人のように変わっていたそうです。
何というか、人が集まると楽しいお酒を飲むおじいさんでした。
まあボケているというか、そんな感じではなかったと思うのですが、車の運転は見ていて危なっかしい感じはありました。
あなたはそういうお子さんなど家族間とかで「もうそれはしないで~」 とか言って、聞く耳を持たないというか、本人にはそう見えていないという感じを見た事ありませんか?
誰かが注意してくれた時に、時に人は自分の事は見えていないかのように怒るとかあったりする。
聞く耳を持っていれば、事故とか起きなかったのかもしれない。
世の中には、自分で自分の事が見えていない人がいたりして、やらかした話題の人が出てくるとコメンテーターの人が、「俯瞰(ふかん) で自分を見えていないのでしょうねえ~」 と言ったりするじゃないですか。
たぶん生まれつきというよりは、人は生まれた時には誰もそういう能力は持っていないまま生まれていると思うので育ち方で決まるようなものではないかなあ~ と思うのです。
例えば、小学生くらいの頃から学校でテストで高得点を取り、そのまま有名な、難関な国立大学に合格して卒業した人がいると、人はその人が頭が賢いから勉強ができるからそういう人生になったとか思ったりする。
でも、そういう人に聞いた話では、必ずしもハッピーな話でないみたいですよ。
例えば小学生になり、学校とかで友達と遊ぶ。 それがどうしてもの人にとって苦手という感じで、それでやる事がなくて家とかでも勉強していたりするそうです。
そして、大学生まではテストで良い点数を取れば、「頭が良いのですね~」 とか褒められたりする。
そのどこか勝ち組の人生のようなものが、大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になると潮目が大きく変わり、地獄に変わるそうです。
周りの人を見て、見よう見真似で同じように働いてくださいね~ みたいに言われた時に、たぶん自分で自分で良く見えないので、誰かと自分を上手く比較できないとかあるっぽいのです。
なぜか?
人は一説によると1歳~4歳までの間に脳が急成長したりする時期だと言われていたりする。
その重要な時期に、家の中でお母さんと一緒に過ごしていると、お母さんの影響を受けまくる感じ。
子供は母親の顔色を見てその行動が良いとか悪いとかを考えるとも言われている。
例えば、お母さんが家に子供を置いていけないので買い物に一緒に行くとかして、子供は母親の行動に付き添う事で外に出て何かを見て学習していく。
ショッピングモールに車で行った時に、横断歩道があってそこに若いママさんが手を繋いで小さな子供と立っていたとします。
30プリウスを運転していた私三之橋が渡るんだろうなあ~ と思って停止する。
お母さんが、「〇〇ちゃん、行くわよ~、ありがとございます~」 と言いながら横切る時に会釈されながら小走りで渡る。
たぶん、道を譲ってもらったという事を母親が認知して、子供にこういう時は横断歩道を渡る、相手が待っているので気持ち小走りで横切る時にお礼を言う、そんな一連の流れを我が子と共にやって、”手続き記憶” で覚えさせているだけだと思うのです。
女性の場合、大学生とかの年齢で一応普通自動車運転免許証を取得して、ちょっとだけ公道を運転してみて、自分には合わないと運転しなくなったりする人がいる。
なぜわざわざ運転免許を取るのか?
自分が実際に公道を運転しておかないと彼氏の運転が上手いのか? 下手くそなのか? もわからないので、うっかり下手くそな人と結婚したら自分に跳ね返ってくるからだと思う。
後は、運転者の視点で横断歩道はこういう風に渡るというのを我が子に教えたいとかそういうものかと思う。
でも、すべての若いママさんとチビッ子がそうだとは限らないじゃないですか。
例えば、私三之橋が30プリウスを運転して買い物に行った帰りとか自宅に向かって走っていると横断歩道をマイペースで若いママさんが自転車で走ってそのすぐ後ろをチビッ子が自分の自転車に乗りヘルメットをして伴走している。
長い横断歩道なので、私三之橋が左折するのでじっと待っている感じで、特に譲ってもらったとか認知していない感じで横切って行く。
歩道を走っているというのは幼児もいるのでまあ仕方ないとしても、そもそも母親が右側を走っているという事自体は軽車両の運転ではアウトになるので我が子に気づかずに真似をさせているという風に見えたりする。
今時だと、子育てに自信のある人って少ないと思うので、保育園に行かせそこで集団生活させるパターンが多いのかなあ~ と思う。
ちなみに私三之橋は、2歳から父の仕事に同行しまくりという感じだった。
幼稚園生になる前に、すぐ近所に住んでいるちょい年上の先輩となる男の子の家に遊びに行ったりした。
その先輩が見た事もないオモチャとか見せてくれたりして、その子のお父さんはお店をやっていて、2階にその先輩の部屋があり上がったりして遊んでいた。
その他には家から離れて路地の奥に歩いていった家に、年下の男の子がいて、その子のお母さんが働いていない専業主婦で上品な感じでピアノを弾いていた。
何か小洒落た服装とか、お洒落な人たちで上品で、”あの小洒落た音楽は何だろう?” と自分で調べたら、”月光” だった感じ。
どこか細身で、よく遊ぶ子とかのお母さんだともっと太っていたりするので、特別目立つ色白で、寂しい曲が似合っているのでどこか病気がちな人だと思ったりした。
たまに遊びに行くとその子が熱を出しているので寝ている。 「今日は来てくれてありがとう」 とか言ってくれる。
何か我が子が弱い感じで、遊ぶ子がいない感じで、遊びに来る子は歓迎してくれていた感じでしたが、すぐに引っ越してしまった。
そんな感じで、よくわからない友達の家に行き、そこでお母さんとかもいたりするというスタートだったりして、幼稚園生になると友達が鼠算式に増えてしまう。
「今日は俺の家に来る?」 とか誘われて自転車とかに乗って行かないと遠くまで歩くのはしんどい。
人は幼稚園生くらいで遠くとかの友達の家とかに1人で出かけるとかになり、それでその年齢で交通事故で轢かれて死亡するとかあったりする。
年齢が1つ増える程にそういう車の事故が学習能力で減っていくと言われています。
私三之橋の場合は、小学生1年生とか2年生頃は学校のテストで8点とか12点だった。
いつも家に、「三之橋く~ん、あ~そ~ぼ~」 とやってくるので出ないといけない感じ。
小学生4年生までは明日の学校の準備をしないので忘れ物はしまくるわ、宿題も1度もやった事がないのでよく先生に叱られていた。
チビッ子の時代は、そんな感じで友達に誘われるとか忙しい人生だったりする。
友達に遊ぼうと言われ、それが常に楽しいとも言えない。
一緒にいて付き合いにくい子もいれば、難しい話をする子もいるし、安定しない。
そんな感じで高校生くらいまで同じ路線でやっている。
たぶん、高校を卒業して大学生になるとか就職するという事で、実家を飛び出して土地勘もない誰も知り合いがいないという新天地でアローンスタートとなる。
ちびっこ時代から、友達はこういう感じで遊ぶみたいなノウハウがあり、でも1度リセットされてしまうので、ゼロから友達ができるのか? というのは人それぞれ違っていると思う。
アローンスタートでは、それまで同じ家のそばの子みたいなものと違い、東北出身の子とか、東京出身の子とか、関西出身の子とかどこで育ったのか? というのが違っているので、言葉がちょっと違うとか習慣性が違うとかあるので、難易度が跳ね上がる感じがある。
後は18歳くらいの年齢になると、人当たりも問題になるとかある。
例えば、私三之橋が大学で話しかけると、「げっ、田舎町の福岡からダサい恰好の三之橋とかいう人に話しかけられてしまった」 みたいな感じで、小学生とかだと気にしないような顔とか髪型とか服装とか、付き合いたくはないかなあ~ という好みが出てくる。
高校生まではドリルの基礎編だとすれば、大学生の年齢だと応用編みたいになる感じなので、友達を作れない人も増えてくる。
田舎から出て来た人というのはあまり自分の事はしゃべらないようにしたりするので、しゃべらせる技術がないと話が続かない。
どうしても「えっ、そんな所で育ったの?」 みたいな田舎の話はしたくないとかある感じ。
誰かと知り合うと、友達の定義はその人の家に行く間柄とか、食事をする間柄とか言われているので、大学だと一緒にランチを食べるとも重要になる。
「あれれ、三之橋君って箸の握り方がちょっと変わっているよね?」 とか言われる。
『よく言われる、孤児で育ったのでマナーがなってなくてごめんね~』 と言ったりすると、「えっ、ほんとに?」 とか相手がうっかり指摘したマナーの悪さとかで、”言わなければ良かった” とか思うように話を合わせるとかもある。
人は誰かと知り合い、その目の前の人が何かお金持ちとか凄そうだと見えたりすると自分がバカにされないように意識するとかあるので、思いっきり下げておく感じ。
女性とかでも、「三之橋のお父さんって何をしている人なの?」 と訊かれたら、『う~ん、説明するのが難しいんだけどね、生活保護従者なのでクズかな』 と言うと、相手が、”訊かれなければ良かった” と思ったりして2度と家の話の質問してこなくなり、傷つけ気もするので優しくなったりする。
人間には法則があったりする。
家がメチャ貧乏で、親が犯罪者で、みたいなのに、お金持ちとか善人な人みたいに取り繕われると、後で事実を知った時に、騙された感を感じたりする。
近所の犯歴照会で収監実績までヒットしたとかの人を見ても、奥さんとか奥さんの実家の両親とかみんな家族ごと自分があたかも善人のように取り繕って騙して結婚したりするとかあるじゃないですか。
「あんな人だよ」 と思うと、他にも嘘をついていると思うので、しゃべる気持ちも失せる。
でもね、「ちょっと三之橋くん、あれは嘘だったってどういう事よ~。私は信じたんだよ~~~」 と嘘がバレた時、その彼女はそれが、”嘘であって良かった」 という感じで喜ぶじゃないですか。
全然知らない人と知り合い、事実を言う一瞬の会話の中に嘘も織り込んでおく。
バレた時にちょっと仲良くなったのがさらに1段引き締まるようなより仲良くなる感じ。
大学生でのアローンスタートは、それまでの高校生時代までに友達と付き合ったという基礎を応用する感じで、ゼロからスタートして、例えば大学の入学式の初日からガンガン攻めていたなあ~ とか、人によっては、「俺はなかなか誰かに声掛けする事ができなかった」 とか何か検証結果があると思う。
その検証結果を振り返ってみて、ゼロから友達とか作れたとか、大家さんとの人間関係はできたとか、大学の教授とは人間関係の構築ができたとかを振り返る。
よく大学の教授との人間関係の構築とは何ですか?
とか訊かれるのですが、忙しいので講義にアルバイトの出席する代理人に行かさせたら、「君の顔くらい私でもわかるよ」 とバレてしまい、出席日数が0日だと叱られた。
でも、大学生1年生で残念な人を励ますパーティーに呼ばれてしまっていて、1つでも単位を落とすと卒業できなくなる可能性が出てしまうので、大学教授に反省しています~ と交渉して私の出すレポートを読んでみてください~ と交渉して、テストを受ける権利を獲得して、テストで良い点を取って単位も取得したとかそんなものがある。
ある時は、環境問題で、大学のそばにある川の清掃ボランティアに参加させられてしまった。
講義に代理人を出席させた数だけ川の清掃ボランティアに行かせられ、その話を就職活動の面接とかで、”代理人を出席させていたのがバレて教授の逆鱗に触れてしまい、川の清掃ボランティアに行かせられた” という部分は、”自ら環境問題を何とかしようと考え、いつも製造ボランティアに参加していた” と言ったら絶賛されてしまったりした。
大学の教授っておじいちゃんばかりなので、上手くいくと思って代理出席の人に頼ってしまい、意外にもまだボケていない感じで跳ね返ってきた事があり、それがきっかけで仲良くなれたりした。
個人的に、1番重要かなあ~ と思うのは、自分の事は自分でできたのか? という部分。
例えば、私三之橋は、車の洗車が最初苦手だった。
走るので週に3回くらい手洗い洗車していたのですが、とにかく汗だくになるとかある。
夏場は大学からの帰りとかの午後にコイン洗車場に寄るとシャンプー洗車とかして拭きあげて、ワックスをかけて拭きあげるとかすると汗だくになる感じ。
何だか大学生って会社員がスーツ着て涼しそうに見えるイメージと違っていて、コイン洗車場で洗車して手とか少し汚れるというか、肉体労働者みたいに汗を出すので、そんなので苦手でした。
クロスとかたくさん使うとかTシャツを着替えるとかあるのでとにかく洗濯ものが増える。
洗濯も自分でやらないといけないじゃないですか。
洗濯できたか? とか、掃除できたか? とか、車は洗車できたか? とか、総合的にできなかったとかがなかったか? という自分の事は自分できちんとできたのか? をチェックする。
よく理由も訊かれるのですが、幼稚園生から小学生6年生まで8年間ずっと一緒だった〇〇ちゃんという子がいて、幼稚園生の頃から年の離れた高校生のお姉さんが明日の準備とか宿題とか全部してあげていた。
小学生になった頃には周りの子がみんな〇〇ちゃんの事を過保護だと笑っていて、そばにいてたしかにもう廃人っぽい感じがあった。
それで、自分の事は自分でやるという習慣になっている感じ。
大人になって時に、人が忌み嫌うのは、そんな感じで自立できていないような、”自分で自分の事もできないのか” みたいな人だったりすると思う。
会社員になるとわかると思うのですが、自分が電話で注文を受けて手配漏れをしたとかの場合、その人の責任で自分で配達に行かされるとかある。
でも、車の運転がどうしてもダメとかで誰かに行ってもらうとかあるじゃないですか。
そんな感じで、自分の不得意な事をずっと誰かに頼むとかしていると、行き場を失うという結果を招き、自業自得となったりするじゃないですか。
最初から自分の事は自分でできれば年を取った時にそういう結果は招かない。
発達障害っぽい人とかが、何か問題が起こると、「もう知らない」 と言って投げだすとか、「もう死にたい」 と嘆いたりするじゃないですか。
自分で問題を解決できない人だとそういう風になり、それも大人の世界では忌み嫌われるので、最初からそういう感じでなく問題解決できる方が良いので、そこもチェックする。
大学生になってアローンスタートの4年間で何か自分で自分の事ができないとかあったのか?
アルバイトに行って、初日に怖い先輩がいて、翌日以降行かなくなり逃げ出したとかあったりしたか?
順風万端な人生ってないと思う。 大学に行くのに暑くてどうしようもないような日があったり、ザンザン降りの雨の日があったり、雪が降っている日もある。
天候が悪いからといっていちいち休んでいると卒業もできない。
時には教授にズルをしたと責められ、失格判定と宣言されるという過酷な日もある。
『わかりました~』 と言ってはいけないくらいは小学生3年生の子でもわかるわけで、抗うとか、ひっくり返すというゲームチェンジができたのか?
あまり自慢できる事でもないのですが、警察署長のところに連れて行かれ、公道を制限速度の3倍で走っていて調子に乗っているのでお前逮捕しても良いんだぞ~ と叱られている。 白バイだけでも10台とかあったので、それは三之橋の野郎を捕まえるぞ! みたいなプロジェクトだったと思うのですが、私三之橋は逮捕もされずスキップして出てきた感じ。
自分で絶体絶命のピンチ、みたいなものに遭遇し、思考停止とかしなかったか? とかもチェックする。
後は誰かに迷惑をかけていないか?
私の話ではないのですが、誰かと知り合い付き合い、その結果、「あなたと知り合った事でもう人生とんでもない事になり、もう2度と私には関わらないでください」 みたいな手紙が送られてきて、内容は絶縁状というのを見た事があります。
大学で誰かと知り合い、「あの三之橋と付き合ったおかげでこんな目に遭い」 とか誰かがそんな感じになったとかあったのか?
女性と知り合い、お金を借りて返さないまま誤魔化したとかあったのか?
そんな感じで4年間をおひとり様反省会をして特に問題がなかったので、会社員の世界に飛び込んでいる。
後はお父さんとかに、「ちょっと借金して助けてください」 とか言ったりしたか? とかも確認する。
あくまでも自分自身で、何かだらしないとか、情けないとか思うような事があったのか? なかったのか?
そんな感じで何もなかったのでじゃあ会社員の世界に飛び込んでもお父さんに助けて~ とか言わないだろうなあ~ と思ったりしたので会社員になっていた感じ。
会社員になる時は、内定を頂戴した会社の中で、『1番ここが自分としては攻略するのが難しそうな気がするなあ~、やめておいた方が良いんじゃない?』 みたいにちょっとビビる会社にしてしまった。
やはり配属してそこに5名しかいないような拠点で、和気あいあいという雰囲気でヌルヌルだと3年後とか5年後にもっと大人数の拠点に転勤になり、そこで人間関係の構築ができずに悩むとかあると嫌じゃないですか。
何か競技のようなものに例えるならば、どうせなら1年生で1番強い相手と戦い、負けるとかは想定内で、その経験から修正してリベンジで別の会社に入れば上手くイケそうな気がすると考えている。
進路とかは、シンプルに自分の為になりそうか? という基準で選んでいる感じ。
会社に入社すれば、それまで学生だったので会社員の世界はわからないと思うし、そこの会社の社員とかもわからないし、仕事もわからないと思う。
強いて言えば、それまでの大学生時代までにも人間関係構築で何か技術があったと思うのでそれを使い、応用するという感じで、初めて会った上司をそばで仕事をする時の台詞とかを見て、思考パターンを読んでいる。
お金持ちの家の子で、たぶん勉強とかもしていて、努力はしているかなあ~ とか想像する。
その人のしゃべり方とか行動のいわゆる”コウカク” と警察でも呼ぶじゃないですか。
人を見るのではなくてその人の行動から何かを推察するようなパターン解析。
お金持ちの子でもいろいろな性格の子がいる。
上司はよくタバコを吸う。 たぶんタバコが好きすぎるとかでなくて忙しいのでタバコを吸う事で何か一瞬で頭を切り替えるタイプかなあ~ とか見てそう思う。
一緒に車に同乗した時、自分でハンドルを握りたがるタイプで部下には運転させない感じで、乗り込むとすぐにタバコを加えて火を着ける。
灰皿を軽く押すとトレーが前に出てきて、吸ったタバコが同じ種類のがたくさんあり、こまめに掃除しないタイプで、たぶん灰皿の中が燃えてもあわてないで対処するタイプ。
高級車なのにタバコを吸うというのは、灰が気を付けていても落ちるとかあるので気にしないタイプ。
あるいは、運転するとすぐに火を着けてよくタバコを吸うので、運転にそれだけ余裕があり、複数の事を同時にできるスキルがある。
お金持ちの人でも、タバコを吸うのが好きで、でも車の運転中に火を着けると運転して灰が落ちると火事とかにならないか? と気になるので交差点で信号が赤になるとタバコに火を着けて、青になるともったいないとか思わずに灰皿に捨てるという人がいる。
高級車がタバコで汚れるとかそういうのも気にしないのに、運転中にタバコの灰が落ちるという管理までいけないのでそうなる感じの人もいる。
車の運転中にタバコを吸うと、窓を少し開けるのでうっかりすると灰が飛んでしまい洋服に穴が開くとかもある。
でも、上司の場合、高級車に乗り、高級なスーツを着ていて、窓を開けてサッと火を着けてタバコを吸うとか、そういうのを目の当たりで見ると、たぶん器用な人で、それでいてタバコでスーツのズボンとか穴が開いても嘆くとかしないような細かい事は気にしない性格かなあ~ とか思う。
そういう風に自分で推察してみて、上司に合う会話とかしないと、「あいつは細かいなあ~」 と思ったりすると思う。
入社してすぐにできたOL姉さんの部下でも、メチャかわいいと人はそういう印象ですが、上司という視点では、着ている私服とかを見たりした時に、人にどう思われるのか? を気にするような繊細な感じがあるように見えたので、そういう人かなあ~ と推察して、それに合う会話をしていた感じ。
人というのは変わらないと思う。
小さな子供の頃から誰かと付き合い、その経験で得たものを積み重ねて判断しているだけだと思う。
会社員の世界に飛び込んだ時に、まずは自分ができる技術などから嚙み合わせていかないと、そこで仕事を覚えるとかも増えていくのでそんな感じのスタート。
それまで大学生だった人は、そこで10年とか20年働いている先輩と比べると同じようには仕事できないと思う。
何か得意な事というか、今まで使ってきた技術で人間関係の構築の部分はできそうな気がするのでそんなスタート。
そして1年とか働いた時に、仕事も含め上手くやれたとか感じて、『やった~、グランドスラムまで行けた気がする~』 みたいになる感じ。
何か脳に障害があるとか、精神病があるとか、そういう場合は到達できないと思うので、やった~ と思う感じ。
普通に育てばそうなるかなあ~ という当たり前の事の1つとして、当たり前にできて良かったとホッとする感じ。
子供の頃に統合失調症とかの人を見たりすると、ひょっとしたら自分もあんな感じなのかもしれないわけで、そうでなかったと思うとホッとする感じ。
大学生を卒業して新社会人デビューして、会社員となった時に1年やってみてラインに乗れていれば、それは自分にとって得意なフィールドでそこで躓くとかもないだろうという安心感。
学校のテストでどんなに良い点数を取れたという人でも、会社員として働いてみたら全然ダメだったとかあるので、検証してみてわかる世界。
そんな感じかなあ~ と思うのですが、難関な国立大を出たとかのエリートみたいな人は、小学生のガキの頃にみんなと遊ぶというのがどうしても苦手で、勉強してその1人の世界に没頭していたという話を聞いたり、小学生の頃には親に精神病院に連れて行かれ、統合失調症だと判断されたとか話を聞くと、何か涙が出てきそうになる。
『えっ、それは意味のない事をしていたのでは?』 と思ってしまった。
人は感受性の高い子供の頃に、誰かと知り合い、とっつきにくそうな人であったり、意地悪な人であったり、わがままな人であったり、1人1人個性が違うという感じで、付き合う時に、何かを感じる。
『うわっ、この子はメチャわがままな事を言っている』 みたいな負の感情を伴うような何かを感じる。
その結果、自分がそういう事を言えば目の前の人が嫌な感じとなるとか考えて、そういうわがままを言わないとかになると思うのです。
何か相性の合わない子としゃべっていたりして口喧嘩みたいになったり、取っ組み合いの喧嘩になったり、その日の夜に、『明日も今日のような続きがあるのか』 みたいに不安を感じて寝つきが悪かったり、と何かを感じたり経験していく。
感受性が高い時期なので、自分よりも体の大きな年上のいじめっ子に絡まれるとより怖いと感じたりするとかもある。
その経験の場数などから、何かを感じる、”偏桃体” とかが発達していく。
負荷がかからないと成長はできないとかあると思う。
年齢で言えば、12歳くらいまでこういう風に人間と付き合うという習慣みたいなものができていないと一生続けられないのかもしれない。
小学校でのテストとかって極端な言い方をすれば100点満点中8点でもそれは将来を左右するような影響は与えない。
そもそも履歴書って中学校卒業から書いたりするじゃないですか。
小学生3年生で学校で1番良い点数を取っても履歴書に書く欄がないわけで、そのくらいの価値でしかないと思う。
でも、小学生3年生で友達と遊んでいたりすればそれは大人になっても人間関係の構築で使う技術だったりするので価値は高いと思う。
後は勉強ばかりしていて親が心配になる精神病院で統合失調症と判断されたという部分。
たぶん自分が苦手だったりするとか、失敗した事を記憶から無理に消すとかした結果そうなったと思うのでそれってヤバイじゃんと思う。
例えば、私三之橋は小学生1年生でみんなと下校していて、踏み切りでカンカン鳴っていて、急に遮断機にぶら下がるゲームが始まった。
誰が1番最後までしがみついていられるか? みたいなチキンゲーム。
みんなの真似をしたらみんなが一斉に手を放して、バキッとなった。 どうも遮断機がへし折れてしまい、「うわっ、三之橋くんがこわした~」 と大笑いされた。
しばらくして忘れていた頃にお母さんが来て、「警察から電話があって呼び出されたらあなたが遮断機を壊したと言われ、人のものを壊したら弁償するのは人として当たり前の事ですのでと言われ弁償してきたのでもうやらないでね」 と言われた。
大人になった時に、『モノを壊したらそれを弁償するのは人として当たり前の事です』 と言ったりするのは、その小学生1年生で言われた台詞を忘れないようにしている感じ。
小学生になった頃、お金持ちの子という友達は不法侵入マニアでよく付き合わされた。 全然知らない人の会社の倉庫でロケット花火大会とかやって警察署に連行された。
「難しいかもしれないけれど、知らない人の会社に入っちゃダメで・・・」 と警察官がわかりやすく説明すると友達が、「それ前回も聞いたので、僕たちはバカじゃないので理解した上でやっているのでそこの説明は不要です」 と言った。
何かもう同じ話をされるのが何が何でも嫌という感じに見えた。
それでその友達の家に呼ばれ、その子のお母さんと話す時に、『子供って母親の言う事 を真似るとかするのでお母さんも絶対に同じ話をしない方が良いはず』 と思って、その子のお母さんと話す時には、その子と話より3倍くらい自分の会話を追うように気を使った。
自分にとって、1番その友達のお母さんが難しい話をする人で話す時に苦手意識がありまくりだった。
『たぶんこんな意味の話なのだろう』 みたいな想像もしないといけなくて、今でも覚えている感じ。
その結果から大人になった時に会社を代表して誰かと会うとかの仕事が廻ってきたりした感じ。
自分から見れば得意な人ではなくて、友達に、「お母さんが呼んでいる」 と言われると、『えっ、この前行ったばかりなのにもう?』 みたいに言われた瞬間にビビる感じ。
嫌いってわけではないのですが、どこか苦手で、自分のしゃべっている会話をもう1人の自分が追う、みたいに俯瞰で見て話すようなものはその会話がきっかけだと思う。
目とか、顔の表情とか、微妙な声のトーンとか何かを感じる。
そんな感じで自分の失敗とか、苦手なものとかは忘れないようにしているのでそれが結果に反映されていると思うので、自分が残念だった何かを消しゴムマジックで消すと、結果が悪くなるだけだと思う。
そんな感じで、多くはお母さんとかの影響を受けすぎた結果上手くいかない人生になっていると思うのです。
農水産相元事務次官での事例でも、子供が引きこもりに、「俺がこうなったのもあんたのせいだ」 みたいに父親とか母親を殴ったり蹴ったりしていて、お父さんとはじっとそれに耐えていた。
そんな感じで小学生の頃とかに子供が友達と遊べないとかあった時に、勉強を一時止めさせても、治療を受けさせておけばもっと好転できなのではないかなあ~ と思ったりする。
例えば、私三之橋の場合は、福岡市立の幼稚園に通い、福岡市立の小学校に通い、その8年間ずっと同じクラスになった〇〇ちゃんという男の子の友達がいました。
お母さんがいて、たぶん後妻でその実子が〇〇ちゃんで、それとは別にその前のお母さんの実子の女の子となる年の離れたお姉さんたちがいて、お母さんが〇〇ちゃんの欲しいものは何でも買ってあげて、お姉さんが宿題とか明日の準備とか着る服の準備もしていた。
なぜお母さんがお姉さんと違うとわかるの? と訊かれれば見ているとそうしか見えないからそう思った感じ。
欲しいオモチャとか何でも言えば買ってもらえるみたいで、学校とかではもう誰もが知っているような過保護なおぼっちゃまみたいな感じでした。
それとは別に、幼稚園の2年間と小学校の1年と2年で同じクラスだった4年間一緒だった男の子の友達で、デカい黒塗りの高級車に運転手もいたという子がいた。
見るからにお金持ちの家の子という感じで、お母さんの雰囲気から全く違っていた。
お母さんに何でも買ってもらえる〇〇ちゃんは、過保護に見えるのでたぶん1人で出かけるとかができなくて、しゃべるのが苦手に見える感じ。
でも、お金持ちの友達だと、お母さんが財布に10万円とか入れてくれるらしくて、そのお金で自分が必要だと思った参考書を自分で買うとか、友達におごってあげるとか使いなさいとなっていた感じ。
お母さんが4時間勉強させていると言うくらいなので学校のテストだといつも100点とか90点台で話してみても賢い感があり、しゃべるのも上手い。
そんな感じで、友達1人1人がどこか違いがあるじゃないですか。
自分が気の合う友達とかとだけ遊ぶとかはないので、自分から見ればちょっとわがまますぎるなあ~ とか遊んでいる時に感じる人も珍しくはない。
人と遊ぶのが苦手で、みたいな子供というのは、相手が変わると遊ぶルールとか、何かが変わるという可変する部分が苦手なのだと思うのです。
不法侵入マニアのような友達は、「あの子2回も同じ事を言うので疲れる」 とか誰かの事を言ったりする。
お金持ちの子がスリリングな遊びをしているのか? と訊かれると、私三之橋にはそうは見えない。
説明するのであれば、何か1つの仮説を立ててそれを実験してみないと気が済まない子で、「あの会社に入ったこういう感じかなあ~」 と思ったら実際のところどうなのか? を知りたくで入る感じ。
一緒にいる子には、何か自分と同じように見えている子を好む感じで、空気を読むような感じの子。
説明するのが難しいのですが、例えば会社に行けば、「今日は暑いよね~」 とかさっき言ったのにまた同じ事を言っている人がいたりする。
人によってはそこまで気にならないと思うのですが、人によっては、「何度も同じ事を言って気づいていないその姿にイラっとする」 みたいに感じたりする。
チビッ子だから思った事はいちいち口に出して言うという感じの傾向はあると思うのですが、それが嫌だと感じる人もいるわけで、目で話すみたいな人だったりする。
例えば、チビッ子2人で遊んでいて、そこにもう1人とバッタり会って、「一緒に遊ばない?」 と言われたとします。
その不法侵入マニアの子はその子の事はきっと嫌いだろうなあ~ と思ったりして一瞬見るとそういう目をしているように見えるので、『今用事があって急いでいるから』 と断る。
その後でその友達の機嫌が悪くなるとかなかったので、『やっぱりあれで良かったんだ』 と思ったりする感じ。
例えば、田舎の離島とか閉鎖されたような所で育つと、”島のみんなと仲良くしないとダメ” みたいな感じだったりするので、大人になった時に空気を読めないとかで人間関係の構築が苦手になる人が多いと思う。
例えば、女性で、「彼氏と付き合い、そこそこ悪くない人に見えるのですが、今一つ彼氏に自信が持てないので結婚しても良いのか? がわからない」 みたいな悩みがあったりするという人がいます。
仮に年齢は25歳くらいの独身の女性とします。
女性の場合、彼氏と結婚して、その後でどうもご主人が想像したよりも良くなくて、後悔するとかあったりする。
時には、優しそうに見えて結婚したのに、結婚後にご主人の人生がまとわりつくと言いますか空回りし出していくとかで、ご主人が奥さんを殴る蹴るとのドメスティックバイオレンスの被害に遭うとかもあったりする。
昔あったのは、夜20時過ぎにピンポンが鳴り、「この近くで人が殺されるような悲鳴を聞いた通報がありまして、何か聞きませんでしたか? 今の話を聞いて何かピンとくるものはありませんか?」 と訊かれた。
特にないですし、家族でテレビを観ていたので悲鳴はわからなかったと答えました。
21時とか過ぎて燃えるゴミ出し日だったので外に出ると、某個人住宅の壁に全身黒い服装の人たちがいて、壁とか窓に耳を当てて、「中に潜んでいるのを確認した」 とささやいていた。
私三之橋は、突発性難聴になったりしましたが、耳は良かったりします。
なんとなくさっきの続きかなあ~ と思ったものの、『こんばんは~、何かありましたか~?』 と挨拶したら、「警察じゃ」 と言われました。
どうも110番緊急通報された後に慌てて家の電気を消して居留守作戦をやったみたいで、人が殺されるかの悲鳴が聞こえたという通報で帰るわけにもいかず、刑事さんがいっぱい来て、「この家です」 と捜索したみたいでした。
それで、奥さんとか認知症のお母さんとかを殴っていたような話を知り、『えっ~~~』 と思った事があるのですが、結婚した女性はそういう事がある。
会社の後輩がある日思い出話として、普段通り会社からマンションに帰り、深夜にピンポンが鳴り、1人暮らしで、「誰も来ないのに何だろう?」 と思って出て見たら、隣の住むという女性が血だらけで助けてと言ったと言っていました。
世の中には結婚してそのご主人が結婚するまでは気づかなかったけれど、ろくでもない人で殴られるとかある。
娘さんのいるご両親とかでも、自分の娘が結婚して失敗するのは心配したりする。
それで、どういう風にチェックすれば良いのですか? と訊かれる人がいる。
簡単じゃないでしょうか。
彼女とかであれば、彼氏とドライブとかしている時に、「ねえ三之橋君、今度弟が大学に入学するんだけど、大学生になってどういう失敗があるのかって訊かれたんだけど、どういう失敗をした?」 と訊いてみる。
車を運転していれば、さすがに嘘をつくとか余裕ないと思うので、『えっ、大学生になってどんな失敗したかって事? 大学の入学式の日に高級車の新車に乗っていた子に話しかけたらバカにされたとかあるよ』 みたいに話すと思うのです。
それでその後でどうなった? という結果の部分で、翌日から同じクラスの子と話していったとか、そういう感じだと思うのです。
そもそも、ダメな人って、自分の失敗はなかった事にしているとかあるので、訊かれても答えられないとかある。
同じように別の日のドライブで、「ねえ三之橋君、今度弟が自動車学校に行く事になったんだけど、車の運転でどんな失敗があるのかって訊かれたんだけど、どんな失敗をした?」 と訊いてみる。
『俺は大学生1年生の18歳の時にもうみんなが免許とか持ってると言って、出遅れ組だったのでいろいろ話を聞いて、鬼教官を指名したらさ、メチャ怒鳴られまくりで、運転して5分に1回助手席の補助ブレーキを床まで踏まれエンストして激高されまくりだった』 とか話すと思うのです。
「なぜ鬼教官を指名したの?」 みたいに目的を訊けば、『車の運転は重要だとみんなが言ったので、だったら最初にダメ出しをしてもらい、免許取った後にその指摘された部分を修正すれば自分で洗い出すよりは早いと思った』 とか言うと思う。
それで、その後どうなったのか? という部分を訊いていけば、たぶん運転は攻略できたという結果だったりすると思う。
例えば、「ねえ三之橋君、私は幼稚園生の頃に友達の家に行くと苦手なお母さんがいたんだけど、三之橋君はどうだった?」 と運転している彼氏とかに訊けば、『俺も幼稚園生の頃はこういう友達がいて、その子お母さんがこんな感じで苦手だった』 と話すと思う。
話の中身はどうでも良い。 理屈を覚えてから話してみる。
例えば、もうすぐ30歳になる男性がいて、いつも散財しまくり借金をして、お父さんに泣きつく。
「お前、この前もこれが最後と言ったろ~、俺が今までお前に何回お金を出したのかわかっているのか~~~」 とお父さんが激高するじゃないですか。
その時に、『覚えていますよ。 179回です』 みたいに答える人っていないじゃないですか。
女性がダメンズが好きすぎて、いつもギャンブルで大金を使ってしまいお金を出す。
そんな時に、「どこかで彼氏も私の事は感謝しているはず・・・」 とか思い込んでいたりする感じですが、たぶんね、『2回とか3回お金を出してもらっただけ』 みたいな記憶で、子供がお母さんからお小遣いをもらった時の感覚だと思う。
理屈のようなもので説明するのであれば、たぶん普通の人であればある程、自分が失敗したとか苦手とかを自覚しているとそれは記憶に残っていて、そのハードルは超えていると思う。
なぜか?
昭和の任侠映画、実録ヤクザシリーズとかで映画の中で、菅原文太さんが、”1度逃げ足を覚えたやつが2度と浮かびあがる事はない” みたいに言って、チビッ子でも観た時に、『なるほど、〇〇君とかそんな感じだ』 と覚えてしまうから。
幼稚園生のチビッ子時代にお金持ちの子というデカい黒塗りの車に乗っているような友達の家に行くとその子のお母さんが難しい話をする感じで、たぶん幼児は経験の場数の違いで良い友達かダメな友達かという区別ができないと母親が考え、遊んでいる友達のチェックをしている。
友達にもいろいろあって、ごく普通の会社員の奥さんみたいなお母さん、何か商売をされている感じのおばちゃんみたいな感じのお母さん、お金持ちで一発運よく手に入れた家のおかあさん、会社経営をしている大金持ち系のお母さんみたいに違っていたりする。
自分で、『ちょっとあの家は苦手だなあ~』 と感じる事があったとしても、友達には言えないとかあるわけで、呼ばれたら行くしかない。
攻略しないと自分がずっと迷うままだと思うので、何とか攻略していくような感じだと思う。
幼稚園生から小学生6年生までずっと同じクラスだった〇〇ちゃんの家は昼間に行くとお父さんがいて、たぶん仕事をしていないのだと思うのですが、三之橋とかを見ると挨拶もせずにそっと家の違う場所に移動してしまうので、『見えなかった事にするか』 みたいな感じで対処する。
その子のお母さんが欲しいものは何でも買ってあげるので、そのイメージから、「仕事はしていない人たちで、宝くじにでも当たったような人ではないか」 みたいな仮説で付き合っている。
たぶん、漁業の補償金がどんと入ってそれで仕事をしていなかったのだと思う。
幼稚園生にはさすがにそこまではわからないので、なんとなくアウトラインの大枠でイメージしていた。
そんな感じで、友達の家とかに遊びに行くと、そこではその子のお父さんとは1回もしゃべった事がないとか、自分から苦手なおばあちゃんがいるとかあったりする。
友達と遊ぶ = それは楽しい事しかない。
というわけでもなくて、”子供は友達と遊ぶ事が仕事” と言われているように、その友達と仲良くなり、遊んだりするという事で楽しいと感じる事もあれば、時に喧嘩になるような嫌な感じもあったり、面白くない事も経験していく。
不法侵入マニアのお金持ちの友達に誘われ知らない人の会社に入って遊ぶ警察署に連行され、という場合、その子のお母さんには1度も注意すらされた事がなくて、まるで消しゴムマジックで最初から何もなかった感じで会話が進む。
たぶん、その友達を置き去りにして自分だけ逃げたとかしなかった事で、お母さん的にはそこを見ているような気がした。
クイズのような、正解・不正解で言えば、「友達に誘われた事だからと言って、それはやっちゃダメで間違いです」 となると思う。
でも、世の中はそうでもなくて、「それは不正解の間違いだけど、その間違えた行動で信頼を得る」 みたいな事があるので、複雑だったりする。
例えば、チビッ子なりにその子の家に行った時に、『先日は警察沙汰になり、ご迷惑をおかけしました~』 と1回くらいお母さんに謝罪でもした方が良い気がするのですが、でも、お母さんがその話はしたくないという顔をしているように見えると、『わざわざ言わない方が良いのに言ったりすると空気読めないバカと思われて機嫌が悪くなりそう』 と空気を読んで合わせるので謝罪した事は1度もない。
その子のお母さんが、「家族みんなで助け合いましょうね~」 とか言う。 例えるならば双子の兄貴がいて、あれをやって遊ぼうぜと言われた時に弟が、『それはダメな事で僕は参加できない』 と当たり前の事でも言って、兄貴が1人で廃墟とかに入ってけがをして死んでしまうとかあると、「どうして目を離したの?」 みたいになると思うので、付き合う。
その行動を見て、どこか安心している感じで、警察沙汰の件は消しゴムマジックで消してくれるのだと思う。
普段、お父さんやお母さんがその警察沙汰になったとかを知らないのは、友達のお母さんが優秀だからバレないのだと思ったりするので、結局安心して繰り返してしまう。
そんな感じで、何かを総合判断する力がないと友達と遊べないとかもあると思うのです。
例えば、幼稚園生とか小学生の頃に、”友達と遊ぶのは難しいなあ~” と感じてしまい、家で1人で勉強している方が楽ちんと感じてしまうと、その勉強という自分が得意なゾーンだけで過ごす事になると思うのです。
でも、人は自分が得意ではない、むしろ苦手な事とかをしている時に、その苦手なものを感じ、そのままでは将来自分が困るとか感じて、何かそのハードルを乗り越えようとして、そこで能力が発達するというのがあると思うのです。
例えば、私三之橋が大学を卒業し会社員になり、その同じ課にシステム部の部長というおじさんがいて、「三之橋君、どう今日仕事が終わったらそこにある角打ちに行っていっぱい飲まないか?」 とみんなの前でデカい声で誘われたりする。
正直な話として入社して何が何だかわからない1日だったりするので、”仕事が終わったら家に帰ってゆっくりしたい” とか思ったりする。
でも、その苦手だったりするような、行きたくないなあ~ みたいなハードルは超えれば超える程結果としては良くなっていくという感じがあるので、断れずに行ってしまっている感じ。
自分にとって得意ではない、苦手だなあ~ とか面白くないなあ~ みたいなハードルを越えるという感じでチビッ子時代から友達と遊ぶ事で繰り返しているようなものがあるという、場数の多さとかが大人になって会社とかで人間関係の構築とか仕事をするのに役立つような感じだと思うのです。
大人になって大学を卒業して、会社員1年生になった時に、そこで自分の上司かなあ~ という人と出会い、その人を見てこういう人かなあ~ という思考パターンを見て思い、その人の合わせてしゃべるとかをする。
入社して1カ月後とかにOL姉さんの部下ができて、それも、「こんな人かなあ~」 と思って会話とかも合わせる。
という話をすると、それがわからないと言う人がいる。
でも、逆に言えばわからない方が大変じゃないかと思うのです。
例えば、「会社員はほうれんそうが重要」 と言ったりするじゃないですか。
報告・連絡・相談。
でも、上司によってが、それは最小限で良いという人も存在する。
細かい事はどうでも良いので、端折って端折ってという感じで、「これだけは言った方が良いかな」 というわかりやすくかつ尺の短い説明をしてくれて、後は方向性とかを考えて1人でやってくれ~ と希望する上司もいる。
でも逆に、1日会社にいて、今日1日部下と何もしゃべっていないなあ~ というのは不安だったりするので、もっと1日に何度も報告とかしてくれよ~ みたいな人もいたりする。
そんな感じで上司という対象によって可変する部分になるので、報告するとかが苦手という人もいる感じ。
世の中には、「私は小学生の頃からテストでは負けなしであの難関国立大まで行けたのに、会社員になったら潮目が大きく変わってしまい、躓いてしまった」 なんて感じの人がいたりする。
あるいは、大学とか行った事もないけれど、会社員になったらまとわりつくというか、人生がダメになった感じがするとか言ったりする人がいる。
何が原因か? というのは人それぞれ違っていたりすると思うので、一概には言えないかなあ~ とは思うのですが、1つは自分で自分が良く見えないというメタ認知の人かなあ~ と思う。
例えば、大学生の人であれば、まだ学生なので修正は可能だと思うので、やり方としてはレンタカーでプリウスとかを借りてくる。
1番安い6時間コースとか短い時間だと6千円くらいかなあと思う。
レンタカーの場合は、保険の部分で免責補償制度などで比較する。
自分が住んでいる家のそばの路地があるじゃないですか。 住宅街とかだと表側から奥の方に行くような車1台しか通れないような狭い道。
自分が住んでいるところであれば、その狭い道をプリウスが走っているとか見て知っているので、ハイブリッドカーでなくても良いので、普通車サイズの乗用車の4ドアセダンを調達してくる。
後はその狭い路地に入って、左折し、左折し、左折しと運転席が右側にあるので、左折が1番ぶつけやすいと思うので左折をして元の場所に戻ってみる。
ガリっとやっちゃったら、物損事故となり、角地の一戸建てのブロック塀とかで左側が傷つくとかある。
そういう感じだと、自分が俯瞰(ふかん) 視で自分が見えていないという事が判明するじゃないですか。
他の人がクラウンとか、普通車サイズで走っていて、自分が同じような車で走れないというのは、それだけ運転が下手くそとかになるじゃないですか。
事故はレンタカーとかの場合、免責金額で15万円とかだったりするので、軽く傷を着けてしまい30万円超えとかの修理費用であったり、修理でレンタカーが営業できない補償とか高額になると思う。
なるべく免責金額がゼロになるようにしておき、それで試してみてダメだった場合は保険で対応する。
間違っても友達とか知り合いに借りてその車ではやらない方が良い。
個人の所有するマイカーは、家族特約など運転者を限定して保険料を安くしてあるケースがほとんどなので、物損事故でも対象外の運転者は出ない。
自腹で修理代を出しても、「あいつが俺の新車をぶつけやがって」 みたいに言われる事になる。
重要なのは、「新型の60プリウスが今目の前を走っていて、こんな感じで曲がった」 とかそこが重要。
20代の若い男性とか、60代の白髪のおじいさんとか、1人だけでなくて、みんな普通車でこういう風に曲がっていたというスピード感を覚えておき、真似てみる。
5回も6回も切り返すとかすれば、それはぶつからないのが当たり前だったりするので同じように1回で曲がってみる。
ガチャ~ みたいに当たれば、それだけ自分で自車の位置とか俯瞰で見えていないだけの話。
例えば、女性がいて、彼氏が運転して、自分では運転免許もない場合、同じ道を普通車を運転するお父さんとか男友達に走ってもらい、左折して左折して左折してと1周してもらい助手席で切り返さずに走れたとか見ておく。
彼氏に同じような普通車のセダンとかで運転をしてもらうように上手く段取りしてやってもらい、それを見れば「お父さんの運転だと切り替えせずに走れたのに彼氏は切り返す」 とか違いをみつければ良い。
自動車学校の教習車サイズって普通車サイズなので18歳の大学生1年生で免許を取ったばかりでも3カ月とか経っていればできて当たり前かなあ~ みたいなレベルですので、若いからとかあまりそういうのは関係がない。
もしも彼氏が切り替えして慎重派みたいな人だと、次は、運転している彼氏が道を譲ってもらえたように見えるのに挨拶もせずに行ったとかそういうのを見てみる。
車の運転は、対向車とかが譲ってくれたっぽいとかの場合、譲ってくれたという認識をするのですれ違う時とかに、”どうも” みたいに挨拶するとかやる。
気づかない人だと何もなかったかのようにすれ違うとかがある。
片側1車線の住宅街を走っていて、反対側から女子高生が1人歩いて来て横断歩道で停まりさっと手を挙げて渡るとかする瞬間に車が減速するとか停まるとかして、横断する女子高生15歳みたいな子がさっと会釈して横切るとかあるじゃないですか。
育ちが良いと言いますか、普通は誰かが止まってくれたとか譲ってくれた時に何の挨拶もしないのは失礼とか教えられているので、ついそういうリアクションをやってしまうとがある。
彼氏が運転していて譲ってもらえたのに気づかないみたいなものであれば、運転するだけでももう脳がいっぱいいっぱいなのか、見えていないとかだと思う。
自分で自分の事が見えない人だと、「男友達の運転する車で助手席で話をしていて、譲ってもらった時に挨拶しているけれど、俺はしないなあ~」 とか比較できないと思うのです。
大学生だとそこに気づけば、誰かトレーナーを雇うとか、口うるさい友達とか彼女に指摘もらえば直るかなあ~ と思いますが、手続き記憶って1度記憶すると修正が難しいとかあると思うので年齢が上になると無理だとも思う。
たぶんね、幼稚園生とかの頃とかに友達と遊んで、自分で自分の事が見えないような人を見て、そうなると集団生活で共生するスキルでは不利だとか思って、自動車学校でも鬼教官を指名したりして、チェックしている感じ。
もしも自分が見えなく場合でも、チェッカーがいれば気づけるという考え方をしているだけで、才能が何かあるから上手くいくのではなくて、障害を持っていないから上手くいくだけだと思うのです。
発達障害とか、知的障害とか、統合失調症とかは障害だと思うので、それは病院に行かないダメかなあ~ と思います。
”足し算” で何かほかの人より3つとか5つとか習得できても、”引き算” で何か障害が1つあれば、トータルでマイナスにブレると思うのです。