下関市豊北町阿川に鎮座される「阿川(あがわ)八幡宮」。御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』
「創立は弘長年中(鎌倉時代)と伝う。此の村は中世から海上交通・産業安定の地として知られ、村の開発とともに沖田の現在地に八幡宮が勧請された。領主は鎌倉末期から阿川氏三家が代々あり、のちに大内氏・毛利氏の崇敬があった。社家には伊藤家(旧姓今川)と静間家があり名夫による宮座があった。宮座は7人衆・12人衆と呼ばれ、御神事に供奉し、正月には歩射を勤めた。のちには警護と称し、土井の衆が神饌の調理や神役を勤めた。神輿は古くから浦の衆が舁いだ。弘長と応永の年に社殿再建の棟札があったと伝えられ、のちに慶長18年(1613)に毛利元鎮・元包(のちの吉敷毛利)が再建し、万治2年に毛利就方、寛保2年(1742)に毛利広規、弘化2年(1845)に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。」由緒掲示板より
明治17年(1884)再建・1998年に改修の拝殿
葉殿前左右玉垣の内より神域を守護されるのは「文化十年(1813)癸酉九月吉日建立」の狛犬さん一対。顎から柔らかなウェーブを見せるけの流れ、綺麗な歯並びを見せる口元・・・・惜しむらくは阿形さんの鼻から下顎にかけての部分が大きく欠損している事。
右足下に小さな玉を踏みしめ、あるか無しかの角を持つ吽形さん。相方さんがこれ以上被害を受けないように、どうぞしっかりと見守って下さい。
拝殿貫の獅子彫刻
阿形さんも吽形さんも区別がつけにくい口の開き方・・心なしか情けなさそうなお顔にも見える・・・
拝殿右手に境内社「天満宮」明治四十年(1907)に土井八幡宮・赤嵜社が境内社の天満宮に合祀。鳥居額には「赤嵜社」の刻。
天満宮拝殿前、玉垣の内左右より神域を守護されるのは「文久二戌(1862)九月吉日」建立の狛犬さん一対。おそらく拝殿前の狛犬さんと同じ方の作と思われます。
バックシャンという言葉が有るそうですが、これなど見事なバックシャンだと思いませんか?👍
巨岩を刳り貫いた手水鉢。形状に合わせたしつらえも見事。
かなりユニークな石灯籠
県指定文化財「イヌマキ巨樹群」。本殿裏のマキの森には、樹齢600年を数えるものもあり、道路に面したイヌマキは目の高さの幹周り4.2mで県下最大です。
参拝日:2012年11月14日
同じ狛犬さんですが、葉殿前の狛犬さんは立派ですね。堂々とした風格が、いつまでも視線を奪います。
映像の写し方なのかもしれませんが、天満宮拝殿前の狛犬さんは少し迫力に欠けますね。バックシャンのおまけが、魅力を補っています。
かなりユニークな石灯籠は、貴方らしい着眼の紹介ですね。ユニークさの中に愛らしさがあります。
御祭神は『應神天皇・仲哀天皇・神功皇后』と馴染み深い方々で、歴史の古さを感じます。下関には私の知らない場所が、こんなに沢山あったのかと今更ながらの感慨です。
感謝いたします。
おはようございます!
今日から4月。
何かと忙しいですが頑張って乗り切りましょうね!
狛犬の歯並びが綺麗ですね😌😌
歯並び 綺麗ですよね~
羨ましいくらい頑丈そうですよね😌
美味しいものが大好きなだんちょうさん
くれぐれも歯はお大事に!!
天満宮前は目線の位置で撮影
意識したわけではなく、台座の高さの加減です
同じ方が彫った狛犬さんですが
人の手によって生み出されるものは
全く同じものは二つとありません
それでいて、あの人の狛犬に違いないと分かる
それこそがご亭主殿にとっての
狛犬さんの醍醐味だそうです