車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 鳥取県旧国府町(鳥取市)

2017年04月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧岩美郡国府町(こくふちょう)は鳥取県の東部に位置し、県内では鳥取市、福部村、岩美町、 郡家町、若桜町 。更に兵庫県:温泉町と境を接していた町です。天平時代には鳥取県のほぼ東半分にあたる「本国庁跡」が置かれ、律令制下の地方行政機関の中心地として栄えてきました。また、町域には二位の尼の墓と伝えられる 「新井の石舟古墳」や、中国地方で最初の彩色壁画が発見された「梶山古墳」、安徳天皇御陵参考地とされる「 岡益の石堂」など、数多くの遺跡を有しています。「町の木:松」、「町の花:ツツジ」を制定。

「因幡国庁跡」

古代因幡と万葉文化にふれる異空間「因幡万葉歴史館」のシンボルタワー「時の塔」。高さ30mの展望室から「因幡三山」を望むことができます。

画像左「今木山」【藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす 今木の丘を 鳴きて越ゆなり】万葉集第十巻・詠み人知らず

画像中央「面影山」【我が背子は 面影山の さかいまに 我のみ恋ひて 見ぬはねたしも】大伴家持の義母:大伴坂上郎女、家持を偲んで。

右手に、武内宿禰ゆかりの「甑山」がありますが、捉えきれませんでした。

明治22年(1889)、町村制の施行により岩美郡宇倍野村・大成村が発足。

1957年、宇倍野村・大成村が合併、岩美郡国府町が発足。

2004年、用瀬町・佐治村・河原町・福部村・青谷町・気高町・鹿野町と共に鳥取市に編入。鳥取市国府町となりました。

マンホールには、日本の滝百選の「雨滝」と「町の木:松」、「町の花:ツツジ」が描かれています。

国府支所内展示マンホール

「日本の滝百選:雨滝」-観光案内パネルより

1966年4月1日制定の町章は「中心に「コ」、周囲に九つの「フ」で「国府」を表し、因幡の傘踊りの傘を表づ。」合併協議会資料より

撮影日:2012年4月15日&2016年10月20日

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かって因幡の国は現在の鳥取県のほぼ東半分にあたる地域を擁しており、律令制下の地方行政機関の中心施設として「因幡国庁」が置かれていました。天平宝字2年(758)には『大伴家持』が、また斉衡2年(855)には『在原行平』、応和元年(961)には菅原道真の孫にあたる『菅原雅規』が国守として着任しています。

昭和52年(1977)の発掘調査では、国庁の中心部にごく近いと推定される建物群の一画が発見されて、翌年に史跡に指定。この調査で10軒余の掘立柱建物、2条の柵、2基の井戸、数本の道路と溝などが検出され、これらの遺構は、石積み遺構や溝に囲まれていたと推定されています。

またこれら中心遺構の年代は、近くの溝から出土した「仁和2年(886)假分(けぶん)」の墨書を持つ題簽(だいせん)、木簡やその他の資料から、平安時代初期以降のものと考えられています。

眼前に広がる広大な風景、目を閉じれば煌びやかに裳裾をひく女官たち、狩衣烏帽子姿の任官達の姿・・春風に誘われて、桜の花びら一枚頬に止まり、やがてつかの間の夢から覚めて大きく息を吸い込む。

【 水張り田の  最中の丘に聳え立つ  朱塗りの門を 思い描きぬ 】鳥取市行徳 梶尾美智恵氏歌碑(因幡万葉歴史館敷地内)

訪問日:2012年4月15日

 


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