郡山市開成、開成大神宮の近くにある「郡山市開成館」。園内には明治時代初期に建てられた建物4棟が公開されており、当時の生活様式や、安積開拓と安積疏水についての資料等を展示。またこれらの建物は「未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡」の構成の一つとして、経済産業省認定:近代化産業遺産に認定されています。
博物館の名称となった「開成館」は、明治7年(1874)に区会所として建設された疑洋風建築の建物。安積開拓の核である「福島県開拓掛」の事務所が置かれていた場所です。
明治9年(1876)、6月16日に郡山へ到着した明治天皇御一行は、郡山学校で休憩した後、桑野村を訪れ、「開成館」に一泊。「開成館」では、山吉盛典や中條政恒が参向して開墾事業等について奏上。また、開墾功労者として開成社員や戸長などが召し出され、右大臣:岩倉具視より褒詞を受けています。
開成館3階には当時の行在所が宮内庁の監修を受けて再現されています。当時の御座所の畳は近江表を用い、厠や浴室には杉板を使用。出入りする箇所には有り合せの襖が充てられていました。
県指定重要文化財「安積開拓官舎(旧立岩一郎邸)」
安積開拓の中心的役割を果たした「福島県開拓掛」の職員用に建てられた官舎で、明治7年8月落成の「開成館」とほぼ同時期に建築。
明治12年(1879)、伊藤博文内務卿と松方正義勧農局長たちが安積疏水の起工式に来郡した時には、この部屋が宿舎となりました。松方はその時の感想を「茂松清風舎(松が茂り、清らかな風が入ってくる)」と書に残しています。
県開拓掛に着任した立岩一郎もここを宿舎としましたが、明治14年11月に官を辞した時、県から払い下げを受け、以来、立岩家によって守られ、昭和63年に郡山市に寄贈、開拓創業時の姿に復元されました。
明治11年(1878)、政府は国政事業として士族授産の為の安積開拓を決定し、全国各地から士族を移住させ、安積郡全域に広がる原野の開墾を開始。「安積開拓入植者住宅(旧坪内家)」。
「鳥取開墾社」の副頭取・坪内元興の住宅で、明治政府が入植者の住宅用に補助金を交付して建築させた規格住宅の中でも上級クラスの建物で、明治政府の『黒田清隆』『三島通庸』などの高官が安積開拓の視察をした際の休憩所として利用しています。
郡山市指定重要文化財「安積開拓入植者住宅(旧小山家)」
明治15年に旧松山藩から安積町牛庭地区に入植した「愛媛松山開墾」15戸の1戸で、室崎久遠が明治政府から建築の補助を受けて建築。明治32年に室崎が転出した後は、同じ松山から入植していた小山宇太治が住んでいました。
「(元)国指定の名勝及び天然記念物:開成山櫻」開拓用の池の堤を強化するために植樹。今でも1,299本の桜が咲き乱れる県内有数の桜の名所として、季節には多くの人たちが訪れます。
訪問日:2015年6月26日