鳥取市立川町、三洋電機(現・三洋テクノソリューションズ鳥取)内に残された近代木造建築「歩兵第40連隊・岩倉兵営跡」。
事前予約なしの為、写真撮影は遠目からのみ。それでも敷地内に入らなければという事で許可を頂けた事に心から感謝します。
旧藩主池田公爵敷地献納の承諾を得、明治31年(1898)に建てられた「鳥取歩兵四十連隊兵舎」。一世紀以上を経た今も現役で使われています。
お安いコンデジですが、精一杯頑張ってくれました。
同じく鳥取市立川町、県道291号線に面して建つ「国登録有形文化財:立川吉村家住宅」。間口が広すぎてどこからが主屋でどれが通用門なのか・・実は良く分かっていません(^^;) 文化遺産オンラインによれば「立川吉村家住宅主屋 及び 通用門:切妻造2階建の大規模な主屋。大棟及び一間幅の庇はともに石州瓦葺で、2階をなまこ壁とし軒裏を漆喰で塗り込める外観は特に目を引く。」
建築時期は明治中期(1868~1911)
立川吉村家住宅付属棟
問題はこの右の建物が何なのか?? 良い佇まいの建物だと思うのですが、特に資料とかは無いようです。
鳥取市と言えば「麒麟獅子」。国府町の宇部神社で麒麟獅子に頭噛みをして頂いたご亭主殿・・ここでも頭を差し出していますが・・・でもね、それ・・ベンチの飾りです・・(ーー゛);
鳥取駅近くの鳥取中央郵便局交差点、優雅に椅子に座った紳士は元鳥取県知事『石破二郎』氏。参議院議員として鳥取県の発展に貢献した人物だそうです。
鳥取市栄町にある「鳥取民藝美術館」。土蔵風の一群の建物の前に建つ多角形の建物は「童子地蔵堂」。
中に安置されている154体の地蔵は子どもの墓としてつくられた地蔵だとか。無縁仏になり鳥取市内の寺に放棄されていたものをここに納めたと、案内にありました。
鳥取市尚徳町に残る、市指定保護文化財「箕浦家武家門」。
「この武家門は、もとお堀ばたの南隅にあって2千石の箕浦近江宅の門でした。昭和11年に大阪の素封家広岡松三郎氏の寄贈によって現位置に移築保存されたものですが、今日では、鳥取が城下町であったことを語る貴重な建物です。」現地案内より
鳥取市公文書館前に建立された『岸本辰雄』氏胸像。「鳥取藩の推薦を埋めて大学南校(現東京大学)に入学し法律を学び、フランスへ留学。帰国後判事となる。その傍ら。宮城浩蔵。矢代操らとともに明治法律学校(現明治大学)を創設し、校長となった。」現地碑文より
鳥取城址:久松公園向かいに建立されていた「石谷董九郎(いしがやとうくろう)」顕彰碑。「岩美郡岩美町恩地の大庄屋石谷藤四郎の長男として生まれ、明治27年に衆議院議員となり国政に参画。中断していた山陰本線敷設の再開に尽力し、更に鳥取農工銀行を設立。鳥取県最初の鳥取電灯会社を創立し、翌年には「仁風閣」をはじめ、市内にはじめて電灯をつけるなど、実業界での業績も大きく郷土の発展の原動力となった人物」現地案内より
顕著碑と並んで『池本利美』氏の歌碑
【 白々と 砂丘も海もかすみたる 風の光となりて歩めり 】
訪問日:2012年4月16日