第3の支援者構想委員会 キャリアコンサルタントの未来を考える。

キャリアコンサルタントは、親でも上司でも先生でもない「第3の支援者」。これからのキャリアコンサルタントの未来を考えたい。

プレジデントオンライン「50代でやっておくべき「人生の棚卸し」」

2016年07月31日 | 日記
50代でやっておくべき「人生の棚卸し」

残りの30年をどう生きるか

20代前半で社会に出た人が平均寿命まで生きるとすると、50代はちょうど折り返し点だ。いったん立ち止まってこれまでの人生の棚卸しをし、残りの30年をどう生きるか目標を定め、その準備を始める大事な時期だといってもいいだろう。ところが、実際は仕事に追われ、夢中で走り続ける人がほとんどだ。定年になってから仕事に代わるものを見つけようとしても、もう遅い。

たしかに現役ビジネスパーソンが、最大の関心事は仕事だといいたくなる気持ちはわからなくもない。しかし、人生には仕事以外にも大事なことがたくさんあるのだ。ただ、それが何かをきちんと理解するのは容易ではない。だから棚卸しが必要なのだ。これまで歩んできた道を振り返り、自分は何を成し遂げてきたのか、どんな人たちと出会ってきたのかなどを整理してみる。あるいは身近な人に、自分はどう映っているかを尋ねてみるのもいいだろう。これをやることで、自分にとって大切なものは何かが見えてくる。そうなったら、すぐに準備にとりかかろう。

たとえば、定年後は奥さんや家族と充実した時間を過ごしたいと思うなら、今日からそれまで仕事に注いできたエネルギーと時間の半分を家庭に振り分けるのだ。疎かにしていた家事を積極的に引き受け、奥さんや子どもとのコミュニケーションの時間を増やすのである。

家族関係も友情も手入れが大切だ

以前『熟年離婚』というテレビドラマが話題になった。定年を迎えた夫が、これからは妻とともに生きようと指輪を買い、2人で行く海外旅行を予約して帰宅すると、妻は離婚届に判を押して待っていた……。仕事を言い訳に家庭をないがしろにしてきた夫に、妻はとっくに愛想を尽かしていたのである。

夫にとってはたまらないが、こういった類いの話は、決してめずらしいものではない。地方講演の折に温泉旅館に泊まると、熟年夫婦と一緒になることがよくある。そんなとき、多くのカップルは食事中もそれぞれがスマートフォンを見たり新聞を読んだりで、会話がない。結婚したときはお互い愛し合っていたはずなのに、なぜこうなってしまうのか。

簡単な話で、夫婦関係を良好に保つための当然の努力をしてこなかったのだ。男は仕事さえしていればいい。こんな理屈は妻には通じないと思ったほうがいい。

家族と同様、大切にしたいのが友達だ。私は大学時代ワンダーフォーゲル部に所属していた。このときの仲間とはいまでも毎年決まった日に集まって旧交を温めている。実は、卒業後しばらくはみな忙しいこともあって、一堂に会する機会はなかった。新卒で配属になった大阪からようやく東京に戻った私が、そういえばワンゲルの同窓会を一度も開いていないと気づいて声をかけたのがきっかけだ。そのときは18年ぶりだったにもかかわらず、全国から30人近くが東京に集合し、時間を忘れて大いに盛り上がった。そこから毎年の恒例行事となったのである。

若いころ培った友情は、一生の財産だ。だが、どんなに太い絆もほったらかしにしていたらやせ細り、いつかは切れてしまう。そうならないためには手入れが不可欠。友情も家族の絆も同じである。

直接会えればそれに越したことはないが、時間がないなら手紙でも電話でもいい。とにかく億劫がらずに定期的に連絡をとることが肝心だ。

人智を超えるものと触れ合うこと

といっても、その種の会合のすべてに出ろということではない。職場の飲み会など、あまりひんぱんな付き合いは時間の使い方として無駄なことも少なくない。そういうときは、不義理になることを覚悟で、何回かに一回だけ出るようにする。そう思い切ることも、人生の後半を生きるうえで大事なことである。

いま50代の人に勧めたいのは、人智を超えるものとの触れ合いだ。私は50代半ばに山形県の湯殿山で即身仏を拝観し、深い感銘を受けた。当時の私は、病に臥せる妻の介護や障害を抱える長男の世話をしながら必死で働いていて、それが誇りでもあった。だが、民衆を救うために激しい修行を積んだ末、生きながら仏となった僧侶の前では、私の努力などとるに足らないと思わないわけにはいかなかった。

年を重ね経験を積み、肩書がつくようになると、人はどうしても傲慢になる。そんなときは即身仏のような偉大な存在や、大自然、芸術といった人智を超えたものに触れると、謙虚な気持ちになり、等身大の自分を取り戻すことができるのである。

いろいろ挙げてはみたが、どれも一度はどこかできいたことがある話だと思う。そう、みんな知識はあるのだ。それでもいざ定年を迎えると、失敗したと嘆く人が少なくないのは、要するに実行しないからだ。

もしかしたらそういう人は、第二の人生にどれだけのことができるか、その可能性を甘く見ているのかもしれない。葛飾北斎が長野県にある岩松院の八方睨み鳳凰図を完成させたのは88歳。亡くなる直前の90歳のときには「天が私にもう5年の命をくれれば、本物の画家になれた」という言葉を残している。その歳になってなお成長しているという実感が北斎にはあったのだ。

私自身も58歳で子会社社長の辞令を受け、「もう社長にはなれないのか」と無念の想いを抱いたが、そのとき初めて書いた本が思いがけずベストセラーとなり、以来、文筆家として著作はすでに16冊となった。

人生の後半にもできることはたくさんある。だからこそ50代を大切に生きてほしいと切に願う。

東レ経営研究所特別顧問 佐々木常夫

1944年、秋田市生まれ。県立秋田高、東京大学経済学部卒業。自閉症の長男、肝臓病とうつ病を患う妻を抱えながら勤務先の東レでも仕事で成果を挙げる。2001年東レ取締役、03年東レ経営研究所社長に就任。近著に『50歳からの生き方』。
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68歳の恩師の言葉。「まだまだ余白のある人生です」

2016年07月31日 | 日記
昨日、小学校のクラス会だった。

4年に一度は、当時の担任の先生をお呼びしている。

宴の最後に、恩師の言葉。

「今の私でも、

こんなことしたい、

あれやりたい、

なんて思うのだから、

君たちには、もっと

あるでしょう。

お互い、

まだまだ『余白』

のある人生です。」

恩師の言葉は、ミドル世代が考えるべき課題を

ズバリ捉えていた。

ミドル世代は、「これまでの蓄積とそれらの維持、後進の助言者になること」

と定義されがち。その通りであるが、その後に衰退ステージが待ち構えていると

いうのが前提だ。場合によっては、今の居場所から退場を余儀なくされる、と予期する。

だから、暗くなる。

年金支給は、75歳以上がほぼ確定だろう。

ミドル世代は、少なくとも、あと25年から30年は働かなければならない。

これは、どう足掻いても避けられない。衰退ステージどころではない。

恩師の言う通り、

「まだまだ余白がある」わけだ。

だからこそ、ミドル世代こそ、「棚卸」が必要だ。

これまでの能力、知識、得意・不得意、資格、などなど。

これまでの自分を一度、時間をかけて、探求しておく。

そうすると、、、、、

「余白」というキャンバスになにを書けばいいか、見えてくるはずだ。

1、2日程度のワークでは難しいが、しっかりとした時間と機会を

用意すれば、「まだまだある余白」に絵を描くことができる。

これからの25年、30年、どんな毎日を過ごすのか。

これからの余白の主人公は「自分」にしてはどうだろうか。











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