発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

クリスマス絵本 クリスマスに忙しい両親を持つ子どもたちのための「GIFT」

2018年10月24日 | 本について

◆クリスマスが近づく

 ハロウィンのお菓子や装飾が並ぶなか、クリスマスケーキの予約カタログもお店に並んでいる。冬遠からじ。当日暇なら作ってみよう。忙しければ買う。まあ、どこそこのでなくっちゃあ、というよほどのこだわりがない限りは、当日予約なしでも買えることは買える。天神か博多に出ていればどこかデパートで。南の方を通りかかればサイラーあたりで買うんだと思う。

 ◆クリスマスは誰にもやってくる♪のか?

 そういえばサンタクロースに家庭はあるのだろうか?と考えたことはないだろうか。

 サンタクロースに妻子がいたら、そして妻もサンタクロースの仕事を手伝っていたとしたら、その家の子どもはクリスマスの時期、とても寂しい思いをしているのかもしれない。現実の世界でのサンタクロースの配下の人々、つくることや運ぶことや売ることに携わるひとたちは、12月ともなれば繁忙期、超ハードなシフトで働くことになる。家族全員でのクリスマスイブなど無理無理無理っという家庭も少なくはないはずだ。

 ◆あるサンタクロースの家庭でのこと。

 サンタの家の子どもは、よその子たちのためのクリスマスプレゼント準備のためにしっちゃかめっちゃかになっている家で、父であるサンタクロースをつかまえ、

「僕の家のクリスマスは来るんだろうか?」

 と聞いてみる。すると父であるサンタクロースは、息子にクリスマスの時期に旅に出るように言う。世界中をめぐって、前の年に子どもたちに贈ったクリスマスプレゼントをたどる旅だ。(サンタクロースの家にあるそりには、時空を超える、おそらくテレポートや短かめ過去専用タイムマシンの機能があるのだと思う)どんな冒険が待っているのか。

GIFT サンタJr.の旅  ISBN978-4-901346-71-9 1300円+税

   サンタの息子の成長物語であるこの楽しい絵本は、子どもたちが、世界中の子どもたちの事情に目を向けるきっかけとなるかもしれない。タンザニアの雄大な風景や、モルディブの美しい海。広場で楽しくサッカーをするブラジルの子どもたち。そればかりではない。内戦で両親に死なれた子ども、おそらくはサブプライムローン危機のあおりを受けて家を立ち退く予定のアメリカの家庭。幼くして過酷な経験を味わっている子どもたちもたくさんいるのだ、ということは知っておいた方がいい。とはいえ親が「◯◯の子どもたちはそれどころじゃない大変さなんだぞ」と言おうものなら「へー、そーですか(棒読み)」という返事が帰ってくるのがオチである。いろんな立場の子どもがいることはかように教えにくい。こういうことは、本で自分から知らないといけない。

 この本のいいところは、去年出たばかりの新しい本で、しかも少部数なので、プレゼントにするにも、すでにある本とダブってしまうことはまず考えられないことである。お申し込みは本屋さんかネット書店かこちらへ。

 

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CSがCSを呼ぶ?野球応援セールに背を向けて

2018年10月22日 | 日記

◆リアルで言えば村八分?

 福岡で言えば村八分に遭いそうだからプロ野球にはあまり関心がないなんてリアルで言ったりしない。子どもの頃は「巨人の星」を楽しんで見ていたし、映画「ミスターベースボール」「マネーボール」などの野球映画も面白いと思っているが、今のプロ野球の動向はわからない。名前と顔が一致するホークスの選手はいるにはいるが、それはその人が広告媒体に登場している場合であって、背番号と名前はまったく一致しない。福岡にドーム球場ができてから二度ばかり試合観戦に行ったことがあるが、いずれもごちそう目当てのスーパーボックスご招待だった。言っておくが私はアンチではない。ただ、スポーツそのものにそれほど関心がない。プロスポーツは所詮他人の戦いである。かわりに戦ってもらって一喜一憂するというのにあまり馴染めないのだ。まあ、あんたの体育実技の成績がひどく悪かったせいだろうと言われればそれまでである。

◆なぜ応援するのか

 ホークスがクライマックスシリーズに出場決定ということで、町ではセールをやってる。イオンは元々はダイエーだった店舗が多いからかもしれないけど、本当のところはロッテを応援したいんじゃないかな千葉だから、と思う。ゆめタウンも本当のところはカープを応援したいのにずっと若鷹軍団の歌がかかっていて憂鬱な広島地元の社員さんが多いのではないかと思ってる。博多阪急も関西訛りの社員さんがいるからには、内心、何が柔らか銀行やねん、と思っている人がいるに違いない。

 福岡地場スーパーのサニーが、やはり地場のデパート岩田屋傘下だったのが西友に身売りしてほどなく、西武ライオンズの優勝だか応援セールだかをやっていたのを見かけたことがあるが(ちなみに今は、西友本体と同じくウォルマート傘下)、確か一回こっきりで終了したようなおぼえがある。たぶん評判が芳しくなかったのであろう。それを教訓に、流通は応援するなら地元球団、ということになったのだと思う。 CS(クライマックスシリーズ)を応援することがCS(カスタマーズサティスファクション=顧客満足)になる。なるほどね、と。

 サニーでは以来プロ野球応援はない。福岡地場スーパーマルキョウ(といっても今は山口のアルクあたりの傘下になってると思うけど)でははなっから野球応援関連行事はない。

 でも、セールをするお店の店内放送をよく聞いてると、優勝しようがすまいが、何らかの応援ありがとうセールはするみたいだから、単なる内需拡大の方便のような感じもある。1985年秋、三宮そごうで聞いたヘビーローテーションな六甲おろしは、今思えば新鮮だった。めったにしない優勝で、めったにないセールだからこそリーグ優勝とそのお祝いなのだと思う。

 

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紅茶はティーバッグをポットで

2018年10月17日 | グルメ

 これは本文とは関係なく筑後市羽犬塚の羽犬の勇姿。クリックで画像は拡大します。

◆紅茶が好き。使うのはもっぱらティーバッグですが

 仕事場には電気ケトルを置いている。紅茶のコツはただひとつ。熱いお湯を使うこと。軟水なら水道水で全く問題ないとリプトンの人は言ってた。温めたポットにティーバッグを入れて熱い湯を注ぐ。リーフティーを使っていたこともあったが、仕事場ではごみの捨て方の簡単さが大事だ。ポットは保温する。ただ熱い湯でありさえすればいいので簡単である。ポットを保温するのに、ティーコージーなどという小じゃれたものを買ったり縫ったりする必要もない、使ってないニットやフリース地の帽子を使う。フェルト化してかぶれなくなったウールニット帽などあれば尚よし、である。今使ってるのはユニオンジャック柄のニット帽。手作りしたいと思わないでもないのだけれど、ニット帽も可愛いよ。

 沸き立てのお湯というのは必須である。いつかテレビドラマの「相棒」で、杉下右京警部が列車の中で紅茶をいれているのを見かけたことがあるのだが、どうやって熱いお湯を調達したのだろうかという疑問はある。

 リプトンイエローラベルだって、きちんといれたらおいしい。ファストフードの紙コップティーバッグも紙コップを手持ちのハンカチか何かでくるんで保温してみよう。香りが格段と良くなる。アールグレイはトワイニング。いちばん普通にスーパーで売ってるから。レディグレイも好きだ。アールグレイは近所で宝石店をやってたスリランカ出身の女性から缶でわけてもらっていたものが、ともかく濃密でおいしかったけど、宝石店は西新に移り、今はなくなっている。 デパート地下食品売場で紅茶を試飲させているのを見かけるけど、香りが出ていないことが結構ある。せっかくのお高い茶葉が勿体ない。紅茶を日頃から飲んでる人が売っているのなら、マニュアルがちゃんとしてなくても、そんなことは起きないと思う。ともかく熱いお湯とポットの保温。それだけです。

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『ひねもすのたり日記』 ちばてつや 

2018年10月12日 | 漫画など

◆ある家族の博多港引揚

  戦後博多港に引揚げて来た人々が139万人いた。漫画家のちばてつや氏もそのひとりだ。

 ちばてつや氏が満州から引揚げて来た話は「屋根裏の絵本かき」という短編漫画でずっと昔に読んだ。昭和20年、敗戦の冬、引揚げ途中の一家は一時、父親の友人の家の納屋に匿ってもらっていた。父親は滞在中の一家の食糧を確保するため中国人を装い、友人と行商に出掛ける。母親と幼い子どもたちは、納屋の屋根裏部屋でじっとしていなければならない。日本人を匿っていることを周囲に知られると、友人が酷い目に遭うのだ。退屈する弟たちのために、てつや少年は絵本を描き、母はそれを読んできかせた。その冬が漫画家のちばてつや氏をつくったのかもしれないという話だった。

 ビッグコミックに連載中の、ちばてつや氏の『ひねもすのたり日記』には、引揚げの思い出話がたくさん出て来る。「屋根裏の絵本かき」で読んだ話も、前後からもっと詳細に読める。満洲は奉天(現在の瀋陽)の印刷会社構内にある社宅での平穏な生活が終戦とともに一転、流浪の難民となる。大陸の寒さ。移動の厳しさ。乏しい食糧。伝染病。そして恐怖と不安。そのうえ暴力、略奪、食糧と引き換えに子どもを売り渡す誘惑すらやってくる。引揚げ船にやっと乗ったところで命尽きる人もいた。あの戦争が「終わる」ということはかくも過酷なことだった。こんなことがあった、ということは、誰もが知っておいて良いと思う。四人の幼い兄弟を連れて引揚げる若い両親。一家の強い意思と僥倖とが生きて日本の土を踏ませたのだと。第一巻はこの二月に出て、すぐ買ったけど、紹介が今になった。絵の力はすごいなあ。引揚げの様子がすごく伝わってくる。

『ひねもすのたり日記』の終戦から引揚げの記述には、たくさんの人々の姿が描き込んである。一人ひとりがそれぞれの過酷な体験をした。ほかの人びとがどのように引揚げて博多にやってきたのか、ということが知りたくなったら、こちらの本もどうぞ。平和と繁栄は何の上にあったのか、ちゃんと知っておくべきなのだ。

 

 

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福岡市の救急車

2018年10月08日 | 日記

◆救急車

 救急車がサイレンを鳴らして通りかかる。ドップラー効果の理屈を思い出す。そして思う。「(結果として)大したことありませんように」 と。大したことないことで救急車を呼ぶことが問題になっているけど、一部を除いてはやはり一大事だということで呼んであるのだ。大したことありませんように、と、救急車が通りかかるたびに願っていれば、見ず知らずの人の容態が、何かよい方向になることもあるのではないか。

 福岡市消防局の救急車のナンバープレートは、救急車の通し番号となっている。12号車なら「99-12」 というふうである。救急車はもちろん8桁に乗っかるお値段の車両なのだが、それを消防局に寄附する人もいて、寄附した人は、消防車に命名権が与えられる。「ハルオ号」「シズカ号」はよく見る。あと、苗字と思われる命名もある。ハルオさん、ありがとうと思いながら去って行く救急車を見送るのだ。

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乗ってた電車に飛び込み人身事故!! さあ、どうしよう?

2018年10月06日 | 日記

◆電車が突然止まったら

 10月1日午後7時51分、私の乗っていた西鉄天神大牟田線上り普通電車が朝倉街道駅のホームに入線する途中で急ブレーキをかけて止まった。電車はホームにかかっているのにドアがいつまでたっても開かない。やな感じがしたが、大当たりだった。

 人身事故のアナウンス。ご迷惑をおかけしますが、いましばらくお待ち下さい、とのこと。あらら。駅前の踏切は鳴りっぱなし。運転室に声を掛ける人がいるが返事はなく、そのうちに警察官と消防隊員がホームや線路上にやってくる。でも、電車のドアは開かない。乗車率は10%未満のガラガラ車両で、他のお客さんは、職場なり家なりの行き先に電話やメールをしている。

 鉄道会社にとっては、飛び込みの人身事故は被害であり、大迷惑以外の何者でもない。だがまた乗客にとっても大迷惑なのである。何があったかは知るよしもないが、電車に飛び込むのだけはやめてくれないだろうか。無関係な人を巻き込みすぎる。この電車に乗り合わせただけで帰宅が大幅に遅れることになる。さて、どうする?

 駅でない場所の事故なら線路に降りたりするのは危険なことがあるので、ある程度事故処理につき合うことは覚悟しないといけないだろう。しかしここは駅で、ドアが開けば安全にホームに出ることができるはずだし、朝倉街道駅、ということは、数分も東に向かって歩けば、針摺東という、都市高速経由で博多駅へ向うバスが通るバス停に出られる。

 しかし鉄道会社としては事故処理に懸命で、乗客の事に構っている暇はないようだ。乗客対策のマニュアルはないと思って差し支えなさそうである。それが証拠に、最初のアナウンスから10分以上過ぎて運転士に話しても、ドアは開けられないの一点張りである。事故の目撃者ではないので、警察にも消防にも鉄道会社にも何も言う用事はないのに退出できないはずはない。電車から退出するには多少の交渉が必要だった。だが、改札の係の職員は、結構簡単に駅から外に出してくれた。乗客のほとんどが駅の外に出た。これからお勤めだと言っていた女性も無事に職場に向かえた。

 私は、針摺東のバス停まで出て、甘木から出る博多行きのバスに乗り、博多から市内路線バスで帰宅した。

 電車は止まってから1時間40分のちに発車したらしいが、しばらくダイヤが乱れ、予定よりかなり遅れた模様である。

 

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吉澤ひとみはどうしてタクシーを使わなかったか

2018年10月01日 | 日記

◆仕事と人生をやめたかったからかと

 飲酒ひき逃げした元アイドルのタレント女性が引退発表した。いろんなメディアに取り上げられていて、何を見聞きしても「あり得ない」というコメントばかりである。お酒が好きでだらしなくても、もしタクシーを使って仕事場に行っていれば、酒気を帯びていても何とか仕事はつないでいけて、最悪、呆れられる失態を演じることはあるかも知れないが、仕事と社会的信用を根こそぎ失う、という事態にはならなかっただろう。確かにあり得ないが、私の考えはこうだ。

 この女性は、おそらくは仕事をやめたかったか、自死したかったかのどちらかか両方だ。

 交通事故は、現場検証、拘留、罰金、免停、免許取消、調停、裁判、示談、入院、通院、治療、謝罪、リハビリ、修理、買い換え、弁償、その他もろもろがいくつも組み合わされて、生活に上乗せされるわけで、ちょっと想像するだけでも面倒臭いことこの上ない。事故は事故というだけに確率でやってくるものだが、その確率をひどく上げてどうするというのだ。酒を飲んで運転することじたい、頭がヘンな状態といえる。「仕事をナメてる」のではなく「仕事をやめたかった」のだ。あるいは生きてること自体を。

 仕事を続けたい、自分が死にたくない自覚があれば、飲酒運転などできはしない。タレントさんとしては取り返しのつかないことだから引退になったのだろうが、事故としては取り返しのつかないものでなくて本当に良かった。

コメント (3)
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