発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

佐賀の秋

2015年10月18日 | 物見遊山
◆60~70年代テレビの人々
 橘家圓蔵死去、と聞いたとたん、脳内に轟きわたるは「お笑い頭の体操」のテーマ曲。
 と思っていたら、熊倉一雄の訃報も。
 こちらは「ゲゲゲの鬼太郎」の歌、ケペル先生、「ひょうたん島」のトラヒゲと「ネコジャラ市の11人」のガンバルニャン、そしてヒッチコック劇場。子どもの頃のテレビの思い出だ。訃報を聞くと淋しいものである。60~70年代テレビの人がどんどんいなくなるなあ。

◆エレガント佐賀
 佐賀へ行く。JR駅南口から城内へ向かう道は、エレガントこの上ない。
 街路樹は種類が多く飽きない。舗装も美しく、おしゃれなお店が多い。ブルーに黄色の建物が可愛い北島本店、ここを通るとお菓子の焼けるいい匂いがする。村岡総本舗の佐賀店もある。
 ただ、日曜だというのに通りに肝心の人がいない。デパートのイベントにはそこそこ人が入ってるのに。この道をこの辺の人たちは昼間おしゃれして歩きたいとは思わないのだろうか。もったいない。

◆スズキのカタログえほん
 どん×3の森が賑やかなので立ち寄ると、子ども向けのイベントをやっていた。
 主催は地元新聞で、NPOや企業団体学校などいろいろなブースがあった。
 スズキ自販のブースでアンケートに答えて貰えた『みんなだいすきスズキのクルマだいしゅうごう』、自動車雑誌・「ベストカー」の編集らしいのだが、秀逸。装丁や体裁が、まったく「講談社のえほん」そのまんまなのである。
 新しいアルトやハスラー、バイクのハヤブサや、軽トラのキャリイ、おまけにセニアカーまで紹介されている。エネチャージについてもひらがなで解説。非売品の広告カタログと思ったら、500円で市販されているらしい。この体裁は、捨てられることのないカタログとして十分通用する。だって大人が読んでも楽しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国藩校サミット福岡大会

2015年10月03日 | 物見遊山
 ニューオータニ博多にて。http://hankosummit-fukuoka.jp/
 たぶん地元の人たちは、修猷館高校関係の人が多いんだろうな、伴天連バリバリな高校の出身者が行っていいのかな、と思ったが、行って正解。内容の紹介は順不同だということを予め書いておきます。
 ヘンデルをBGMに出席されている藩主の末裔が紹介されてた。細川護煕氏のご子息とか、あと、家庭画報あたりで見たことあるような、というお顔がいくつか。
 パネルディスカッションは、修猷館出身の、日本を代表するビジネスマン(←英語でこう表現しちゃってかまわないところのビジネスマン)諸氏によるものだったし。

 金子堅太郎(1853-1942)がメインテーマだったような。
 金子堅太郎は鳥飼出身。JR筑肥線が走っていたころは、小笹の西隣の駅の町である。
筑前下級藩士の家に生まれた秀才で、藩校時代の修猷館に学び、その後岩倉使節団に随行して渡米、ハーバードのロースクール卒業、いろいろあって閣僚、政治家として位人身を極め、亡くなったときには伯爵の爵位まであった人なのでありますが、そのあたりは神田紅師匠がパパンパンと紹介。これが聞けるだけでも行った甲斐があった。

 主催団体の漢字文化振興協会会長の石川忠久氏が金子堅太郎の漢詩をいくつか紹介した。
 ペリー来航の年に生まれ、ミッドウエイ海戦の直前に亡くなったというのは象徴的である。日露戦争終結に向けての対米工作に向かう船の上で詠んだ詩もある。

(「太平洋上の作」より)
 五千海路風雲暗
 皇国存亡一葉舟

 戦争をやってる地球の裏側で、これからはじまるのは宣伝戦。言論で日本擁護へ世論を導かなければならない。想像するに胃袋に穴があきそうな状況だが、負けるような人ではなかった。アメリカでスピーチしまくって日本の味方につけ、そののち40年を越え89歳まで生きたのだ。よほど強靭な精神の持ち主に違いない。
 
 で、晩年の漢詩。太平洋開戦前夜の詩には、敗戦の予感が匂う。日が変わった未明には真珠湾攻撃という日付である。「開戦」とあるが、その先に何があるかは、金子に見えていないはずがない。ひときわ辛いものがあっただろう。
 
  十二月七日夜
      所感
 英米支蘭迫四隅
 勿驚連合似雄図
 明治国策皇猷定
 開戦平和執一途

 帰宅してこの漢詩が書かれたプリントを見直し、あれ? と思った。
「開戦平和執一途」(かいせんへいわいずれかいっと)
 これは、1941年12月に及んで「開戦」と「平和」が、選択肢としてあったと晩年の金子堅太郎は詠んでいるのでないか? あの戦争を回避できなかったのは、外圧の問題ではなく選択肢の問題であったということか。これはズシリとくるなあ。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月

2015年10月01日 | 日記
 10月、空が青いや、と言いたいとこだけど、天候不順。
 空を見上げれば早く流れる雲。降ったり止んだり晴れたりを繰り返しながら夕刻大雨がやってくる。
 
 9月は、ろくに休まず、突っ走った。仕事してない日は、太宰府とか広島とか日田や大分とかに出かけてた。
 太宰府は九州国立博物館。
 大英博物館展は終ってて、七五三参りの時期もまだなのに参道は相変わらず賑やかで、韓国語と中国語が飛び交う。
 グリーンハウスで鱸のランチを食べ、古事記を考古学検証する講演を聞き、常設展へ。
 いつここにきても、自分がプランクトンか何かになったような気になる。シアター3000で、伊能図の番組を見て、梅が枝餅を買って帰る。 
 博多駅ではゴスペルのイベント。何か懐かしい感じがするのはなぜだと思っていたがふと気がついた。この手の合唱は、70年代はじめにNHKに出てた「ヤング101」的ノリなのである。
 福岡天神に戻り、ジュンク堂で本、丸善では丸善便箋。
 お高めのデザイン便箋に、例文が書かれて展示してあった。印象的でエレガントな手紙。書いてみたいしもらってうれしい。来年のカレンダーと手帳が出ていた。

 これは日田駅の待合室。
 日田まわりで大分に行った日は、大分市美で水戸岡鋭治展。ご本人がいらっしゃった。2011年博多での展覧会で、サインをいただいていたので、今回は遠慮した。私が行ったとき、たまたまいらっしゃったのではなく、個展のときは、つとめて会場にいらっしゃるようにしておられるのかも知れない。膨大な仕事量に圧倒される。駅に戻り、完成したOITA CITY周辺を歩く。大友宗麟さんも帰ってきてる。新しい?ザビエルさんもいる。北出口には、コンコースと同じ、巨大ニワトリさんもいる。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする