発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

ニセウイルスと機械伯爵とRPGと私

2021年04月24日 | 本について
◆ニセウイルスは今朝の驚き
 PCを開くなり「あなたのPCがウイルスに感染したおそれがあります」「スキャンします」「5つ見つかりました」「ダウンロードするまで画面を変えないでください」など、人を不安にさせる画面が立て続けに出た。
 そんなときは慌てず騒がず、他のタブレットなりスマホなりで検索すれば、ほとんどの場合「この画面は触ったら面倒だから触らないで閉じてね」という親切な人のサイトや、セキュリティソフトメーカーの「偽物の見分け方と出なくする方法」につながる。それで今日も事なきを得た。……たぶん。
 ただ、昔は必要なかった種類の読解力や問題解決へ向かう粘り強さみたいなものが必要なんだな。ともかく、オバハンには無理、と言ったら負けである。

◆機械伯爵との闘い
 本をAmazonのe託販売サービスで売っている。自分の管理する書籍コードがある本なら登録できる。年会費は9900円、卸値はたしか66%、送る冊数はAmazonから決めてくる。在庫がなくなると1冊単位で注文が来るが、少量送るのにもレターパックプラスを使わないといけないので、送料は高くつく。
 それでよければ版元じゃなく個人でもAmazonで直販できる。私がどこで何をしていようがAmazonがすぐに発送してくれる。
   ……と、サラっと書いたが、本を商品登録して、注文が来て、伝票を出力して梱包に貼り付け、サクッと出荷できるようになるまで正直手間取った。なんのRPGゲームよ、と呟きながら。相手はほぼAIで私はそれを「機械伯爵」と呼んでいる。しばらくやっているうちに完全ルーティン作業となった。こういう不慣れなことを、これからも何度かマスターしないといけないのだろう。

◆版元に在庫がある本は、定価で買える
 本は原則お店で買うという考えの私が、なぜAmazon販売をはじめたかというと、私のところの本で、在庫のあるものを、とんでもない高値でAmazonに出品している業者が少なからず存在することを知ったからだ。版元の倉庫でピカピカの本が出荷を待っているのに「コレクターズ商品」って何? いつでも定価で商品が売れる再販制度の恩恵を受けている以上、在庫がある限り定価でお客様に商品をお届けするのがメーカーの責務である。売れようが売れまいが、画面上、バカ高値は許さぬ意思表示はしないといけない。
 あ、ほぼ絶版で、本当の稀覯本になってるのもごく一部あります。でも、事情をご存じない書店様から突然返本されてくることもありますし、気が向けば増刷もしますから、Amazonで定価販売がなく、ネット上高値がついてても、一応お問い合わせくださいね。


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公衆衛生総本山のお役人はなぜ宴会したのか

2021年04月20日 | 日記
◆イカのリング揚げな日々
 憂鬱ではあるが、ブログの通り、仕事の合い間に本を読んだり音楽聞いたり料理したりして過ごしている。怒っているが、仕事の能率を落とさず命を縮めない程度に怒るようにしているので、相変わらず呑気者にしか見えないだろう。だが怒っている。
 これは郵便局で買ったマスク。50枚500円税込み。おまけはバッグフック。

◆なぜ厚労省役人は宴会したのか
 厚生労働省のお役人の宴会ニュースに呆れた人がほとんどだと思う。が、裏を読めば、この宴会メンバーは、新型コロナを怖がっていない。心底大したことないと思っている。
 それが、ノーフューチャーな無頼ハードボイルド界からは程遠い世界に住んでる公務員、よりにもよって公衆衛生の総本山、厚生労働省のお役人であることに注目している。アホなのでなく、根拠あって宴会できたのだ。
 何年も、ご公儀が恐れていたのは、鳥インフルエンザがヒトからヒトに感染するように変異すること(←このサイトが一番わかりやすい。ほんもののパンデミックが起きるかもしれない。ワクチンも薬も追いつかないで多くの死者が出ると予想されている)。それに比べると新型コロナなど全く大したことないと思っているのだ、本当のところは。
 新型コロナの死者数は、基礎疾患やかなりの高齢であることを無視した統計で、末期がんの人でもなくなったとき新型コロナ陽性なら、コロナ死にカウントされているのだ。で、日本のトータルの死者が少なくなっているのだから、公衆衛生の家元の人々は宴会するのだ。早死になどしないと心から信じていたのだろう。
 なぜそれをみんなの前で言わない? パンデミックごっこをいつまで続けるのか、一般ピープルの行動を制限するのはおかしいと、なぜ言えないのだろう。話し合わないのだろう。いつぞやの政治家のときと同じで、シオシオと処分されたのみである。バレて下手打った、というところだ。
 そこのところが新型コロナよりも、今実際にある、わが社会のひどい病気だと思っている。

◆新型コロナ流行は、強毒な鳥インフルエンザをブロックした
 今シーズンは鳥の世界では鳥インフルエンザが大流行して日本では大量のニワトリが殺処分された。鳥インフルエンザ感染養鶏場のニワトリ殺処分は今シーズンは一千万羽に届きそうな勢いだ。自衛隊が出動するのは、それがまさに国防だからなのだ。
 人の世界は新型コロナに席捲されていたので、ウイルス干渉がおこり、鳥インフルは人に感染する機会を失い、強毒を保ったままヒト対ヒトの感染をもたらすウイルスへの変異をする場を失なったのだ。
 新型コロナ流行は、強毒な鳥インフルエンザをブロックした。私はこのことを僥倖に思っているのだが。

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暴走する『銀河鉄道の夜』

2021年04月18日 | 本について
◆銀河鉄道の音楽
 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を、久々に、それも猫マンガ版(ますむら・ひろし)で読む。
 お話のなかに、讃美歌(プロテスタント系。カトリックでは聖歌)の「主よみもとに近づかん」が出てくる。
 別のところで新世界交響楽(ドボルザークの第九交響曲「新世界より」のこと)の文字も見える。アニメ映画では第二楽章ラルゴの第一主題(いわゆるひとつの下校時間の曲「家路」)が使われているし、大概の評論にも、あれは「家路」に違いない、と書いてある。
 しかし、と、ひねくれ者は思う。
 銀河鉄道の「新世界交響楽」は「家路」とは違うんじゃないか?と私は思うのだ。なぜかって
①「主よみもとに近づかん」(←この曲登場はほぼ確定)と「家路」って、曲的に近すぎる。ざっくり言って
「主よ」はA A' B A‘’
「家路」はa  a'  b  b  a''  a'''
 という構成なのだが、Aメロとaメロがあまりに似通っている。音程を合わせると違和感なく重なる。聞きようによっては同じ曲になりかねない。これらを一つのお話で出す意味が見いだせない(←個人の感想です)。
   
②列車の窓の外でインディアンが鶴を射落とすBGMが「家路」なのは変。これ絶対変(←個人の感想です)。

◆「新世界」について語らせると一晩中でも語れる
 「新世界」は、中学のとき、吹奏楽部が練習してて、ふうん、いい曲だわ、なんて曲?とレコード買って管弦楽で全曲聞いて、一瞬として退屈を許さないすごいシンフォニーだと思った。
 私としては、氷山にぶつかった船(ほぼタイタニック)からやってきた少女が「新世界交響楽だわ」と言ったメロディーは、終楽章から持ってきたい。
 交響曲「新世界から」は、もし何かでほかの名前をつけることになった場合、ドボルザークは交響曲「鉄道」と名付けたに違いない。彼は鉄道好きだからだ。高校の英文読解に、鉄道好きのドボルザークが列車の音に違和感を感じ線路の異常を見つけた、みたいな話もでてきた。
 もっとも鉄道っぽいのが終楽章アレグロコンフォコ。「家路」のつぎに有名な曲でアニメ「ワンピース」(アラバスタ編、ルフィ対クロコダイルの闘い)でも使われていた楽章だが、イントロの向こうから汽笛が聞こえてこないか。第一主題を聞けば、新大陸を疾走する機関車が目に浮かぶ。車窓の風景に目を転じれば、クラリネットが主旋律を奏でる第二主題となる。私は第二主題にストリングスの流れ星を聞く(←個人の感想です)。これぞ銀河鉄道、と思うのだ。

◆止まらぬ妄想列車
 待てよ、宮沢賢治がドボルザークを聞きすぎて『銀河鉄道の夜』を書いたとすると。いやありうる。彼のことだ、不思議ではない。と、『宮沢賢治童話論集』を上梓した発行人が言いきっていいのだろうか。
 第一楽章でジョバンニは丘に寝転ぶ。優しい導入部。孤独で悲しいジョバンニは青い琴の星がきらめくのを見る。光る星々。そこで雷鳴のようにショックを受けてジョバンニはいつのまにか汽車に乗り、カムパネルラと不思議な旅を始める。
 第二楽章で、「主のみもとに近づく」人々の祈り。
 第三楽章のスケルツォで、氷山にぶつかった船を回想。
 で、第四楽章。みんな降りてしまうにふさわしい描写もある。最後に近いところでカムパネルラが降りるところも見つかる。そしてジョバンニは旅を終える。
 
 組曲「惑星」と「海ゆかば」の関係について以前書いてみたこともある。音楽理論は勉強してない。ただ、いい曲ね、と聞き、たまに深読みしたくなる。
 『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の死後に発表されたお話で、当人に「実のところどうなんですか」と聞いた人はいないから、いくらでも勝手に書けるわけだし。



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サンドイッチにまつわるエトセトラ

2021年04月13日 | グルメ
 先月、北九州市八幡西区の本城というところに行ったら、繁盛しているパン屋さんがあった。店外に行列こそないが、入れかわり立ちかわりお客さんが入って、皆さん、わりと大きな袋で買って帰って行く。
 サンドイッチ、調理パン、菓子パンが、品数ごと山積みで迷うが、サンドイッチを買って食べたらとてもおいしかった。フランスパンのBLTサンド。ベーコンとレタスとトマトのサンドイッチなのだが、このお店のは、さらにポテトサラダが入っていた。皮がパリパリのパンはもちろんすごくおいしいが、中身もよかった。BLTサンドは時々作っていたが、いまいちな気がしていたのは、たぶんポテサラが必要だったのだ。それで、真似してつくることにした。

◆早くておいしいBLT(P)サンド
 さて、今、このサンドイッチを私は5分かそこらで作る。
 まず、ポテトサラダを用意する。1回のサンドイッチに使うカップ1杯以内のポテサラのために芋をゆがいたりするのは大変だ。昔はアヲハタがポテトサラダのリングプル缶を売っていたが、今はあるのだろうか。マッシュポテト粉にお湯をかける。雪印SNOWブランドで昔から売っているが、近年はカルビーのもある。冷蔵庫に常備菜としてすぐ食べられる甘酢マリネが入っているから、それから玉葱の薄切り(の甘酢に漬かったの)を適宜取り出し、みじん切りにする。ほどよく戻ったポテトにマリネ玉葱と、甘酢少しとマヨネーズ適当とを混ぜ、塩と胡椒を振れば、少量の絶品(?)ポテトサラダだ。
 それから、フライパンでベーコンを温め、その間に洗って水切りしたレタスをちぎり、ベーコンの火を切って、トマトを自分の能力の及ぶ限り薄く切る。フランスパンに切れ目をいれて辛子マヨネーズを塗って具を挟んでいく。トマトを薄く切ったのは、2、3枚挟む。トマトはこうした方が食べやすい。
 はいできました。

◆花見サンド
 本城は仕事で行った。単独で出かけて単独ランチとなるとき、何を食べるかが問題となる。その日は桜が満開で、近くの公園で花見となった。花見名所というわけでもないようで飲食するなとも書いていない。花見とすればこれで十分である。
 ちかごろの焼きたてパン屋さんは、パン生地は外注して店で成形とか、あとはオーブンにいれるだけという半加工状態で外注、というところが結構ある。焼きたてパンというのに似通ったパンを売っているのはそのためだ。それは責めるべき点ではない。パンの仕込みは大変で、冷凍生地が出回っているいまは、むしろ生地から作ってるパン屋さんを褒めるというのが正しいと思う。 

 JR駅に向かうバスの時間があったので少し歩き、産業医大近くの生協に寄って、一個売りされていた卵を買った。目玉焼きにすると、一個売りの理由に納得。見よ、この白身の盛り上がり方を。
 この新しさなら買った翌朝には食べないと惜しい。
 
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乙嫁語り                                                                                                                                                                                                                                                          

2021年04月10日 | 漫画など
『乙嫁語り』(森薫 エンターブレイン)←第1話試し読みできます。
 珍しく、既刊13冊を揃えている。
 19世紀後半の、カスピ海あたりから、中東にかけてが舞台のお話で、何人かの花嫁が登場する。
 ウサギを食べてみたいという話を嫁ぎ先で聞くなり馬でひょいと出かけて何羽か射て持ち帰る美しいお嫁さん。ササッと捌いてスープと毛皮に。その夫は8歳年下の少年で、早く妻に見合う強い男になりたいと思っている。
 嫁入り支度。婚活。結婚にまつわる諸事情。結婚式。異なる習慣。幕屋。民家。ぺルシャの豪邸と公衆浴場。砂漠。大きな港。市場。漁港。旅人。隊商。厳しい自然環境。雪の中の騎馬鷹狩り猟。生き残りをかけた戦闘。馬の群れ。羊の群れ。民族ごとの衣装。刺繍や織物や木彫や装飾品。馬や鳥の表情までの緻密な描きこみ。
 画力はいうまでもなく、膨大な資料収集が必要だったことは想像にかたくない。そして魅力的なキャラクターとストーリー。ともかく、お得感たっぷり。可愛くて出せないアンケートハガキつき。

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萩尾望都の「柳の木」と、2011年3月12日のおもひで

2021年04月06日 | 日記
 萩尾望都の短編「柳の木」(『山へ行く』小学館 収録)のレビューに必ずといっていいくらい書いてある。
「ネタバレを読んでこの作品を読むと大損する。後悔する。この時点で先入観とともに読むことになってしまうが、何も知らないで読むのが望ましい。萩尾望都の短編としては『半神』と『柳の木』は突出した傑作である」と。
 私がこの作品を初めて読んだのは、なんと生原稿でだった。美術館の原画展の展示の多くは扉ページのために描かれた美麗なカラー原稿、展覧会のポスターやチケットやチラシにつかわれた「ランプトンは語る(ポーの一族)」の扉絵のエドガーなど。わぁ綺麗、すごーいとみていくうちに、そのなかに、20ページの単色の漫画原稿が掲示されていて、それが「柳の木」。

 ???……!!!そうきたか。やられた(がーん)。

 原画展に来るくらいの人の多くは、その話をすでに読んでいただろう。「ネタバレを読んでこの作品を読むと大損する。何も知らないで読むべし」、な漫画を、いきなり生原稿で鑑賞、解像度最大の情報としてインプットしたのである。あとあと考えると、とんでもないラッキーだったのだ。

 その日は忘れもしない2011年3月12日で、楽しい予定がたくさんあったが、予定通りに過ごすにはかなり力が要った。それでもなんとか支度して街に出た。家にいて何ができるわけでもない。
 メインの予定だった博多駅の九州新幹線開業イベントはすべて中止。天神のシンフォニーホールで九州電力(!)の定期演奏会、それから、最終日が近かった萩尾望都原画展のために川端の福岡アジア美術館に行ったのだった。私を支配していた、おろおろした気分が、美術館で少し抜けた。
 そのあと天神に戻った。いつも通りに賑わうなか、高校生が各校から合同で募金活動に出ていた。10人以上並んでいて、みんな違う制服だった。昨日の今日でしょ。速さがすごくいい。これぞ友情努力勝利だわ。希望ってやつだわ。
 街に出て良かった、と心から思った。
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