発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

ジャズは博物館で

2015年04月29日 | 物見遊山
◆太宰府
 れいによって博多駅からバスで太宰府へ。
 太宰府ゆきバスの本数はさらに増え、土日の時間帯によっては1時間に4本出る。
 太宰府に着くと、まあ賑やか。外国人多し。とりあえず太宰府名物梅が枝餅でほっと一息。やはり、皮がカリカリの焼きたてがおいしい。
 食べながら歩いている人は多いけど、何軒かの店では、1個から店内で食べることができる。店によってはきれいに整えられた中庭が見える席だったり、あるいは中庭そのものに出ていただける、というお店もある。お茶も出る。
 もちろん、そんな席のない店もあるし、梅が枝餅だけの客は、店頭のベンチのみ、という店もある。だが、どこの店でも、梅が枝餅の価格は1個120円に統一されている。
 太宰府の参道にはスタバもある。参道のお店はどこも結構夕方は早く終ってしまうのだが、スタバだけは夜8時までやってるというのは特筆に値する。

◆博物館でジャズ
 九州国立博物館の、今の特別展は「戦国大名 九州の群雄とアジアの波涛」。甲冑だの刀剣だの肖像画だの古文書だの南蛮屏風だの大名物茶器だのを眺める。
 1階ロビーでは盲導犬チャリティーイベントとしてのコンサートの案内をしていた。ドラム榊孝仁って、何年か前のだけどCD持ってる!  とてもいいよ。彼の参加してるユニットが、ライヴで聞ける? じゃあ、迷うことないよね。聞いて帰ろう。
 ドラムとクラリネットとギター。ムーンライト・セレナーデや、シング・シング・シングなどのスタンダード・ナンバーを、トリオで。それからオリジナルが何曲か。アンコールは麦のうた。榊氏が男前さんであることは先刻承知だけど、クラリネット氏も良かったし、ギターは丸顔の福山雅治って感じのイケメンであった。ヴィジュアルは横に置いといて、突っ込み所のないアコースティックサウンドは、脳細胞を修復してくれるなあ、といつも思う。ああ幸せ。
 あじっぱ(博物館内の、おもに子ども向けの体験ゾーン)に行き、三線があったので、とりあえず「ハイサイおじさん」を演奏してみた。れいによってチューニングは適当で。

◆おかあさんといっしょ
 博物館から駅に向かう長いエスカレーターを降りると、だざいふ遊園地の入口がある。入口の左手には、昔のNHK教育(Eテレと呼ぶ前)のキャラクター「じゃじゃまる」が、鎮座している。懐かしいぞ。その奥には、笹川良一氏がご母堂をおんぶしている「孝子の像」がある。おそらくは、遊園地が、日本船舶振興会(当時)の助成を受けたか何かで像があるのだと推測されるが、「じゃじゃまる」の出ていた番組のタイトル「おかあさんといっしょ」つながりっぽくて、何だか可笑しくなった。
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「王妃の館」おいでませ、巴里へ。

2015年04月26日 | 映画
 連休映画に相応しく、豪華な映画。
 主演・水谷豊は、天才小説家「上白川右京」を演じる。
 エキセントリックな天才という点では「相棒」の杉下右京どころではない。まず外見から。
 杉下警部は、いつも三つボタンジャケットか三つ揃いのスーツをピシっと着ていて、私服警察官としてはかなりおしゃれだけど、多分警察にも、こういうおしゃれさんは一定の割合で実在するだろう。サスペンダー使ったり、チェスターコート買う人が増えたかもね。すくなくとも、真似ができる。
 いっぽう上白川右京は、レオナール・フジタばりのパッツン前髪に丸いメガネと、どこで売ってるんだそれ?特注に決まってるでしょ、という感じのカラフルでファンキーだが高級そうな、ロックミュージシャンなら着るかな、ともかくアーチスト以外は着ない服、小説家なら志茂田景樹くらいしかリアルでは着る人はいないのではありますまいか、50メートル先からでもわかりそうな格好。それを何着も着替えるのだから、真似は難しい。まあ真似したいと思う人はいないだろうけどね。
 たとえばターコイズブルーのジャケット、黄色いベスト、花柄のシャツとか。パンツは半ズボンでカラータイツ。
 杉下警部との共通点は、紅茶好きというところ。

 豪華ツアーの客が、ホテルにチェックインしたあと、観光に出掛ける、と同時に、ホテルスタッフが大急ぎでその部屋の片付けにかかる。
 ダブルブッキングが起きてるのね、と、すぐにわかるが、これは、倒産寸前の旅行会社が二重にツアーを売り、稼働率を上げたいホテルが、それに結託したせいである。
 当然、ドタバタが起きる。それぞれわけありのツアー参加者の群集劇となる。
 王妃の館の旅は、豪華。贅沢なホテルはどの部屋も素敵。
 ルーヴルもヴェルサイユ宮殿も、滞在期間たっぷり。 
 朝食はセーヌ河下りの船上で。夕食はルイ14世の晩餐の再現をお召し上がりください。
 執筆スランプでパリに来た、上白川右京も、パリにインスパイアされて「来た来た来たーっ」と筆が進むのだが、その小説を、この映画では劇中劇してくれる。17世紀のパリが舞台の劇中劇は、登場人物は全員日本人が演じるテルマエ・ロマエ方式。しまいにはミュージカル仕立ての大合唱となり、これも豪華。
 連休、どこへも行かないのなら、とりあえず映画館へ。楽しくて豪華で、得した気分になれると思う。
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「龍三と七人の子分たち」 ヤのつく自由業の方々の老境

2015年04月23日 | 映画
 任侠映画全盛期から40年以上経ってるのではないか。その頃肩で風を切っていた面々も、すでに老境、そろそろお迎えが見えてくる年頃である。暴対法で稼業はジリ貧、老後設計など(たぶん)してない任侠の世界であるので、子どもが養ってくれているレアな場合を除いて、ほぼ貧困状態である。子に縁切りされ生活保護を受けていたり、孫娘に養ってもらいながら寸借詐欺を働いていたり、仕込み杖でシケモク拾いをしていたり、入院中だったり。
 そんな元暴力団構成員の老人たちが、オレオレ詐欺や、怪しい訪問販売など、老人を食い物にした商売を行う暴走族あがりの団体と抗争することになった。一応組を結成し、飲食店に、みかじめ料を集金に歩くのだが「ハイハイ、これで帰ってね」的に、ほとんど施し感覚でお金を渡されてしまう。さて、明日なき彼らの戦いはどうなるのか?
 お笑い映画です。藤竜也はオナラばかりしてるし、監督はビートたけしで、老人たちの昔なじみの老刑事役で出てくる。近藤正臣、中尾彬、小野寺昭と、濃ゆいキャストだ。
 文化庁の資金も使われているので、ひどいことにはならないだろうと思って行った。うん、あまりひどいことにはならなかったね。
 高倉健や菅原文太が存命だったら、出演しただろうか、いや、出演して欲しかったなと思いながら帰宅。
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ヤモメのジョナサン/文明のオウンゴール

2015年04月17日 | 日記
◆愛川欽也氏、死去
 先日の映画「博士と彼女のセオリー」で、教会の合唱隊指導者でホーキング家にいろいろと手助けをする、妻に先立たれた男の名前はジョナサンといった。
 ヤモメのジョナサン!!!
私は、人間模様の機微が繰り広げられる美しい画面を見ながら、往年の映画「トラック野郎」シリーズの愛川欽也を思い出していた。愛川欽也といえば、私にとっては子ども時代のアニメ「いなかっぺ大将」のニャンコ先生の声優ぞなもし。「博士と彼女のセオリー」を鑑賞しているのに、脳内の一部で疾走する白ナンバーとラックの映像と、天童よしみの「大ちゃん数え歌」が小さく再生されていたのであった。
 あと土曜ワイド劇場の西村京太郎シリーズの亀井刑事。それから、あまりヒットしなかった映画だけど「この胸いっぱいの愛を」の、ヒロインの血の繋がらない父親。

◆素人考えですが
  福島第一の1号機の核燃料がすべて溶け落ちていたというニュースは、想定内ということだったが、これはあまり大きなニュースにはならなかったね。ロボットが動かなくなったことも大変なニュースで、それではどうやって廃炉するのか。原子炉の線量が10シーベルトあって、その10倍はあると思っていたけどそれよりは少ないと東電の人がニュースで言ってたけど、10シーべルトって、1時間以内に全員死亡の線量。
 おおごとだと素人は思うのだが。ちゃんと閉じ込められているのか、それはいつまでなのか、どこの地下水脈に落ちて行くようなことはないのか。だいじょうぶなのか。
 原発に怯えてる人が、羹に懲りて膾を吹く状態なのか、それともそれは正しい学習能力というものなのか。
 ともかく自分で選択するのだ。暮らしを成り立たせるために再稼働するのか。そのメリットデメリットはどうか。ちゃんと選ぶのだ。争点から外すと将来に禍根を残そう。ところが地方選の争点から微妙にはずされていた。
 福島において、汚染された地域の人たちが十分に補償されているかどうかは議論があるだろうが、いえることは、今後事故が起きた場合、その現在の福島の人々ほど担保されないことを覚悟しなければならないということである。
 ひとつには、財政の問題。ない袖は振れない、振る袖がなくなるという事態。
 ひとつには、何かことが起きればこういう(2011年とそれ以降の福島のような)ことになる、とわかって、再稼働を選択したのだから、それは地域住民の選択で、想定内のことであるから、(想定外の事態だった)福島ほど担保されない、ということにならないか、ということである。
 福島の廃炉のみちすじは立たず、ロボットも動かなくなる。
 この期におよんで、本当は誰も原発など稼働させたくないのではないかと思う。
 それでも稼働させようとする理由は、稼働させて稼いだ電気代を莫大な廃炉の経費に充てる必要がある、そうしないと廃炉の経費がまかなえない、ということかな、と素人は思っている。それならそうとちゃんと言って下さい。
 あと知りたいのは、高レベル放射性廃棄物が、震災前レベルで年間約500トン出ていて、再稼働するとまた出るようになるのですが、それをどこにやるのか解決したかどうかですね。できたての高レベル放射性廃棄物のガラス固化体は1500シーベルトあるんですって。ええと、10シーベルトで一時間以内に全員死亡。その150倍ってどういうことだろうかと。それが出なくなってるだけでも原発稼働停止の意義はあると思うのだけれども、それはどの程度の経費と天秤に掛けられているのか、ということも知りたいなと。
 そもそも、核融合反応を人為的に起こすこと自体、戦争に使うこと以前に、やっちゃいけないことだったのかなあ。
 文明のオウンゴールはあまりにも手痛い。
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選挙にも行かずに社会を憤るな、だわ。

2015年04月14日 | 日記
 今回の統一地方選挙。市民センター近くに用事があるときに、期日前投票に行った。いつものことである。
 昔の「不在者投票」よりもはるかに簡単に投票できる。
 投票してしまうと、窓の外で選挙カーが行き交うたびに思考が中断されるのでちょっと困るが、投票済みの家の前だけまわらないでいてもらう方法などない。
 選挙カーが煩かろうと、○○さんに投票してくれとあちこちで知り合いに言われるたびにニコニコ笑うのが少し辛かろうと、それもまた民主主義だと思えば、がまんできる。
 選挙運動が始まると、1981年の名アルバム「スネークマンショー」に収録されている「正義と真実」というギャグを思い出す。
 当時は、古紙を持って行くとトイレットペーパーやティシュと交換する「ちり紙交換」と呼ばれる古紙回収トラックが町をまわっていた。久方の光のどけき住宅街、選挙カーとちり紙交換車がアナウンスの応酬を行い「正義と真実の人である候補者」の「正義と真実」は、エコな「ちり紙交換」に負けてしまうというギャグである。
 民主主義は機能しているのか。
 投票こそ、誰もに公平に与えられた権利である。大事な財産だ。何も持たない弱い者にとっては、唯一の武器となりうる。
 だが投票率は相変わらず低く、今回も40%くらいだった。つまり、投票に行ったわたくしの1票の価値は投票率が高い場合の2票分くらいあったわけで、なんだか得した気分である。いや違うか。多数の人が選挙に行かなかった結果は、選挙に行った人間も受けるわけである。
 なぜ、投票に行かないのか。誰がやっても同じ、なわけがない。しかも年末の衆院総選挙のような、最大繁忙期しかも大雪、でもないのに投票所に行かないのは、一体何なのだろう。
 さきの戦争が終るまでは、女性に選挙権がなく、つまり軽んじられていた。昭和のはじめまでは、貧乏人には選挙権がなく、軽んじられていた。
 そして今だ。選挙権があるのに、自分から選挙に行かないのだから、軽んじられて当然といえば当然である。
 選挙にも行かずに、社会を憤るな、と思う。
 ちゃんと投票してるのなら、憤っていいよ。

 
コメント (2)
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しづ心なく花の散るらむ

2015年04月02日 | 日記
 図書館へ行き、資料探し。
楽しい本つくりたいんだ。もうちょっと若い人向けに、楽しい本つくるんだ。ともかく動かないと。入力なくして出力なし。いっぱい読まないと、良いアウトプットはない。どこに行くべきかも含めて。
 図書館の隣の市博、それから車で市美に寄ってミュージアムショップの在庫確認をする。
 福岡市美術館、福岡市博物館、九州国立博物館、萩博物館、防府の毛利博物館、東行記念館などなどなど、各地の博物館に、シリーズ本を置いている。ミュージアムショップは、どこも品揃えが楽しい。素敵なおみやげが買える大人のファンシーショップである。
 市の美術館から大濠公園を眺めると、平日だというのに賑わっている。お花見の人たちだ。
 でも暖かくて、雨が降りそう。
 今年の桜の時期は短く終りそうだ。

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