発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

専門家ということばについて

2021年09月08日 | 日記

😨 ◆専門家?
 近ごろのニュース。テレビはほとんど見ないのであるが、ラジオは車で聞くし、ホテルの朝のダイニングではテレビがあれば大概はニュースを映している。
 どの道も大して極めていない者としては、ある分野で生き字引的に秀でている人々に敬意をいだかざるを得ないのであるが、「専門家は、このように言っています」と、ニュースで当然のように言っていると、あれ?と違和感を覚える。
 よほどレアなものを除いた、ほとんどの専門分野において、それを専門とする人はひとかたまりいて、派閥などもあるだろう。彼らの意見がまったく同じということがあるだろうか。多分なかろうな。
 だから「専門家は」という主語の使い方には注意が必要だ。「専門家には、こういう意見もある」、少なくとも「専門家の○○さんは、こう言っている」、できれば、他の専門家の異論も紹介すべきであるし、少なくともその道の専門家の総意であると思わせかねない表現は避けるべきであろう。
 恣意的な世論誘導のニホヒを微かに感じる私は、ひねくれているが、これは、ひねくれ者の総意ではない、と書いとこう。
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2021年夏 敢えて動民

2021年09月03日 | 日記
 夏の仕事旅が終わった。9月になってた。仕事を自粛していたら商売ひいては生活が傾く。この夏は何回かに分けて遠出していた。バラバラにお泊り8回。その間に仕事として戦争について書いた。どうも「平和ボケ」という言葉は間違った用法で使われている気がする。ホテルに帰ると FMの音楽を聴きながら紅茶をいれ、仕事のまとめをしてオレンジかグレープフルーツを食べて、バタンキューである。ひとりでラジオを聴くと、よく聴くが題名は知らない曲の題名がわかる。あの曲はヘンデルではなく20世紀にモリコーネの作った映画音楽で「ガブリエルのオーボエ」だというのがわかったのは収穫であった。晩ご飯は、ホテルはおろかファミレスすら早じまいするのには参ったが、おかげで体重を増やさずに済んだ。朝はパキッと目が覚める。朝食は、例年の夏とは様変わりし、見るからに仕事の大人ばかりが急いで食べていて、若者や子連れ家族などはほとんどみられなかった。帰りの電車で読もうと本を買うと、それは「おすすめの本」なのでおまけがつきます、と、雑誌の付録のトートバッグをくれた。ポケット付きのエヴァンゲリオンバッグで、その後結構重宝している。夏前半は晴れた日が続き日焼け止めにも関わらず日に焼けた。腕時計の跡がハッキリクッキリである。後半は悪天候にたたられ、いつも目的地に時間通りに行けるか帰れるかを気にしていないといけなかった。かなり無理をしたが、病気もしなかった。オリンピックもいつのまにか終わっていた。パラリンピックはいつ始まったのか。仕事にかこつけて物見遊山と行きたいところだが、そうは問屋がおろさない。それでも、乗ったことのないバスや電車に乗り、どこか遠くの町や海や山や空を眺めていると気が晴れる。ただ乗り物はいつもこれはまずいと思うくらい空いていた。敢えて動民をしていたが、全く3密の1密もなかった。バスの窓から見える観光地も、夏休みがこれってどうよ?どこもかしこもよほどやり方が下手なわけでもなかろうに。少しずつ怒りがわいてくる。そんなばかな。怒らないのはこの場合美徳ではない。もちろん日々元気に暮らしている。寝る前喉に少し違和感があっても朝には治っている。仕事に追われながらも、にこやかに過ごしている。ゆうべのおかずもおいしくできた。博多駅では、SFじみた緊急事態宣言広告でいっぱい、ではなく、バカリズムが青いサルの着ぐるみで楽しく踊る転職サイトの広告が柱ごとに繰り返し展開されていた。これがマーケットの判断だ。緊急事態宣言は私たちを守るものではないということだ。そして、誰が何と言おうと働けと。
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