発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

渡辺さんと佐々木さんにまつわるエトセトラ

2021年03月23日 | 日記
◆女の子の気持ちわからなければ未来はないわ
 と、オバさん(わたくし)が言ってます。
 ある広告界の大御所(ササキさんという人)がオリンピック開会式の演出アイデアで渡辺直美をブタ檻に入れる案を出し、その世界の大先生とはいえそれはさすがにまずかろうとボツになったのだが、それが発覚して、オリンピック演出をやめることになった話。
 この人も多くの聖火ランナーのようにオリンピックからおりたくなったのかなと思ったが、1年前の話らしいので違うみたい。
 あと思ったのは、渡辺直美は少なくとも近年においては「おしゃれ枠」「かっこいい枠」で使われていた。渡辺直美がブタ檻演出された開会式を見たら、世界中の太めの女の子は悲しくなるだろうなあということだ。
 渡辺直美はお笑いの人で、いじられたり笑われたりしてなんぼで、これじゃ働きにくなるという人がいるが、悲しくなる人が一定数いると容易に想像がつく笑われ方をわざわざ演出するのとは別の問題だ。

◆森と共に去りぬ。そして忖度する芸能人コメントに忖度しよう
 ササキさんは森喜朗さんの息がかかった人らしいので、森さんがやめたため、ここぞとばかりに叩かれているところは否定できないからそこのところは差し引いて考える。
 表に出なかったボツ案をなぜいまごろ?LINEをよそに流したのはけしからん、とササキさんに同情的な意見の人が芸能人に多いのは、広告宣伝関係者を批判してると大事な収入源であるCMのオファーが来なくなると思っているからかもということも忖度してあげないとね。

◆おやめになってよかった
 彼岸の中日前後、久々に長いことテレビを見、宣伝を見て思った。
 どれもこれも楽しいなあ、と。
 テレビCMは宣伝媒体としては非常にお高いものであるので、短い時間で人を楽しませながら商品購入につなげないといけない。
 ササキさんの名前は知らなかったが、ササキさんのチームのつくった楽しいテレビCMは、テレビをあまり見ない私でも知ってる。360度全方向に忖度した、しかも楽しいヒット作をつくり続けてこないと今の立場もないんだろう、そんな大先生が内輪の叩き台にせよ、およそオリンピックに相応しくないブタ檻アイデアを出すのはおかしい。根本的にどうかしてる。大丈夫か。過去の栄光の利子で仕事をしていたのか。
 結局のところ、おやめになってよかった、ということなのかな。遅いけど。

◆進化する渡辺直美
 去年コロナ騒ぎで、渡辺直美はミュージカル「ヘアスプレー」の主演舞台が中止となった。映画では「サタデーナイトフィーバー」のジョン・トラボルタがヒロインのお母さん役!(舞台では山口祐一郎の予定だった)をしていた。コメディタッチだが、テーマは1960年代のアメリカの差別である。両親に守られて育った太って引っ込み思案の夢見るハイスクールガールが闘うべく成長するお話である。中止になったほかの舞台と同じく稽古は進んでいたはずで、それを踏まえてのあのブタ檻についてのコメントは彼女自身の言葉であることに間違いない。
 あの企画のオファーがもし来たら「絶対断るし、批判する」と渡辺直美は言っている。「ヘアスプレー」の主役トレイシーもそういう高校生になっていく。
 今回の件は、進化する渡辺直美と劣化するササキさんを対比させることになった、と、一切合切が凡庸である(←この辺でチキンハートを感じてくれたらうれしいな)オバさん(わたくし)は言ってます。

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2021年2月の覚え書き2

2021年03月05日 | 日記
◆2021年2月の経営努力
 VOWあたりに投稿してほしいのかもしれないが、ブログに載せるにとどめておこう。これは北九州市JR黒崎駅前の遊技場外観。これもまた経営努力である。
 私個人的には、バレエダンサーの研鑽の結果である美しいポーズを簡略表現したアラベスクが一番ウケた。

 黒崎は、去年の夏に駅前の井筒屋デパートが閉店して、随分と淋しくなった。40年くらい前に、駅前に、そごうが出店し、撤退後、地元の井筒屋が入っていた。
 黒崎そごう出店時に、盛んに「エスオージーオーそごうへ行こう♪」というスポットCMが流されていた。その歌を下関の子と一緒に歌っていて、広島の子に「何それ」と、すごーく冷たい目で見られた。広島紙屋町そごうには、そんな歌はないんだって。そごうの歌はローカルCMだったことを知った。
 
 考えるのも嫌になるくらい世の中では、まずいことが起きているが、「こんな時代だから」とは言わない。もう私は大人で、しかも大人も後半で、世の中で起こっていることを時代のせいにするような甘ったれたことを言う資格などない。ともかく大人である責務を果たさないといけない。幸いにして、気力はあるし、いまのところ生活していくうえで健康上の違和感があるわけではない。いい調子で行こう、という軽めの決意とともに、仕事ができ、家事ができている範囲で、いろいろ自分で考えないといけない。少なくとも、自分を、望まない方向に連れて行かないようにしないといけない。


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いまが「一番きれいだったとき」になりそうな人たちについて

2021年03月04日 | 日記
 日本全体で、病気で亡くなった人は減っているのに、しかも自死が増えているというのに、いつまで若い人や子どもたちの「めいっぱい生きてる感」を「不要不急」を合言葉にして奪い続けるのだろうか。
 今の言葉でいうリア充からは程遠い陰キャ喪女的な地味青春を送った私でさえ私なりの、今思い出せば、きらきらした記憶となる出会いがいくらかあった。地味なりに、毎年違う夏がきていた。
 「めいっぱい生きてる感」は若者の権利であり義務でもある。その後の人生を生きる糧となる。断じて不要不急ではない。それが奪われている。

 で、またまた茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」のかえうた。


わたしが一番きれいだったとき
新型コロナが流行した
マスクをしていないと
見ず知らずの人から怒られたりした

わたしが一番きれいだったとき
学校(職場)が長い休みになった
進学(就職)したら何しようと思ってたのに
自宅で浪人してるような生活が始まった

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達はそれほど死ななかった
マスクで顔が隠れたので
わたしは化粧のきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
体重ばかりが増えていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしは出会いを奪われた
女子会のガールズトークも
合コンもなく部活もなく
自粛の町をのし歩いた

「わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった」

 の節は、「わたしが一番きれいだったとき」そのまんまではないのか。

 戦闘と爆撃と物資不足がなく、お腹が空かないだけで(いや、生活不安に陥っている人たちは空腹になっている)、戦中戦後のような青春を若者に強いている。
 後日、検証されて「あれはそれほど締め付ける問題ではなかった」という意見が大勢となったとき、後日「あれは無謀だった」という意見が大勢となった戦争が終わったあとのような、焼け跡のような荒廃に人々が見舞われていないことを願う。
 


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2021年2月の覚え書き1 九州国立博物館

2021年03月03日 | 物見遊山
◆ここはどこの細道じゃ?
 九州国立博物館 中宮寺の国宝展。
 2月11日。梅のかおる太宰府。
 観覧にはオンラインによる日時指定チケット(事前予約)が必要だとポスターやチラシに書いてある。 
 コンサートや演劇ならまだしも、開館から閉館まで動かないミュージアムに何時何分に行くかあらかじめ決めなければならないというのは窮屈なものである。
 ともかく行ってみる。入れなきゃ常設展だけ見て帰ればいいや。
 博物館に入ると、体調に問題がないことと、名前と電話番号を紙に書かないといけない。これくらいでイラチが出るようでは緊急事態宣言下を生きることはできない。マスクも必要。
 係の人に年間パスポートを示すと券売窓口に行って時間指定をしてくださいということだった、窓口でQR コードの紙をもらって特別展会場へ。
 日時指定なしで、意外なほどあっさりと、すぐに入れた。ようするに空いていたのだ。
 時間を予約すれば必ず入場は確保され、しなければ、そのとき「密」でなければ入れる、ほとんどレストランの予約のようなもののようである。1時間後ならお席あります、おいでになりますかという感じで。予約でいっぱいならその日はあきらめないといけない。
 もう少しややこしいものだと思っていた。その程度であれば、天神様参道で賑わう人々も、もっとやって来るでしょうに。「1時間待ちなら梅が枝餅、2時間待ちならお参りを先に済ませて、お店も見て」とか。

◆奈良中宮寺の国宝
 聖徳太子のお母さん間人媛(はしひとのひめ)(山岸凉子も池田理代子もコミックでおっとりした感じの美しい人として描いていた)ゆかりのお寺、ということは、飛鳥時代からはじまる由緒あるお寺である。仏像がたくさん。目玉展示は中宮寺ご本尊の菩薩半跏思惟像。やはり飛鳥時代のもの。台座から頭のてっぺんのお団子まで、どの方向から見ても、同じ二等辺三角形が見える。ぐるっと回ると正確な円錐にはいる。お寺に鎮座しているときは、そういう鑑賞はできないんだって。美しさに圧倒される。1400年前のものだが古くない。ゆっくり見ることができた。

◆常設展は「天神縁起の世界」
 無実の罪で左遷された先が大宰府というわけで。
 太宰府市に隣接する筑紫野市には「テンパイザン」という山と、その名前がついたJR駅があり、その間にはイオンモールがある。麻雀放浪記的無頼感あふれる響きとはうらはらに、菅原道真が無実を七日七晩天を拝んで訴えたという伝説の残っているという天拝山なのだ。その山頂で祈る菅公の絵もあった。

 祝日としては空いていたのは入場の煩雑さによるものだろう。
 博物館内のカフェと、隣接の休業レストランが、いろいろ取り払われてて、前回より再開が遠くなった風情である。レストランは休日の昼間はしょっちゅう入場待ちの人が並んでいる人気店だった。明るくておいしくて居心地がよかった。
 博物館内でも遊べなくなってる。触る展示はNGなのだ。
 展示は良かったが、前ほどはたのしくない感は否めない。2014年夏なんてこんな感じ。レストランとか、あじっぱとか。



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