発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

14日から21日まで

2016年04月21日 | 日記
 ようするに、私は、いつも通りに過ごしていた、ということです。

◆熊本地震
14日の晩、スマホが「ジシンデス」と言い出すと同時に揺れがはじまった。震度4でも長い揺れは怖い。
 2005年の福岡西方沖地震のときに、一生分の地震と余震は味わったと思ったが、甘かった。余震は続く。 
 15日が暮れて16日になって起きた「本震」のときには 真夜中に壁の時計が落ちてきた。
その後も余震は続き、眠りが浅いまま朝になった。
それでも16日は朝から久留米に用があった。
 西鉄電車は全線止まっているという薬院駅の表示が路線バスの窓から見えたので、そのまま終点博多まで乗る。バスの中からはJRサイトにアクセス不能だったので、とりあえず改札へ。JRも7時台の段階で動いてるのは篠栗線だけ。新幹線もダメ。九州道が熊本県の植木以北は通じてる、そのルートなら高速バスで行けるということで、地下鉄で空港に向かう。
 久留米は、いつもなら天神から30分に1本出てる西鉄特急で30分しかかからない。博多からはJR、大急ぎなら新幹線ですぐである。つまり街なかからの交通手段は足りてるので、福岡発久留米行きの高速バスは空港からしか出ていない。福岡空港に出て久留米行きのバスに乗る。車両の算段の関係で、8時半のバスはなく、9時半まで待たないといけなかった。時間に余裕を持って家を出たのだけど、先方に、少し遅れる電話をかける。
 熊本の地震のため、大牟田(熊本県境)の実家の様子を見に行こうと、関東から空路で福岡まで来たんだけど、という人がいた。その時間は、やはり空港からのバスしか大牟田への公共交通はない。
 ともかく無事にバスに乗れただけよしとしよう。高速道路はそれほど混んではいなかった。
 空港からの久留米行きがアウトだった場合は、高速バスで佐賀に入ることができれば、佐賀駅バスセンターからローカル路線バスで久留米に入ることになる。高速道路がまったくダメでも福岡市営地下鉄と筑肥線唐津線線が生きていれば、唐津・小城経由で、時間はかかるが佐賀までたどりつける。
 久留米は、いつものフラットで明るい筑後川沿いの町で、たまに震度1~2くらいの揺れが来るくらいで変わったことは本当に何もなかった。だが、安全確保ということで「つつじマーチ」というイベントは中止になったようだった。
 余震しだいで、帰宅難民もありかなと思っていたが、そのうちに復旧した西鉄電車は夕方も無事で、西鉄特急で帰宅した。
 JRは、17日の段階で鹿児島本線は荒尾(大牟田の次、県境の熊本県側の駅)までしか通じなかった。
 20日はJRで鳥栖へ。すでにJR在来線は熊本まで届いていて、コンコースは九州新幹線が止まっている表示以外は賑わっていていつも通りに見えた。博多名物挨拶警官は転勤されたそうで、警官立哨は駅の入口近くではなく内部で交代で行なわれている。空港ほどではないが眼光鋭い。
 そういえば、あちこちで警備が厳しくなっていると聞く。福岡の裁判所は、最近は、まるで空港のようなボデイチェックがあるのだと聞いた。トレイにバッグを入れて、人も金属探知器を通るのだそうな。これは暴力団関係対策なのかな。以前、裁判員裁判関係ドラマのDVDを貰いに行ったときには、図書館や市役所のように自由に出入りできた記憶があるのだけど。
 鳥栖駅もいつも通りだった。名物かしわうどんの匂いが漂い、駅のパン屋さんは、駅裏にスタジアムがあるサガン鳥栖のショップも兼ねてて、レプリカユニフォームなどのグッズを売るようになってた。
 新幹線が来ない新鳥栖駅(新幹線と在来線相互乗り入れ)は、寂しかったが、もともとそんなに賑やかな駅ではなかったような記憶がある。

◆「ムラ」のある流通
 福岡のまちは、地震以後、何か変わったところがあるようには見えない。ただ、お店からペットボトル水が消えた。これは共通だけど、あとは、ドラッグストアからカップ麺が消えたけどスーパーにはある、とか、スーパーからカロリーメイトが消えたけどドラッグストアにはある、といった感じの、流通の「ムラ」のようなものを感じる。何かほかに気がついたら書いてみます。
 

◆天変地異に考えなどない
  4月19日の毎日新聞朝刊一面の一段コラム「余録」は、「思い上がるな、余震よ」という言葉で結ばれていた。無論、続く余震への憤りを込めてのものであろう。2005年の福岡西方地震の「本震」と、ひとつき後の一番大きい余震のレベルの揺れが、熊本で阿蘇でほぼ毎日起きているのだ。その上、今日21日は雨だ。
だがしかし、余震は「思い上がって」などいるわけがない。ましてや人に意地悪しようとか何か罰を与えようと意図しているわけでもない。ただ、大地の、地球の、宇宙の都合で身震いしているだけなのだ。

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人生迷い道っ その3 やんちゃ者たちはどこへ行く

2016年04月08日 | 日記
◆JUST AS PLANNED
 人生は計画通りには行かない。
 「計画通り」といえば、漫画「DEATH NOTE」の第7巻、夜神月のこわい顔を思い出す(見たことない人、知らない人は「計画通り」で画像検索してね。同じ絵が山ほど出て来るから)が、英語版コミックでは「JUST AS PLANNED」と訳してある。計画を立てて遂行するにしても「新世界の神になる」などと、ろくでもない計画だと、残りの5巻でぶざまな破滅に到ることになるわけだが。
 偶然の事故だとか、運不運だとかは差し引いて考えるとして。
 政界進出しようとしているのに、身辺を慎まない(その道を閉ざしたあげく、仕事を大幅に減らしただろう)とか、オリンピック強化選手なのに、違法賭博場に出入りする(試合に出れなくなるどころか、会社を解雇されるかもしれない)とか、なぜ、行きたいと思っている方向とは全然違う方向に行こうとするのか。計画以前の問題に思える。
 最近のこの2件については、不運よりも、あからさまな当人の選択の誤りが招いたものだと思う。しかも、ガラポン抽選のような、どの目が出るかわからない選択ではなく、そりゃバレたら100%ダメだろという道を選んでいるのだ。
 人間って不思議ね。
 他人から見るととてもわかりやすい間違った道が、当人からは見えなかったらしいというのが不思議であるが、「傍目八目」という言葉もある。痩せたいと思ってるのに食べちゃってる(ギクッ)とかいうのは、その初歩の初歩である。もって他山の石とすべし。
 飲酒運転や薬物に手を出すのは、きっとその人は死にたかったのだ、自分は死にたくはないことをきちんと自覚してなかったのだ、と以前書いたが、なぜ人は行きたくない場所にわざわざ自分を連れて行こうとすることがあるのか、これからも考えて行きたいと思う。

◆「やんちゃだった」ですと?
 ちなみに、今回違法カジノに出入りしていたバドミントン選手2人について「バドミントン関係者は『昔から2人はやんちゃだった』と話した」(日刊スポーツ)と書いてあったが、私はここ数年あちこちで見聞きする、この「やんちゃ」という言葉の使われ方が好きではないというか嫌いだ。
 さきの引用のように
「昔はやんちゃだった」
 という文脈で使用されることが多いが、その「やんちゃ」だった当人の過去当時の実年齢は、幼稚園や小学校のことではなく、近頃は、中学、高校、下手すると20代前半までのことを指すことが多いのである。そしてそのやんちゃぶりも、シャレにならない、つまり非行・犯罪がらみのときに、この表現がしばしば使われる。周囲の人々に迷惑をかける甘えん坊の不良のならず者っぷりを、許容するかのような表現ではないのか。罪を憎んで人を憎まずというが、他人の迷惑になる罪さえ軽くなる語感である。この2人の「やんちゃ」ぶりがどのようなものかわからないが、要するに、強かったからしょうしょうのことは許されたってことなのかな。「昔から2人はやんちゃだった」ということは今も引き続きということで、その結果が今回のこと、ということであれば、事態は深刻である。


 
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