発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

ソレーネ周南、一気に全国区に!!

2018年09月30日 | 日記

◆注目の道の駅、ソレーネ周南

 富田林の警察署から48日にわたって逃走を続けていた容疑者が、山口県周南市の道の駅で逮捕されたニュース。周南って月半ばに行ったばっかり。ソレーネには寄らなかったけどね。

 「ソレーネ」って、なんか太陽がどうのという響きがある言葉だけど、これも、こてこての山口弁で、「そうなのよぉ」と相槌を打つときに使う。対して「そうなのね」と相槌を打つときは「ソレカネ」と言う。

 山口弁圏でない人は、山口弁で多用される「ソレカネ」「ソウカネ」の「〜カネ」が、なんか威張ってるように聞こえて不愉快に感じることもあるらしい。たぶん明治維新後に東京に出てった長州人が(当人たちとすれば普通に)多用してたとこに発端があるのではないかと。

 

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わたくしの笑顔、数値化される

2018年09月26日 | 物見遊山

◆笑顔を採点されてしまった

 笑顔を心掛けてはいる。笑顔は大事よ。でもね。

 博多駅前で来年のラグビーワールドカップの宣伝イベントをしていたので覗いてみた。背筋力や握力などの体力テストや、スクラム力を測る道具などが来ていて、楽しく遊べた。握力は高校のときほどではないが、まだ年齢平均以上はキープできてる。ところであるブースの前を通りかかると、メガネを外して笑うように言われそうしてみた。そしたら点数がもらえた。笑顔を数値化する装置があるのである。イベントで笑顔コンテストをゲームのように行うのは、カラオケの点数のようで、まだいいが、接客現場で数値化してひとを評価するのも目的として開発されてるみたいね。それは楽しくないなあ。自分の笑顔が機械に評価されていると思うと、笑顔になることで自分の脳に還ってくる良いフィードバックも半減してくるのではないか。哀愁のつくり笑顔になってしまわないか。もっとも、接客の表情レベルがよほどよくない何分の一かのグループの人々に、もっと笑顔を、と説得する材料にしなければならない、というのはあるのかな。

 

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彼岸、決断、できること、無理めのこと、生産性

2018年09月24日 | 日記

◆彼岸の中日

 9月に入っても暑く、夏の服が片づけられないが、それでも律儀に彼岸花は咲く。これは平尾山荘で撮った。

 ハロウィンの装飾が町のあちこちに。ハロウィンは、子どものころ見たアニメ「チャーリーブラウンとかぼちゃ大王」(チャーリーブラウンの声優は谷啓、ルーシーはうつみ宮土理)で知った。家々を、お菓子を貰って回る子どもたち。でもチャーリーブラウンが貰うのはいつも「かりんとう」(と訳してあった)。きれいな、子どもが好むようなお菓子ではなくて、ということだと思う。もちろんそのころは、ハロウィンなんて習慣は日本の世間にはなかった。今は町はかぼちゃだらけである。パッケージにオレンジ色と紫色を多用したお菓子がお店に並ぶ。

◆先送りの決断は早く

 いつか、西鉄電車で見た、ある社会人向けの学校の広告には、そこの生徒の声として「決断が早くなった」と書いてあった。ああ、私は決断が遅いのかな、と思った。で、何か停滞してるな、と思ったとき「早い決断、早い決断」と、つぶやいてみるようにしたが、いっこうに能率は上がらない。そこで「その案件はしばらく置いておきましょう」「あとで決めましょう」という、「先送りの決断」でもいいから、さっさと決める、ということにしたら、能率が上がった(……気がする)。先送りは悪いことじゃなくて、先送りしようか今やろうか、なんとなく迷ってることが、効率を下げているのだ。

◆「私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません」

 ここに引用したことがある宮沢賢治『気のいい火山弾』のことばである。べつにできないことやれって言っているわけではないよ。だけど、できることを私はやってるのかな。今やってることができること、という言い方もできるけど、これはときどき自問したほうがいい。

◆「誰も、がんばれって言ってくれないから、自分で自分をしったしよう」

 これは大島弓子。『リベルテ144時間』(ウィキペディアに粗筋が紹介してあるが、出て来る全く違う女性二人が一人の人物になってしまっている)の、山の辺十五のことば。少年が女装してまで敢行しているのは極秘プロジェクトであるから、励ましてくれる人などいるはずがない。がんばらなくてもいいんだよ。でも、「それって無理っぽい」ようなことをやってみることも、何かをブレイクスルーしてくれて、自分を新しいとこに連れてってくれる。ダメなこともあったけど、うまく行ったことも少なくはない。時々思い出して自分を励ます。

◆仕事、仕事、仕事というほど仕事はしていない

 と思う。もっと忙しく密度高い仕事をしていて成果をあげている人はほかにいる。じっとしていたら時間は過ぎていき、そのうち人生も終了となる。他人に自分の生産性のことを言われるのは好きではないし、属性で括られて「生産性がない」と断言などされたりするとしたら、まっぴらごめんだ。。そのいっぽうで、せっかく生まれて来たのだから、やりたいこといっぱいあったな、でもしなかったな、というのはもったいないよね。だけどぐうたらの方へ流れて行くのも人のありようである。でもま、もうちょっと生産性とやらを上げて、目の前の仕事を片づけて、本を読む時間を作ろう。

 

 

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 「ゲンナリ論文」は、国家の生産性を損なう。

2018年09月22日 | 日記

◆「生産性」まだやってたんだ

 ゲンナリ論文は、国民一人ひとり、ひいては国家の生産性を損なう。政治家の仕事ではない。以前の「生産性にまつわるエトセトラ」を貼っとく。わたくしの生産性を損なわないために(笑)たくさんは書かない。

 その日には、執行にまつわる詩を書いてる。わたくしは彼らに同情する立場に立つつもりはない。ただ、家族は泣いてるだろうな、ということと、あの時代、わたくしが、ほかのことではなく、あの集まりに誘われた可能性もゼロとは言い切れない。誘われてたら逃げ切ることができたんだろうか、と考えないでもない、ということだ。

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「維新(の会)は失敗」

2018年09月14日 | 日記

 やっと涼しくなってきた今日この頃でございます。

 エアコン切って寝て、暑さで目が醒めたら4時でした。窓を開けて外気を入れるとこれが適度な湿気を含んだ涼しい空気で、こりゃラッキー、と、ミルクティーいれて本を読むわけです。頃合いをみてコーヒーいれて今の仕事にとりかかります。

◆維新の会は失敗

 と、橋下徹氏が自著で総括しているのだそうだけど、ネーミングからしてどうもね。イメージ先行の危うさについて5年前に書いたが、まあそんな感じとなった。世のため人のためというより、勝ち馬に乗りたいだけの人が集まったのかなあ、やっぱり。

 明治維新って、大革命としては死んだ人民は少なかったといえるのかも知れないけど、結構人が亡くなってる。志士と言われる人々に剣豪が多かったのは、そうでないと斬られてさっさと退場になったからかも。暗殺、戦死、あるいは刀傷まみれ。あと、斬首や切腹も多かった。世の中のために死ぬ覚悟を持った人たちがたくさんいたわけで。

 彼の活躍がなければ、幕末の歴史はまったく違っていた(あの幕末の転換点は、超有名なあの人じゃなく彼の功績だ)けど有名じゃない。ある栄光なき藩士の伝記が近いうちに本になります。それより先に、身につまされる医療関連の本。ともかく仕事は続くのでありました。

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アレクサ、山口弁しゃべって?

2018年09月02日 | 日記

◆アレクサその後

 あれくさ(博多弁)の「くさ」は、わたくしのネイティヴ言語であるところの山口弁では何というか考えていたが、「っちゃ」が適当だと思われる。山口弁、言ってみれば「ちょるっちゃ語」(九州ことばは「たったい語」)は、『瞬きもせず』(山口県瀬戸内側の町の高校生の話。紡木たく、別冊マーガレット、集英社)で興味を持たれた向きも多いかと思われる。せっかくだから「青春フォーエバー」の画像を入れてみる。「ラブイズオーバー」ってのも見たことあるよ。

よかくさ≒ええっちゃ

それくさ≒それっちゃ

あれくさ≒あれっちゃ

 たぶん用法はほとんど同じである。この山口ちょるっちゃ語を見て、『うる星やつら』(高橋留美子、週刊少年サンデー、小学館)のエイリアン鬼娘ラムちゃん語だと思われた方がいるかもしれないが、ラムちゃんの頻用するところの『だっちゃ』は、山口県内では使ってないから違うと思う。山口弁の「っちゃ」は、強調のニュアンスを持つ。「ってば」に近い使われ方をすることが多い。「くさ」については、今後も採集してより深く用法を探っていく(?)。 

 

 

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さよなら夏の日、または「アレクサ」は博多弁

2018年09月01日 | 日記

◆今年の夏は

 ずっと仕事してた。仕事が多いというのもあるし、外に出たくなかったというのもある。仕事じゃない遠出は、7月に小倉にミュージカル観劇に行ったくらいかな。外出していない割には日に焼けてるような。祇園太鼓の時期だったけど、遠慮がちに写真撮ったので、いまいち。小倉に行ったらたいてい井筒屋に寄り、デパ地下のケーニヒスクローネに行く。ケーニヒスクローネは福岡市内の各デパートにもあるけど、持ち帰りのみである。下関とか佐賀のデパートにはイートインがあるが、小倉のがいちばんゆったりしてる。熊さんのクッションなんか置いてあって和む。ここはアイスティーがアールグレイで、とてもおいしいのだ。

◆さくらももこ氏死去

 「ちびまる子ちゃん」の漫画からは、ノストラダムスの大予言の話を、ここで取り上げたことがある。1970年代、ノストラダムスの大予言の本がベストセラーになり、1999年の7の月に人類が滅亡する話は、子どもたちの間でも話題になった。どうせ人類は滅亡するのだからと、テスト勉強もしないでぐうたらするまる子に、お姉ちゃんは「予言だから、はずれることもある。もしはずれたら、1999年7月以降あんたはバカな大人として生きることになるのよ」というようなことを言い、まる子はあわててテスト勉強をはじめる、という話があった。あさって人類が滅亡してもおかしくはないと思っている自分としては、世界中のまる子たちの努力が無駄にならないように心から祈るのである。漢字圏の新聞のテレビ欄では「ちびまる子ちゃん」は「櫻桃小丸子」であるが、「麵包超人」は「アンパンマン」、「蠟筆小新」は「クレヨンしんちゃん」である。人生は無限ではない。時限発火装置のように各々の導火線には火がついている。時間と命は大切にしませう。

◆「アレクサ、キッチンペーパー注文するったい」

 「アレクサ」は、博多弁というか、北部九州で頻繁ではないが普通に使われていることばである。ネイティヴしか使用しないのでわたくしは使わない。「くさ」は「そうさ」の「さ」に近い使われ方をしているもようである。「それくさ」は「それさ」、「よかくさ」は「いいさ」、「あれくさ」は「あれさ」と言い換えて差し支えないようである。というわけで、アマゾンエコーを導入した博多の家庭では、「アレクサ」は呼び出されっ放しになることが考えられる。というか、こてこての博多弁がウェイクワードなのであるのは興味深い(?)。

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