発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

またまた宮崎/九州国立博物館「大兵馬俑展」、そして3月が去る

2016年03月30日 | 物見遊山
◆ホモ・モーベンスな3月
 なぜ人生2回目の宮崎と3回目の宮崎行きが2016年3月なのかよくわからないが、こういう時期があってもいいのだと思う。
 今月の終りに近い方の宮崎行きの日は朝からよく晴れていた。空港のエアコン会社の大きな広告に付いてる温度計では摂氏3度で冬である。綿セーター綿コートで大丈夫か?とも思うけど、宮崎って暖かいし。
 7時40分のANA便でも間に合うのだが、先だってのシステム障害のこともあってJAC便にした。搭乗案内を待合室でテレビ見ながら待っていたのだが、殺気に近い視線を感じて振り返ると、眼光鋭い警官が立哨してる。
「お父さん、こわいよ(←薬師丸ひろ子の声で)」。
 油断が服着て歩いてるような私でさえ気づく眼光の鋭さで採用されたのではないかと思われる。テロリストも怯むに違いない。

◆窓の下の九州(脳内BGM 溝口肇「窓の下の南極」)
 空気が澄んでいたので、ずっと飛行機から窓の下を見ていた(子どもか!!)。だって宮崎便で晴れてるのはじめてだったんだもん。空を飛んでいる時間は30分ほどなので、外を見てるのにちょうどいい。福岡春日大野城二日市。高速道と川が地図通りに見え、どのあたりかは大体わかる。美しく耕地整理された田畑は、まるでクリムトの絵の背景のようだ。そのうち久留米そのうち大牟田荒尾そのうち熊本(たぶん)で山になって、日向灘から寄せる白い波が見えて地上に着いた。

◆増殖する土の兵隊さん
 翌日は、九州国立博物館に兵馬俑を見に行った。前から決めてたので宮崎は日帰りだ。西安に行く仕事が簡単に来るとは思えないから、兵馬俑さんたちがこっちへ来てくれたときに見ないといけない。
 博物館横のグリーンハウスでお昼ごはん。スープにはブロッコリーと春キャベツ。付け合わせにはタケノコが使われてて春らしい。
 始皇帝の兵馬俑は、死後も皇帝でいたかった彼が作らせたものだ。埴輪と同じくテラコッタの副葬品なのだが、でかい、リアル、大量の三拍子揃った大迫力である。いくつかの本物と、たくさん並んだ実物大レプリカが展示されていた。兵卒はいくつかのパターンで同じ顔があるが、将軍などはそっくりさんなんだろうな。これらが作られた当時は彩色されてたらしい。誰に見せるためでもなく、自分の死後の世界のために。そんなことやってるから死後3年で滅亡するのだ。
 1980年リリースのYMOのアルバム「増殖」のジャケットデザインは、1975年に発掘された兵馬俑にインスパイアされたものであると思われる。ただ、当時、そのデザインで作るためには、まずFRPの模型を作り、それをモデルに大量の塩ビ製の人形を作って写真を撮らないといけなかった。今ならCGで簡単に作るんだろうけどね。
 展示物自体はそんなに多くない。兵馬俑の展示室は、直接に自由にいろんな方向から見ることができるように作られていたので、日曜だけど、ゆっくり見ることができた。
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人生迷い道っ その2

2016年03月23日 | 日記
◆なぜか宮崎
 キャンプの済んだ宮崎の商店街は「おそ松さん」一色だった。
 先月のミッションをトチってやり直しを命じられたのではなく、まったくの別件でやってきた。なんで人生初と2回目の宮崎が2016年2月3月なのかと思わないでもないが、まあいいか。

 60年代マンガの「おそ松くん」は、20代ニート兄弟アニメ「おそ松さん」となって復活しているらしい。グッズを売っていたが、入場制限が出るほどの賑わいで、滞在時間が限られている者としては、スルーせざるを得ない。そんなことよりチキン南蛮を食べねば。
 単独行夕飯というのは、居心地があまり良くない。お酒を出すことを前提としているところがほとんどだからである。かといって、宮崎まで来て全国チェーンの店に入ろうとも思わない。今回はラッキーで、飲酒しない単独客でも居心地のよい地場繁盛居酒屋に入れた。ごはん味噌汁もずくに野菜サラダつきだった。チキン南蛮は少々多かったが完食。
 
◆翌日は、なぜか福山
 福岡に帰ってから、早朝から新幹線で福山へ。35年振りくらいかな、福山は、人口46万人を擁する、中国地方では、広島、岡山、倉敷に次ぐ規模の都市である。駅は三之丸町。つまりお城だったところに駅があるということなのだ。天守閣は、駅の北側すぐにある。幕末の老中阿部正弘さんのお城だ。というわけで脳内地図更新。南の新幹線口は、昔は、平櫛田中の「五浦釣人像」(岡倉天心がモデル)があったが、今は移設されているらしい。
 バラ公園が有名だけど、バラにはまだ早かった。

◆乙武洋匡氏は参院選に出馬するんだろうか、出るんだろうな問題
 ここにきて、乙武洋匡氏の不倫報道である。ベッキーのときと同じで、別に自分の配偶者もしくは彼氏をとられたわけではないのでどうでもいいというのが大原則であるが、この件は考えさせられる。
 努力して成果を上げた人だからといって、品行方正であるとは限らないのは、いずれの世界のいかなる属性の人でも同じことである。たとえば貧困環境から叩き上げで成功した実業家に、清廉潔白品行方正の人もいれば、そうでない人もいるのとまったく同じことで、ハンディキャッブがあって努力した有名な人だからといって、勝手に品行方正であることを求めるのは、サベツであると思う。
 しかし品行方正かどうかというのを投票の指標とするのは、別にサベツではない。投票の指標を何とするかは人それぞれの自由だからである。議員によき家庭人、男性であれば誰かのよき夫、よき父である人を求めている人は彼にはもう投票しないだろうな、ということである。
 普通のタレントや文化人に出馬要請する前には、おそらくは家庭的社会的な品行方正さについて突っ込み所がないか調査するであろう政党が、彼に関してはそれを怠ったと思われるところこそ、サベツ意識の現われである気がするなあ。

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保育園落ちた日本死ね問題について

2016年03月13日 | 日記
保育園が充実したとしても、幼い子どもの両親たちが楽チンできるわけでは全くない。朝夕の送迎、着替えなどの持参物の用意、残業後のお迎えは延長保育終了に間に合うのか。熱を出そうものなら、保育園では預かってもらえないから、その間どうするという別の問題が出てくる。 上の小学生のきょうだいがいれば、その放課後を、学童保育を、宿題を、学校への提出物を持参物をPTAを、病気をどうするという問題が上乗せされる。

保育園に入ることは、勤労者である親が、生活の糧を得続けるための最低限のデッドラインに過ぎないわけで、「日本死ね」は、すなわち「私が死にたいわ」ということなのだ。

品のいい語り口とは言えないが、発言しないと世の中は変わらない。これまでの方法でだめだったら、方法を変えるしかない。言い古されてきた保育園の問題を、これだけの議論にしたということは、いいことだと思う。
何が問題かわかっちゃいない人たちを、あぶり出すこともできたね。
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震災5年と、ちびまる子ちゃんと、宇宙飛行士と。

2016年03月11日 | 日記
 マンガ「ちびまる子ちゃん」の中に、「ノストラダムスの大予言」にまつわる話があった。
 1970年代、1999年の7の月に、人類が滅亡する、と書かれたノストラダムスの予言本がベストセラーになり、世の中を賑わせていた。子どもたちも例外ではなかった。
 予言通りに人類が滅亡するんだったら勉強したって仕方がないと、翌日のテスト勉強など放置し、親の言う事も聞かずに、ぐうたらしているまる子に、お姉ちゃんが言ってのけた。
「予言がはずれたら、あんたは、その後の残りの人生をバカな大人として過ごすことになるのよ」。
 で、まる子はあわてて勉強をはじめる。細かいことは違ってるかも知れないけど、まあこんな話だったと。
 2011年3月以来、人類はいつ滅亡してもおかしくはないんだなと思っている私は、それでも5年後、10年後、30年後、人類が滅亡しないこともあるのだからと、日々まじめに働いているのである。
 まじめに働きながら、そしてどうしよう、と、いつも私なりに考えているのである。

 子どもたちよ、
 宇宙飛行士を目指すがいい
 すべての子たちよ
 狭い頼りない宇宙船で
 ミッションを確実に果たす方法と
 みんなが生き延びる方法と
 自分の考えをよりよく伝え
 相手の考えをよりよくくみ取る術を
 身につけられるように
 だから 
 宇宙飛行士を目指すがいい
 宇宙に出ても大丈夫な人を

 そのうちに気がつくだろう
 この世は
 あらゆるところに
 小さな宇宙船があり
 宇宙船の中に宇宙船があり
 あらゆる宇宙船の中に
 君のミッションがあり
 やなクルーがいることもあり
 ほかの宇宙船に逃げられることもあるが
 そうでないこともある

 だれかの助けを借りながら
 だれかを助けながら
 自分ひとりで考えながら

 行動しなければ死んでしまう
 そんな宇宙船に近い場所に
 自分はいるのだとちゃんと自覚しながら

 大気圏外に出るチャンスは限られているだろうが
 でも
 今いる場所をよりよいものにすることはできると思う
 だから、
 すべての子どもたちよ
 宇宙飛行士を目指すがいい
(2016年3月11日 MTJ)

 自分は、宇宙船地球号という言葉は好みではない。地球は人類のものだという傲岸不遜な響きがあると思うからだ。でも、誰か小学校や中学校や高校に招んで話をしてもらうなら、できるなら宇宙飛行士がいいと思っている。  

 
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人生迷い道っ

2016年03月04日 | 日記
 二月は、佐賀に行って熊本に行って宮崎に行って大分に行った。脳内GPS土地勘マップのデータがどんどん蓄積中である。
私は道にあまり迷わない。カーナビ使っても、グーグルマップを見ても、迷う人は迷うらしい。
 グーグルマップを使って歩こうとすると、最短距離を示すせいで、他人の家の軒下の細道やあぜ道、ひょっとしてケモノ道?が表示されることが結構ある。夕刻以降など、三角形の1辺ではなく2辺になってしまおうと、広くて明るい道の方が絶対早い。目標物をチェックしたら、さっさと地図なりスマホなりは片付けて急ぎ足である。
 野生のカンだぜ、イエイっ!! (←出典『アタゴオル物語』ますむらひろし)
 脳内地図は、駅を原点にする。鉄道をx軸とし、山から駅を通って海にy軸を引く。それで自分の位置を把握しながら歩くから迷わずに町を歩いて駅に戻れる。本州瀬戸内側の都市はこの考えで歩くと簡単である。徳山、防府、福山、倉敷、岡山、姫路、神戸、まず迷わない。ただ、広島は、たくさんの川と橋と市電路線のせいで、結構迷いやすい。

 不倫とは、ヒトのミチにアラズ、という字である。80年代「金曜日の妻たちへ」というテレビドラマシリーズで市民権を得た言葉らしいが、社会現象になったにもかかわらず、このテレビドラマを1回も見てないのは、例によって会社勤めが忙しかったからである。「フリン」など、この発音が名前になっている外国人で、日本語を話す人もいることを考えれば、あまり使わないほうがいいと思っていた。最近は「ゲス」というようになったらしい。「GUESS」のブランド関係者はどう思っているだろうか。
 ベッキーが全部のテレビコマーシャルからおろされたらしい。
 30歳過ぎた女性タレントに清純さを求めるのがおかしいというか私にとってはどうでもいい。
 配偶者または彼氏を他の女性にとられるとしたら当然嫌だが、ベッキーにとられたわけではないので私としては別にどうでもいい。
 ベッキーがCMに出続けたとしても、入浴剤は買うと思うし、軽四輪の新車(予定はないけど)が欲しくなって店まわりをはじめたとしてベッキーのせいで一部のお店を抜かしたりしないと思うが、今回の騒動でベッキーが宣伝する商品は買いたくないと思う人が、少なからずいるということなのらしい。
広告に出ることは、世の中が思っているところの自分のイメージを、金銭に換えるということなのだ。
大金が動くのは、そういうわけなのだ。
 「全国電波でオンエア可能」というのはすごい才能(公共の場所でよく放映されているローカルなケーブルテレビ番組などを見ていると痛感する)だと思う。まさにタレント(才能)だ。
だが、どんなに研鑽しても、その技術だけではだめで、イメージ戦略も含めて、時代の要請に合っていないと仕事が続けられないのだ。人気商売は大変だ。
 別の元アイドルタレントが「世の女性は、結構浮気している」と発言して叩かれているそうだが、「世の」と「結構」の範囲が皆目わからないから、怒るにはあたらない。「へー、そーなんだー」と、棒読み気味に呟くのみである。



 
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