発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

どっと疲れる阪急電車

2019年06月13日 | 日記
 写真は、久留米の石橋文化センター。薔薇のアーチがあちこちにある。

◆凡庸なOLは危機感を抱く
 会社に勤めていたときによく考えていたことは、週5日でなく3日出て、今の年収の半分の仕事ってないかしら、ということである。好きではない仕事をそこそここなしていた。土日の休みの最初の半日はバテて使い物にならない。会社はフレックスタイムを認めてくれていたものの(たいがい使うのは遅出である。図書館に寄って11時出勤で20時頃まで働いていた)手応えのある「自分の進歩の方向性」のためには、少し時間が足りない。週休4日にするにはアルバイトになるしかなかったが、週3日のアルバイトでは年収は半分ではなく四分の一になってしまう。自宅通勤パラサイトシングルにせよそれはちと厳しい。
 だが、このままここで働いていたらヤバいと思っていた。

◆最近炎上した阪急電車のニュース
 
「毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、
 30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活のどっちがいいか」

 阪急電鉄でこんなことばの書かれた広告が掲示されたという。
 仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活をしている人で月30万の俸給が確保できている人は、ある意味特権階級である。仕事が好きなら気晴らしの時間も出費も少なくて済む。憂さ晴らしにパチンコに行く必要もない。そんな時間があれば、仕事関連の読書なり検索なりの調べ事をしたほうがずっと楽しいだろう。仕事帰りにお酒の出る店に寄っても、憂さ晴らしの酒ではないから、飲み過ぎることもないだろうし、週何日も寄り道する必要もなく心と身体と財布の健康にいい。子どもに当たってしまうこともなく家庭も円満だろう。すくなくとも生き甲斐のない50万よりも幸福なはずである。
 だが、この二択が可能な人がどのくらいいるのか。
 それは確かに正しいのだろうが、それが選べるのは、よほど運がいい人だ。

◆そりゃ誰だって行くのが楽しみな仕事がしたい
 最初から好きな仕事に就ける人は運がいい。が、そうでない人が、いったん就職してから方向転換のための職業訓練をはじめるのも大変だ(実感)。好きな仕事をする一番簡単そうに見える方法は、独立することだが、そうなると好きなことばかりやっていればいいというわけではない(実感)。資金調達から税金の申告まで、全部自分ですることになる。雑事を楽しめる、あるいは雑事で憂鬱にならない覚悟と並行して、生活できる収入を確保しないといけない(実感)。だがこの世知辛い世の中、そこそこ生活できる収入をフイにして収入を6割(ならまだいい、軌道にのせるまでが大変)にしてまで仕事に行くのが楽しみで仕方ない生活にどれだけの人がシフトできるのか。シフトするには長期計画が必要で、そもそも誰にも可能な問題ではなかろう。独身者でない場合、家族の賛成をとりつけるところでかなり高ぃ関門となろう。

◆どっと疲れる阪急電車
 電車に乗っていて、これを、月30万もらえてないのに仕事が苦痛な人が読んだらどう思うだろう。疲れた心と体で満員電車に揺られていると目に入って来るのがこれなのだ。あるいは20万の仕事の面接に落ちた人も、今日解雇された人や、雇い止めに遭った派遣の人もこれを見るのだ。あるいはどんなに仕事がきつくても生き甲斐がなくても、お金が必要だからいろんなことを犠牲にして仕事をしていて、他に食べていく方法が見つからない人もこれを見るのだ。
 たぶんこの広告の元文を書いた研究者の方は、職種を問わなければ得られた収入の6割を得て、幸せな職業生活を送ってきたのだ。良いことだ。ただ、職業生活の幸福感の根本に関わる問題でありながら、誰もがすぐ始めることができない件なのがよくなかった。ことに、具体的な金額と、その比率が出たのがまずかった。
 勤めていた頃、同年代の専門職の女の子と新幹線で隣り合わせ、普通のOLで正直得意分野ではない、と知られると、明らかに鼻から見られた。そんな気分になる広告だ。
 この広告の二択は、かなり贅沢な二択だと思う。今電車でこれを見かけたとしても愉快ではないし、通勤途中にこれを見たら、会社が遠くなっても阪神かJRで通おうと決心すると思う。よほどの世間知らずの人が載せたに違いない。

 
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広告出稿

2019年06月05日 | 本について
6月5日西日本新聞朝刊一面全三段


◆新刊は『百姓組頭 井上勝次』
『笑顔の認知症』は、好評販売中。
 さて、来月の新刊の告知をしています。筑前の幕末維新時期、武士というか支配階級の人たちは、大混乱していました。財政難、金融政策の失敗、筑前勤王党の粛正、人材不足、贋札騒ぎなど「それだけならまだいいがッ」案件のオンパレード。
 そんななか、私たちの多くの祖先であるところの農村漁村の人たちは、どんな暮らしをしていたのか、なぜ明治六年に筑前国で10万人とも30万人とも言われる人が蜂起したのか。この小説では、宗像郡のある百姓を中心に、丁寧に追って行きます。
 助け合いながら骨惜しみすることなく働き、それでも年貢に持っていかれ、暮らし向きは楽にならない。不作で餓死者が出るなど想像できるだろうか。村の鎮守の祭りは、収穫への切実な祈りなのだ。
 明治になったらしいが、何が変わるのか。税は重い、徴兵だと?学制だと?働き手はどうなる? 四民平等、何がどうなる? 生活は苦しい。
 全国的に大混乱だったことは想像にかたくないが、上層部が特に混乱していたのが筑前だった。
 ある村人は言った。「明治ちゃあ飢饉のことばい」
 お上は自分たちのことは何も考えてはいない。長い間おとなしく忍従してきた人々の怒りが発火点に達した。
 そして悲劇が起こる。
 仲間や家族を守ろうとした男がいた。これは、誇るべきあなたの祖先の物話、かもしれない。

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