発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

この世界の片隅に こうの史代原画展

2017年09月24日 | 漫画など

   福岡天神大丸の、靴バーゲンで賑わう8階催し場の片隅で原画展。

   カラー彩色された原画の美しさ。

  どういうお話かというと、ある女性の居場所の話。ある家庭の話。戦争中の暮らしの話。平和で温かい家庭こそが楽園であるという話。

   物語の核心には、あまり触れていませんが↓

   昭和19年2月、広島市の海沿いに住む主人公は、顔も知らなかった呉市の男性のところに嫁ぎ、婚礼が終わった途端に、主婦としての、おさんどんライフを開始する。何しろ披露宴の食器から花嫁が洗うのである。やがて口煩い小姑は出戻ってくる。物資はいよいよ不足してくる。そのうち空襲も始まる。時節柄、全く安泰ではない生活を強いられる。日本中どこの家庭も程度の差こそあれ、間違いなく大変な時代だった。

  でも、ラッキーなことに、舅姑は優しいし、何より旦那さまは、戦中男としては、完璧に近い。ちょいと訳ありってことが解っちゃったけと、愛してくれれば問題ないわ……というわけにはいかないのは、まだ若かったせいかしら。とりあえず、結婚したからには、相手の元カノのことは気にしないこと。人生のルールよ、すずさん。

  過酷な戦争をくぐり抜け、ともかくすずさんは、自分の居場所を見つける。呉で生きて行くと決めるのだ。

     このお話の件については、また。

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秋が来たので「死ね」について考えてみる

2017年09月18日 | 日記

 高知のそれからの話を書きそびれるうちに8月になってしまい、新刊を売ったり忙しく働き、九州国立博物館「ラスコー展」では、クロマニヨン人に会いに行き、「ダンケルク」撤退大作戦、スピットファイア対メッサーシュミットを都久志会館で目の当たりにし、そうこうしているうちに、秋である。少なくとも灼熱の不機嫌な太陽は来年まではやって来ないことくらいはわかる。秋物を買い足し、その間に上空をミサイルが飛んでった。木戸銭千円の単発公開ビジネススクールを聞きに行き、台風で西鉄電車が止まる前に久留米に行き、復旧してから福岡に帰ったのは昨日のこと。

 あさって人類が滅亡したとしても、なんの不思議もない。悪い未来に私は住んでるのか。場合によっては核弾頭をつけて飛ばすこともあるのかミサイル。この私に、死ねと? というわけで

◆「死ね」にまつわるエトセトラ。

『夕凪の街 桜の国』(こうの史代、双葉社)で、被爆者である主人公は、原爆投下について「わかっているのは、死ねばいい、と誰かに思われたこと」と語ります。将軍様はわたくしたちに、言う事聞かなきゃ死ねと思っていろいろ実行に移しているってことなのでしょうか。

 まあ「死ね」などと人様に向かって言えば、アホと思われるに違いないわけです。そんな言葉を録音されてしまったとしたら致命的ですが、録音機つきカメラつきその他希望によっていろいろつけられる端末としての電話機がすっかり普及してしまった未来の国に私たちは住んでるわけですから、インスタ映えよりもむしろ日常の言葉遣いが大事となってまいります。

 「死ね」に近いことばに「万死に値する」という言葉があります。「罪該万死」という中国のフレーズから来ているものです。ひらたく言えば「一回じゃ足りない、何度死んだっていいくらいだ」ということですが、なんとなくカッコいいです。

 女子中学生が「先公、勘違いしてウチらを怒鳴って、理由がわかったのに謝らなかった。まぢむかつく、死ね」というとアホっぽいですが「先生の昨日の感情に走ることが過ぎた勘違いと、真相がわかったにもかかわらず謝罪がなかったのは、残念きわまることです。教育者として万死に値すると思います」というと、ほぼ同じ事を言っているのに、説得力がありますね。ボキャブラリーって大事。

 ただ、難しい言葉を使っているから説得力があるというのではありません。「死ね」と言うと全人格、全存在の否定となります。何人もある人の全人格、全存在を否定する権限などあるわけがないのですから、そういったことばを連発すると、自分のことをアホだと喧伝しているようなものです。「万死に値する」は、その人全人格全存在ではなく、その人の立場と、行動、行為について使うものです。たとえば「議員としてあの言動は万死に値する」みたいな使い方をするから、説得力があるのです。「◯◯した私の罪は万死に値する」と、自分のことについて使うこともできます。「死ぬほど反省してます」の言い換えですが、これを言って「じゃあ死んだら」と言う人は(たぶん)いないでしょう。でも「万死に値する」も頻繁に使っていたらやはりアホっぽくなると思います。

 「言われんでも、人は必ずいつか死ぬわ」と返すのは、和泉愛生子(『愛生子』里中満智子、講談社)。このフレーズは、小中高生の皆さん、理不尽に「死ね」と言われたときに役に立ちますから覚えておきましょう。テストには出ません。

 

コメント (1)
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