発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

桃太郎にまつわるエトセトラ

2017年02月27日 | 日記
  波の発生源と観測者との間の相対的な速度の存在によって、波の周波数が異なって観測される現象は、ドップラー効果と呼ばれるが、この発見は、川で洗濯をする媼(観測者)が、川上から川下へと流れる桃(発生源)の音の高さが途中で違って聞こえることに気がついたのが始まりである。桃がドンブラコという音を発しながら流れていたため、ドンブラコ効果が転じてドップラー効果と呼ばれるようになったのである。嘘だけど。
 
 なぜ私の目の前で救急車や消防車やパトカーのサイレンは音の高さを変えるのか、その理屈を知るまでは本当に不思議だったなあ。
 
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脳トレと清水さんと誕生日と

2017年02月24日 | 日記

◆清水富美加にまつわるエトセトラ

 手軽にできる脳トレとして、ドラッグストアに行ったとき、たくさん貼ってある宣伝用ポスターなりPOP広告なりについている、その製品のイメージキャラクターの名前を思い出して行く、というのがある。洗剤なりリップクリームなり頭痛薬なりを探しながら目についた顔の名前を思い出す。原田美枝子と宮本信子、長谷川潤、水原希子、井川遥、菅野美穂、石原さとみ、北川景子、上戸彩、ローラ、吉瀬美智子、中井貴一、北大路欣哉、大竹しのぶ、二宮和也、香取慎吾、北村一輝、筧利夫、松田翔太、松本潤………と、俳優なり歌手なりタレントなりモデルなりの名前を思いつくまま思い出していく。問題なのは、名前を知っているはずなのに思い出せないことであり、はなっから名前と顔が一致しない人については「知らない」で気にせず終了である。私が顔と名前が一致すると言っているのはよほど有名で売れてる人なんだと思う。それでも思い出せないことがあるから、脳トレが必要なのだ。

  ニベアリップの女性は「知らない」枠だった。だから今回の騒ぎになってはじめて、ああ、あの子は清水富美加っていうんだ、と知ったが、そのときにはすでにドラッグストアから彼女のボードは撤去されてた。調べてみると、去年みた映画「龍三と七人の子分たち」http://blog.goo.ne.jp/thinkingfishing/e/04b2119a7eaaed58e05d46f139d73670 の、中尾彬演じる元ヤクザ今寸借詐欺老人を支える健気な孫娘役が彼女だったと。カワイイなとは思っても、あとから見たニベアリップと同一人というところまで私の脳の認知機能は働かなかった。まあ、時間も開いてることだし。

 職業選択の自由はあるが、どうしてやりかけの仕事をほって出家転職するんだろうなあ。静かに全部片付けて出家できないんだろうか。名前を記憶するにはじつに効果的だったと思うが、彼女自身と転職先のパブリックイメージへの効果は疑問である。

◆誕生日はめでたいのだ

 以前資生堂のお蔵入りしたテレビコマーシャルについて書いた。あれはテレビコマーシャルだから目的は「だーかーら化粧品買ってね」ってことなのだ。だがしかし、なぜ25の誕生日に「めでたくなぁい」なんて言うのか。めでたいじゃないか。まだ25、先は長い。それに「もうあんたは女の子じゃない」と、なぜそんなにネガティヴな語感をもって言われないといけないのか? もう女の子じゃない問題については、またの機会に。

 お誕生会というのは、多くの場合は子どものためのもので、なぜお誕生会かというと、これまでの成長を祝い、これからの成長を願うためのものだ。25にせよ45にせよ60にせよ80にせよ、成長して進歩している自分を自覚してたら、よし、これからも成長だっ、と、祝いたくはならないのか。たとえ誰も祝ってくれなかったとしても、ひとりで密かにゼータクする価値がある日なのだ。容色の衰えを嘆くのは、暇な平安貴族にでも任せておけばいいのだ。あ、小野小町さんは美女だったわけで、私にはそんなのもともと関係ない世界、ああ、それもそうですね。

 

 

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久留米市美術館など

2017年02月10日 | 物見遊山

◆吉田博展

 近くに用事があったので、空き時間に行ってみたのだ。石橋文化センターは、その名のとおり、ブリヂストン石橋正二郎氏がつくって久留米市に寄贈したものである。昨年石橋財団が撤退し完全に久留米市の運営となり、青木繁の「海の幸」など美術館の有名な収蔵品の多くは東京のブリヂストン美術館の所蔵となり、美術館の名称も「石橋美術館」が「久留米市美術館」となった。

 今年初の特別展である。観覧者多し。水彩、油彩、木版などの風景画がほとんどだが、印象に残ったのは戦争画の「空中戦闘」昭和16年。大迫力である。当時すでに高齢だった画家は、それでも戦闘機に乗ったのだろうか。これは乗らなきゃ描けないな。2枚あるのだが、1枚で、「スカイ・クロラ」(原作森博嗣、監督押井守のアニメ映画、川井憲次の音楽と空の描写が秀逸)の何千コマに値する表現なのではないかと思った。

 文化センター内には、美しい庭園や花壇、図書館やホール、売店やレストランもある。梅が枝餅も売ってる。全体的に統一感がある。

 

◆650

 シーベルト毎時。100パーセント致死量の100倍の線量ということである。それが福島第一の2号機の地下で、しかも圧力容器の真下に入る途中なのである。メルトダウンとは、つまりそういうことなのだ。ひとの生存どころかロボットが耐えられない線量。現場に入った汚染されたロボットはどうなるのだろう(その場に放置するのでなければ、これもまたどこかに閉じ込めておくしかないのか)。連日の報道は表現を抑えてあるが絶望的な汚染だということが素人にもわかる。廃炉の見通しが立たないということは、予算の見通しも立たないということだが、廃炉できなければどうなるのか。別のところでメルトダウンなど起きたらどうなるのか考えるのもいやになるが、考えないわけにはいくまい。原発事業を継続したとしての人類の勝率はどのくらいなのか。撤退できるのに誰かの利益のために撤退しないのか。あともどりするにはすでに手遅れな案件なのか。自分にわかるのは廃炉はメルトダウンするより前に行わないととんでもないことになる、ということぐらいだ。

◆いとしの卵かけごはん

 博多駅のマイング名店街に「うちのたまご」というお店がある。「うちの」というのは今は合併して飯塚市になっている旧筑穂町の「内野」のことである。内野は長崎街道の宿場町で、旧い町並みがよく残っている。筑前内野という駅があり、筑豊本線(の一部、桂川〜原田間、通称原田線)という電化されていない路線が通る。近くの山にJR九州のゴルフ場と養鶏場がある。内野のたまご=「うちのたまご」ということなのだ。原田線は、運行が少ない。日中4時間くらい、まったく空っぽになってしまう時間があり、そんな時間には、過密の鹿児島本線を避けてということだと思うがJR九州の列車の甲種輸送(鉄路を使用して列車を運搬すること)だか回送だかに使用されていて、たまに「ををっ!!」と思うような列車に出会える。旅客輸送に使われるのはキハ31気動車。昔、福岡県内の長崎街道を取材して歩いていた頃は、キハ125(今は久大本線や、日田彦山線、唐津線などで走ってるのをよく見る)が使われていた。彼岸花の咲く中を黄色いキハ125が走る姿は可憐であった。

 その「うちのたまご」店では、生卵と、ケーキ、プリンなどの卵菓子類を販売しているのだが、席があり、卵かけご飯を食べることができる。たまご2個、ご飯2杯までとお味噌汁で520円ということで、通るたびにほぼ満席である。1個60円以上する上等の卵の卵かけご飯である。とはいえ駅から30分で帰宅でき、帰ればご飯も炊けている身としては、寄り道して卵かけご飯を食べて帰ろうとは思わない。

 以前、エッグベネディクトのためのポーチドエッグは「うちのたまご」を使うと簡単だと書いたことがある。卵かけご飯が苦手な向きにも、ポーチドエッグをのせたご飯なら、すごくおいしく食べられるのではないかと思う。たぶん卵かけご飯が苦手な人は、白身、特に溶き卵にしたときにいくら混ぜても、ドロっと残ってしまうカラザがいやなのだと思う。気にせず食べる人は食べる。はずす人もいるが。ポーチドエッグにすると、白身はほぼ固まって、カラザの所在などわからなくなる。で、黄身は魅惑のほぼ生状態なのである。卵かけご飯の白身カラザ問題は、鍋に沸かした湯に生卵を落とす、というひと手間をかけることで、簡単に解決するのだ。

 私は、かつおぶしの削り節パック1つにお醤油をよく混ぜたものを熱々のご飯に載せて、その上にポーチドエッグ(卵はなんでもいいけどできるだけ新しいものを使ってね)を載せた、猫玉丼とでも呼ぶべき、卵かけご飯の変形が好きである。まあ試してみてね。独り飯の卵かけご飯が至福の味わひになりますのよ(?)

 

 

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1月後半のあれこれ

2017年02月04日 | 旅行

 そうこうしているうちに2月になってしまった。

◆佐伯市ですよ

 1月後半には佐伯に行った。佐伯は大分県の海沿いの南端、宮崎県との県境のまちである。日豊本線の大分市よりも東へは、なかなか行く機会がない。大分の先は、列車の本数が少ない。醤油のまち臼杵(大きなところではフンドーキンや富士甚がある)を過ぎるともっと少なくなり、さらに先、佐伯から宮崎県延岡の間は、特急が1日13往復走るが、普通電車は1日3往復になってしまうのである。佐伯も延岡もけっこう街なのだけど。

 例によって行くところは歴史資料館である。まだ新しい立派な建物である。受付で入場料を払う。平日であったものだから貸し切り状態!!というのもよくある状況である。ゆーっくり観覧。佐伯氏、江戸時代は毛利氏(毛利輝元に名前をもらったとのこと)。明治はじめには西南戦争の激戦地になっていたということ。

 館ロビーには進水式のご案内ポスター。造船の町で、誰でも見に行けるらしい。

 

▲すぐ近くには藩校跡。門が残り、今は小学校となっている。

 

▲そして城跡。入口は市民ホール。

 その後背にある城山にのぼる。なかなか頂上につかない、と思ったら標高140メートルを超す立派な山で、プチ登山となってしまった。あまりヘビーデューティーなデザインともいえないが、ウレタンソールのウォーキングシューズだったのでなんとかなった。ダサ靴と侮ることはできない。

▲やっと見えてきたお城の跡。あとちょっとだ。

▲頂上からの眺望。見晴らしがいい。冷たい風が心地いい。冬はいくらでも歩けるので好きだ。

 こういった写真は夏場には無理なんですよ。木の葉や草花が茂るから。

 地上に降りて、城下町を歩く。立派な門構えの家々が続く。旧武家屋敷で今は一般のお宅なのである。あとは市内をぐるぐると。国木田独歩旧宅だとか。

 

 と、標高差140メートル(海抜2メートルから登ったからそれくらい)距離にして10キロは歩いたが、全く平気だった。今度行くときは、海沿いを歩きたいと思うが、いつになるだろうなあ。

 

 

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