発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

ツルフェウスの窓

2020年10月31日 | 漫画など
◆オルフェウスの窓
 このままでは、本に埋もれてしまう。地震でも来たらおしまいである。というなか、新しくコミック本など買いにくいので、マンガは、ネット漫画の古典を少しだけ読んでいる。
 「オルフェウスの窓」by池田理代子が、お話てんこ盛りが過ぎる。いや当然いい意味でなんですが。
(確執、復讐譚、出生の秘密、隠し財宝)✖(歴史、一次大戦~ロシア革命そして友情努力勝利の学園ドラマ)✖(恋、多くは道ならぬ恋、長年引きずった恋、横恋慕、主要三人物にあれこれ派生する多角関係、情熱家が多いので話が複雑になる)✖(音楽、ドイツ、オーストリア、ロシアなど、ヨーロッパの主に寒そうなとこ、そして華麗な画風)✖(男装の麗人と毒母と腹違い意地悪姉とツンデレ姉そして寝たきり父、健気な天才ただしDV気味、胸の病つき薄幸の少女、スネ夫とママ、不良先輩は世を忍ぶ革命家、美人すぎる革命家、いい人すぎる貴族令嬢、怪しすぎる教師と校長、恐喝医者など豪華キャスト)、全体を包む豪華絢爛な鬱展開。たまりませんわ。脇役の一人ひとりの人生まで思いをめぐらせる書き込みぶりこそ池田理代子様。しかも40年以上前の作品。
 たくさんの登場人物が波瀾万丈の末(多くは変死により)消えて、主要三人物の唯一の生き残りに、別の主要人物(直前のページで「人は傷つくようにできている」と語る男)が言うのだ。
「おい、すばらしい少年時代だったな!」(←その後この御仁は家族がいなくなって気落ちしているツンデレ姉さんにプロポーズに行く)
 主要人物生き残りは「ああ!」とほほ笑んで返答。
 これでもかこれでもかという悲惨ドロドロも、過ぎてしまえばこれもまた人生の味わいってもんさ、生きていくのさ僕たちは、というご教訓を感想にできれば良いのですが、別の有名な近衛連隊長の男装麗人と比べて重すぎるものをしょい込む本編の男装の麗人に感情移入しすぎると鬱になるとの評も多いお話でございます。

 雑誌は家にもあったけど、掲載リアルタイムでは、「オルフェウスの窓」はあまり読んでなかった。そのころは、どちらかといえば、ツルフェウスの窓だったと思う。子供時代に読むものが人格形成に影響する一例と解釈していただいても差し支えない。
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日向の国ですよ

2020年10月29日 | 物見遊山
◆日向ですよ
 人生四度目の宮崎県は日向市。
 大分県佐伯以南は、佐土原まで未踏のわたくしである。東九州道を降りて入った国道10号線の未踏区間はウキウキする。
 北九州門司から三萩野まで同じ道が3号は福岡市と熊本市を通り八代海沿岸を、10号は門司から別府大分佐伯を通って日向灘沿いを走る。鹿児島の照国神社前で再び出会う。
 市の体育センターのようなところがあり、ナイター照明つきベースボールグラウンドが三面連続している。
 日向からだいぶ南の日南市飫肥(おび)の公立中学校にベースボール専用グラウンドがありしかも網で囲まれたブルペンがあったのに驚いた記憶がある。サッカー場や陸上トラックも別個にあり、同時使用可能。グラウンド利用日時の調整をしなくていい。
 ようするにスポーツの盛んな土地柄なんだな、たぶん。
 宮崎に来たからにはチキン南蛮である。と思ったが、近くに店がない。では他の物を、とキョロキョロすると、日向は蛤が名産で、貝殻で白碁石を作るのだそうだが、蛤ご飯、蛤リゾット(これ絶対おいしいと思う)の看板に、やったー!と思ったのもつかの間、近くに行くと、市営だか県営だかのその施設は、コロナで春から閉鎖していた。
 観光時間なし。だが海を見る。日向灘、つまり太平洋である。太平洋は三年前の高知桂浜以来。
 遠浅の美しい海岸の向こうには水平線のみ。島影なし。蛤は身のあるものはもちろん貝殻も持って帰ってはだめとの看板。アカウミガメの産卵地とのこと。カメさんが、よっこらしょとやってきて、産卵するのをテレビで見たことがある。それがここ! 砂はきれいだが鉄分多そうなグレイで、肉厚の貝殻がとれるということはカルシウムも多めなんだろうか。漂着物も見当たらない。地元の人が丁寧に整備しているのかもしれない。
 遠くに行く話があれば、都合がつけば行くようにしている。たいして遊べなくても、この機会がなければ一生行かなかったかもしれないところには行っておきたいのだ。
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再び『FACTFULNESS』と新型コロナにまつわるエトセトラとゴー宣道場

2020年10月19日 | 日記
◆「不謹慎だが順当にいくと」
 私にとっては、新型コロナは気をつけたい感染症だが、それ以上のものではない。他の病気と並列している。
 割り算をしてみよう。「不謹慎だが順当にいくと」という文言はこのさい省略する。
 日本人の年間死者は約138万人。365で割ると、毎日日本では3770~3780人亡くなる。新型コロナで今日は〇人亡くなったと報道されている。今日までに亡くなった人の累計は1676人で、どの日数で割ればいいのか3月半ばまではあまり感染した人もいなかったみたいだし半年約180日で割ってみると1日に亡くなる人は10人未満平均。亡くなる人の1%にも満たない死因である。しかも、既往症や年齢について考慮されていない多めの数字での死者数である。
 福岡県民で感染したことのある人はいまのところ5000人、ということは、1000人にひとりだ。知り合いが誰も罹っていない、という人も多かろう。
 怖い病気なのかもしれないが、もっと気をつけなければならない病気はほかにあるんじゃないのか。新型コロナのせいで他の病気の発見が遅れたり手厚い治療ができなかったりするほうが怖い。
 2019年の日本の自死者は20,000人を少し割った数だ。1日約54人。今年はどうなるのか。

◆バナナを洗って食べてますか?
 みんなが頑張って、マスクしたり、自粛したりしたからこの程度で済んでいるのかもしれない。確かにお店の中で、ほとんどの人がマスクをしている。でも、新型コロナは飛沫よりむしろ接触感染といわれているが、例えばスーパーマーケットで野菜や果物を品定めするのに、ほとんどの人が、今だって、さわり放題である。
 ブドウは大概の人が洗って食べる。リンゴや柿を剥く前に洗う人は何割だろう。アボカドやキウイを洗って剥く人はどのくらいか。ミカンやバナナの外側を洗ってから食べる人は殆どいないのではないか?
 店を出るときにアルコールポンプを省略している人は、アボカドキウイミカンバナナは洗わないのではないか。
 洗えと言っているのではなく、その程度でこんなに感染者が少ないのだ。
 一人感染者が出ただけで全校休校になったり事業所を閉鎖したりするほどのものだろうか? リスク計算は正しくなされているのか?
 そう考えたとき、ほんとうに『FACTFULNESS』はベストセラーになったのだろうか?と思う。データが正しく読まれていない。そう思うのだ。

◆ゴー宣道場「『コロナ論』が炙りだしたもの」
 で、小林よしのり氏が主宰する「ゴー宣道場」が、新型コロナと日本人をテーマに福岡で開催されるということで行ってみた。最新の著書『コロナ論』では、新型コロナの指定伝染病を外してコロナの例外扱いをやめ、経済を回せと主張する。
 以前行ったときは立錐の余地のないくらいの立ち席ライブコンサートが開かれていたホールである。通常ならば椅子席で400入る会場に、200の椅子。
 漫画家にして、現代を代表する論客の小林氏である。どんなところなのか、熱烈な読者以外は居心地のわるい場所だといやだな、と、3%くらいの不安もあったが、杞憂。小林氏、そして基調講演に九大の施光恒教授、そのあとパネリスト、それから聴衆との質疑応答と、普通のシンポジウムである。パワーポイントのプリントアウト資料は、時々行ってた地元FM局の単発ビジネススクールのノリである。やー、楽しかったなあ。今年はあれこれごっそり中止で久々のイベントだったから。

 と、思い出に浸ってる場合ではない。
 
 データを冷静に読めばコロナは終わるのではないか。指定伝染病から外さないといつまでも続くのではないか。新型コロナに関しては、夏の前にメンタルをやられない決意をした。決めることは役に立った。あと自分に何ができるのか。ワクチンや特効薬を待ってはいられない。
 

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