発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

彼氏いるのに明日合コン?

2011年09月30日 | 日記
◆彼氏いるのに明日合コン! 許す?
 変なテレビコマーシャルだ。部屋に作られた奇妙な祭壇には缶入り酒が。
 てか、なにゆえ缶入り酒などに許しを乞うのか? 自分でお決めなさいっての。


◆なぜ飲酒運転するのか
 いわゆる「ちゃんとした」あるいは「安定した」職についた人が、酒に酔って運転して逮捕されたとか事故を起こしたとか、何か明確な動機の見当たらない不可解な犯罪を犯してニュースになる。刑事事件となって警察沙汰ともなれば、結果彼らは職場を辞める、というよりは、すべてを失い、職場を追われることになることは想像にかたくないが。
 ばかなことを、と思うと同時に、彼らは、職場を辞めたいか、死にたかったのではないだろうかと思うのだ。
 世の中には、嫌な職場、というのは山ほどあって、極端な低賃金とか過労死寸前の苛酷な労働とかいうわかりやすいことであれば、辞めると言っても周囲は納得するだろうが、そうではないが死ぬほど嫌な職場というのも存在する。パワハラ上司、足を引っ張る同僚、嫌みな部下など人間関係に恵まれない場合とか、仕事の内容自体不向きで、不適応を起こしている場合、などを想像する。
 あるいは尊敬できない年長の先輩方を見るにつけ、自分の何十年先までが見通せるようで、それが若い人を暗澹たる気分にさせるようなことがあるのかも知れない。
 この仕事、嫌だ。という気持ちにきちんと向かい合えば、辞めるのか辞めないのか、辞めるために動きを起こすのか、ともかく今週はこの仕事を続けるのだから、機嫌良く過ごそうじゃないか、という決意をすることもできる。
 好きで大事な仕事があれば、少なくとも、職場を追われる、というかたちでは辞めたくないという自覚があれば、飲酒運転などするわけがないのだ。
 不幸な人が飲酒運転して、さらに不幸になり、事故を起こした被害者とその周りの人々まで不幸にする不幸の連鎖構造である。
 飲酒運転撲滅を願うならば、職場の環境とか産業精神衛生の段階からみていかなければならないと思う。
 
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SONG CYCLE ライブ超豪華三連発

2011年09月29日 | 物見遊山
 夕刻、天神郵便局に、預かってもらっていた郵便物を受け取りに行ってから、サンパレス福岡に。
 席が決まってから開演まで一時間以上あったので、ベイサイドプレイスへ歩く。国際ターミナルやマリンメッセに夕日が反射してとてもきれい。
 いっとき閉鎖していたスーパーが開店していた。人は少ない。魚がおいしそうだったけど、コンサート会場に持ち込むわけにはいかないので、買わなかった。こんどこのあたりに車で来るときは、保冷袋を持って来よう。

 というわけで、福岡サンパレス ミュージックシティ天神SONG CYCLE ライブ超豪華三連発。

 土岐麻子(しゅぺ~りえるな、しゅぺ~りえるな、の化粧品CMソングの人)、キーボードとバーカッションの2人をバックに歌ってたけど、パーカッションに注目していた。ドラム叩くだけじゃなくて、効果音として、ガラガラや、いろんな道具を使っていたが、音だけじゃない。シャボン玉を出したりしてた。ああ、この手があったかと。
 大貫妙子は、ドット柄の半袖パフスリーブのロングドレスで登場。うん、稀代の歌唱家である。一気に観客を巻き込み、脳内に花が降ってくる。
 ともかく、超オシャレサウンドな女性ボーカリストの前半。

 休憩はさんで、鈴木慶一と高橋幸宏の伝説のユニット、ビートニクス。このたび活動再開。ビックリハウスにビートニクスが出てたのは、軽く30年前じゃなかったかな、それにしても鈴木慶一もおじさんになったもんだな、と、パンフレット見ながら思う。私も当然のことながら古くなってるわけだけど。
 と。いきなり音響全開である。
 ライブでいつも思うのは、なぜ歌詞が聞き取れないほどPAの音量を上げないといけないのかということである。まあ、そのうち耳が慣れてきましたが。
高橋幸宏の歌声が聞こえれば、いきなり気分は80年代だ。
 (たぶん)60年代と思われるメロディーも聞こえた。
 時代もジャンルも不明なのでニューウエーヴということばで括られているようだけど、純文学的であると、大音響の中、感慨にふけるというのもおかしな話であるが。

 で、何だかシアワセな気分で帰宅。
 80年代ポップカルチャーに軽めに染まったイナカガールって、書いてみたけど、結構シアワセそうじゃない? 当時の気分になったからかなあ。
 
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アジアフォーカス福岡国際映画祭「僕はジダン」

2011年09月25日 | 映画
◆アジアフォーカス福岡国際映画祭。
 最終日。チケットがあったので、博多駅のTジョイ博多に行く。
 見たのはインド映画「僕はジダン」。
 日本初公開とのこと。
 町はボンベイ。主人公の小学生と、ヲタ風味の大学生の兄、母は弟が生まれた時に死んだので不在。父は怪しげな宗教家で信者が多い。裕福だが、兄弟たちはほっておかれ気味。
 彼らが朝出かけていくのは、幼なじみの姉妹の家。兄は姉に心を寄せてる。妹は弟に冷たい。姉妹の母親は、弟が仮病を使っても、優しく自分の家で看病してくれる。父親は、新聞社経営。兄弟の父親を紙面で糾弾している。
 とまあ、そんなところから、どうやってどうにかハッピーエンドに持っていくのかというお話。コメディだが、笑う人少なし。まあインドとは笑いのツボが少々異なるのかも知れない。お客さんも、いかにも真面目そうな人が多かったし。
 行きたいね、インド。

◆ごあいさつのおまわりさん
 で、階下に降りると夕刻となっていて、駅の博多口では警察官が大きな声で出入りする人たちに声をかけている。「こんばんは」「お帰りなさい」と。握手を求める小学生。道を聞く親子。
 博多新名物である。
 実際、声かけの効果で、出動件数は減っているのだそうである。そりゃそうだ。いつもおまわりさんはいるのだろうが、さっきあそこにみんなに声をかけてるおまわりさんがいた。そんななか、犯罪ができようか。
 おまわりさんが明るく元気にあいさつする声が聞こえるのに、通り魔ができるかな、キャッチセールスができるかな、置き引きができるかな、スリができるかな、ネコババができるかな、ぶつかった他人に因縁をつけることができるかな。
 おまわりさんにあいさつされることで、無視された存在ではないと気づく人もいるだろう。自分のなかの善意と正義を呼び覚まされる人もいるかも知れない。困っている人を助けようという気持ちになるかも知れない。
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おとなの文集は、かなりオモシロい。

2011年09月22日 | 本について
 近日発売。
『ぼくらの想い』プリンティングなう。

 
 小学校のとき、文集を作った。自分のページに、絵を描いたり作文を書いたり、写真を貼ったりして、それを先生が印刷して表紙をつけてホチキスでとじてくれた。結構、宝物にしてる人は多いんじゃないかと。

 彼らは本を出そうと思った。今の気持ちを残しておきたい。人に伝えたい。手に重みのある印刷媒体でつくりたいと思った。
 オトナだから、ちゃんとした印刷と製本で作ろうと思った。できれば本屋さんの棚に並べたいと思った。
 ひとりが1冊を作ろうとすると、お金もかかるし、書くのも大変だ。1ページ単位1万円からなら、なんとかなる。
 で、出版社に電話してみた。
 
 半年ちょっと経って、いよいよ本ができあがる。

 彼らは、自分の宝物にするだろう。
 家族や大事な人にプレゼントするに違いない。
 知り合いが書いていると知れば、まずそのページを見るだろう。

 で、赤の他人の私としてはどうなのか。

 世界にひとつだけの花、ではないが
 リアルに重量を持って輝くオンリーワンについて思うのである。
 この数十人のなかには、世間的に、すごいことしてる人もいるし、そうではない、
 いわゆるフツーの人もいる。
 
 ただ、みんなそれぞれ違う体験と歴史を現実を持ち
 その輝きに圧倒されるのである。
 町ですれ違う人の一人ひとりがそれぞれの想いを抱えてる。

 それにしても、いい人ばっかりだなあ。みんないい人だ。
 好きだなあ。
 世の中の人たちって、みんな、こんないい人たちなんだろうけど
 これだけの人たちが、その人のまんまのいい人っぶりを
 さらしてるってのがすごいと思う。

 それに、まじめだなあ。みんな。
 
 「近頃の若いモン」とか言って一括りにするのは
 とても乱暴なことだと気づく人もいるかもしれない。
 まだまだ日本の若者は捨てたもんじゃない、と
 思う人もいるかもしれない。

 ともかくこの本を手に取ってみてほしい。
 そして、ページの向こう側にあるその人の世界に心をはせてみるのだ。

 発売されたら、また、ご案内します。


 
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校了

2011年09月21日 | 日記
 校了。
 ガーべラを買って帰る。
 
◆セロリのスープはおいしいけど、味噌汁の実にすると、驚きのおいしさ。

◆こんな「しましまとらのしまじろう」は嫌だ!!
絵本『あらしのよるに』を読み、しまじろうとの交際をやめるかどうか、真剣に考え中の、うさぎのみみりん。

◆近所のスーパーが、月末に撤退する。不採算店舗の整理だと思う。
 系列店舗が自転車圏内に複数あるようだから雇われてる人がどうなるかはあまり心配してない。
 徒歩圏の競合店との差別化をはかり、高級路線を狙って改装したけど、高級志向のお客さんはあまり来なかったようで、しばらくして元に戻った。
 高級路線のとき、BGMに弦楽四重奏とかがかかってたけど、あれは、もっといいスピーカーをつかわなくっちゃ。というか、弦楽四重奏を聞きながらレタスを選ぶというのはどうなのか。
 
 
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いろいろ。

2011年09月17日 | 日記
いろいろ思うこと
◆この人は、昔のさだまさしの枠に入りたいのだろうか、と、福山雅治の新曲を聞いて思う。
◆AKB48の姉妹グループ、那覇で活躍する、OKB48のデビュー曲。
「Everyday、カチャーシー」(嘘)
◆↑でも、ジャカルタにJKT48を結成するぐらいだから、あり得るかもね。
◆とられるような揚げ足を上げない注意深さが、なぜないのだ、大臣にもなって。
◆政治団体に「維新」の二文字を入れると、どのような錚々たるメンバーであっても、あまり考え深くない響きがするのはどういうわけか。瓦解した「平成維新の会」しかり(以下略)。
◆不思議に思うのは、脂肪分ゼロを売り物にするグミキャンデー。
 グミキャンデーって、砂糖とゼラチンと、あとは果汁なり香料なり酸味料なりでつくるものだと認識している。もともとたいして脂肪分が含まれているものではないはず、だと思うんだけど。
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モテキ 試写会

2011年09月16日 | 映画
◆モテキ 試写会。明治安田生命ホール。

ドラマ版の1年後という設定らしいが、コミックもテレビドラマも見ていない。
 主人公の草食系にしてヲタ系の冴えない男子藤本幸世(守山未來)31歳は、モテキ(女性にモテる時期)が来たと舞い上がっているが、大してモテてはいないと私は思う。
 4人の美女というが、恋愛相手といえるのは2人で、そのうちの1人は、半同棲の彼氏がすでにいるし、もう1人は、すぐ恋しちゃうタイプの女性っぽい。残りには大して好かれてない。こんなんで、モテキ、なんですかぁ?
 一番好きな、みゆきちゃん(長澤まさみ)の半同棲の恋人というのは、敏腕イベントプロデューサーだと知り落ち込む幸世。ところが彼が妻ある男だと知って、なぜ独身フリーの自分ではだめなのか聞けば、
「幸世くんじゃ、私、成長できない」
 あー、このことば、わかんないじゃないけど、なぜそんなに早く、彼では自分は成長できないとわかるのかな。まだ若い女性なのに「すでに、ある程度のものを築いている人」しか相手にできないのであれば、恋愛相手は、すでに別の女性に売れている男性、つまり不倫になってしまうのも致し方あるまい。

 で、どうなるかは本編をご覧くださいませ。
 思いっきりイタくて笑える映画でございました。
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震災半年

2011年09月12日 | 日記
 終日、資料集め。
 絶版本をネットで探し、発注する。

 石巻には、一度だけ行ったことがある。
 友人の結婚式で仙台に行き、ひとりでもう一泊して、仙台市博物館に行った。それから仙石線に乗り、石巻の海辺に、再現されたばかりの南蛮船サン・ファン・バウティスタ号を見学に行ったのだ。支倉常長の乗った慶長使節船である。その場所にできた石巻の博物館は、津波で休業、まだ再開していないそうだ。

 震災から半年経ってみれば、生活自体は、それ以前とほとんど変わらない@福岡。まあ、もともと簡素にして質素な生活ぶりである。
 変わったことは、以前よりもさらに節電節水節ガスに気をつけていることと、お米の値段が地味に高くなったこと。それくらいで。
3月、地震、津波から原発爆発の映像を見てて、地球が滅亡するかもしれないと本気で思ったのだけど、そんなことで死ぬのはいやだと、つまり自分は死にたくないのだとはっきり知ったのは収穫だった。

 原子力発電については、
「……無理」
 という言葉がジャストフィットだという結論に達した。今後人為ミスや想定外の天災が起きない保証は何もないのだが、仮にどう安全に運用されたとて、年間500トン出る高レベル放射性廃棄物の処理方法が決まっていないのだ。
 原子力発電所を現状維持して年間500トン。誰がどこで引き受けてくれるというのだ。この事実は、事故が起きても起きなくても変わっていない。
 それでも大丈夫、地球温暖化を防ぐ原発をすすめよう、といってるから何かまだ大丈夫な根拠があるのかなあ、と思っていたら、全然大丈夫じゃなかったということがわかってしまったのだ。
 少しずつやめていくしかあるまい。続けたい人は誰か私を説得して下さい。
 そのせいで、企業の生産性が落ちるとしても、それが本来の姿なのだ。
 まだ燃料が日本に入ってくるうちに、発電衛星なり地熱発電なり超伝導なりの技術が進展すれば、と切望している。
 原子力はちっともコストが安くないことがバレバレになってしまったのだから、それぞれの新技術の最大の課題だったコスト的ハードルはうんと低くなってるはずだし。
 ただ、いまだに原発は収束などしていない。作業は続いている。チェルノブイリのリクヴィダートルたちのことで心を痛めていたが、それがそのまま日本のこととなってしまったのだ。現在進行形で。そのおかげでここで平穏な生活を送れているに過ぎないのだ。

 それでもまだ、最悪ではない。
 もっと「悪い」最悪がある。

 ○○について賠償を。
 そんなニュースを見るにつけ、そんなもので償いになるのか、という気持ちと、ところで財源はどこから持ってくるのよ、という気持ちが同時に発生する。
 税金も電気代も物価も上がるだろう。つまり、東電と国家のために余分に働かないといけなくなって、それで全国民は相対的にビンボーに甘んじることになるのである。食べて行ける限り、文句をいうつもりはないけど、甘い汁を吸ってた人たちは、それを放出しないと、承知しないよ。
 
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1.4×365=511

2011年09月02日 | 日記
◆23歳若夫婦&友人の砂浜落とし穴事故は、小学生かせいぜい中学生の起こした事故みたいだなあ。ただ、ニュースで見聞きする限り、謎に包まれている。
 2.4×2.4×2.5mの砂って、単純にかけ算すると体積にして14.4立方メートルの砂を人力で掘り出したわけで、これはもう土木の範疇だ。掘るのはもちろん、原状回復も相当な手間だ。
 まあ、遺族も警察も納得していないだろうから、いろいろ調べるのだろうけど。

◆表題の1.4とは、一日に日本全国の原発でできる高レベル放射性廃棄物の量のことで、単位はトンである。電力会社の資料パンフレットにちゃんと載っている。年間511トン。もしも今後しばらく大きな地震も津波もなく、人為ミスも一切起きず、どんなに安全に原発が運用されようとも、これだけの捨て場のない危険ゴミが出る。どこに埋めるかも決まっていない。というわけで、「いい国つくろう、何度でも」には、「省エネしよう、いつまでも」が、ついてまわるのである。
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