発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

マリリン7日間の恋

2012年03月16日 | 映画
マリリン7日間の恋試写会。 イムズホール。

 イギリスはロンドン、映画の仕事がしたい青年コリン・クラークくんが、ローレンス・オリヴィエの事務所に日参し「サード」と呼ばれるアシスタント・ディレクターの職を得た。今の日本の俗語でいうところの「パシリ」である。
 おお、これが産業分類で著名なコリン・クラークの若かりし日か? と思ったら、そうではなく、同姓同名の実在の人物。
 まだ日本語ウィキペディアに載ってない(経済学者はコーリン・クラークで載ってる、英語の綴りは同じ)けど、そのうち載ると思う。
 コリンくん1957年当時23歳は、イギリス貴族の家に生まれた人で、お城みたいなお家、ではなく、たぶん本当のお城のお家が出て来る。
 英文ウィキペディアによると、お父さんは、美術史家、お兄さんは保守党政治家で戦史家。本人もイートン校(本編に出てくる。青少年の団体が日常昼間っからホワイトタイで黒のテイルコートを着てる!! 制服ってことは毎日着ているのだ。何のオーケストラの休憩時間かというようなシュールさだ)からオックスフォードのクライストチャーチカレッジ(階級社会UKの最上層セレブさんたちの行く学校らしい)に進み、そして1951年から1953年までは、空軍パイロットとして兵役についていた。このあたりは、ウィリアム王子を彷彿とさせる。自称「良家のできそこない息子」とのことだが、ご謙遜を。お父さんが言うには「いつでも美術館に就職口がある」羨ましいコネがある恵まれた環境だが、自分の好きなことを切り拓いて仕事にしようとしてた。
 で、映画ビジネスは、お城育ちが全く役に立たない世界だということもちゃんと知ってるから、コリンくんは、がんばって使い走りの雑用係をする。ハリウッドからの一行の宿舎を借りる手続きをうまくやってのけて、正式に採用される。つまり給料が出るようになる。
 マリリン・モンローを励ますことも、もともとその「パシリ」仕事に端を発するのだったけど。
 どんな恋かは本編をご覧下さいませ。
 映画が、社会に出ての最初の仕事だった。あと、ずっと映画やテレビの仕事をして2002年に亡くなった人である。

 はじめてマリリンについて読んだのは、月刊プレイボーイ日本版だったか、お手伝いさんの証言、みたいなものだったように思う。
 マリリン・モンローは3度目の結婚をし、輝ける人生の最後の6年に入ったところ。すでに名声を手に入れ、主役のオファーが次々に来る。ロンドンでの撮影のためにやってきた彼女。30歳のマリリンは輝くばかりに美しい。
 納得できない台詞は覚えることができない。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、必死で生きている。周囲の人は、彼女を励ますが、それは仕事を進行させるため。そんなことはわかりきってる。人々に囲まれながら、絶望的に孤独。欲しいのは無償の愛や友情。
 叶うはずもないコリンくんの恋心だけど、でも、羨ましいぞ。