発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

 恋に恋するお年頃?または乙女の暴走する妄想

2012年03月06日 | 映画
「僕等がいた(前篇)」試写会。明治安田生命ホール。

 なんといっても「最愛を信じた永遠の純愛ストーリー」ですよ。行こうじゃありませんか。セブンティーンに戻って胸キュンしようじゃありませんか。
 でも、生田斗真27歳の高校生は、はっきり言って無理があった。ダブりにダブった大先輩にしか見えない。
 吉高由里子23歳は、舌足らずな感じが高校生っぽいといえばそうなのだが。
 自分をめぐって、クラスで人気を二分する男前の男子が争う。80年代、河井奈保子の歌っていた「けんかをやめて」の世界である。こういうシチュエーションは、真のアイドル(偶像として愛される無傷の美少女という意味でのアイドル。同じ時代の松田聖子、中森明菜には絶対に歌えない歌だ)にだけ可能な世界である。この話の主人公高橋(吉高)に感情移入した時点で恋に恋する乙女の妄想爆走状態といえる。
 どう見ても竹内(←中の人=高岡蒼甫=宮崎あおいの元夫=はともかくとして)の方がうちの娘(そんなものはいないけど)と交際するに好ましいと思われるのに、元カレとドライブしてて事故死した年上彼女のことをイジイジ思っているダメダメな矢野(生田)の方がどうしても好きな高橋(吉高)なのであった。結構竹内に対しても思わせぶりだし。

 それにしても、だ。別々の学校ならともかく、相手男子も同じ学校同じ学年同じクラスなのに、クラスメイトが大勢いる教室で、誕生日デート予定についての詳細を友人女子に自慢したり、彼氏に買ってもらった3万5千円の指環を見せびらかしたりして大丈夫なのか? 黙っていられないのか? 友人女子に話すのなら、せめて教室ではないとこで話さないのか? 主人公高橋の口は存在の耐えられない軽さがある。デート内容がすぐ学校全体に筒抜けになりそう。

 元のマンガはどうだったんだろう。ターゲットが小学6年生なら納得だが、いまどきのリアル女子高校生は、こんな話に感情移入できるのだろうか? 恋に恋するお年頃というのかしら? 
 ともかく、まったく胸キュンしないで鑑賞するオバハンなのでありました。だからオバハンなのだと言われても仕方ないです。
 まだ、赤いシリーズ60年代版「コクリコ坂」の方がドキドキした。今回の話も実写よりもアニメにした方が良かったかも。

 ところでこの映画には、矢野の恋人(故人)の妹役で、本仮屋ユイカが出て来る。
 メガネでセーラー服を着た本仮屋ユイカといえば、「スウィングガールズ」の、トロンボーン奏者=天然ボケ関口なのだが、この映画では、ひたすら怖い。ほとんどギャグではないかと思えるくらい怖い。「リング」山村貞子を彷彿とさせるロングヘア。「ククク……本当は私はお笑い好きなんだよ」と、ちびまる子ちゃんの野口の台詞をいつ言い出すのか期待させたが、それはなく、ともかく怖くて暗い。あらゆる光を吸収し尽くす人間ブラックホールとでもたとえるべき暗さである。そんな本仮屋を見に行く、という楽しみ方もある。

 もうちょっと釧路の街を見せてほしかったな。

 永遠の愛については、
「続かないということは、お互いの思いの方向が違っているか、熱意不足かのどちらかである。逆からいえば、熱意もなく、思いの方向もちぐはぐなのに続けようとするのは滑稽であるばかりか、人生の浪費である。大概の男女が別れるときは別れるべくして別れるのである。」
 これ、小娘の頃から知っていても悪くはない言葉ではないか。