内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)

2012-10-23 | Weblog
各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)
 10月10日から開催されていた国際通貨基金(IMF)・世銀総会の一連会合は、最終日の13日に国際通貨金融委員会及び合同開発委員会のコミュニケをそれぞれ採択して閉幕した。いずれのコミュニケでも、世界経済の情勢認識において、多くの先進国経済で課題が残っている一方、新興市場経済においても成長が減速しているとして世界経済の脆弱性を指摘しつつ、財政・金融及び構造面での一層の努力が必要であり、成長を下支えする措置が取られているとの認識を示すに留まり、具体的には各国、各地域の努力に委ねた形となっている。特に雇用創出の必要性を強調しているが、これも各国の努力に委ねられている。
 通貨金融問題についても、米国の金融・証券危機に端を発する欧州債務危機が中国などの新興経済国に波及していることを反映し、世界経済が減速し、不確実性が高まったとの認識を示すにとどまっており、具体的な措置を示していない。為替レートについては、黒字国においては国内の成長の源泉、即ち内需の強化の必要性を指摘する一方、赤字国については、「輸出競争力を強化しつつ国内貯蓄を増加させ、適切な場合には為替レートの更なる柔軟性を促進する」との姿勢を明らかにしている。貿易黒字国と赤字国では為替レートへの対応が異なってくるが、急速な円高と2011年の東日本大震災の影響などが重なって貿易赤字に転じた日本などの貿易赤字国については、円安への柔軟な対応を行うことも容認されることになる。
 これに関連し、10月11日に開催された主要7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議において、城島財務大臣は、急激な円高が日本経済に及ぼす悪影響への懸念を表明し、為替介入に対する理解を求め、主要各国から具体的な協調的行動が示されたわけではないが、いわば黙認された形となった。
 1、長期経済停滞の中で国際協調に徹した日本
 日本経済は、90年代のバブル経済の崩壊後の長期の経済停滞の中で、2009年9月、米国大手証券の一つであったリーマン・ブラザースの破たん(リーマン・ショック)に端を発した世界的な金融危機を背景として、輸出産業を中心とする経済停滞を一層深刻なものにした。そのような長期の経済停滞の中で2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ経済停滞は一層深刻化した。その結果、日本の貿易収支は2011年に赤字に転じ、2012年においても上期(1-6月)は過去最大の2兆9千億円強の大幅赤字となり、7、8月期も赤字が継続し、本年度上期(4-9月)の貿易赤字は3兆2千億円強と1979年以来最大の貿易赤字を記録した。
 このような日本の長期の経済停滞、深刻化にも拘わらず、為替レートは、対ドル、対ユーロ共に2009年10月以降独歩高の状況であり、2011年末以降1ドル80円を割り込んでいる。日本の長期の経済停滞と東日本大震災の影響、2011年来の貿易赤字を勘案すると、明らかに日本の経済実体を越える円高が継続し、日本経済を圧迫し来ていると言える。
 為替レートが1ドル80円を割り込んだのは、米国のオバマ政権が、大統領選挙を1年後に控えた2011年秋頃より輸出の倍増、雇用創出を打ち出し始めてからである。その最大の対象国は最大の貿易相手国となった中国である。中国は元安を維持して来ているが、日本は、長期経済停滞の中で、米国をはじめとする世界経済の回復を期待しつつ為替、金融面で国際協調に徹して来たと言える。
 2、日本経済の回復には円レートの適正化が不可欠 (その2に掲載)
 (2012.10.20.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)

2012-10-23 | Weblog
各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)
 10月10日から開催されていた国際通貨基金(IMF)・世銀総会の一連会合は、最終日の13日に国際通貨金融委員会及び合同開発委員会のコミュニケをそれぞれ採択して閉幕した。いずれのコミュニケでも、世界経済の情勢認識において、多くの先進国経済で課題が残っている一方、新興市場経済においても成長が減速しているとして世界経済の脆弱性を指摘しつつ、財政・金融及び構造面での一層の努力が必要であり、成長を下支えする措置が取られているとの認識を示すに留まり、具体的には各国、各地域の努力に委ねた形となっている。特に雇用創出の必要性を強調しているが、これも各国の努力に委ねられている。
 通貨金融問題についても、米国の金融・証券危機に端を発する欧州債務危機が中国などの新興経済国に波及していることを反映し、世界経済が減速し、不確実性が高まったとの認識を示すにとどまっており、具体的な措置を示していない。為替レートについては、黒字国においては国内の成長の源泉、即ち内需の強化の必要性を指摘する一方、赤字国については、「輸出競争力を強化しつつ国内貯蓄を増加させ、適切な場合には為替レートの更なる柔軟性を促進する」との姿勢を明らかにしている。貿易黒字国と赤字国では為替レートへの対応が異なってくるが、急速な円高と2011年の東日本大震災の影響などが重なって貿易赤字に転じた日本などの貿易赤字国については、円安への柔軟な対応を行うことも容認されることになる。
 これに関連し、10月11日に開催された主要7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議において、城島財務大臣は、急激な円高が日本経済に及ぼす悪影響への懸念を表明し、為替介入に対する理解を求め、主要各国から具体的な協調的行動が示されたわけではないが、いわば黙認された形となった。
 1、長期経済停滞の中で国際協調に徹した日本
 日本経済は、90年代のバブル経済の崩壊後の長期の経済停滞の中で、2009年9月、米国大手証券の一つであったリーマン・ブラザースの破たん(リーマン・ショック)に端を発した世界的な金融危機を背景として、輸出産業を中心とする経済停滞を一層深刻なものにした。そのような長期の経済停滞の中で2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ経済停滞は一層深刻化した。その結果、日本の貿易収支は2011年に赤字に転じ、2012年においても上期(1-6月)は過去最大の2兆9千億円強の大幅赤字となり、7、8月期も赤字が継続し、本年度上期(4-9月)の貿易赤字は3兆2千億円強と1979年以来最大の貿易赤字を記録した。
 このような日本の長期の経済停滞、深刻化にも拘わらず、為替レートは、対ドル、対ユーロ共に2009年10月以降独歩高の状況であり、2011年末以降1ドル80円を割り込んでいる。日本の長期の経済停滞と東日本大震災の影響、2011年来の貿易赤字を勘案すると、明らかに日本の経済実体を越える円高が継続し、日本経済を圧迫し来ていると言える。
 為替レートが1ドル80円を割り込んだのは、米国のオバマ政権が、大統領選挙を1年後に控えた2011年秋頃より輸出の倍増、雇用創出を打ち出し始めてからである。その最大の対象国は最大の貿易相手国となった中国である。中国は元安を維持して来ているが、日本は、長期経済停滞の中で、米国をはじめとする世界経済の回復を期待しつつ為替、金融面で国際協調に徹して来たと言える。
 2、日本経済の回復には円レートの適正化が不可欠 (その2に掲載)
 (2012.10.20.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)

2012-10-23 | Weblog
各国、各地域の努力に委ねられた世界経済 (その1)
 10月10日から開催されていた国際通貨基金(IMF)・世銀総会の一連会合は、最終日の13日に国際通貨金融委員会及び合同開発委員会のコミュニケをそれぞれ採択して閉幕した。いずれのコミュニケでも、世界経済の情勢認識において、多くの先進国経済で課題が残っている一方、新興市場経済においても成長が減速しているとして世界経済の脆弱性を指摘しつつ、財政・金融及び構造面での一層の努力が必要であり、成長を下支えする措置が取られているとの認識を示すに留まり、具体的には各国、各地域の努力に委ねた形となっている。特に雇用創出の必要性を強調しているが、これも各国の努力に委ねられている。
 通貨金融問題についても、米国の金融・証券危機に端を発する欧州債務危機が中国などの新興経済国に波及していることを反映し、世界経済が減速し、不確実性が高まったとの認識を示すにとどまっており、具体的な措置を示していない。為替レートについては、黒字国においては国内の成長の源泉、即ち内需の強化の必要性を指摘する一方、赤字国については、「輸出競争力を強化しつつ国内貯蓄を増加させ、適切な場合には為替レートの更なる柔軟性を促進する」との姿勢を明らかにしている。貿易黒字国と赤字国では為替レートへの対応が異なってくるが、急速な円高と2011年の東日本大震災の影響などが重なって貿易赤字に転じた日本などの貿易赤字国については、円安への柔軟な対応を行うことも容認されることになる。
 これに関連し、10月11日に開催された主要7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議において、城島財務大臣は、急激な円高が日本経済に及ぼす悪影響への懸念を表明し、為替介入に対する理解を求め、主要各国から具体的な協調的行動が示されたわけではないが、いわば黙認された形となった。
 1、長期経済停滞の中で国際協調に徹した日本
 日本経済は、90年代のバブル経済の崩壊後の長期の経済停滞の中で、2009年9月、米国大手証券の一つであったリーマン・ブラザースの破たん(リーマン・ショック)に端を発した世界的な金融危機を背景として、輸出産業を中心とする経済停滞を一層深刻なものにした。そのような長期の経済停滞の中で2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ経済停滞は一層深刻化した。その結果、日本の貿易収支は2011年に赤字に転じ、2012年においても上期(1-6月)は過去最大の2兆9千億円強の大幅赤字となり、7、8月期も赤字が継続し、本年度上期(4-9月)の貿易赤字は3兆2千億円強と1979年以来最大の貿易赤字を記録した。
 このような日本の長期の経済停滞、深刻化にも拘わらず、為替レートは、対ドル、対ユーロ共に2009年10月以降独歩高の状況であり、2011年末以降1ドル80円を割り込んでいる。日本の長期の経済停滞と東日本大震災の影響、2011年来の貿易赤字を勘案すると、明らかに日本の経済実体を越える円高が継続し、日本経済を圧迫し来ていると言える。
 為替レートが1ドル80円を割り込んだのは、米国のオバマ政権が、大統領選挙を1年後に控えた2011年秋頃より輸出の倍増、雇用創出を打ち出し始めてからである。その最大の対象国は最大の貿易相手国となった中国である。中国は元安を維持して来ているが、日本は、長期経済停滞の中で、米国をはじめとする世界経済の回復を期待しつつ為替、金融面で国際協調に徹して来たと言える。
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 通貨金融問題についても、米国の金融・証券危機に端を発する欧州債務危機が中国などの新興経済国に波及していることを反映し、世界経済が減速し、不確実性が高まったとの認識を示すにとどまっており、具体的な措置を示していない。為替レートについては、黒字国においては国内の成長の源泉、即ち内需の強化の必要性を指摘する一方、赤字国については、「輸出競争力を強化しつつ国内貯蓄を増加させ、適切な場合には為替レートの更なる柔軟性を促進する」との姿勢を明らかにしている。貿易黒字国と赤字国では為替レートへの対応が異なってくるが、急速な円高と2011年の東日本大震災の影響などが重なって貿易赤字に転じた日本などの貿易赤字国については、円安への柔軟な対応を行うことも容認されることになる。
 これに関連し、10月11日に開催された主要7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議において、城島財務大臣は、急激な円高が日本経済に及ぼす悪影響への懸念を表明し、為替介入に対する理解を求め、主要各国から具体的な協調的行動が示されたわけではないが、いわば黙認された形となった。
 1、長期経済停滞の中で国際協調に徹した日本
 日本経済は、90年代のバブル経済の崩壊後の長期の経済停滞の中で、2009年9月、米国大手証券の一つであったリーマン・ブラザースの破たん(リーマン・ショック)に端を発した世界的な金融危機を背景として、輸出産業を中心とする経済停滞を一層深刻なものにした。そのような長期の経済停滞の中で2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ経済停滞は一層深刻化した。その結果、日本の貿易収支は2011年に赤字に転じ、2012年においても上期(1-6月)は過去最大の2兆9千億円強の大幅赤字となり、7、8月期も赤字が継続し、本年度上期(4-9月)の貿易赤字は3兆2千億円強と1979年以来最大の貿易赤字を記録した。
 このような日本の長期の経済停滞、深刻化にも拘わらず、為替レートは、対ドル、対ユーロ共に2009年10月以降独歩高の状況であり、2011年末以降1ドル80円を割り込んでいる。日本の長期の経済停滞と東日本大震災の影響、2011年来の貿易赤字を勘案すると、明らかに日本の経済実体を越える円高が継続し、日本経済を圧迫し来ていると言える。
 為替レートが1ドル80円を割り込んだのは、米国のオバマ政権が、大統領選挙を1年後に控えた2011年秋頃より輸出の倍増、雇用創出を打ち出し始めてからである。その最大の対象国は最大の貿易相手国となった中国である。中国は元安を維持して来ているが、日本は、長期経済停滞の中で、米国をはじめとする世界経済の回復を期待しつつ為替、金融面で国際協調に徹して来たと言える。
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 通貨金融問題についても、米国の金融・証券危機に端を発する欧州債務危機が中国などの新興経済国に波及していることを反映し、世界経済が減速し、不確実性が高まったとの認識を示すにとどまっており、具体的な措置を示していない。為替レートについては、黒字国においては国内の成長の源泉、即ち内需の強化の必要性を指摘する一方、赤字国については、「輸出競争力を強化しつつ国内貯蓄を増加させ、適切な場合には為替レートの更なる柔軟性を促進する」との姿勢を明らかにしている。貿易黒字国と赤字国では為替レートへの対応が異なってくるが、急速な円高と2011年の東日本大震災の影響などが重なって貿易赤字に転じた日本などの貿易赤字国については、円安への柔軟な対応を行うことも容認されることになる。
 これに関連し、10月11日に開催された主要7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議において、城島財務大臣は、急激な円高が日本経済に及ぼす悪影響への懸念を表明し、為替介入に対する理解を求め、主要各国から具体的な協調的行動が示されたわけではないが、いわば黙認された形となった。
 1、長期経済停滞の中で国際協調に徹した日本
 日本経済は、90年代のバブル経済の崩壊後の長期の経済停滞の中で、2009年9月、米国大手証券の一つであったリーマン・ブラザースの破たん(リーマン・ショック)に端を発した世界的な金融危機を背景として、輸出産業を中心とする経済停滞を一層深刻なものにした。そのような長期の経済停滞の中で2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ経済停滞は一層深刻化した。その結果、日本の貿易収支は2011年に赤字に転じ、2012年においても上期(1-6月)は過去最大の2兆9千億円強の大幅赤字となり、7、8月期も赤字が継続し、本年度上期(4-9月)の貿易赤字は3兆2千億円強と1979年以来最大の貿易赤字を記録した。
 このような日本の長期の経済停滞、深刻化にも拘わらず、為替レートは、対ドル、対ユーロ共に2009年10月以降独歩高の状況であり、2011年末以降1ドル80円を割り込んでいる。日本の長期の経済停滞と東日本大震災の影響、2011年来の貿易赤字を勘案すると、明らかに日本の経済実体を越える円高が継続し、日本経済を圧迫し来ていると言える。
 為替レートが1ドル80円を割り込んだのは、米国のオバマ政権が、大統領選挙を1年後に控えた2011年秋頃より輸出の倍増、雇用創出を打ち出し始めてからである。その最大の対象国は最大の貿易相手国となった中国である。中国は元安を維持して来ているが、日本は、長期経済停滞の中で、米国をはじめとする世界経済の回復を期待しつつ為替、金融面で国際協調に徹して来たと言える。
 2、日本経済の回復には円レートの適正化が不可欠 (その2に掲載)
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融ける北極海の氷海 (その2)

2012-10-23 | Weblog
融ける北極海の氷海 (その2)
 夏になると、特に8月から10月に掛けて北極海の氷海が縮小し、地球規模での温暖化の進行として懸念される一方、夏期限定ではあるがシベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来るなど、ビジネスチャンスが広がっている。
 北極海の氷原の動きについては、アラスカ大学の国際北極研究センターが衛星写真を長期に亘りモニターし、夏期に氷原が縮んでいる状況を公開しているが、日本の宇宙航空研究開発機構も2012年8月、北極海の氷原が近年で最も縮小していることを公表し、また米国宇宙航空局も同様の分析結果を公表している。
 1、縮む北極海の氷海は地球温暖化の警鐘か (その1で掲載)
 2、北極海に広がるビジネス・チャンス 
 北極海の氷海が縮小し、シベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来ると、北極海航路や資源開発などビジネスチャンスが広がる。
 北極航路には2つある。一つは、太平洋北端のベーリング海からシベリア・ユーラシア大陸に沿ってバレンツ海、ノルウエー海方面に向けての「北方海路」である。将来海路が開ければ、東アジアと欧州を結ぶ有力な国際海路となる。もう一つは、ベーリング海から米国アラスカ州、カナダの北方領沖の北極圏諸島をぬって大西洋に出る「北西航路」である。
 今後15年程度は年間を通じての使用は困難とする見方もあるが、それよりも早く氷海の融解が進むとの見方もある。
 また北極圏は、圏内の陸地はもとより、大陸棚も天然ガス、石油資源や金、銀、鉄、亜鉛、錫、ダイアモンドなど貴重な鉱物資源に富んでいる。
 このように北極海の氷原の縮小は温暖化への警告であるが、現実論として北極海に新たな経済開発の可能性が出て来ている。
 北極圏問題については、ノルウエーに北極評議会が設置されており、北極海開発の側面と環境保護についての共通の認識と協力を促進することを目的として協議が重ねられている。北極海周辺に領土を持つ米、加、露、ノルウェー、デンマークの5か国と外延のアイスランド、フィンランド、及びスエーデンの8カ国で構成され、日本のほか、中国、韓国などがオブザーバーとして参加できることになっている。
北極点の周辺には大陸はないが、周辺5カ国による大陸棚の線引きの問題について、2008年5月、周辺5か国は、国連海洋法条約(1982年に採択)に基づいて解決策を見出すことで合意し、当面領有権などを凍結している。しかしより長期の視点が必要であると共に、海運や資源開発等の面で国際的なガイドラインが必要になっていると言えよう。北極海の気象情報や航路情報を提供するシステムや緊急時の援護システムなども必要になって来よう。
 だが北極圏に広がるビジネスチャンスは、同時に温暖化への警鐘でもあるので、南極大陸同様、北極における大陸棚の領有権の凍結や調査・研究を除く経済活動の制限など、国際管理が必要になっていると言えよう。
(2012.08.12.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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融ける北極海の氷海 (その2)

2012-10-23 | Weblog
融ける北極海の氷海 (その2)
 夏になると、特に8月から10月に掛けて北極海の氷海が縮小し、地球規模での温暖化の進行として懸念される一方、夏期限定ではあるがシベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来るなど、ビジネスチャンスが広がっている。
 北極海の氷原の動きについては、アラスカ大学の国際北極研究センターが衛星写真を長期に亘りモニターし、夏期に氷原が縮んでいる状況を公開しているが、日本の宇宙航空研究開発機構も2012年8月、北極海の氷原が近年で最も縮小していることを公表し、また米国宇宙航空局も同様の分析結果を公表している。
 1、縮む北極海の氷海は地球温暖化の警鐘か (その1で掲載)
 2、北極海に広がるビジネス・チャンス 
 北極海の氷海が縮小し、シベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来ると、北極海航路や資源開発などビジネスチャンスが広がる。
 北極航路には2つある。一つは、太平洋北端のベーリング海からシベリア・ユーラシア大陸に沿ってバレンツ海、ノルウエー海方面に向けての「北方海路」である。将来海路が開ければ、東アジアと欧州を結ぶ有力な国際海路となる。もう一つは、ベーリング海から米国アラスカ州、カナダの北方領沖の北極圏諸島をぬって大西洋に出る「北西航路」である。
 今後15年程度は年間を通じての使用は困難とする見方もあるが、それよりも早く氷海の融解が進むとの見方もある。
 また北極圏は、圏内の陸地はもとより、大陸棚も天然ガス、石油資源や金、銀、鉄、亜鉛、錫、ダイアモンドなど貴重な鉱物資源に富んでいる。
 このように北極海の氷原の縮小は温暖化への警告であるが、現実論として北極海に新たな経済開発の可能性が出て来ている。
 北極圏問題については、ノルウエーに北極評議会が設置されており、北極海開発の側面と環境保護についての共通の認識と協力を促進することを目的として協議が重ねられている。北極海周辺に領土を持つ米、加、露、ノルウェー、デンマークの5か国と外延のアイスランド、フィンランド、及びスエーデンの8カ国で構成され、日本のほか、中国、韓国などがオブザーバーとして参加できることになっている。
北極点の周辺には大陸はないが、周辺5カ国による大陸棚の線引きの問題について、2008年5月、周辺5か国は、国連海洋法条約(1982年に採択)に基づいて解決策を見出すことで合意し、当面領有権などを凍結している。しかしより長期の視点が必要であると共に、海運や資源開発等の面で国際的なガイドラインが必要になっていると言えよう。北極海の気象情報や航路情報を提供するシステムや緊急時の援護システムなども必要になって来よう。
 だが北極圏に広がるビジネスチャンスは、同時に温暖化への警鐘でもあるので、南極大陸同様、北極における大陸棚の領有権の凍結や調査・研究を除く経済活動の制限など、国際管理が必要になっていると言えよう。
(2012.08.12.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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融ける北極海の氷海 (その1)

2012-10-23 | Weblog
融ける北極海の氷海 (その1)
 夏になると、特に8月から10月に掛けて北極海の氷海が縮小し、地球規模での温暖化の進行として懸念される一方、夏期限定ではあるがシベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来るなど、ビジネスチャンスが広がっている。
 北極海の氷原の動きについては、アラスカ大学の国際北極研究センターが衛星写真を長期に亘りモニターし、夏期に氷原が縮んでいる状況を公開しているが、日本の宇宙航空研究開発機構も2012年8月、北極海の氷原が近年で最も縮小していることを公表し、また米国宇宙航空局も同様の分析結果を公表している。
 1、縮む北極海の氷海は地球温暖化の警鐘か
 温暖化の速度などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は35年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者より300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。
 どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。5年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。
 これは今起きている現実であり、それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早める恐れがあり、現在世界各地で起っている局地的な豪雨や突風、旱魃など、これまでには見られなかった異常な気候変動との関連が考えられる。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物は死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。冷蔵庫の中の冷凍器部分が夏の一定期間融け落ちることを想像すれば影響の大きさは分かるだろう。
 同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。
 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護の必要性が高まっている。
 2、北極海に広がるビジネス・チャンス (その2に掲載)
 (2012.08.12.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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融ける北極海の氷海 (その1)

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融ける北極海の氷海 (その1)
 夏になると、特に8月から10月に掛けて北極海の氷海が縮小し、地球規模での温暖化の進行として懸念される一方、夏期限定ではあるがシベリア大陸やカナダ領の北方諸島との間に海路が出来るなど、ビジネスチャンスが広がっている。
 北極海の氷原の動きについては、アラスカ大学の国際北極研究センターが衛星写真を長期に亘りモニターし、夏期に氷原が縮んでいる状況を公開しているが、日本の宇宙航空研究開発機構も2012年8月、北極海の氷原が近年で最も縮小していることを公表し、また米国宇宙航空局も同様の分析結果を公表している。
 1、縮む北極海の氷海は地球温暖化の警鐘か
 温暖化の速度などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は35年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者より300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。
 どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。5年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。
 これは今起きている現実であり、それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早める恐れがあり、現在世界各地で起っている局地的な豪雨や突風、旱魃など、これまでには見られなかった異常な気候変動との関連が考えられる。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物は死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。冷蔵庫の中の冷凍器部分が夏の一定期間融け落ちることを想像すれば影響の大きさは分かるだろう。
 同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。
 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護の必要性が高まっている。
 2、北極海に広がるビジネス・チャンス (その2に掲載)
 (2012.08.12.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)

2012-10-23 | Weblog
竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって信頼関係を損ねる極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことであり、日本の植民地支配や慰安婦問題などとは関係がない。
 同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
同島が両国の古来からの接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への付託を拒否する姿勢が伝えられている一方、これを受けて日本政府は、経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしている。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉や標語だけの外交や、問題先送りにより事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を真剣に検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。
 但し2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」は実体が伴わない標語に過ぎない。
 3、模索すべき大所高所からの解決策
 米国国務省公開文書「1964年から68年米国の外交関係29編」に基づけば、同島の「日韓共同所有案」について、1965年5月17日、訪米した朴大統領(当時)に対し、ラスク米国務長官が、解決に向けての方策として提案したが、朴大統領は「あるまじきこと」として固辞した旨伝えられている。またその後、米国は韓国に対し同島問題を議題として韓日外相会談を提案したが、同大統領の受け入れるところにはならなかったとされている。
 共同所有案にしても、共同管理・分割領有にしても、両国国内の世論等もあり困難が伴うと予想されるが、日韓関係は当時とは異なっている。日韓両国は、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、戦後請求権問題も経済協力等の形で処理し、基本的な友好関係の枠組みもそれなりに確立しており、市民レベルの交流も盛り上がりを見せている。今後日韓関係が健全に発展するか、阻害されるかが、竹島問題解決への両国首脳のリーダーシップと大所高所からの英断に掛かっていると言えよう。(2012.08.14.)
(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)

2012-10-23 | Weblog
竹島問題を大所高所から解決すべき時 (総合編)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって信頼関係を損ねる極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことであり、日本の植民地支配や慰安婦問題などとは関係がない。
 同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
同島が両国の古来からの接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への付託を拒否する姿勢が伝えられている一方、これを受けて日本政府は、経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしている。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉や標語だけの外交や、問題先送りにより事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を真剣に検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。
 但し2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」は実体が伴わない標語に過ぎない。
 3、模索すべき大所高所からの解決策
 米国国務省公開文書「1964年から68年米国の外交関係29編」に基づけば、同島の「日韓共同所有案」について、1965年5月17日、訪米した朴大統領(当時)に対し、ラスク米国務長官が、解決に向けての方策として提案したが、朴大統領は「あるまじきこと」として固辞した旨伝えられている。またその後、米国は韓国に対し同島問題を議題として韓日外相会談を提案したが、同大統領の受け入れるところにはならなかったとされている。
 共同所有案にしても、共同管理・分割領有にしても、両国国内の世論等もあり困難が伴うと予想されるが、日韓関係は当時とは異なっている。日韓両国は、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、戦後請求権問題も経済協力等の形で処理し、基本的な友好関係の枠組みもそれなりに確立しており、市民レベルの交流も盛り上がりを見せている。今後日韓関係が健全に発展するか、阻害されるかが、竹島問題解決への両国首脳のリーダーシップと大所高所からの英断に掛かっていると言えよう。(2012.08.14.)
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 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって信頼関係を損ねる極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことであり、日本の植民地支配や慰安婦問題などとは関係がない。
 同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
同島が両国の古来からの接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への付託を拒否する姿勢が伝えられている一方、これを受けて日本政府は、経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしている。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉や標語だけの外交や、問題先送りにより事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を真剣に検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。
 但し2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」は実体が伴わない標語に過ぎない。
 3、模索すべき大所高所からの解決策
 米国国務省公開文書「1964年から68年米国の外交関係29編」に基づけば、同島の「日韓共同所有案」について、1965年5月17日、訪米した朴大統領(当時)に対し、ラスク米国務長官が、解決に向けての方策として提案したが、朴大統領は「あるまじきこと」として固辞した旨伝えられている。またその後、米国は韓国に対し同島問題を議題として韓日外相会談を提案したが、同大統領の受け入れるところにはならなかったとされている。
 共同所有案にしても、共同管理・分割領有にしても、両国国内の世論等もあり困難が伴うと予想されるが、日韓関係は当時とは異なっている。日韓両国は、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、戦後請求権問題も経済協力等の形で処理し、基本的な友好関係の枠組みもそれなりに確立しており、市民レベルの交流も盛り上がりを見せている。今後日韓関係が健全に発展するか、阻害されるかが、竹島問題解決への両国首脳のリーダーシップと大所高所からの英断に掛かっていると言えよう。(2012.08.14.)
(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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