内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。あの空騒ぎは何だったのであろうか。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -横綱朝青龍問題の場合-
どうも最近、些細なことを敢えて問題とし過剰、過敏に反応しているようであり、寛容さやバランスある良識を失って来ているようにも見える。
横綱朝青龍バッシング問題もその一つであろう。昨年7月、同横綱が夏の地方巡業を肘や腰の不調を理由として欠席し、故郷モンゴルでサッカーの親睦交流試合に興じていたことが分かり、2場所の出場停止処分を受けた。確かに地方巡業に参加しなかったことに疑問や不満が出ても仕方がないであろう。横綱へのファンの期待は大きく、それだけに責任も重い。
しかし、決して大きくない身体で、3年余に亘り一人横綱として相撲人気を維持して来たわけであるので、体を休め、癒したい、故郷を訪問したいという気持ちがあったとしても不思議はない。それを気遣って、定期的に故郷に戻り、身体を整えさせる機会を与えるのが協会や部屋の役割でもあろう。個性にもよるが、建前論の厳しさだけや、国技としての伝統や「品格」を説くだけでは、外国人に限らず、最近の若い力士はついて来ない場合があろう。世代は変わり、外国人力士は今日の角界の重要な一部を占め、ファンも国際的になって来ている。国際化して行く角界において、当然闘い方も異なってくるし、技やルールーも進化して行かなくてはならない。日本柔道もそのジレンマに直面して来ている。それに機敏に対応しなければ世界柔道に勝つことは困難になって行こう。
昨年7月に発生した時津風部屋の10代の力士のしごき死(かわいがり事件)や一部に伝えられる力士の「品行」問題などは、外国人力士に「品格」を説く前に、相撲界全体の問題として取り組まなければならない問題であろう。3年以上に亘り日本人の横綱が出ていないのも、稽古や勝負の厳しさに関取クラス、3役クラスでも適切に対応できていない証拠であり、関取としての自覚を欠いているとは言えないだろうか。
相撲は「国技」であるが、土俵という決められた枠の中で勝つか負けるかの勝負であり、相撲ファンはその真剣な勝負を見に行き、感動する。
1月13日、14日の大相撲春場所の国技館は、大入り満員となり、熱気に溢れていた。それが、横綱朝青龍が3場所振りに土俵に戻ったことへの相撲ファンの答えであろう。両横綱と共に、日本の力士がどのように力を発揮するかが注目される。
同時に朝青龍関も、マイクやテレビ・カメラの向こう側には常にファンの目があることをわきまえ、横綱らしく対応することが望まれる。
                     Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。そんなことで有権者に謝罪するのも違和感を感じる。
 この種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。そんなことで有権者に謝罪するのも違和感を感じる。
 この種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。そんなことで有権者に謝罪するのも違和感を感じる。
 この種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。そんなことで有権者に謝罪するのも違和感を感じる。
 この種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。そんなことで有権者に謝罪するのも違和感を感じる。
 この種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-

2008-01-14 | Weblog
平成の空騒ぎシリーズ -「姫」の秘め事の場合-
 姫井由美子議員(岡山県出身)が、議員に当選する以前に高校教諭と関係があったことが、当選後にこの教諭から暴露され話題となったが、そのいきさつを綴った「姫の告白」を出版した。
 当時既に家庭もあり、そのようなことがあったとすれば、決して好ましい行為とは言えないところであり、民主党県連側は、出版を取り止めるよう示唆するなどの動きがあったが、出版に踏み切ったようだ。マスコミで問題視される中、サイン会には予想を上回る300人内外が集まり、多くの報道陣に囲まれ、上々の人気のようであった。男性のファンは多分興味本意であろうが、女性の姿もあった。
 従来、男性が公の場に出ることの多く、批判に晒されることが多いが、当然のことながら、不倫は男女があって成立するものであるので、女性側にもその様な願望や欲望があって不思議ではない。封建時代には、不義密通は女性の重罪とされ、男性には寛容であった時代もあったが、女性にも一時の過ちがあっても不思議はない。
 その種の過去の私人としての行為は、プライバシーの問題として答える必要もないことであり、女性自ら告白本を出すこともないのかも知れない。しかし、この問題を何時までも引きずっていても仕方がないことであるし、また、女性もそのような願望や一時の過ちを起こすこともあり、それを素直に表現し(当然脚色もあるだろうが)、反省をしつつ再起を図ることについて読者や有権者の判断に委ねることも勇気ある選択肢の一つと言える。
 不倫は許されて良いものではなく、事実であれば、家族に謝罪し、今後身を正すべきであろう。しかし、私人としてそのような過ちを起こすことはあり得ることであり、女性は別だ、許されないとして退場を迫るようなことは、再起の機会を奪ってしまうことになる。サイン会に女性の姿があったのも、女性としての悩みや勇気に共鳴するところがあるからなのであろう。大切なことは、夫や家族など、謝るべき人には謝り、家族や周辺の人になるべく迷惑を掛けないようにすることであり、後は反省し、胸にしまって置くことなのであろう。
 もっともこの種の私人としての過去の行為を、公職に就いたからと言ってどこまで報道機関が追求し、プライバシーを公にすべきかにも問題がありそうだ。ましてや、過去のプライバシーに属する問題をどこまで「公にする」かには疑問が残る。公人にも「プライバシー」はあり、公的な行為と私的なプライバシーとは本来区別されるべきなのであろう。
他方、相手側の男性については、バツイチあったとは言え、高校教諭の立場にありながら、あたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない大人気ない行為であり、誹謗、或いは報酬や政治目的の中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
他方、姫井議員もこんなことで空騒ぎをしていないで、公務に専念して欲しいものだ。
                          Copy Right Reserved
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする